「ラーメンは三つに分けられる。醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメン。この三つだ」
カウントのラーメン解説を聞きながら、トリガーはタクシーで軌道エレベーターの付け根を目指す。
「俺の好きなのは味噌ラーメンなんだが、ラーメン初心者のトリガーは醤油ラーメンがお勧めだ」
「美味いのか」
「あっさりしていて癖が少ない。最初に食べるものとしてはピッタリだ」
「そもそもショーユとミソってなんだ。ノースポイントの食い物か」
「ご明察。どっちも大豆を発酵させた調味料でな、ノースポイントの空港に着くと、まずその匂いが鼻に到達する、なんて言われてるくらい良く使われてるんだ」
さっきの分類はスープに使うタレで分けたものでな、とカウントの解説は続く。
カウントの話を適当に受け答えしながらトリガーは車窓の外を見やる。赤道直下の深い青空に、ピンっと上へ引っ張られたような白い塔がそびえたつそれは、セラタプラの市街地内からでも良く見えた。
軌道エレベーター。端が地上にまで到達するほどの超巨大静止軌道衛星。人類史上最大の建造物。先の戦争の発端となったバベルの塔。そしてそれは今や平和と団結の象徴として変わらずそこにある。
思えば自分が元大統領殺しの嫌疑を着せられ、懲罰部隊に放り込まれ、カウントやほかの連中と出会うことになったキッカケもあれだ、とトリガーは思い返す。
今は亡きハーリング元大統領はあの塔でユージア大陸の平和的発展を願っていたそうで、紛れもない平和の象徴のはずだ。しかし、それによって不幸を被った人間は存在する。自分もその一人だ。俺はあの白い巨塔に礼を言うべきなんだろうか。それともいわれなき罪を吹っ掛けられた怒りをぶつけるべきなのだろうか。
「──あの塔が憎いか、トリガー」
トリガーの視線の先にあるものに気づいたのか、それまでラーメンの話をしていたカウントが少しばかり真面目な口調で聞いてきた。偶然か必然か、彼の問いはトリガーの思考と一致していた。
「さてね」トリガーは肩を竦める。「自分ではいまいち答えが出ない。戦争含めて、環境が急に変わって脳が追い付いてない感じだ」
「始まるのも終わるのも急激だったからな。俺はやっと終戦の実感が湧いてきたが、あの塔に向ける感情は今も整理がつかん」
カウントも同意見のようだった。戦争が終わった実感が薄いというのは自分達二人の、互いの呼び方にも表れているとトリガーは思った。
トリガーとカウント。どちらも戦闘機に乗る時の呼び名だ。地上ではそんなものを使う必要がないというのに、自分達はまだその名で呼びあう。まだ空の上を飛んでいる気分が抜けていないのかもしれない、と彼は思った。
そこで頭の中にふと浮かんだ考えをトリガーは口にした。
「もしかして、気を紛らわせようとして、外出に誘ったのか?」
「ま、似たようなもんだな」
車窓から顔をカウントの方に戻すと、彼は両手を頭の後ろにやって、空を見上げるような仕草をした。見えるのはタクシーの天井だったが。
「あの難民達が暮らす街を見て、そこを歩いて、難民達の生きるその空気を吸って、そこで食える熱々の美味い料理でも食えば、お前も多少は区切りがつくんじゃないかと思ったんだ」
「実感が湧くと?」
「少なくとも俺は一度行ってみて、少し楽になった。憑き物が落ちた、というかな」カウントは続けた。「お前は空ばっかり見てるからな、ちょっと心配になっちまうんだよ。ミハイのように、孤独な空に独りぼっちになりかねないかも、って」
こいつは良く人を見ている、とトリガーは感じた。カウントは詐欺の前科で懲罰部隊に入れられていた。人を騙せる嘘をつくためには、人と世間を良く観察しなければならない。だから詐欺師は誰よりも「人」を見ているとも言える。カウントも、そうなのだろう。
