彼女が生きる目標1
ランドソルの街から離れた山の上にある牧場『エリザベスパーク』
「ふぅ……。見回り終了、と。今日も異常なし」
シオリは自主的に行っている牧場周囲の巡回を終えるとその場で佇む。
豊かな自然に囲まれたこの地形を優しく吹き抜ける風。
そして温かな朝日を全身で浴びながら、心地良さそうにゆっくりと体を伸ばした。
体の調子もどちらかというと良い方だ。
「今日は私一人で牧場のお留守番だから、ちゃんとがんばらないと」
それは数日前から事前にわかっていたことだが、いざ当日になってみて少しばかり緊張を感じてしまっていた。
これまでにも何度かあったことだが、みんなが留守の間しっかり牧場を守らなくてはいけない。という責任感にはまだまだ慣れそうになかった。
ギルドマスター兼ここの牧場主のマヒルはどうしてもと頼まれて別の牧場の助っ人へ。
自分と同じく牧場『エリザベスパーク』に出向という形で来ていたリンは、元の所属ギルドの自警団『カォン』に活動報告という名目で帰投命令が下されていた。
彼女の方からカォンに戻るのならば、ギルドマスターのマホと主にギルドの秘書や事務方を行っているカスミが担当するが、もし戻ってこないというのならば、代わりにマホの側近とも言える二人組が直接活動報告を受けに直々にこちらから出向くと言ってきたのだった。
ついでに数日間滞在し、任務内容である牧場内の警備を行うためにも戦技訓練の指導というおまけつき。
そんな究極の二択を迫られ、苦渋の決断の末に、カォンに顔を出しに行くことを決意したのだった。
そして、日頃から牧場に良く顔を出しに来てくれているリマも「詳しくは話せないけど、ある人と内緒の研究をしていて、その実験結果を確認しにいく約束をしている」とのことで、どうしてもその日は来ることができないと話していた。
本来ならここまで牧場の住人たちが同時にいなくなってしまうことなんてないはずなのに、偶然それぞれの用事が重なってしまった。
結果、静養目的でここに来ているシオリを一人残してしまうことに心配と申し訳なさを感じ、マヒルが自分と一緒に手伝いの牧場に行くことを提案したのだが、
「ううん。一人で大丈夫です。
それに、もし向こうで体調を崩してしまったら、その人たちに迷惑を掛けてしまいますし。
体の調子が悪そうだったら、ちゃんと安静にしてますので心配しないでください」
というシオリの言葉に彼女の意志を尊重し、くれぐれも無理だけはしないという約束をするだけに留めるのだった。
「ま、後から彼も来るから大丈夫だべ」
「――!!」
何気なく呟かれたマヒルの言葉に、シオリは胸がドキリとし体が熱くなるのを感じたが、幸い誰にも気づかれなかったようだと一安心していた。
気を引き締めようと前日のやりとりを思い返していたのだが、うっかり余計な事まで思い出してしまったようだ。
「騎士さん、早く来てくれないかなぁ~………………はっ!?」
思わず本音が零れ出てしまい頬を真っ赤に染めながら慌てて両手で口元を抑えながら、いるはずなどないとわかっているのに、
可愛らしい猫のような耳を立て、誰かに聞かれてないかと周囲の気配を探り始める。誰もいなそうだ。
(ち、ちがうもん。あの人とはたまに一緒に街にお買い物に付き合ってもらったりしてるし、
別にそんな深い意味で言ったわけじゃ……)
自分は早く会いたいし、一緒にいるととても楽しいけど、あの人の方はそこまでじゃないだろうし、迷惑をかけてしまうかもしれないと必死に自分に言い聞かせるのだが、
(きっとあの人は迷惑とすら思わないんだろうなぁ)
彼の好意が自分への同情や憐みから来るものではないことは、すでに知っている。
純粋な彼の優しさからの行為であって、他の人にもきっと同じなのだろう。
それはとても大切な気持ちで、彼が温かい心の持ち主である証明のはずなのに、ほんの少しだけ寂しさを感じてしまう。
ほんの一瞬。一時だけでもいいから、彼の優しさを自分だけに向けて欲しい。
ついそんなことを想ってしまった。
(はぁ……。わがままみたいなこと思っちゃうなんて、あの人にすごく失礼なことなのに……)
気持ちを切り替えようとした矢先、シオリは不意に背後から声を掛けられる。
「こんにちは、シオリちゃん」
「ひゃあっ!?」
突然の事態に思わず、背筋と一緒にふさふさの耳と尻尾がピンと付き立つように伸びてしまった。
「――あっ。驚いてしまって、すみませんでした。
こんにちは、騎士さん。
えっと…………あれ?」
油断していたとはいえ、不躾な態度をとってしまったことを彼に謝りつつ、挨拶を返しながら不意に気づく。
「今日はすごく早いですね。
え? 配達する場所がここしかなかったから、すぐに来れたんですか?
