「柳洞寺ごとそこに巣食う三騎のサーヴァントを消しとばし、かつ円蔵山にある大空洞、および大聖杯には傷をつけるな」
連夜の腕に刻まれた令呪を一画消費する。赤く発光した令呪が魔力を撒き散らしながら光を失い、アヴェンジャーの肉体に活力を与えていく。出力をどこまで上げればいいのか、円蔵山すら破壊しかねない一撃を放つわけには行かず、けれど生半可な一撃では三騎まとめての撃破は不可能。故にこそ、令呪による微調整は不可欠だった。
「了解した、マスター」
大弓を取り出し、戦帯から引き出した神気をそこに込めていく。鏃に特別なものなど何もない、ただの変哲もない矢が、その一行程だけで万象を破壊し尽くす核にも匹敵する代物へと変化した。
射法八節。それを、視認できぬほどの速度で行い、鏃は柳洞寺へと飛んでいく。それに興味の一片も抱かずに、アヴェンジャーはさらに矢を連続して番え、射出する。都合、二十五。それだけの数、一撃でもサーヴァントを滅殺するのに十分な威力を持った鏃を放ち、たった三騎のサーヴァントの殲滅を開始した。
「……っ!?」
そしてそれを最も早く感知したのは、やはり魔術に長けたキャスターであった。
自らの工房を容易に破壊する威力から、今から用意できる防御を付け加えたところで障害と認識されることすらなく貫かれる。その速度から、迷う時間など皆無。
空間転移の術式を描き、己とマスターのみを転移させる。行き先の細かな指定などしている暇がない。一瞬だけセイバーを連れていくべきか否かを迷ったが、彼女の対魔力を考えるに空間転移の術式で転移させるには多量の魔力と、自分たちを転移させるだけの時に比べてはるかに大きな時間が必要となる。
故に転移を敢行したところで、キャスターとそのマスター、葛木宗一郎は人気のない路地裏にたどり着き、直後に柳洞寺が粉々に破壊されたことを背後からの轟音で知った。セイバー、アサシンとの繋がりが消滅し二騎の敗退を悟ったところで、勝ち目が一手で粉砕された憤怒と、それを行えるだけの実力者がいることへの絶望とで彼女の心は支配される。
合理的にすぎる魔術師としての面が勝ち目のない状況に「どうしようもない」という結論を出して、感情的な女としての面が「そんなことを認められない」とヒステリーを起こす。
「大丈夫か、キャスター」
それを食い止めたのは、彼女のマスターからの心配の言葉。マスターの声を聞いたことで冷静さを取り戻し、何があろうと勝つのだという意思を取り戻す。それはひとえに、マスターとの出会いによって得た望みのために。
「ええ、問題ありませんわ、宗一郎さーーーま?」
言葉を最後まで紡ぐ前に、彼女の心臓に矢が突き立てられる。この矢を放ちしアヴェンジャーの受けた命は「柳洞寺ごと相手のサーヴァント三騎を消し飛ばすこと」であり、一人生き残ったままではそれは達成されていないまま。山から離れたことで、山を崩落させて大聖杯を破壊しかねない威力の解禁をされたことによって、柳洞寺にいたキャスターがどこに移動したのかを令呪のバックアップで把握し、そこに狙いをつけて、一安心していたタイミングでその肉体を撃ち抜いた。
「キャス……」
炸裂する神気。葛木がキャスターにかけようとしていた言葉は誰の耳にも届かないまま、キャスターを中心として発生した小規模な神気の爆発に飲まれて、キャスターのマスターは死に絶えた。
「……ぁ」
それら三騎の魂は、アインツベルンの動きがなくなった聖杯ではなく、衛宮邸にある間桐の聖杯へと吸収される。今もなお起きたまま、二度と帰らぬ家主の帰りを待つ桜。そこに、三騎の魂がセイバー、アサシンはほぼ同時。それに少し遅れてキャスターの魂が入り込む。聖杯として「この世すべての悪」がサーヴァントの魂を吸収する最中、大聖杯が聖杯の機能を動かすために補助として「この世すべての悪」に染まった魔力を桜の中に流し込んだ。
流れ込む悪性。けれどそれはいけないことだと抑え込む桜。それらは悪性有利ながらも、桜の先輩が帰る場所でいたいという、少女の純真な恋心によって確かに攻めきれず
「ぁぁぁぁ……!」
だからこそ、流れ込んできたキャスターの魂。そこに刻まれた英霊の座に帰ったとしても決して忘れぬであろう宝石のような日々の中で、それを守るためにキャスターが
「……先輩、死んじゃったんだ」
掠れた声で呟いて、桜は「この世すべての悪」を受け入れる。もう全てがどうでもよくなった。故に彼女の身は「間桐の黒聖杯」として完成して、その魔力の迸りを感じた、間桐桜の面倒を見るために残っていた遠坂凛がそこでようやく駆けつけた。
