――人は死ぬ生き物だ。
それ故に不死を求める愚者もいるが、多くの場合唐突に『死』が訪れる。
原因としては病であり、事故であり、故意によるものであり、要因は様々だ。
どれだけ力が強くとも、どれだけ頭が良く優れていても、『死』は等しく人々に降り注ぐ。
それは華が咲き散るように。
そしてそれこそが運命のように。
『本日未明、丸亀市にて発生した竜巻により、複数の住宅が倒壊しました』
電気も点けず、何気なく電源を入れたテレビ。
淡々と何の感情も見せず、抑揚のある声音でキャスターは告げる。
『これにより死者が三名、重軽傷者が十数名が近くの病院へ搬送されました』
淡々と数字を告げる。
死んだ者の数。傷ついた者の数。
バーテックスにより樹海が傷つき腐食した影響で、勇者が守れず被害を受けた者達。
「――――」
パジャマで寝転がる千景は小さく息を吐く。
肺の中の空気を吐いて、布団を被りながら深く深く息を吸い込む。
「――――」
僅かに埃っぽさを感じる薄暗い空気と、布団を温める己の体温。
カーテンを開ける事もせず、部屋の電気をつける事もせず、少女は部屋に引き篭もる。
「土居さんも、伊予島さんも、死んだ」
自分に言い聞かせるように千景は呟く。
数日前、千景は若葉と共に彼女達の葬式に参加した。
友奈は入院の為参加出できず、巫女と大社関係者のみでの葬儀がひっそりと開かれた。
伊予島杏と土居球子が、千景と同じ勇者が、大型バーテックスに殺された。
今まで見たことも無い巨大なバーテックス、蠍の尾を思わせる一撃が彼女達を殺した。
勇者の武器を砕き、彼女達の柔肌を勇者装束ごと貫かれ、鮮血を飛び散らせ転がる光景。
「……ぅ」
千景にとっては友奈ほどに見知った仲という訳でもない。
それでも、あの残酷で容赦なく腹に穴を開けられて、苦しみ、悶え、血で自らを汚し、そうして死んだ光景に対して、いずれ辿る自らの凄惨たる最期の訪れを千景は感じ取ってしまった。
「……ぅ、く」
目を閉じると思い出す光景。
弱々しく、唇から漏れる嗚咽は紛れもない千景の声だ。
「……しに、たくない」
死ぬことは、怖い。嫌だ。
だが、戦わなくては勇者に価値は無い。千景の価値が無くなる。
元の何の価値も無い、『ただの郡千景』に戻ってしまう。それだけは嫌だった。
だが戦えば死ぬかもしれない。
戦いたくない。死にたくもない。でも自分の価値を認めて欲しい。――愛して欲しい。
「――――」
『死』という物を見せられて、身近にいた別の勇者が死んで、千景はそんな事を思う。
そんな事すら考える暇もなく杏や球子が殺され、唐突にその少ない人生を終わらせる事に比べれば、こうして考える事が出来る時間があるというのは、もしかしたら贅沢なのかもしれない。
布団の中でテレビには目を向けず、人の雑音を聞き流しながら端末を弄る。
災害が増えつつある中で、四国の希望にしようと大社による捏造情報も増えている。
それでも人の口に戸は立てられないらしいと、SNSや匿名掲示板に目を向け息を吐いた。
勇者を褒める声もあるが、悪意や憎悪を帯びた声がネットに掲載されている。
竜巻や落石、そういった災害がバーテックスを倒せなかった勇者の所為であると。
杏や球子は既に死んでおり、大社が情報を意図的に隠しているという声も湧き出ている。
「――――」
ただ守られる側の分際で、好き勝手に語る有象無象。
隠されているはずの情報が噂ながらも信憑性があるのは、大社内部の誰かが情報が漏らしているのかもしれないと現実逃避気味に千景は思い、布団の中で己の身体を抱くように身体を丸めた。
「……私は……」
いったい、自分は何故戦っているのだろうか。
