「──起きろ。起きろ、トリガー。大馬鹿野郎」
トリガーは目を覚ます。ひどく寒い。現実の不快感。地上の重い空気が肺に侵入してくる。
「……寒い」
「そりゃそうだ。冷房効いた部屋で、全裸でベッドに縛り付けられてたんだ」
顔を誰かに覗き込まれている。両目のピントが徐々に合っていき、それが誰なのか判別できたのは数秒経ってからのことだった。
「……エイブリル?」
「おう、眠り姫のお目覚めだ」
眼前の人間はそう言って微笑んだ。女ながらもその精悍な顔つきは、一目で名前が口にできるほど見慣れたものだった。
スクラップからでもまともに飛ぶ戦闘機を組み上げてしまう天才整備士。通称「スクラップクイーン」。本名エイブリル・ミード。彼女がそこにいた。
「助かった、のか」
「声が震えてるぞ。これ羽織ってろ」
寒さで身体ごと声を震わせるトリガーを見て、エイブリルは着ていた戦闘服の上着を被せた。いつも着ている黒いタンクトップ姿になるエイブリル。
「どうしてここが、分かったんだ。カウントは無事か。俺を拘束していた奴らは」
「落ち着け。順番に話すから」
起きられるか、とエイブリルがトリガーを抱え起こす。そこでトリガーは、自身が先ほど与えられた上着以外何も身につけずベッドの上に寝ていたことを理解した。気まずくなって手近にあった枕で股間を隠す。
改めて部屋の中を見回す。その場にいたのはトリガーとエイブリル、それから武装した兵士四人だけだった。件の機械少女二人の姿は見えない。エイブリル達の気配に勘づいて逃げたか、あるいはすでに用は済ませたということだろうか。
「すぐに助けられなくて悪かった。ここを探し当てるまでに時間がかかっちまったんだ」
「何時間、経ったてたんだ」
「あんたがカウントと外出してから丸一日と六時間といったところだな。もう日が暮れる」
ざっと三十二時間か、というその長さに唖然とするトリガー。拘束の最初の方は覚えているが、途中から記憶がぼんやりしている。犯しやすさの観点から、いつの間にかベッドに拘束されていたのか。手首と足首に縄の痕が見える。
「カウントに感謝するんだな。あいつ、人気の無い路地裏にがんじがらめの簀巻き状態で拘束されてたのを三時間かけて自力で脱出して、お前が拐われたことを連絡してくれたんだ」とエイブリル。「捜索隊が編成されて、難民街からセラタプラ郊外までのホテルをしらみ潰しさ。あたいらはそのうちの一つってわけだ」
ありがとうカウント、と心の中で感謝するトリガー。連絡してくれた彼が無事であることもありがたかった。安堵の息が漏れる。
「でも、なんで、きみが?」
兵士達が救出しに来たのはわかる。だが整備師のエイブリルまで駆けつけてくれたのは嬉しいが必然性が見つからない。彼女は実戦経験もあるが非戦闘員だ。その問いにエイブリルが口を開く。
「あんたの顔を知っていて、なおかつあんたも顔を知っている人間が必要だったんだ。敵味方の識別は顔でするのが一番確実で手っ取り早い」
それに顔知ってる奴がいればあんたも安心するだろ、と彼女は付け加えた。自慢じゃないが自分の交友関係は広くない。自分が顔を知っている、あるいは自分の顔を知っている人間は限られていた。恐らくストライダー隊の面々もこうして捜索しているのだろう、とトリガーは思った。
「で、何があった」エイブリルは続けた。「お前の格好を見ればだいたい何があったのかは分かるんだが、いかんせん情報が足りない。誰が下手人で、どうしてこんなことをしたのか、あたいらは何にも知らないんだ。分かる範囲で教えてくれ」
その言葉を受けたトリガーは俯いて、少し震えた。
何があったのか、当事者からの証言は一番重要な情報源になる。たとえそれが間違った情報だとしても、それを当事者が話したことこそが重要だ。軍隊において情報の真意は指揮官が判断する。ここで聞かずに話を進めて、情報に齟齬が生じたまま行動して人員に損害が出るのは好ましくない。
エイブリルの言うことはもっともだった。しかしそれでもためらわれた。自身が晒された状況は他人に話しづらいこともあるが、何よりもそれを行った犯人達の正体は自分でも信じられない。あれは、本当に現実だったのか。
