赤道から離れるに従って、空の色が薄くなっていくのをトリガーは感じた。季節は冬になりつつある。エルジア南部を覆う森林地帯も少しずつ色が褪せていくのが空からでもわかった。
その冬空と木々の間を四本の白い雲が突き進んでいく。高度二万フィート(六千メートル)を行くその影は、トリガーが率いるストライダー隊のものだった。
『ストライダー隊、まもなく目標エリアに到達する。先行したサイクロプス隊がすでに秘密工場の上空を抑えている。なお敵機の姿も、対空砲火も確認されていない』
『敵機が見えず、ってのが不気味だな』空中管制機からの通信にカウントがぼやく。『外れだった、とかじゃねーの』
『少なくともこの近辺に例のロボット二体がいることは確かなんだ。四日前、近隣のカフェテリアでの目撃情報がある』空中管制機の担当官ロングキャスターが返答する。『それにオーシア軍が把握していなかった秘密工場を掌握できるんだ。無駄ではない』
『そうかい。ところで今何食ってんだロングキャスター』
『どら焼き、とかいうノースポイント産の菓子だ。セラタプラで買ってきた。甘くて美味い。紅茶に合う』
作戦行動中の通信であるにも関わらず、ロングキャスターからの通信にはガサゴソという紙袋と思われる雑音が混ざっていた。時折咀嚼音も漏れている。
『作戦エリア上空に到達。本当に、何にもないな』ストライダー隊四番機のフーシェンが報告する。『下方、高度一万フィートにサイクロプス隊を確認』
キャノピーにヘルメットバイザーを押し付けて低空を見やると、一万フィートほど下を四本の飛行機雲が通り過ぎている。確かにサイクロプス隊だ。さらに彼らの下には、背の高い針葉樹林の中に研究所とも工場ともつかない建物が見えた。そしてその脇には長さ一マイル半(二千四百メートル)ほどの滑走路。
ここに、あのロボット姉妹がいるのだろうか。睥睨しながら思うトリガー。
『シーゴブリンが五分ほどで到達する。サイクロプス隊もストライダー隊も上空で旋回。警戒を怠るな』
『ストライダー2、了解。トリガー、お前が一番内側な』
ロングキャスターの指示を了承するカウント。ストライダー隊の四機で編隊を組んで左旋回を開始する。さりげなく旋回半径が一番小さくて遠心力のキツい内側に誘導されるが、トリガーは黙ってその通りにフォーメーションを組んだ。内側の方が地上の秘密工場を良く観察できるからだ。
下方に見えるその施設は、研究所と言うには窓が少なすぎ、戦闘機の工場と言うには小さすぎる代物だった。入口らしきものも見えるが、駐車場だとか敷地の境界だとか、そういったものが見受けられない。
人が利用することを考えられていないのではないかとトリガーは思えた。敷地内と工場の屋上には風で飛ばされてきたと思われる木の枝や枯れ葉が散らばっていて、長い間放置されていたようにも見える。
その代わりに併設されている滑走路は良く整備されているように見えた。標識もくっきりと描かれているし、ゴミ一つ落ちていない。
そして特徴的だったのは、滑走路の端に、地下へと通じていると思われる施設があることだった。草の生えた小山のように盛り上がっていて、滑走路側にぽっかりと出口が見える。戦闘機が地下からせりあがって、滑走路へ出ていくのにちょうど良い大きさと位置だった。
『シーゴブリンはあの穴から入るのか?』同じくその出口を見ていたらしいストライダー3、イェーガーが言う。『奥に女王蟻でもいそうな雰囲気だ。先に殺虫剤でもぶち込んだ方が良さそうに思える。セラタプラのコンビニで買ってくるんだったな』
『あたしなら、あの穴に罠を仕掛けるな。入ろうとした瞬間に爆破するような』とフーシェン。
『汚ねぇ花火になりそうだな。まあ、使うなら指向性の散弾爆薬とかだろうな。施設を傷つけずに人を根こそぎだ』とカウント。
『──こちらシーゴブリン。あまり隊員が不安になるような話をしないでほしいなストライダー隊』オーシア軍の回線で通信が入る。その声は会議の時にいた海兵隊の隊長と思われる男の声だった。『我々もプロだ。そんな簡単な罠に引っ掛かりはしないさ』
何度か周回するうちにシーゴブリンが到着したらしかった。レーダー画面を確認すると、ヘリコプターの四機編隊が近づいてくるところだった。
『来賓のご到着だ。南にシーゴブリンの機影を確認した。方位一七〇。距離十マイル』ロングキャスターが報告する。『シーゴブリン、周囲に敵影無し、対空砲火も無し。ひとまず安心して着陸できるぞ。滑走路脇の空き地が良いだろう』
