『ロック』
「お帰りなさいませ。主さま」
「ただいま」
騎士はシズルと別れ、部屋に戻るとすでに先に帰っていたコッコロが彼を出迎える。
あどけなく無垢な笑顔を向けている彼女に騎士はさっそくシズルから教わったばかりの好意と感謝を伝える方法を実践しようと手を伸ばす。
コッコロは自分へと向かってくる手を不思議そうに眺めていると、
「……っ。あ、主さま、その、嫌ではないのですが、急に抱きしめられてしまうのは、
さすがに少し恥ずかしいです」
騎士の突然の行動に頬を染めつつ、その行為を軽く窘めつつ思案する。
(ふむ。もしかしたら主さまは、今日なにか楽しい事があって、
その喜びを私に伝えようと舞い上がっているのかもしれませんね。
私の声が耳に届いていないのか、ずっと私を抱きしめたまま離してくれそうにありません。
……ともあれ。少々心苦しいのですが、今はお料理の最中。
主さまもお腹を空かせていらっしゃるでしょうし、お話はその時に聞かせて頂くとしましょう)
コッコロはしばらく騎士のしたいようにさせ、落ち着いた頃合いを見計らって声を掛けるべきと判断する。
しかし、コッコロの判断とは別に騎士は彼女の幼く小さな体を抱き寄せることで、徐々に感情を昂らせ始めていた。
日頃から献身的に自分の世話をしてくれる優しい少女の、
折れてしまいそうなくらい華奢な体。
少しだけ高めの温かな体温。
柔らかく甘い香りのする髪。
彼女にしっかりと自分の好意を伝え、できる限り優しくその証を送り届けてあげよう。
騎士がそう考えた瞬間、彼の意志に反して突然体が眩く光り輝き始めた。
「主さまの体がまた突然……っ。
こ、このタイミングでアメスさまが何か主さまにお伝えしたいことがあるのでしょうかっ!?」
驚きの声を上げるコッコロの声がどんどんと遠ざかっていく感覚とともに、
騎士の意識はどこかに引きづり込まれるよう深く沈んでいくのだった。
*
騎士は気づくと、見覚えがあるがわからないどこか不思議な空間にいた。
意識はまだぼんやりとしていて、まるで夢の中にいるような不思議な感覚。
目の前には少女がいた。
なんとなくだが、騎士は彼女の存在を知っている。
いつもこの夢の中で何か別の夢を見せてくれている、そんな不思議な存在。
しかし、どうやら今回は夢を見せてくれるようではないようだ。
何やらすごく不機嫌そうに騎士を睨んでいるが、彼には心当たりがなかった。
『……ったく。あんたねー。
いくらなんでも、やって良いことと悪いことってもんがあるでしょーがっ!
シズルちゃんの時は、ちょうどあたしも干渉できないタイミングだったから、
みすみすシズルちゃんの思惑通りに完遂させてしまったけど、
あたしの大切なコッコロたんにまでなんてことしようとしてんのよっ!!』
怒りに任せるまま一気にがなり立てるように吐き出された少女の言葉に心がびくりと震えあがる。
しかし、体が動かない。声が出ない。
騎士は逃げることもできなければ、目を瞑ることも、耳を塞ぐことさえもできなかった。
なぜだろうか?
普段の彼女はもっと気さくで楽しげに話しかけてくれていた気がする。
そんなことを考えながら、騎士は彼女のお説教が早く終わることを恐怖に怯えながら願い続けていた。
『ほんとは無駄な力を使う余裕なんて一切ないんだけど、
……こうなった以上仕方ないわね。
今のあたしの状態だと完全にはできないけど『ロック』させてもらう』
その言葉と同時にアメスの体が、淡い輝きを放つと、
騎士は自分の胸の中の『何か』が鎖を掛けられたように縛られていく感覚に襲われた。
ダメだ。これは誰か大切な人が教えてくれた大切な想いだ。
その『何か』が、きつく強く締め上げられていく度に、自分の感情から遠ざかっていく感覚に恐怖し、必死に抵抗する。
しかし彼の抵抗虚しく、必死に守ろうとしていた『何か』が自分の中で霧散してしまった。
代わりに、自分の大切な『何か』を無理やり封じ込めた忌々しい鎖の感覚のみが残っていた。
どうしてこんなことをするんだ!!
