ストライクワイバーン。それが、Ⅹー02Sという機体に名付けられた愛称だった。
エルジア軍が開発したⅩー02「ワイバーン」を基礎として、空軍単独採用モデルとして大幅な改修を行った戦闘攻撃機である。その戦闘能力は比類ないものであったが、扱うパイロットには高い技量が求められた。
大型の先尾翼と外半角のついた水平尾翼、三次元推力偏向ノズルにより全方向に推力偏向が可能な二基のエンジンという典型的な高機動設計の機体だった。さらにはW字翼とも言うべき前進角が付いた主翼外半を、高速飛行時には主翼内半へ折りたたむという特異的な可変機構を備えている。
トリガーはフギンとムニンの討伐に当たって、この機体に搭乗することを司令官へ要望した。トリガーの遺伝子情報で戦闘能力を強化しているであろう無人戦闘機相手には考えうる最高の力を使わなければならない、と考えたからだ。
それもなるべく早く搭乗する必要があった。シュローデル博士によれば、フギンとムニンを早急に見つけ出さなければ、その分だけ強力な戦闘機を製造されてしまうとのことだった。
だが簡単にはいかなかった。彼がそれまで乗っていたのはFー15C戦闘機であって、ワイバーンの飛行経験が無かったのだ。
飛行機乗りというものは飛行機の機種が変わっても概ねそれを操縦することができる。しかしながら完璧に乗りこなせるかと問われればそれはまた別問題で、機体特性も操縦性も大幅に変わるため各機種ごとに専用の許可が必要となる。それを得るための機種転換訓練には数ヶ月かかるのが普通だった。
オーシア軍人であるトリガーもまたその例外ではなかった。一週間以内にXー02Sへ機種転換して出撃する許可をくれ、という要求は司令官に突っぱねられたのだ。
トリガー単独の要望では何度提出しても認可されることはなかったが「うるせぇ、どうでも良いから乗せやがれ」というカウントをはじめとしたロングレンジ部隊の訴えにより、条件付きでエルジア軍から鹵獲したXー02Sへの機種転換が特別に許可された。
条件付きとはいえ司令官が折れたのは、先の戦争における非常事態で心労が祟り、言動がおかしくなってしまったことに対する償いの意味もあったのだろう。
しかし彼は締めるところはしっかりと締めていた。彼が出した条件とは、ある程度の習熟訓練を受けた上で、Xー02S単機で、オーシア海軍アグレッサー部隊との模擬空戦を十回以上行い、全勝することである。
アグレッサー部隊は要撃機パイロットの技量向上などを目的とし、主に模擬空戦における敵役を務める部隊だ。戦闘機パイロットの中でも特に傑出した戦闘技量を持つパイロットが配属されており、空軍や海軍、海兵隊などに設けられているが、そのうちの一部隊が近くにいるのだという。その部隊と模擬戦をせよと司令官は言っているのだ。
無茶だ、とロングレンジの皆は文句を言っていたがトリガーは逆らわなかった。トリガーがヘマをして責任を問われるのは司令官である。ならば可能な限りの譲歩をしてくれた彼には最低限の義理を果たさなければならない。要はこの自分がワイバーンを完璧に乗りこなせるということを示せれば良いのである。
そういうわけで全勝した。オーシア軍の誇る精強な四機のアグレッサーは、一対一でも四対一でも、ワイバーンでの飛行時間が十時間にも満たないトリガー単機にたやすく翻弄され、一発たりとも仮想弾を当てることができなかった。
彼らは二十戦二十敗というアグレッサーとは思えない悲惨な成績を引っ提げ、半泣きで元いた基地へ帰還していった。トリガーはいわゆる「本物」だった。本気を出した彼を打ち倒せる者は誰もいなかったのだ。結果を受けた司令官は「この大馬鹿野郎」と苦笑いしながら機種転換の許可を出してくれた。
機種転換を果たした後も、今日の出撃までトリガーの訓練は続いた。今までの暇を押し流すように、ひたすらワイバーンの翼を馴染ませていった。ワイバーンの座席は複座だが、後席には以前シュローデル博士が開発した飛行支援コンピュータのユニットを搭載した。これで、例えトリガーが気を失ってもある程度の制御を行える。かつてミハイが着ていたという強化スーツも博士からもらい受けたことで鬼に金棒だった。
ワイバーンを自身の力としたトリガーは、自らがアグレッサーとなってストライダー隊やサイクロプス隊との模擬空戦もやった。トリガーに仮想の一撃を叩き込めたのは、フーシェンとイェーガーとで息の合ったコンビネーションを見せたカウントだけだった。