はぁ。それなら嬉しいですが、わざわざ遠いところまでと少し申し訳ない気もしちゃいますね」
ここが配達先の終着点になるのだから、他に何もないのなら一日二日くらい配達日をずらしても。と思わなくもないが、さすがにルートや配達日が決まってる以上、自分たちで勝手な調整はできないから仕方がない。
しかもよりによって今回の配達物の中には、個人的に彼に買い物を頼んでしまった恋愛小説まで含まれていたため、余計申し訳なさを感じてしまっていた。
「それじゃ、今日一日よろしくね」
「え? え?」
シオリには騎士の言葉の意味が理解できなかった。
いったい何をよろしくされるのだろうか。と思わず聞き返す。
「え~と、マヒルさんから臨時で牧場のアルバイトを引き受けていたんですか?
それで、もし私の調子が悪そうだったら、牧場の仕事よりも私の看病を優先して欲しいと言われたんですね……はぅぅ」
マヒルに迷惑を掛けないようにと留守番を引き受けたはずなのに、これではかえってマヒルどころか騎士にまで面倒を掛けてしまったのではないだろうか。と縮こまってしまった。
「そうだけど、聞いてなかった?」
「はい。ありがたいことなんですが、あなたの方は大丈夫なんですか?」
ただでさえランドソルの街から牧場までの長い道のりを大移動してきたばかりで疲れているはずなのに、無理をしていないかと心配になってしまう。
「平気だよ」
にこやかな笑顔で答える騎士からは、その言葉通り疲労を感じている様子は見られなかった。
そして嫌な顔一つしないでいつも通り、楽しそうに頼みごとを引き受けてしまいそうな雰囲気さえ感じられる。
そんな彼の姿に無意識に甘えてしまいそうになっている自分をシオリは必死に自制する。
「そうですか。私が言っても説得力ないかもしれませんが、その……無理はしないでくださいね。
本当でしたら、ここに着いたら何もしないでゆっくり休んでいってもらって全然構わないのに、
いつも牧場のお手伝いをしてくれたり、私やリンちゃんの相手をいっぱいしてくれて、
すごく申し訳ないですけど、とっても嬉しいです」
「牧場の仕事やみんなと遊ぶのは楽しいよ」
裏表のない子供のような笑顔でそんなことを告げながら、頼まれていた本をシオリに差し出す。
シオリはそれを両手で受け止めると嬉しさのあまり胸に抱きしめる。
胸の中がいっそうポカポカと熱くなってしまったような気がする。
「あなたから届けてもらえて、元々続きが気になっていましたけど、ワクワクやドキドキがもっと大きくなった気がします。
えへへ。今から読むのがとっても楽しみ。
あ……。ともあれ、騎士さんも朝ごはんまだですよね?
良かったらご一緒しませんか?」
「いただきます」
シオリは騎士の返事に嬉しそうに頷くと、二人で並んで宿舎へ入るのだった。
*
「簡単な物ばかりで少し物足りないかもしれませんが、いっぱい食べてくださいね♪」
今日は一人きりの食事になることを覚悟していたが、こうして誰かと食卓を囲むことができ、しかも相手が騎士なのだ。
彼がまるで子供のように美味しそうに夢中でパンを頬張る姿にシオリも自然と顔が綻んでいた。
「すごくおいしい」
絞りたての新鮮な牛乳や取れたての卵や野菜をふんだんに使っているのだから、ほとんど手を掛けない簡単な調理だけでも、美味しい物が作れるのは牧場の特権だろう。
「ほんとはマヒルさんとか、もっと上手な人が作った方が美味しくできるんですよ。
元々の素材が良いだけで私はまだまだ全然です。
前に体調を崩し休ませてもらっていた時に、少し調子が良くなったからせめてみんなのご飯を作ろうとしたら、「無理をしちゃダメ」と怒られちゃいました」
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら自分の失敗談を話し、楽しい食事の時間を過ごすのだった。
食事が一段落したところでシオリは、そろそろ次の行動に移ろうと椅子から立ち上がる。
「すこしニャットちゃんや他の子たちの牧舎に行ってきますね。
あなたはゆっくりくつろいでてください」
「お仕事なら一緒にいくよ」
騎士もシオリに着いていこうと同じく椅子から腰を上げる。
その姿に一瞬シオリは悩んでしまっていた。
お手伝いをしてくれるという騎士の言葉は彼女にとってすごくありがたいものだ。