興味本位で見てしまったネットの、勇者に対する批判の言葉が脳裏を過る。
賞賛の声よりも、匿名による悪意のある言葉が千景の瞼の裏でこびりついている。
「高嶋さん……」
友奈は現在、使用した切り札の反動により面会謝絶での入院が長引いている。
あの桜が咲いたような笑顔を見る事もできず、千景は独りで薄暗い部屋にいる。
学校に出る気にもなれず、インスタント食品を胃に入れ、寝台に携帯を手に寝転がる。
ひどく無気力だった。
高嶋に電話しても通じる事は無いだろう。
それでも、その携帯に何かを期待するように、求めるように、千景は手で握り締める。
「カウンセラーなんかに……何が分かるのよ……」
孤独な少女の小さな独り言。
携帯端末に届いた大社からのカウンセリングを受けるようにというメール。
勇者を気遣っての事だろうが、見知らぬ他人に郡千景の何が理解出来るのだろうか。
「――――」
ふと端末に届いたメールに目を向ける。
薄暗い闇の中で、少女の顔を照らす端末の光の中で少女の瞳に文字が映る。
それは久方振りに感じる相手で、ぎゅっと千景の胸を締め付け、鼓動を高鳴らせた。
---
「それで……何これ」
「あ?」
千景の呟きに、男は小首を傾げる。
個室で出された料理、襖を挟み、どこからか聞こえる声は客の騒めきだ。
変装用の帽子を脱ぎ、目の前のレイプ魔と食事をする事になった状況に千景は口を開く。
「……何これ」
「見ての通りだ。お前も飲め」
「私……未成年なんだけど」
「こんな世界に未成年も何も無いだろ。なら俺が許可してやる」
男の目線が告げる。
これは命令であると。
「……」
「まあ、果実系だから苦くはないヤツだ……お嬢ちゃんでも飲める」
「……分かったわよ」
駅前に呼び出され連れてこられた千景の困惑の表情を余所に、男はグラスを傾け喉を鳴らす。
美味そうに飲む姿は随分と生き生きしているように見え、勧められるままグラスを手に取る。
命令ならばしょうがない。仕方がない。千景は悪くない。
男に命じられた千景は手に取ったグラスに入っているオレンジ色の液体を恐る恐る口に含む。
カシスオレンジというジュースの如き酒は、まろやかな風味と共に千景の喉をするりと流れた。
これまでも千景は男に呼び出された事はある。
多くが男との性行為であり、ときおり戯れのように千景と映画を見に行く。
今回もそういった『遊び』の延長だと思えば良いのだろうかと眉をひそめる千景に男は嗤う。
「そんなに物欲しそうな顔するなよ。お嬢ちゃん」
「……してないわよ、そんな顔」
くしゃりとスカートに皺を作り、千景は唸るように声を上げる。
既に口を付けたグラスを両手に持つ千景は、テーブルを挟みニヤリと笑う男を睨み付ける。
そんな千景の態度も睨み付ける眼差しも涼しいとばかりに男は肩を竦め、大皿に手を伸ばす。
「まあ見ての通りだ。今は飯に付き合え」
「……」
食欲はあまりなかったが、仕方なしに千景は皿に手を伸ばす。
串に刺さった鶏肉と葱、焼き鳥を食べるのは随分と久し振りだと千景は感じた。
インスタント食品ではない温かい御飯が胃の中へ、身体にじんわりと熱をもたらす。
「……おいしい」
「ほお、分かるか。その焼き鳥、葱が良いんだよ葱が」
「…………、そうね」
どちらかというと塩が効きじっくり焼かれた鶏肉の方が気に入ったのだが。
しかしそんな事を言ってもどうしようも無いので適当に頷き、千景は舌鼓を打つ。
「……」
「……」
じんわりとした熱が食欲を促し、しばらく男と二人黙々と食事を進める。
そういえば、家族ともこんな風に店で食事をした記憶はほとんど無かったと千景は思った。