「でもラーメンが美味いから誘ったのは本当だぜ」カウントが取り繕う。まるで彼がカウンセリングのためにトリガーを連れ出したような話の流れになっていたからだ。「難民の街も趣があって面白い。ユージア大陸中の文化がごったまぜになってて、テーマパークに来たみたいになる。お前もきっと楽しめるさ」
「別に、疑ってなんかいないさ」トリガーは言ってやった。「カウントの言うことは、信じるさ」
その時のカウントの表情といったら、本当に鳩が豆鉄砲食らったような顔だった。飄々としてる彼のこんな表情を見るは初めてだったので、トリガーも驚いた。きっと傍から見たら同じ顔をして向き合っていたのだろう、と思う。
数瞬間だけその状態が続いた後、カウントはいつもの表情になって口を開いた。
「そんな臭いセリフ、地上で男に言われても嬉しくはないな」
「こんにゃろ」
トリガーは肘でカウントを小突いた。カウントの側の車窓からは、冬だというのに南国の青い海と空が見え始めていた。いつの間にかタクシーは軌道エレベーターへとつながる連絡橋に差し掛かりつつあったのだ。
トリガーはカウントの脇腹を肘でこねくり回しながら、自分側の車窓を見やる。
青い海に青い空、白い雲が視界に飛び込んでくる。
今日も暑くなりそうだった。
こりゃすごい、というのが街に着いてタクシーを降りた時のトリガーの第一声となった。
難民の街としては発展しているとはカウントから聞いていたが、実際に目にしてみると想像以上の規模に圧倒される。
連絡橋から直通している道路はそのまま難民街の大通りとなり、その両脇には二階建てのビルディングが立ち並び、その中には飲食店やら雑貨屋、肉屋がテナントとして入っている。雑然としているが、発展中の活気が街を包み込んでいる。
そして街を歩く人々、その人種と服装の多様さたるや。スーツ姿もTシャツも民族衣装もごちゃまぜだ。民族のサラダボウル。
「テーマパークに来たみてーだろ?」トリガーの肩をポンポンとカウントが叩く。「俺も最初はそんなマヌケ顔してびっくりしたさ」
「こんな街、良くできたな」
「超大国オーシアは伊達じゃねぇ、ってことさ。ありゃあ、仮設住宅と大型輸送コンテナの合わせ技なんだ。オーシアは物量にモノを言わせて、本国から大量に資材を輸送して、あっというまに街の基礎を作っちまった」
カウントは頭上にそびえる軌道エレベーターの風防を指さして説明する。
「軌道エレベーターの用地ってのは、もともと天候も地盤も安定していることが条件だったんだ。強風も雷も地震もエレベーターにとっちゃ大敵だからな。だからわざわざ人工島まで造ったんだ」
「だから急造品でもなんとかなる、と?」
「ここは潮風もあるし、十年二十年も時間経過があれば危ないだろうがな。でもそれまでには何とかなる、ってのが政府と支援団体の考えらしい」
さて行くぞ、とカウントが先導するのでついていく。
人込みではぐれないよう、彼の背中を確認しながらトリガーは街の風景を目に収めていく。
まず目につくのは立ち並ぶ店の看板だ。オーシアの言葉で書かれた看板もあれば、エルジアの言葉もあり、見たこともないような文字で書かれたものもある。ピザのようにオーシアで見慣れた料理もあれば、なんの料理かもわからないものもたくさんだ。
焼きたてのパンの匂いに、魚を焼く匂い、アイスクリームの甘い匂い、胡椒の刺激臭、たっぷり塗られたバターの匂い。それらの匂いがひっきりなしに鼻へ飛び込んできて、ものすごい勢いで腹が空く。
「この大通りはな、外部から来た人間へのトラップなんだ。テーマパークみたいだって思っただろう、お前」
前方を歩いているにも関わらず、後方にいるトリガーの様子に気づいたのかカウントが振り向いた。
「非日常的な空間を演出して、財布を緩める。テーマパークと同じやり口だ。あとは良い匂いでとにかく食欲を刺激する。そうすりゃ来た人間は食欲を満たすために金を落としていくしかない」
「どうやって食材を用意してるんだ、この商店街は。資金は」