その日々も、この瞬間のためにあったのだ。トリガーは武装選択スイッチを押す。EML(レールガン)を選択。機体中央下部に装着された大型のEMLユニットが展開される。有効射程一万二千ヤード(約一万一千メートル)。滑走路上の機体は六千ヤードも離れていない。射程内だが、EMLは電磁加速式の大砲である以上、誘導能力はない。パイロットが精密に合わせなくてはならないのだ。
滑走路上で加速しようとするADF-11に急降下しつつ機首を正確に指向しようとしたトリガーの耳に、けたたましいミサイルアラートが届いた。対空ミサイルがすぐそこまで迫っている。これ以上の攻撃アプローチは無理だ。EML発射。それからフレアとチャフを撒いて回避行動に入る。
精密に照準する前に発射されたEMLの弾頭は、持ち前の弾速で空気を切り裂き、二機のADF-11のほぼ真後ろに深いクレーターを穿った。砕かれたコンクリート片が辺りに飛び散るが、特に痛手もないような風に二機は加速していく。無人機ならではの凄まじい加速力であっという間に空へと舞い上がる。
『無人機の離陸を確認した。例のフギンとムニンだ!』とロングキャスター。
『ちくしょう、またあの二機かよ。FOX2!』
カウントがミサイルを二発放つ。離陸直後の低速状態を狙おうとしたのだろうが、空中でさらに急加速した二機に躱されてしまう。
『遅いよ』
無線に部隊内のモノではない声が流れてきた。しかし、トリガーはこの声に聞き覚えがあった。人の姿をしていた、ムニンの声だ。
『こいつ、喋った!?』
『セクサロイドの言語表象システムを借りました』と今度はフギンの声。『あなた方には用はありません。こちらで相手をしてさしあげます』
フギンとムニンの翼下パイロンから白い物体が射出される。ミサイルではない。かつて戦った時と同じ、レーザーガンで武装した小型無人機だ。それぞれ二機ずつ、合計四機。
『フン、雑魚の相手はこれで充分だと?』早速照射されたレーザーを回避しながらフーシェン。『あいにくこちとら、トリガー相手に模擬戦やりまくったんだ。ただの雑魚と思ったら大間違いだ』
『こちらストライダー3。サイクロプス隊は先に対空ミサイルの発射母体を叩いてくれ。それから地上部隊の援護だ』とイェーガー。『大丈夫だ。B班が駆け付けたおかげで地上は拮抗状態になってる。持ちこたえられるさ』
『了解、SAM(地対空ミサイル)陣地の破壊を行う』
サイクロプス隊が高度を上げてSAM陣地を探し出す。彼らが乗るFー15C戦闘機は対地攻撃にあまり向いていない。恐らく時間がかかるだろうとトリガーは思った。
一方、地上から空に意識を向けるとADF-11相手に単独でカウントが突撃していた。
『おらおら、顎の傷のお返しだ!』
直線的な動きだが、カウントの戦闘機動には無駄がなかった。ドッグファイトでは不利だとわかっているから一撃離脱を徹底しているのだ。エネルギーロスの少ない機動で速度を保っている。
『しつこい男は嫌われるよ?』とムニン。
『レイプするような女も嫌われるさ!』とカウント。
カウントの攻撃アプローチを躱すADF-11。その場でクルリと一回転して、やり過ごしたカウントに機首を向けようとする。クルビット。
そうはいくか。トリガーも短距離ミサイルを発射。一発。当然のごとく躱されるがその間にカウントは攻撃範囲から逃げおおせている。
『あら、怖い怖い』
もう一機からミサイル攻撃が来る。右九十度から直角に突っ込んでくる。急上昇して躱す。機体をひねらせて攻撃を仕掛けてきた敵へ機首を向ける。武装切り替え、EML。互いに向かい合った状態で発射。ヘッドオン。
『見切れるかしら?』
瞬間、ワイバーンの左舷側すれすれを赤い光条が駆け抜けた。ADF-11からのレーザー攻撃だった。すぐさま回避行動に入る。EMLによる手ごたえは無かった。互いに外れたというより、EMLがかすめたことによる衝撃波で敵機が揺さぶられ、レーザーの照準がズレたのだ。
『ぶち抜いてあげる』
それまでカウントを狙っていた機体がこちらにレーザー射撃。操縦桿を前に倒して高度を下げ、回避する。だが高度が低く、すぐ目の前に針葉樹の穂先が迫っていた。海面すれすれを飛ぶ対艦ミサイルのように森の海を飛びぬける。衝撃波で木の枝が飛び散る。
ここではダメだ。もっと有利な条件で戦わないと。トリガーは周囲を見渡す。何か障害物でも良い。あのレーザーを遮るものが必要だ。