「おい、トリガー」
「──低体温症になりかけてるのかもしれない。何か温かいものを用意しよう」
俯き震えるトリガーを見て、兵士の一人が部屋の冷蔵庫を漁り始めた。空気が読めないふりをして一旦時間を置くつもりか、あるいは本当に空気が読めていないのか。そのどちらでも良いとトリガーは思った。その兵士の反応を見て、エイブリルが気まずそうな表情になる。
「……あー、すまない。あたしが無神経すぎた。言いたくなければ、言わなくていい」
「いや、いい。俺は大丈夫だ」
深呼吸をして心を落ち着かせるトリガー。屈辱的だとか現実離れしているだとか、そんなもの今はどうでもいい。現実を見ろ。軍人は現実の脅威に対抗する者だ、と自分に言い聞かせる。
「……そうだな、昨日、カウントと飯を食いに行く約束をしたことがきっかけだったんだ」
トリガーは少しずつ事のあらましを説明していく。ロボット少女に乱暴されたなんて証言、信じてもらえないかもしれないという心配はあったが、記憶が薄れないうちに全部話す方が良いと思って、包み隠さず話すことにした。
自分達を襲った存在は、以前に撃墜したフギンとムニンだとトリガーは答えた。イオネラとアルマの容姿をコピーしたセクサロイドに自己を転送して、自分の遺伝子を採取しにきたのだと。目的は遺伝情報からトリガーの脳をエミュレートして、強い戦闘知性を作ることらしかった。そこで自分はセクサロイドによる強姦を受けた……。
話していくうちにエイブリルの顔色はコロコロと変わっていった。始めは意外そうな顔つきで、その次は性的なモノに対する嫌悪感を露にして、それから深刻な事態に直面したかのような表情を見せて、彼女は黙ってトリガーの話を聞いていた。
「悪い、今の話、もう一度できるか」
トリガーが一通り話し終えたあたりでエイブリルは顎に手をやってそう言った。冷や汗らしきものが青ざめた彼女の頬を伝っていた。
トリガーが頷くと、彼女はズボンのポケットから取り出した通信機を操作して、トリガーの座るベッドの上に置いた。
『──はい、こちら軌道エレベーター・インフラ監視センター。主任のシュローデルだ。要件をどうぞ』
「ハロー、シュローデル。こちらスクラップクイーン。仕事中にわりぃが博士、緊急事態だ。大至急トリガーの話を聞いてほしい」
通信に出た男の声と、その名前には聞き覚えがあった。ドクター・シュローデル。エルジア軍の無人機開発を担当していた技術者だ。そして、今回現れたフギンとムニンの設計と基礎データを組み上げた、まさに生みの親とも言うべき男だった。
現在はその技術力を買われて軌道エレベーター周辺のインフラ管理に駆り出されているらしかった。確かにこの男に事情を話すのは得策と言えた。誰よりもフギンとムニンを知っているのだから。
『久しぶりだね。三本線のきみ』三本線、とトリガーのパーソナルマークをアダ名して呼ぶシュローデル。『話というのは、もしや無人機に関することかね』
「そうだな、あんたにも大いに関わる事態だ」
『ふむん。では話していくれ』
促されたトリガーは、先ほどエイブリルに話した内容をもう一度話した。シュローデル博士は黙って聞いていた。
トリガーが話し終えると、シュローデル博士はややあって『大変なことになるかもしれない』と言った。
「大変なこと?」
「あんたが思っているより、事態は深刻かもしれないんだ」
こわばった顔でエイブリル。それから彼女の背後に控えていた兵士が何か言って、湯気の立つ容器を持ってきた。どこかで嗅いだことのある良い匂い。
「とりあえずこれ食いながら話そうか。湯を入れるだけのインスタント料理だが、身体は温まる」
兵士の一人がトリガーにそれを手渡した。ポリエチレン製で底が深い皿状の容器の中に、以前カウントが食べていた麺がスープに浮かんでいた。彼が食べていたそれより簡素に見えたが「ラーメンだ」とすぐにトリガーは認識できた。まさかこんな状況で食べることになるとは思わなかった。
『では食事中のところ良いかね?』と一言断るシュローデル博士。『君はフギンとムニンを名乗るロボット少女の目に、ノースオーシアグランダー社の社名を見た。これは間違いないね』