『了解。周囲を確認したら滑走路脇に着陸する』
ぞろぞろと輸送ヘリコプターがやってくる。そして危険が無いのを確認してから滑走路脇の、ヘリが着陸するにはちょうど良い広さの土地に着陸し始める。ヘリが吹き下ろす風で周囲の草地が波打つ。
『二手に分かれて突入する。A班は建物に、B班は滑走路横の小山だ』
『殺虫剤がほしけりゃ言ってくれ』とサイクロプス隊からの通信。『バルカン砲で凪ぎ払ってやる』
『了解。そいつは心強い』
低空を飛ぶサイクロプス隊が地上を、高空を飛ぶストライダー隊が空を警戒する。合計八本の飛行機雲が秘密工場を中心にぐるぐると回る形になっていた。後方ではロングキャスターの乗る管制機がゆるやかに旋回している。
小山の穴に向かったB班は、降りる場所が無いのかその周囲を調べていたが、建物に向かったA班は普段の訓練と同じように突入できるためか、比較的早く内部へ潜入していく。
『こちらA班。今玄関から入った。暗いな』
『中の見た目は確かに工場だな。前に無人機製造工場を制圧したことがあるが、そこと似ている』
『エルジア軍の奴ら、秘密工場を味方にも秘密にしてたんだろうな。ここ最近人が入った痕跡がない。埃だらけだ』
内部の実況中継が始まる。サイクロプス隊もストライダー隊もロングキャスターもその言葉を黙って聞いていた。
『階段がある。上に行ってみるか?』
『待て、階段に誰か……人か?』
誰かいる、と言いかけたその直後に何かが千切れる音がした。A班の誰かが叫んだ。
『ネルソンが殺られた!』
『ああ、速い、あいつ、人間じゃねぇ、人間なんかじゃねぇ!』
『ダメだ、退避しろ!』
響き渡る銃声。隊員達の絶叫。それらがごちゃ混ぜになって通信機から聞こえてきたせいで、トリガー達は騒然となる。なんだ、なにが起きている。
『見ろ、なんだありゃ!?』
カウントが酷く動揺した声をあげた。視線を向けるのと同時に先ほど突入した建物からシーゴブリンのA班が飛び出してくる。そしてそれを追いたてるようにして何か白っぽいものが建物の玄関から沸き出してきた。
『こちらサイクロプス1、シーゴブリンが敵集団に襲われている』驚愕に声を震わせながらサイクロプス隊からの目撃証言が上がってくる。『なんだあれは、ロボットか?』
『例のロボット姉妹か、それともロボットの歩兵か?』とロングキャスター。
『歩兵というより、裸の、子供のロボットだ。それが数十体。銃を持っているようには見えない。でも動きが人間と違いすぎる』
サイクロプス1の言う通り、玄関から飛び出してきた白い影は人型をしていた。しかし人の動きをしていなかった。上空から見てもわかるほど、人体工学に反した動きをしている。上半身を動かさず走ってきたり、下半身を銃で破壊されると腕だけで走ったりする。その不気味さが上空からでも感じ取れた。これは自分達が人間であるがゆえの、人間らしさを感じ取る能力の発露だろうとトリガーは思った。
『近づくな。あいつ、手刀でネルソンとバリーの首をぶったぎりやがったんだ!』
『ちくしょう、弾が当たってるはずなのに倒れない。助けてくれ!』
『B班、突入中止。A班の救援に向かう!』
『上空の部隊に航空支援を要請する。機銃掃射だ!』
『サイクロプス、了解。待ってろ』
サイクロプス隊が機体を翻し、工場の玄関に向けて攻撃アプローチに入るのが見えた。主翼の端から延びるヴェイパーが一斉にカーブを描く。
『ストライダー隊も攻撃アプローチに入る』
カウントが宣言してくれた通り、トリガーもまたシーゴブリA班の援護に入ろうと白いロボットの集団を注視しながら操縦桿に力を込める──込めようと、した。
狙いを定めていたロボット集団の中の一体が、こちらを見たのだ。人間サイズの顔など上空から目視するにはあまりにも遠くて戦闘機パイロットの視力を持ってしても見えないはずだったのに、トリガーにはそれがハッキリとわかったのだ。そしてその眼差しの奥に、この自分を探し出す者の意思を明確に感じ取った。
『トリガー……?』隊長機であるトリガーが動かないことをカウントが訝しむ。そして何かを察したのか三番機と四番機に動かないよう伝えた。『……待て、イェーガー、フーシェン。嫌な予感がする』
カウントがそれを言い切ってから間を置かずにコクピット内で警告音が鳴り響いた。ロックオンアラート。これは、火器管制レーダーの照射を受けている。
『いかん、ダメだ。サイクロプス隊、上空に戻れ。高度を上げろ』即座にロングキャスターが警告を発する。『レーダー照射を受けている。ミサイルだ。回避しろ』