自分一人ではやれる仕事もかなり限定されてしまうが、男手が一つ増えるだけでやれる仕事も増えるし効率も格段に上がる。
来て早々働かせてしまうのは躊躇われるのだが、それでも早く終わらせてしまえればその分自由に過ごしてもらえる時間は多くなる。
「それでは、さっそくで悪いんですがお手伝い。お願いしちゃいますね」
「まかせて」
悩んだ末、シオリは彼の優しさに甘えさせてもらうことにするのだった。
*
牧舎に付くや否や、入り口の方から物音と同時に大きな影が二人に向かって飛び出してきた。
影が二人の前でピタリと止まるとその姿がはっきりとする。
トラやライオンのようなネコ科の大型動物をさらに一回り大きくしたような巨体。
その巨体に見合っただけの大きく鋭い爪や牙を持っている。
動物というには戦闘に特化しすぎてしまったその生物は一般的には魔物や魔獣に分類され、
事実この地域に生息する魔物の中でも、とりわけかなり上位の位置に属する危険な魔獣でもある。
「よしよし。ニャットちゃん。今日もいい子でちゅね~♪」
そんな魔獣が甘える様に喉を鳴らしながらシオリに鼻を摺り寄せるように甘えていた。
頭や体を優しく撫でる彼女の手にじゃれ付きながら、ふさふさの耳や尻尾を気持ちよさそうに揺らしている。
シオリが両手を回しぎゅっとニャットに抱きつくが、大人しく抱きしめられるまま、彼女を受け入れていた。
その様子からもニャットも彼女の存在をどれだけ大切に想っているかがよく伝わってくる。
ともあれ。
「また赤ちゃん言葉使ってる?」
もしかして赤ちゃん言葉を使うとモンスターと仲良くなれるのだろうか?
確かにこの言葉を聞くと不思議ととても穏やかな気分になると同時に、何故か無性に甘えたくなる気がする。
騎士が真剣にそんなことを考え始めていると、
「はぅ!? こ、これは、その………………。
ニャットちゃんが小っちゃい頃に話しかけてた時の癖がまだ抜けなくて……。
お願いします。うっかり出てしまっても、気にしないでくれると嬉しいです」
シオリは真っ赤な顔をニャットちゃんのモフモフの毛皮の中に埋もれさせてしまう。
今後もしばらくの間、シオリは自分で気づかない内に赤ちゃん言葉を使い続けてしまうのだった。
「はぁ~。ニャットちゃん、モフモフして温かくてとっても気持ちいい」
シオリの言葉に騎士もニャットに触れようと手を伸ばすが、
『グルルルルルルゥゥゥ!!』
シオリに抱きしめられたままのニャットに不機嫌そうな唸り声を上げ威嚇されると、さっと手を引っ込める。
すると、シオリが騎士に助け船を出す。
「ダメでちゅよ~。ニャットちゃんは優しい良い子でしょう?」
彼女が宥めるとすぐに大人しくなるが、まだどこか落ち着きなくそわそわしてる。
「触っていい?」
シオリだけでなくニャットに対しても尋ねるように声を掛ける騎士。
「いいでしょ? ニャットちゃん。
この人も私の大切な人だから。
イジワルなことは絶対しない優しい人だから、
ちょっとだけ撫でさせてあげて。ね?」
彼女の頼みなら仕方がないと思ったのか、観念した様子で警戒心を解いていくと、
まだどこか不満そうな様子だが、騎士の方に少しだけ頭を差し出す。
「すごくモフモフしてて気持ちいい」
「良い子でちゅね~。ニャットちゃん♪」
しばしの間、二人に大人しく撫でられ続けるニャットだった。
その後、サービスタイムは終わったと言わんばかりに、騎士の手から離れて行くと彼も大人しく撫でるのを止める。
「ありがとう。ニャットちゃん!」
目を輝かせ、嬉しそうにお礼を言う彼の姿に、ニャットもすっかりと毒気を抜かれてしまったようだ。
同じ雄同士である以上気を許す気はないが、それでも敵対する必要はないと感じたのだろう。
『グオオッ』
シオリに向かって短く吠える。
すると何かを察した彼女が最後に優しく一撫でしてから離れると、その場でゆっくりと立ち上がり身震いをする。
四肢や背筋を真っ直ぐに伸ばしながら大きく伸びをすると、再びシオリに向かって挨拶をするように短く一吠え。
「それじゃお願いね、ニャットちゃん。
いってらっしゃい。でも無理しないで危ないと思ったら、
絶対に逃げてきてね」
お互いの温もりをしっかりと伝え合ったところで、シオリがニャットを送り出す。