そうだ、と頷くトリガー。ついでにフォークでラーメンの麺を掬って口に運ぶ。熱いくらいだが、旨かった。ショーユの独特な匂いと、ほどよく油の乗ったスープのおかげで冷えた身体に熱が供給される。シュローデルは続けた。
『君が話している間に調べさせてもらったんだが、昨日の夜にセラタプラ市街で工場の火災が起きていたそうだ。ノースポイントの企業が運営している、ダッチワイフの工場がね。この工場に出資している企業の中に、グランダー社の名前が確認されたんだ』
「グランダー社はあんたの古巣だろうが。なんでこんな近くで活動しているお仲間を今まで知らなかった」
『営業マンでもない、企業の一研究員が、他の部署で何をしているかなんて把握していないさ』
エイブリルの言葉に開き直るような口調で返すシュローデル博士。
『で、この出資が問題なんだ。金だけじゃなく、明らかに技術協力していたと思われる人とモノの流れが見て取れる』
「グランダー社が、ノースポイント企業のダッチワイフに技術協力だ?」
グランダー社は航空機を主体とした軍需企業だ。そんな会社が、畑違いの性産業に協力するというのか。トリガーは麺を飲み込みながらいぶかしむ。
『ノースポイントは、美少女の造形に関する文化が発達しているそうだ。グランダー社のとある部署が、そこに目を付けたんだろう。金も人もモノも提供して、完全自律型のダッチワイフを作り出そうとしていた可能性が高い』
「それが、今回のセクサロイドか」ロボット少女の出所がほぼ確定したことで頷くトリガー。「しかし何のためにそんなものを」
ノースポイントの企業を隠れ蓑にしつつ、その造形能力を利用して自律駆動の完璧なダッチワイフを作った。そしてフギンとムニンはそのダッチワイフ──セクサロイドに入り込んで、工場を破壊して脱走した。
シュローデル博士の口振りからするに、そんなシナリオが想像できた。そしてその仮説は筋が通っていた。しかし、そこまでしてグランダー社がやりたかったこととは、なんだろう。
『先の話を聞くに、フギンとムニンが使用しているセクサロイドには、男性の精液をサンプリングする機構がついていたそうじゃないか』
際どい話であるにも関わらずシュローデル博士は淡々とした口調で説明する。
『二体の説明から察するに、グランダー社は、優秀な遺伝子情報による人工知能構築を考えていたんだろう。そのための少女型ダッチワイフというわけだ』
「なるほど、天才の遺伝子を採取して、そのコピーで人工知能を造ろうとしていたのか」
元の半分くらいになった麺を啜りつつ、その説明で合点がいくトリガー。フギンとムニンも言っていた『遺伝子情報による脳のエミュレート』は、本来は遺伝子データの搾取として意図されたものだというわけだ。
天才科学者や優れたパイロットを誘惑して、その遺伝子を利用する。そのためのセクサロイド。あるいはハニートラップにも使えるだろう。セックスに特化した機械である以上、その性能は人間より高いものになる。
『そこへ偶然にも、フギンとムニンの中枢プログラムが入り込んでしまった。あるいは同じグランダー社規格の技術を使っているせいで、馴染みやすかったのかもしれないな』
そこまで話して、シュローデル博士のため息と思われる呼吸音が通信機から聞こえた。エイブリル以外の兵士も黙ってそれを聞いていた。ずるる、とトリガーが麺を啜る音が妙に響いた。
『──と、ここまでは例のロボット姉妹の出所についての説明だ。次からが本題なんだ』
「本題?」
「連中がお前さんを認識できていたこと、ってのが大問題なんだ」
麺を啜る口を止め、聞き返すトリガー。そこへエイブリルが口を挟む。
『エイブリル君は理解しているようだね。……そう、記憶が正しければ、私はあの無人機達に人間を認識するためのアルゴリズムを組み込んではいないんだ』
心なしか少し低い声でシュローデル博士が言う。
『空中戦には不必要なものだからね。せいぜい「戦闘機に付属している謎の有機物」程度の認識だったはずだ。だから、君という人間の一個人を認識できたということが本来はありえないんだ』
「……セクサロイドのプログラムか」
「人間相手にセックスするってのに、人間を認識して識別できないんじゃあ話にならないからな」