誰かとする食事が、たとえこのレイプ魔であっても、暖かい物なのだと久方振りに感じた。
「で?」
「ぇ……」
食事を進め、皿の上の食事が粗方無くなり(大半が男が食べたが)、千景の耳に声が届く。
千景の耳に届くのは襖越しに聞こえる有象無象ではなく、目の前で酒を飲む男の声だ。
既にそれなりに飲んでいるはずだが、千景を見る男の瞳に酩酊の色は薄く、理性が窺える。
「いつもよりも辛気臭い顔しているからな。何かあったのか?」
「……貴方には関係ないわ」
「まあそう言うなよ。俺とお前の仲じゃねえか」
「仲って……」
「大体お前みたいなのってのは、独りで溜め込むんで変に爆発するんだよ。それを俺が酒の肴にしてやるって言ってるんだ。感謝しろ」
だから話せと、最低で傲慢な男の言い草に千景は黙り込む。
知性のある視線から目を背け、千景は両手に持つコップを見下ろす。
やけに喉が渇き、視線から逃れるように千景はごくごくと二杯目の甘い飲料を胃袋に注ぐ。
「…………あいつらは」
十数秒の沈黙の中で。
仄かな酒精が千景の口を動かした。
「……」
「あいつらは何も分かってないのよ。……身体をボロボロにして戦って、切り札を使ってまで頑張って……」
吐き出す。
胸中に漂う黒い物を吐き出す。
「全部、全部、少しでも被害を減らそうと頑張ったからなのに……! どれだけ頑張っても……どれだけ倒しても、四国の人たちも、大社の人も……安全な場所で勝手な事を言うだけっ!!」
言葉がとめどなく溢れ出す。
滑るように言葉が、理不尽に嘆き、憎しみ、苦しむ言葉が千景から零れる。
その言葉を、千景の慟哭を、グラスを片手に無言のまま男はジッと見ているだけだ。
噴き出したような千景の言葉に、口を挟む訳でもなく、しかし静かに目を向けてくる。
無言ながら相槌を打つような男の態度に、溺れるように、甘えるように千景は言葉を吐いた。
「こんな思いしてまで私は……! 戦って、守って……そんな事に意味なんて……!!」
それは、人類の希望にしては醜く。
勇者として相応しい綺麗な言葉では無い、人間の言葉が。
「私は、どうしたら……ッ、いいのよ……!!」
村の人間にも、両親にも、若葉にも、巫女にも、友奈にすら明かせない赤裸々な思い。
あらゆる感情が、徐々に支離滅裂になっていく言葉の数々は、既に千景の制御下にない。
何故か溢れ出す感情はいつの間にか千景の昏色の瞳から涙と化し、頬を伝い流れていく。
千景を認めて、抱きしめて、嫌いにならないで欲しかった。
愛を求め、愛に飢え、誰かに『郡千景』を認めて欲しいという思い。
「――――」
そんな千景の言葉を、男はジッと聞いていた。
憎悪と嫌悪と謝罪と悪意と感情を混ぜ合わせた醜い言葉を、最後まで聞き続けた。
そうしてグラスの中にある液体を飲み干し、立ち上がった男は無言のまま千景に近づく。
「どうしたら……ね」
華奢な少女の身体、向かい合うと男よりも線の細い千景。
もはや言葉もなく俯くばかりの少女の前に膝立ちになった男は指で千景の顎を持ち上げる。
「――お前は他人に自分の評価を委ねるのか?」
「……ぇ」
「大方ネットか何かで誹謗中傷でも見たんだろうが、抱えたストレスを他人に八つ当たりして晴らすような屑が集う奴らの言葉なんざ、気にする事なんか無いだろ」
「……」
「大体お前ゴチャゴチャ考えすぎ。最善尽くして被害が出たならしょうがねえさ」
「……」
「他人なんざ、どうでもいい」
適当とも気休めとも取れる、傲慢な男が紡ぐ理論。
勇者を崇拝するわけでも、嫌悪するわけでもない、千景を見る男の言葉。
そうして千景は、いつの間にか男の大きな両腕に華奢な身体を抱かれているのに気付いた。
男臭い身体だ。
