『無事か、トリガー!』
カウントのF-15戦闘機が労るように並走してくるが、トリガーは正直それどころではなかった。エンジンが両方とも止まっている。再始動しなければならない。
高度の余裕はある。エンジンのバーナー圧が低い。自動再始動スイッチが入ってもいいはずだったが、反応がない。莫大な電力を消費するEMLを使ったせいで再始動に必要な電力が無いのだ。
トリガーはワイバーンを降下させる。タービンが押し寄せる空気で回転を上げていく。発電回路が生き返る。トリガーはエアスタートのスイッチを入れる。エンジン点火機構作動。イグニッション・エクサータ・スパークプラグ点火。エアスタートランプに光が灯った。左エンジンが息を吹き返えす。
点火操作を止めたトリガーはようやく一息ついた。機体はボロボロだが、まだ飛べる。片肺でどれほどの距離を移動できるかはわからないが、燃料も高度もある。危機は去った。
『よくそこまでボロボロになれるもんだな』並走するカウントが無線で言ってくる。『どんな戦いすりゃそうなるんだよ』
いくらかはお前のせいなんだぞ、とトリガーは心の中で悪態をついた。助けてくれたのは嬉しいが、あと少し回避が遅れていたらミサイルの破片はトリガーさえも襲っていただろう。馬鹿だ。実に馬鹿な攻撃だ。
『──カウント、トリガー、聞こえるか。こちらロングキャスター』
雑音まみれの中から急に音声が聞こえてくる。ロングキャスターの管制機だ。雲海を突き抜けて上昇してくる。
『ああ、聞こえるよ。トリガーも無事だ。地上はどうだ?』
『例のロボット兵士は倒し尽くした。というより、バッテリー切れで動かなくなったんだ。地上も地下も制圧しつつある。今のところ新たな敵は見られない』
ロングキャスターの報告に、トリガーとカウントは揃って安堵のため息をついた。座席に深く身体を預ける。
『シーゴブリンからの通信が入っている。中継するぞ』
『こちらシーゴブリン、地下の研究設備で遺伝子サンプルらしきアンプルを見つけた。二十四本もある。現在回収中だ』
その通信を聞いたトリガーは声にならない声で呻いた。任務なので真面目な状況だとはわかっていても、他人に自身の出した精液を見られるのは恥ずかしい。挙句の果てには何発出したかさえ言われてしまった。
傍らを飛ぶカウントがいつもの軽口を言ってこないことが数少ない救いだった。何か言ってきたら羞恥のあまり機体をぶつけていたかもしれない。
『ストライダー1の機体が酷い損傷を受けている。これよりファーバンティー近くの航空基地へ移動して着陸する』
ロングキャスターもそれ以上触れてこなかった。トリガーは黙って航空基地への誘導に従った。
空を飛んでいるうちに羞恥が冷めてくる。深呼吸をする。遺伝子サンプルがどうした。ただの体液じゃないか、と自身の羞恥を強引に冷ましていく。
『無事だったようだな、トリガー』
『いきなり雲に突っ込んでいくから驚いたよ』
雲海の下から六機のF-15戦闘機が上がってくる。イェーガーとフーシェン、それからサイクロプス隊の機体だった。それらの機体もまたトリガーの隣に並んで、カウントを含めて八機の編隊を作った。
『ストライダー隊、サイクロプス隊、作戦終了。これより離脱する』とサイクロプス1が宣言する。『報告は後ほど』
『了解、的確な援護感謝する』とシーゴブリン。
そのまま航空基地まで八機の戦闘機と一機の空中管制機が飛んでいく。その間、カウントは自身がトリガーの危機を救い、敵に止めを刺したのだと吹聴していた。実際にそれは本当のことだったのでトリガーも否定しなかった。地上に降りたら飛び蹴りをかましてやろう、とも思った。
そして地上付近での戦いについてもカウントは話してくれた。レーザー砲を搭載した無人機を叩き落した後、イェーガーとフーシェンに対地攻撃を任せて、カウントが単機で積乱雲の中へ突っ込んでいったのだという。