「桜! あんた、何やって……っ!」
「ああ、遅かったですね、姉さん」
桜は姉の方を振り向いて、姿が変わった己をはっきりと姉に見せる。ゆらりと、姉に対するネガティブな感情が「この世すべての悪」によって表面化し、凛の影が存在する場所から”影”としか言いようのない何かが出現した。
「……! 下がれ、凛っ!」
とっさにアーチャーが霊体化を解除して己のマスターを突き飛ばす。けれどそれだけ。アーチャーは膨張した影に飲まれて聖杯戦争を敗退して、そのまま突き飛ばされ尻餅をついている凛も、直後桜の影によって飲み込まれた。
「ふふっ……姉さんばっかり綺麗な体でいるのはひどいですもんね」
その影の内側にて行われるのは凛への陵辱。彼女はこれから、桜が十年の時をかけて受けてきた性的拷問のすべてを永遠に受け続けることになる。それを思って桜は笑い、嗤い、哄笑をあげた。
「ああ、そうだ。……兄さんにもあげないと」
ゆらり、と自分を完成させた兄へと魔力を供給する。先輩が死んだことを悲しみながらも、聖杯の力があればどうとでもなるから、と聖杯戦争をとっとと終わらせるために参加者である兄を優勝させるために魔力を流し込む。それと同時に、己の心臓に手を突っ込んで、そこからとある物体を取り出した。
「お爺様」
「さ、桜……」
取り出されたのは一匹の蟲。臓硯の本体。故に人格がそこにはあり、そのあり方を一目見ただけで臓硯には、それが己の望む未来へと繋がるものではないとわかった。このタイミングで引き出された。その時点で嫌な予感しか彼の中ではしていない。
「これまでのお礼をさせてもらいますね」
「ま、まっ……」
ぶちっ、と簡単な音が鳴る。臓硯の心臓とも呼べる蟲が潰れる。間桐の五百年にも及ぶ妄執。それが今、潰えた瞬間だった。
キャスターを討ち滅ぼし、アヴェンジャーが弓を下ろした瞬間に、それは連夜の肉体にやって来た。
流転し、増幅し、連鎖し、変転し、そうして渦を巻く罪。体の中へと入り込む人類史全てをかけて培われて来た悪性の数々。泥のように人体の内側に魔力の塊として残留し、濁流のように人間の善性を洗い流す代物。
連夜のうちに流れ込んだそれは、総数から見ても、桜の中に流れ込んだ量から見ても微々たる代物。けれどそこには桜のように馴染むための何かが行われたわけではなく、だからこそ肉体を急速に汚染され、その痛みはこれまでの何かと比較できるようなものではなかった。
「が、があぁぁぁぁぁあっっっ!!」
暴食色欲傲慢強欲怠惰嫉妬憤怒憂鬱虚栄心悲嘆が、連夜の中を犯し満たして悪性の一部へと変遷させる。
吠える。咆える。吼える。与えられる悪性の総量に、連夜の体が耐えきれず崩れ、崩れるよりも先に悪性の泥によって作られていく。
ーーーこれじゃあ兄さんが先に死んじゃいますね。
そんな音を聞いた気がしたが、今の彼ではそれを理解することすらもできない。けれど次の瞬間、彼のそれは確かに指向性を持ったのだと、もうすでに働いていないはずの頭が確かに理解した。
ーーーじゃあこうしましょう。
与えられた指向性は彼の思想と行動に沿ったもの。すなわち、魔術師に対する殺意……憤怒と、今の己の状態に対する悲嘆。そしてこの聖杯戦争の間に彼が行った淫蕩に耽る情欲……すなわち色欲の三種。それ以外の悪性はそれらを高めるための純粋なエネルギー源としてのみ使われる。暴食は女体を食らう力へと。傲慢は女性に対する行動として。強欲は一度狙った以上は確実に己の手で
「……」
アヴェンジャーはそれを見ながら、自分の内側に契約を通じて入り込んでくる微々たる量の泥をねじ伏せる。周囲の蟲たちにも泥の属性が追加される。連夜が使役できる蟲の範囲が、彼が瞬間的に泥で満たすことができる空間へと変わっていく。教会にいた神父が自らと同種のそれを心臓に飼っていることを把握して
「ふぅ……」
そこでようやく、桜からの急激な魔力供給が止まって己の作り変えられた肉体を省みる余裕ができた。充実している魔力と、これまでにないほどの力を感じる己の身を、拳を握って開いては確かめる。
「……あとは、ランサーだけか」
アーチャーが死に、セイバー、キャスター、アサシンが死に、バーサーカーも死んでいる。残るはアヴェンジャーとランサーのみ。桜を通じて、この聖杯戦争における参加者は残り二人だと知って、今は場所がわからないために一度戻ることにする。
生まれ変わったばかりの肉体の性能を確かめることも急務だと思いながら。