エイブリルが捕捉する。確かに、戦闘機の戦闘知性がそのままの状態で人間という知性体を認識できるという方が不自然だ。航空機から脱出(イジェクト)しないかぎり空に人間はいないし、いたとしても脅威にはなり得ない。
しかし人間を相手にする必要があるセクサロイドであれば、人間を認識するプログラムが仕込まれていることだろう。
「連中はそのもともとあったプログラムを自分のモノにしちまったんだ。人間の言葉を話せていたのも、似たようなことだろうさ」
『そしてそれは、攻撃する対象が人間そのものにまで拡大することを意味するんだ』
シュローデル博士の説明はトリガーには突飛なものに思えたが、口は挟まない。嫌な予感がする。博士は続けた。
『二体がオーシア軍、エルジア軍双方の戦闘機に攻撃を仕掛けたことは覚えてるだろう。あの時はIFF(敵味方識別装置)がまともに機能していなかったから、なにもかも敵味方不明機として攻撃対象になっていた、と考えられる』
それはトリガーも覚えていることだった。軌道エレベーター周囲での戦闘が思い出される。あの時は突如現れたフギンとムニンによってオーシア軍もエルジア軍も双方に甚大な被害を受けたのだ。
『人間にはIFFなんて便利な装置はついていない。そんな人間をフギンとムニンは敵味方不明の存在として認識する恐れがある』
博士のその言葉に顔が強ばるトリガー。ラーメンのおかげで身体は温まってきているはずなのに、冷水をかけられたような気分になる。
『戦闘機を操縦しているのが人間という有機知性体だ、と気づいたことで、人間を排除しにかかるかもしれない』
「それこそ市街地への無差別空爆か、あるいは人型ロボットの兵士を量産しての大虐殺さ」
フギンとムニンはそれまで戦闘機を操っている正体が人間だとわからなかったが、今はそうではない、ということだ。
しかし人間の敵味方識別に、明確なものはないだろう。敵となる戦闘機を支援していると判断されたなら、民間でさえ攻撃対象になりかねない。二人はそう言っているのだ。
「あの時はこの星の制空権を奪われかねない、って心配をしていたがな、人は空を奪われてもそう簡単には死なないだろうさ。だけど、地上まで奪われたら人間は生きていかれない」
『戦闘知性が人間を認識する、というのはそれだけ危険なことなんだ』
二人が説明を終える頃には、部屋の雰囲気はひどく重いものに感じられた。たぶん、あの戦争の時よりも強い圧力だ。少し間を置いて、エイブリルが口を開いた。
「さて、どうするトリガー。自分の遺伝子を好き勝手に使われて、人類滅亡の危機に泣き寝入りするかい。それとも自分を強姦した連中をシメて、世界を救うかい」
「聞くまでもないことさ」座る己を真っ直ぐ見つめるその眼差しを受けて、トリガーは頷く。「引き金を引いて、撃ち墜とす。ただそれだけのことさ」
ラーメンの容器に口を付けて、残った熱いスープを勢い良く飲み干す。口から胃の腑にかけて熱が拡散し、身体にも心にも熱が灯る。闘う気持ちが湧いてくる。
「その顔なら大丈夫そうだね」スープを一気飲みする彼を見て不敵な笑みを浮かべるエイブリル。「いつものトリガーだ」
『ふむん。力になれるかわからんが、私も協力しよう』少し安心したようにシュローデル博士。『元はと言えば私の撒いた種だからね』
「助かるよ、博士」
通信機越しに礼を言うと、博士は『先に手元の仕事を終わらせるから、また後で』と通信を切断した。ぶっきらぼうにも思えたが、変に動揺していない分、トリガーにとっては頼もしく思えた。
通信が切れてから数秒経って、エイブリルが言った。
「さて、早く服を着てくれるかい。あたいはこれでも女なんだぜ」
「ああ、うん。そうか。忘れてた」
上半身はエイブリルから渡された戦闘服の上着、下半身にいたっては枕で股間を隠しているだけ、という自身の姿を思い出すトリガー。ついでに目の前のスクラップクイーンが妙齢の女性ということもだ。
「……それは裸だってことをか、それともあたいが女だってことをか」
「両方」
「この大馬鹿野郎」
エイブリルに軽く小突かれたトリガーは、その衝撃でスープの残りが気管に入り、むせる。