『くそう』
サイクロプス隊が二機ずつ左右に急旋回して回避行動に入る。それを追うように森の中からミサイルが飛び出してくる。数は四。全てサイクロプス隊を狙っている。
突っ込んでくるミサイルを全て躱すサイクロプス隊。しかしまだ終わってないことをトリガーは直感的に理解した。今のサイクロプス隊は低空で急旋回したことによるエネルギーロスで動きが鈍くなっている。敵にしてみれば良い的だ。
考えるより先に操縦桿を握る右手は動いていた。ミサイルの飛んできた方向へ急旋回。直後に狙いすましたかのようにミサイルが発射される。目標になっているのはサイクロプス3か4だ。一発だけではあったが、今のサイクロプスには回避が困難だ。
飛翔するミサイルにGUN攻撃。約一秒の射撃。手ごたえがあった。無数の機関砲弾を叩きつけられたミサイルが空中で爆散する。オレンジ色の炎がトリガーの視界に煌めいた。
『すげぇ……ストライダー1、敵ミサイルを撃墜!』
『助かったぜストライダー。──サイクロプス隊は上空に一時退避した後、対空ミサイルの発射地点を叩く』
感嘆と称賛の声が無線越しに届けられるが、トリガーの胸中に蠢いていたのは「やったぞ」という達成感ではなく「やってしまった」という後悔にも似た自責の念だった。
味方を見殺しにするなんて選択肢は元より無い。しかし、今ので「見つかった」ということをトリガーの戦闘勘は強く指し示していた。地上のロボット集団も、この基地そのものも、罠だったのだ。この自分を誘い出すための。
『滑走路の穴に異変』地上を見ていたイェーガーが報告する。『地下から何か出てくるぞ──あれは、あの機体は』
自身を含めたストライダー隊の視線が地上に向けられるのが分かった。滑走路脇の小山に設けられた穴から、二つの影がせりあがってくる。そしてその影は緩やかな動きで滑走路へと動いていく。
ADF-11。フギンとムニン。黒々とした大型の制空戦闘機。その二機が滑走路に現れていた。
トリガーはその光景を見ながら思う。やはり、見つかったのだと。
機械知性は戦闘機を見分けることができても、外観からはその戦闘機に誰が乗っているのか判断することはできない。仮に一機だけ別の機種が編隊に紛れ込んでいたとしても、それはフギンとムニンに対する欺瞞行動かもしれないのだ。だから、連中は各機体の戦闘機動を比較することで調査しようとしたのだろう。先の攻撃はあの二機にとって、自分がどの機体にいるのかを調べるための偵察行動だったわけだ。
建物に突入した地上部隊をロボットに襲撃させることで発進口から目を逸らさせ、なおかつ戦闘機部隊を対地攻撃アプローチに入らせた。そこを隠していた対空ミサイルで攻撃して、その回避行動からトリガーがどの機体に「載っている」か判断しようとした。
しかし攻撃アプローチに入った機体の中にターゲットとなる自分がいないと分かったから、二度目の回避行動が困難な機を狙ってミサイルを発射。──トリガーという人間であれば味方を助けるためにミサイルへ攻撃をしかけると踏んでのことだろう。そして、自分はその誘いに乗ってしまったのだ。
トリガーという人間の遺伝子、すなわち脳のハードウェアとなる情報を二機は得ている。あと足りないのはそのエミュレートをするためのプログラム。すなわち彼の戦闘データだ。トリガーと戦うことで、それを手に入れようとしている。
トリガーは酸素マスクとヘルメットバイザーの下で、猛獣のように歯を剥き出しにしてその戦闘機を睨みつけた。よくもやってくれたなと、静かに、燃え上がるような怒りが喉の奥から湧き上がってくる。
この自分の遺伝子データを勝手に使って、奴らは空を支配しようとしている。それはトリガーにとって我慢ならないことだった。空を飛ぶのはトリガーという人間個体であるべきであって、遺伝子や戦闘データだけが飛ぶのはどうしようもなく不快だった。冗談じゃない、この空を飛ぶのは、俺だ。この俺が飛ぶからこそ快感なのだ。そのコピーが飛んだところで何も楽しくない。
奴らを空に上げてはならない。この自分を犯したあいつらに、この空まで犯させてたまるものか。
トリガーは二機を確認すると、上空に向けて機首を持ち上げた。そしてそのまま天地逆さの状態で地下から這い出てきた二機に狙いを定め、操縦桿を引いた。
Xー02S。トリガーが今乗るその機体は、大きな翼を翻して背面逆落としの姿勢で急降下を開始した。