ニャットは正面を見据えると、直前までの穏やかな目つきから一転。鋭い魔獣のそれに変わる。
大地を四肢でしっかり握りしめるように力を込めると、
『グゥオオォォォォオオオオオオオーーーッ!!』
騎士に対して向けた威嚇とは比べ物にならない程のけたたましい雄叫びを上げる。
そして、まるで大地が爆発したような勢いで山の方へと一気に駆け出した。
「びっくりした」
騎士はニャットの咆哮と疾走に思わず身構えてしまったが、特に気にした様子なく自分たちの元を去ってしまったニャットを呆然と見送っていた。
二人の視界からはものの数秒でニャットの姿は見えなくなってしまったが、彼の上げる雄叫びは何度も何度も牧場中に響き渡っている。
「すみません、驚かせてしまいましたね。
最近はニャットちゃんも、ああやって牧場の見回りをしてくれてるんです。
ここは自分の縄張りだぞー。って、他の魔物たちが牧場に近づかないように」
「そうだったんだ」
「はい。最初の頃は動物たちも怖がってしまったんですけど、今だとすっかり慣れたみたいです。
たまに近くの他の牧場の人たちからもお願いされることもあるんですよ」
シオリや牧場の住人たちの協力もあり、通常では考えられないレベルで危険な魔獣との『共存』が成されていた。
制御魔法やそれに類する魔法具を用いて一時的に魔物を自在に操る技術もある程度確立されてはいるものの、実用には多大なリスクを孕んでいる場合が多々ある。
実際に何らかの要因が働き制御を外れた魔物が暴走状態となり周囲に甚大な被害をもたらしてしまったという事件も少なくはない。
そんな中、まだ幼体の内に人に助けられ、愛情を込められ育てられたという経緯の末、彼は自らの意志で牧場の全てを群れの仲間と認め、共に生きることを望んだのだった。
まだまだ誤解されてしまうことも多いが、それでも少しずつだけど大切な友達を理解してくれる人が増えてきてくれることに嬉しさを感じていた。
もしかしたらいつか決別しなくてはいけない日が訪れてしまうかもしれない。
その覚悟だけはしっかり心に留めているけど、いつの間にかそんな日がずっと来ないことをシオリは願うようになっていた。
*
「あ……。ニャットちゃん、またやってる」
二人で牧舎の掃除を始めると、シオリはすぐに異変に気づく。
「どうかしたの?」
困り顔のシオリに何があったのか尋ねる。
「その、牛用のスペースにまたニャットちゃんの毛が残ってまして……」
「もしかして食べられちゃったの!?」
「いえ、ニャットちゃんもここの動物たちは仲間だから襲っちゃいけないっていうのは、
ちゃんとわかってくれてるんですが……。
実は最近、変なことを覚えてしまいまして……」
自分が想像してしまった怖いことが起きてなくて安心する一方で、
どこか答えずらそうにしているシオリの様子は気になる。
「変なこと?」
「……牛のお乳を飲んじゃうんです。何度ダメだって言ってるのに……」
はぁ。とため息交じりにがっくりと答える。
「すごく美味しいもんね」
牛乳自体は食事の時に初めてコッコロに飲ませてもらって以来大好きになっていたが、
ここに来るたびに飲ませてもらえる絞りたて新鮮な牛乳は格別だった。
こんなに美味しいのだからニャットちゃんが飲みたがるのも仕方がない。
「マヒルさんは牛たちもお乳が溜まり過ぎると調子が悪くなるから、
いっぱい飲んでもらってすっきりしたいんだろう。って言ってくれてますけど……。
まぁ、その、牛たちの方からニャットちゃんに飲んでもらいに来ちゃってる時もあるみたいで、
うぅ~、だからって大切な商品になるんだから勝手に飲んでいいわけじゃないのに……」
愛情を持って優しく接していたり、イタズラ好きの行動に頭を悩ませているその姿はまるで――
「ニャットちゃんのママみたいだね」
「ふぇ!? ち、ちち違います。私とニャットちゃんは親子じゃなくて、友達です!!
うぅ……。どうしてあなたまで……」
すでにマヒルたちからはニャット公認のママにされてしまっていたようだ。
それでも、彼女は頑ななまでに『ママ』であることを認めたくないようだが、
その理由を知っている者は少ない。
「私は、『ママ』や『お母さん』にはなれませんから……」
まるで不意に消えてしまいそうなくらい儚げな笑顔で寂しげに呟かれた一言に、
何故か騎士は胸にちくりと不思議な痛みが走るのを感じた。