トリガーがフギンとムニンをある程度痛めつけたところで、戦果をかっさらうつもりだったと本人は言っているが、その声色から察するに、心配になってこの自分の援護に駆け付けた、というのが本当のところらしかった。
そのことで礼を言ってみると「男に言われても嬉しくねーよ」とだけ呟いてカウントは黙ってしまった。
トリガーはカウントが突撃してきた時のことを思い出す。あの時のカウントの突入は、フギンやムニンにとって予想外のモノであったに違いない。自分達やトリガー以外に、巨大な積乱雲の中を突っ切ってくるなど想像もしていなかったのだ。さらには避けなければトリガーまで巻き添えになっていただろうミサイル攻撃も、想像の埒外であったに違いない。あれは実に馬鹿な攻撃だ。あんな状況でなければ味方から叱責を受けてもおかしくない。
例え採取した遺伝子情報からトリガーの思考エミュレートを行っていたとしても、予測は困難だっただろう。トリガー自身もカウントが来ることを予測しておらず、ましてやあのような攻撃を行うなど考えてもいなかったのだから。
つまるところ、今回の勝因は一つだ。カウントが誰もの予想を上回るほどの馬鹿だったからだ。この自分にも、高性能な機械知性にも予測できないくらい、大馬鹿野郎だったのだ。
いや、違うかもしれない、とトリガーは少しだけ思いなおす。カウントは確かに馬鹿だが、抜けているわけではない。彼は無意識のうちにコンピュータに対する人間の優位性を必死で探して、それを見つけ出したのだ。
昔聞いた覚えがある。「無限なものはこの世に二つだけある。それは宇宙の広さと人間の愚かさだ。ただし前者については断言できない」という言葉だ。どこかの物理学者の言葉かもしれない。
人間の馬鹿っぷりは、無限だ。それは絶対に確実だ。カウントを見れば良くわかる。だからこそカウントはそこに活路を見出したのだろう。反応速度も正確性も人工知性には劣る。しかし、馬鹿さ加減では、絶対に負けない。無限なのだから、負けようがない。
そして実際に、勝った。自分がかなりの大馬鹿野郎だったことでフギンに手傷を負わせムニンを撃墜してみせた。カウントもまたかなりの大馬鹿野郎だったことで、フギンを撃墜したのだ。フギンとムニンにとって、大馬鹿野郎が二人もいては対応しようがなかったのだ。
そうやって考えているうちに、航空基地の滑走路が見えてくる。ボロボロなんだから先に降りろと促されたので了承して、着陸アプローチに入る。滑走路35Lを指定される。
『帰ったらみんなでラーメン食いに行こうぜ』着陸アプローチの最中にカウントがようやく口を開いた。『今度こそ美味いやつを食わせてやるよ』
『なんだ。ラーメンだ?』とロングキャスター。『今のうちに基地へ出前を頼んでおこうか。デブリーフィングの時に皆で食べよう』
『こんなところでデリバリーのサービスやってる店があるのか』
『ああ、俺はユージア大陸中のラーメンショップを調べつくしてるんだ』自信満々の声でロングキャスターが答える。『セラタプラでも良く出前を利用してる。豚骨醤油ラーメンというやつが美味くてな。脂マシマシで、野菜をどっさり乗せて食べるんだ』
そんな会話を聞きながら、トリガーは滑走路に向けて降下する。ファイナルアプローチ。接地。自動ブレーキ。スピードブレーキ最大拡張。
機体が停止する。ひどく損傷していることを知っているので消火班と救急班が駆け付けてくるが、燃料がほとんどないので出火の危険はなさそうだった。トリガーはキャノピーを開いて、ヘルメットバイザーを外して酸素マスクも取る。新鮮な外の空気が肺に満たされる。
空を見れば、七機の戦闘機と一機の空中管制機が基地の上空を旋回しているところだった。鮮やかな青空に、白い飛行機雲がたなびいた。
熱いラーメンが食べたい、とトリガーは空を見ながら、思った。