そして上空に、大きな雲がかかろうとしていることに気が付いた。薄黒くて、かなりの高度まで伸びているように見えた。雷雲か、あるいは雪雲か。
あそこだ。トリガーはアフターバーナーを焚いて機体を急上昇させる。燃料がみるみる減っていくが、代わりに機速と高度が猛烈なペースで上がっていく。垂直上昇が可能なF-15戦闘機を凌ぐ、ロケットのような加速でワイバーンが上空へ跳ね上がった。
『逃げるのですか』
『逃がさないよ』
トリガーを追いかけて上空へ駆け上るフギンとムニン。子機である小型無人機もそれに続こうとするが、イェーガーとフーシェン、それからカウントが総出で足止めを行っているため高度を上げられない。回避行動をとるたびに運動エネルギーが失われ、うまく上昇できないのだ。
以前に交戦した時より運動性が向上しているように見えるのに包囲網を抜けられないのは、ストライダー隊の技量もまた向上しているからだろう。トリガーの戦技教導は無駄ではなかったのだ。
『トリガー、こっちは任せろ!』無線越しにカウントが叫ぶ。『てめーだけに相手させるのは癪だけどよ、アグレッサーと俺達を相手に無双した腕前を見せてやれ!』
翼を振ってそれに答えるトリガー。まかせろ、と。恐らくこの距離では肉眼での判別は難しいだろうが、彼ならわかってくれるだろうと思ってのことだった。その直後に彼の機体は濃い雲の中に突っ込んでいった。フギンとムニンの機体も追いすがる形で雲に突入していく。
『トリガー、危険だ。その雲はスーパーセルの卵だ。大型の積乱雲だ』ロングキャスターが警告する。『雷と着氷の恐れがある。雲から脱出せよ。くそう、ストライダー1がレーダーに映らない』
『違うぜロングキャスター、あの雲は煙幕なんだ』とカウントの声。『トリガーもそれを承知の上さ』
トリガーの機は雲の中で旋回し、螺旋を描いて上昇していく。
後方からレーザーやらミサイルやらが飛んでくるが、トリガーはそれらをたやすく避けていく。濃い雲の中では火器管制レーダーの働きが阻害されるし、ミサイルシーカーも上手く機能しない。レーザーに至っては雲の粒子が煙幕として作用し威力が大幅に下がってしまう。逃げるには格好の環境であった。
しかしその分、リスクも大きかった。雲の中ではトリガー自身も方向感覚を失うし、機体に振り下ろされる猛烈な水と氷が、ワイバーンのエンジン出力を低下させていく。雲の中を上下左右に吹き荒れる乱気流が機体を揺さぶる。あたり一面に雷霆が飛び交い、まばゆいばかりの雷撃が機体をかすめる。人間の存在を拒むかのような地獄めいた環境だ。
雲の中だというのに地上接近警報が鳴り出した。手動で止める。あまりに強い雨と氷の勢いで、対地レーダーが「そこに地面がある」と判定してしまい誤作動を起こしたのだ。
背後の視界も最悪だったが、トリガーには敵戦闘機が付いてきていることが感覚で分かった。時折うっすらと影も見える。そして対地レーダーが誤作動を起こしたあたりから、追いかけてくる影の動きがぎこちなくなっていることも感づいた。
機械知性であるフギンとムニンには、対地レーダーからの警告が、真か偽であるかをとっさに判断することができないのだ。彼女らとってレーダーとはすなわち目だ。人間だって、自分の目ではすぐ真下に地面があるように見えていたら、思わず上昇に転じたくなるだろう。連中もまたそうなっている。上昇しようとするその間に距離を取ることができる。
今のところ自身の目論見通りに行っていることにトリガーは笑みを浮かべるが、今度は失速警報が鳴り出したことで険しい表情に戻った。速度計は五百四十ノット(時速千キロメートル)を超えている。通常であれば失速を起こすなどありえない。首をひねって先尾翼を見ると、すでにおびただしい数の氷がその表面に付着していた。着氷だ。
冬の積乱雲の中を飛んだことで、翼に氷が付着してしまったのだ。着氷を防止するアンチアイス機能もワイバーンの主翼には搭載されているが、限度というものがある。このままでは墜落しかねない。
潮時だ。トリガーは螺旋上昇を止めて、雲の外へと進路を転換する。背後の二機もついてくるのが分かった。
かなり大きな雲だったようで時間がかかったが、とうとう雲の外からの光が見えてくる。それこそがあの二機を仕留めるチャンスだとトリガーは思い、再びバイザーの下で獣のごとき表情を浮かべた。