「おうおう、逃げ足だけは伊達男め。甲板掃除も碌にできずに、またゲロ吐きかい?」
「どれどれ、肩を貸してやろう。せっかく喰らったタダ飯だ、深海の彼奴等にくれてやるのは勿体無い」
「おうとも、おうとも。また船室に転がして置こう」
「お前さまにゃあ、役立たずの重し程度がお似合いだ」
顔の青ざめている小心者。『船酔いデットウエイト』の綽名を持つ役立たずは、図体のでかい男に両脇から抱えられ、船室への通路を引きずられる。
道すがら、役立たずと違って浅黒く日に焼けた精悍な同僚達が、下っ端の彼に代わるがわる声を掛けて冷やかしてくる。
この護衛艦の乗員たち、精鋭として集められた屈強な軍人たちだ。
ある若い佐官。
海軍士官学校在籍時からその名を轟かせ、先輩方や教官殿達のカワイガリも真っ向から受けて立ち、「お次はこちらの手番ですなぁ」と正々堂々跳ねのける。
悪巧みも喧嘩も朝飯前。酔っぱらって陸さん連中との揉め事もしょっちゅうだが、後から上官からくすねた酒を担いで詫びに行き、国を憂う想いと深海棲艦打倒を語らって、妙なコネを作って帰ってくる始末。
この時勢、敵の侵略に戦える者も少なくなる中、むしろこういった手合いこそ、人材として必要とされていた。
この暴れん坊で鳴らした佐官は、海軍の語り草である『敵軽巡を座礁させて退けた』伝説の持ち主で、その経験を高く売り、肝煎り部隊の創設に漕ぎ着ける。
役立たずを抱え、また声を掛けてくる乗員たちは、その佐官が選び抜いて鍛え上げた最精鋭。中でも足の速さで誉れ高いこの護衛艦は、敵を釣り上げ地の利も活かした味方布陣へ誘い込む先鋒を務めるため、特に精強で士気の高い者達が集められていた。
場違いと言える役立たず。
だが彼は『深海棲艦と出くわして生き残った』経験を買われ、その佐官から直々に「お前は居飛車になれる悪運付き」と乞われて乗艦する事となったのだ。
只ただ運が良かっただけの役立たずだが、この護衛艦の乗員達は彼を爪弾く事はせず、むしろ率先して彼を揶揄って、志を同じくする仲間として扱った。
逃げ足最速、タダ飯喰らい、船酔いデットウエイト等の綽名は、全て最精鋭のつわもの達が彼を揶揄して名付けたものだ。
だが、この名を口にして良いのは護衛艦の乗員達のみ。陸の連中がこれを口にして彼を嘲笑おうものなら大変だ。
精鋭達が全力で大暴れして、その尻ぬぐいに佐官があちこち手を焼く事になるだろう。
「おうおう、また酒も飲まずに酔っ払いかぁ?」
「ええい、邪魔だ邪魔だ。バケツでも抱えさせて、毛布で縛り付けておけ」
「なんだ、なんだ? まぁ~た青ざめてやがるのか」
「どうした、どうした? 敵さん来る前におねむとは、全くいい度胸だ伊達男」
「どれどれ、俺さまが担ぐのを変わってやろう」
「いやはや、ここまで情けないたぁ知らなんだ」
「おうとも、しかしこいつぁ~たまげたもんだ」
「おうとも、飛び切りの臆病者が戦船に乗り込んでやがる」
「おうとも、おうとも、そうだとも。こいつぁ~彼奴等にコテンパンにされたのに、今またこうして我らと共に海へ出航る」
「おうとも、おうとも。こんな根性無しが戦に望むなら、手柄の一つも立てさせてやらにゃあ浮かばれねぇ」
「おうとも、おうとも。ゲロの変わりに砲弾いっぱいくれてやれ」
「おうとも、おうとも。共に錦を飾って嫁さんでも娶らせにゃあ」
「おうとも、おうとも。臆病者がカバネになっちゃ~世も末だ」
「おうとも、おうとも。畳に布団と毛布で逝かにゃあ勿体ない」
「いいか、目ん玉開けてよぉ~く見ておけよ」
「お前さまの戦友が、手柄を目一杯喰わせてやる」
「ゲロ吐け、ゲロ吐け。たらふく食って吐きまくれ」
「下戸でもたらふく飲ませて、吐かせてやるぞ」
おうとも、おうとも。
いつの間にか、役立たずの周りには輪が出来ていた。
彼を船室に転がす前に、浅黒く日に焼けた気の良い連中は、こうして肩を組んで揶揄い謳い、「いざ、いざ」と背中を乱暴に叩いて大声で笑う。
彼は船酔いで目が回っていたが、それとは別の熱さに鼻をぐずらせる。
視界も歪んでしまって、余計に気持ち悪くなりそうだ。
どうか、どうか……、いかないでくれ。
それ以上は……、もう進まないでくれ。
気の良い連中が熱苦し過ぎて、胸が張り裂けそうなんだ。
船酔いの気持ち悪さだけじゃ、無かったみたいなんだ。
おうとも、おうとも。
おぉ…友よ。
応じこたえよ、共に在ろうぞ。