「商魂たくましいセラタプラの企業達が、あの手この手で出店し始めたのが最初さ。もちろん難民を雇って給料を払う。そうすりゃ難民はモノを買う。そのうち難民の中にも起業する輩が現れる」
ということは、食材も商品もセラタプラからの正規ルートで仕入れられているわけだ。きちんと金は回るし、人も集まる。テーマパークのように観光地を演出しようとしているのか。
「すごい経済効果じゃないか」
「その通り。セラタプラは、直近に新しい都市ができたのと同じことになったわけ。といっても、まだ援助物資で回っている部分もあるから、しばらく俺達の基地は使用不可能だ」
そこまで説明してカウントはまた前を向いてそのまま歩いていく。ついていくトリガー。柄になくテンションが上がっていることは自覚していた。
大通りをしばらく歩いたところで「こっちの方が近道だ」とカウントが右折する。しかしそこは路地と呼ぶような狭い道だった。
仕方なくその道を通ると、今度は裏通りのように人通りの少ないところへ出た。そこは車一台がようやく通れるような、中途半端な道だった。治安も良くないのか、壁や住居にはカラースプレーの落書きが散見されるし、ゴミも落ちていたりする。
「悪いな、これでも大通りよりはマシなんだ」
「いいさ。どんな街にもこういうところはある」
といっても自ずと周囲を警戒してしまう。自分達は確かに軍人だが戦闘機乗りであり、地上戦は不得手だ。トリガーは懐の拳銃を嫌でも意識した。こちらの引き金にはできれば指をかけたくない。
こっちだ、とカウントの示した方向に二人で速足で移動する。空でも地上でもスピードがあるのは良いことだ。
しかし、おそらくラーメンショップがあると思われる場所に近づいたところで二人は足を止めた。裏通りの先、十ヤードほど前方に、深くフードを被った人影が一人立ちふさがったのだ。
「お兄さんたち、あたしと遊んでかない?」そんな誘い言葉が放たれる。その声でようやく女性であるとわかった。小柄な若い女だ。
立ちんぼ、という奴だろう。売春だ。なるほど難民の街でも、明るい経済効果にあやかれる人間ばかりではないということか。トリガーはそんな陰鬱な気分を押し殺す。
「残念だが、俺達はこれからラーメンショップで一杯やるつもりなんだ」手を突き出してチッチッチと人差し指を振るカウント。「それに、あんたじゃ俺のモノには耐えられないぜ」
下品だな、とその断り文句に呆れる。断るにも少しは言い方というものがあるだろう。気を悪くしないだろうかと心配しつつ彼女を見やったところで、トリガーは小さな異変に気が付いた。
「それなら、大丈夫」
「おい、あんた」
足音も出さずに、すべるような動きで女性が接近する。カウントが静止するがそれに構わず彼女は近づいてくる。
強盗か、あるいはオーシア軍人と知っての自爆テロか。その可能性を警戒してトリガーもカウントも身構えた。
「遊ぶのはそっちのお兄さんの方だから」
「おい、近づくな止まれ!」
カウントが懐から拳銃を取り出し、向ける。だがそれよりも女性の方が早かった。残り数ヤードというところでフードの彼女は一瞬で距離を詰め、カウントの顎に拳を入れていた。脱力して地面に崩れ落ちるカウント。その手から転がり落ちる拳銃。
「カウント!」
遅れてトリガーも拳銃を構えようとするが、女は彼の動きに即座に対応してみせた。腕を抑えて銃口を向けさせなかったのだ。力を込めてもピクリともしない。女とは思えない筋力だった。腕を抑えると同時に拳銃の撃鉄に指をかけられていて、発砲できない。手慣れている。
振りほどかなければ、と女に蹴りを入れようとしたところでトリガーの首筋に強烈な痛みが走った。バチリという火花が眼前に散る。身体中の筋肉が痙攣を起こした後、急激に力が抜けていった。女の手元にはスタンガンのようなものが握られていた。
「大丈夫。あなたは殺さないわ『トリガー』」
薄れ行く意識の中、女がそう呟くのをトリガーはどこか他人事のように聞いていた。