硬く筋肉質な身体は、曲りなりにも鍛えているはずの千景よりも柔らかさが少ない。
胸板に頭を当て、その奥の心の鼓動が聞こえる中で、男は甘く優しい言葉で千景に囁いた。
「お前はよくやったさ」
「……は」
ニヤリと嗤う男の笑み。
不適で不遜で屑の言葉に、千景は唖然と、ただ肺の中の息を抜く。
千景を嘲るわけでも、中傷するわけでもない、ただ千景を肯定し認めた男の瞳に偽りはない。
――郡千景を肯定した。
適当でおざなりに感じる言葉のはずなのに。
幾千の言葉よりも甘美に感じる響きが、胸の奥で千景の心の臓が震えた。
「……私のお尻に触りながら言われてもね」
「あ? 文句あるか?」
「……っ」
背中に回した手が這うように布地越しに千景の小振りな尻肉を掴む。
遠慮なく弄り、指摘した千景の声に応じるように強く硬い指を沈み込ませていく。
「――――」
この男には今まで散々犯された。
容赦なく暴力的に快楽を教え込み、一度も勇者として千景を見なかった男なら。
もしかしたら友人でも、家族としてでもなく、『女』として千景を愛してくれるかもしれない。
くいっと顎を持ち上げ、男と千景の視線が交錯する。
犯し犯された関係、命令する者とされる者。それらは傍目から見れば異常なのだろう。
「一つだけ俺から提案してやろう」
『溺れる』という言葉がある。
落ちた瞬間に、深い深い水が衣服に身体に染み込み、沈み込む。
「俺の
「――――」
「そんな事をくだらないと言い切れるくらいに、お前をぐちゃぐちゃに壊して作り変えてやるよ」
「……壊す」
必死に助けを求める中で、唐突に差し出された藁。
掴んだ所で助かる見込みなど無いはずなのに、もしかしたらという希望の光。
希望を語る人の形をした悪魔の甘言が、絶望に蝕まれた千景の心に甘く優しく侵食していく。
「痛いのは……嫌よ」
「気持ちいいだけさ。知ってるだろ?」
「――――」
そうして薄く微笑む男の眼差しに。
昏い、昏い眼差しを前に、男の瞳に宿る感情の色は、見慣れている色だった。
この四国に漂う病、絶望とも孤独とも呼べる病が男に宿っている事に、千景は笑みを浮かべる。
笑みの意味は千景にも分からない。
ただ、酷く見慣れたその色に、言葉に出来ぬ感情が芽生えた。
「――――」
この男に壊される。
それはきっと宣言通りなのだろう。
凌辱と恥辱の限りを尽くして、千景を徹底的に壊してくれるだろう。
それでも。それで、有象無象の声に耳を傾けず、若葉のように強くなれるなら。
千景の身体に教え込まれた快楽が、千景を歪め、同時に救いをもたらすというのなら――
「あ、なたは……」
「――――」
息継ぎをするように、唇を震わせ硬直した舌を動かし、千景は言葉を紡ぐ。
震える幼子のような声音で、抱きしめる彼の見下ろす瞳を必死で見上げる。
「――あなたは、私を、愛してくれますか?」
大型バーテックスと戦う恐怖、勇者が死んだ恐怖、SNSや匿名掲示板を見て感じた憤り、孤独であるという絶望、優しさと賞賛を求める心が一つにまとまり、千景の中で溶け合わさっていく。
憐れみを乞うように、慈悲に縋るように、千景の心が、無言のまま見下ろす男に語りかける。
「ああ、愛してやるよ」
男はきっと、都合の良い少女くらいにしか考えていないだろう。
それでも、穏やかに微笑み頷く男の姿に、少女の心はぐずぐずに溶けていく。
心のどこかで上げる警鐘、それらを呑み込み、欠けた心は、甘い甘い蕾の中で。
――子守歌のような声音に、そっと千景は目を閉じた。
「ん―――」
「――――」
初めて少女からする、拙く唇を当てるだけの口付けは。
悪魔と交わす契約のように、独りの勇者の、千景の心を砕いた。