騎士は声を出すことができない代わりに、必死に強く怒りの感情を念じるが、アメスはその様子に気づいていないようだ。
やがて『ロック』という作業が終わったのか、放たれていた輝きは静かに収まっていく。
『はぁ……わかってはいたけど、人の想いを完全に封じるのなんて元々無理なことよね。
形はどうあれ、あんたたちはその想いの力で前の世界で活躍し続けてきたんだしね。
ともあれ。今回あんたが思い出してしまった感情は、無暗に人に向けてはいけないものなのよ。
まして、あんたは『プリンセスナイト』なんだから』
アメスは諦観したような、それでいてどこか悲しそうな顔をしていた。
自身もまた様々な知識を得て、多くの事象に理解を深めることに使命と喜びを感じている。
そんな自分が、せっかく騎士が思い出すことができた感情を無理やり抑圧し、消し去ってしまおうとする行為に罪悪感があるのだ。
『ごめんなさい。今回のことで、あたしもだいぶ力を使ってしまったから、
当分はあたしもあんたの前に出てくることができなくなると思うわ。
力のこと抜きにしても、あんたの大切な女の子たちを悲しませるようなことはしないようにね。
……でも、どうか『プリンセスナイト』の力を無駄に浪費するようなマネもしないでね。
あんたからしたら自分勝手な都合にしか思えないかもしれないけど、
この力はあんたが考えている以上に、大切で……
この歪んで狂ってしまった世界を元に戻すために必要な力なんだから』
アメスが儚く哀しげに微笑む顔を見たせいだろうか、それとも彼の怒りの根源であった感情を制御されてしまったせいだろうか。
騎士はついさっきまで抱いていた激しい怒りの感情を忘れ、遠ざかっていくアメスの存在を呆然と眺めながら、次第に意識を現実へと覚醒させていくのだった。
*
騎士は目を覚ますと、顔を近づけ心配そうに表情を見ているコッコロと目が合った。
「戻ってこられたのですね、主さまっ。
アメスさまは何をおっしゃっておられたのでしょうか?」
「覚えてない」
彼女と会った事は漠然的には覚えている。
しかし、何を彼女から何を伝えられ、何をされたのかを騎士は全く覚えていなかった。
なんとなく彼女に対して何か強い感情を抱いた気もするが、それが何であったのかさえ。
「ふむ。主さまは何も覚えていらっしゃらないと。
ですが、主さまはアメスさまとお会いしたのは間違いないのですね。
それならば、きっと主さまが覚えていなくとも、何か大切な託宣が下されたのでしょう」
騎士は自分の腕の中で一人で納得したようにうんうんと頷いているコッコロを抱き寄せる。
「ふぁ……そ、そういえば、私はまだ主さまに抱きしめられたままで……
あ、主さまっ、ですから、そ、その……け、決してイヤというわけではないのですが……
……恥ずかしいです。そ、それには今は、お夕飯を作っている最中ですので、
そろそろ私の身体を解放して頂けますと……」
コッコロは羞恥心と戸惑いに耐えながら、必死に彼の従者としての職務を全うしようと自身を奮い立たせる。
優しい主さまに甘やかして頂けるのはその後だ。と気持ちを強く持つ。
騎士もコッコロのジャマをしてはいけないと、ようやく彼女の身体を解放する。
名残惜しさを振り払いきれず、離れ際に一度だけ彼女の頭を撫でる。
本当は彼女に対してもっと別の事をしたかった……気がする。
それがなんだったのか、今は思い出せない。
「……んっ。ふふ。ありがとうございます、主さまっ。
主さまに喜んで頂けるよう精いっぱい頑張らせて頂きます。
………………もし、ご満足頂けましたら、またご褒美を頂けますと嬉しいです」
「もちろん」
「ハッ!? も、申し訳ありませんっ!! 主さまっ!!
自分からご褒美が欲しいなどと図々しい発言をしてしまいましたっ!
ど、どうか今の私の失言をお許しくださいっ」
「いっぱいご褒美あげるから、がんばってね」
コッコロは、騎士からの言葉に恐縮しきったように何度も頭を下げつつも、緩み切った表情を戻せずにいた。
そんな彼女の姿に可愛らしさを感じつつ、騎士はじっくりと考える。
どうすれば彼女に日頃の感謝の気持ちを伝えられるだろうか。
一番最初に何かを思いついた気がするが、何故かそれをする気にはなれなかった。
そして、騎士は彼なりに熟考を重ねてようやく代替案を思いつく。
今日の夜に一緒に寝る時に思い切りぎゅっと抱きしめ、
耳元で「いつもありがとう」とお礼を言いながら、
いっぱい頭を撫でてあげよう。
騎士が就寝時に思いついたご褒美をあげると、彼の目論見通りコッコロは恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めながらも、嬉しそうに彼からのご褒美を受け入れ、二人で仲良く温かな夜を過ごすのだった。