1しか知らない男が2の世界へ来てしまいフレンズに求められまくるお話(完結) 作:らんどまーく
所々錆びついた非常ドアは軋んだ音を立てて開放される。屋内からは湿っぽい空気が溢れ出し、土や木の香りとは違う金属やコンクリートの腐食した匂いが鼻をつく。
じゃり。
踏み出したブーツが小石を踏んだ。外界の薄暮が照らしたのは剥がれ落ちた内壁の一部だった。
研究所。廃墟と化したそこは暗闇の中にあり、胸元のフラッシュライトが照らす部分だけが俺の見える範囲。行動には著しく制限がかかる。
「ご主人。わたしが先を行きますよ」
「大丈夫かい?」
「はい。ちょっと暗いですけどご主人の持つ明かりのおかげでよく見えますから」
足踏みをする俺の前に立ってイエイヌが言った。夜目が効くということだろう。ここは彼女を頼りにさせてもらおう。
「ラッキービーストの保管庫は、地下1階にあるはずだよ。まずは、階段に向かおうか」
ボスがイエイヌの横に付き、こちらを見上げて言った。つぶらな瞳は闇夜の河川で一休みするホタルのように輝いている。暗視機能とのこと。
ならばボスも頼りにさせてもらおう。頼るばかりで申し訳ないが。
「2人共よろしく頼むよ」
「おまかせください」
「まかせて」
そうして俺達は廃墟の内部へと踏み入った。扉近くの割れた窓から離れると更に濃い暗闇が視界を覆い、フラッシュライトの明かりがイエイヌの背中とボスの耳をくっきりと照らし出す。
先導する2人の姿はいつもより頼もしく、そして実際は小さいにも関わらず大きく見える。
ぴちょん、ぴちょん。
「水の音……?」
「天井から雨漏りしているみたいだね。先日のセルリウムレインの影響が懸念されるから、近付いちゃ駄目だよ。水のある場所は避けるね」
ライトの向きを変えて上を見上げる。丸い円で照らされる天井の一部は鉄筋が突き出て何かしらの配線が垂れ下がり、太陽の高い時間帯であればそこから陽が差し込むであろう断裂が発生していた。
雨漏りの原因は深刻だ。もはやこの場所が元の姿に戻ることはないだろう。ゆっくりとゆっくりと、全てが崩れ落ちるその時までこの空間は孤独の時間を過ごすのだ。
「ご主人?」
「ごめん、今行くよ」
俺は天井の亀裂をひと睨みしてから視線を戻し、振り向いて待っていたイエイヌとボスの後に続いた。
黒い水たまりができていたり、小さな瓦礫が散乱していたりする通路を全員が無言で進む。
しばらく俺とイエイヌ、ボスの足音だけが通路に反響し、やがて四方に広がった空間に行き着いて誰ともなく歩みを止めた。
「とても広いところですね」
「変な装置が山ほどあるな……」
広間には丸みを帯びた機械群が一定の間隔で配置されている。中空のそれはカプセルのおもちゃのような造形で、透明なカバーの内側には大人が1人寝転がれる程度のリクライニングシートと、その座面の裏側に大量の配線や管が設けられている。装置外面の金属部は錆びで茶色く薄汚れ、中のシートはここで眠るのは不可能だと思えるぐらいの劣化が生じていた。
「それは、生命維持装置だよ」
「生命維持……? ここは医療施設だったんです?」
「詳しいことは、ボクにも分からないよ。データベースへのアクセス権限が、ないからね」
「ふむ」
知りたければ自分で調べろ、ということである。まずはその調べ物ができるよう俺自身がクルーにならねばならない。目標を優先しよう。
俺は先へ進むことを提案し、ボスの指示は広間を横断した位置にある別の通路への扉に向かうことだった。
「…………」
ちょうど真ん中に差し掛かったあたりからだろうか、俺は次第にうなじがチリチリと焼けるような感覚を覚えていた。
痛みを伴うようなその信号は「危険が迫っている、または付近に存在する」という第六感の助言に似ている。自然と足が早まり、呼吸はゆっくりかつ静かな物へと変化していた。
「これは……?」
「何をしてるのイエイヌ」
イエイヌが突然足を止めて真横にあった装置のひとつへ向き直った。歩行と聴覚に意識を集中させていた為ぶつかりそうになる。
「ごめんなさいっ」
「どうしたんだ?」
「見てください、これ……」
この広間に設置されている装置は大なり小なりの破損を伴っている物ばかりだが、その中でもイエイヌが指し示したそれは特に酷い。
外観は幾度となく強烈な打撃が加えられたのかでこぼこな岩肌のようで、上下に開閉する分厚く透明な樹脂カバーは砕け散って辺りに散乱している。内部はサンドスターの砂粒のような破片が僅かに光を放っているが、黒い液体がそれらの殆どを覆い尽くしてヘドロのように固まっており、第六感とはまた違う寒気が鳥肌を浮き上がらせる。
しかめっ面をしたイエイヌはその黒い液体を睨んで、
「嫌な匂いがします」
呟くように言って、我慢できなくなったのか彼女は鼻を摘まんだ。
「高濃度のセルリウムを確認。あまり近付いちゃだめだよ」
「なあ、ここは何か良くない感じがするんだ。早くこの広間を出よ」
べちゃっ。
「ッ、なんだ?」
黒い液体が目の前の装置の中に落下した。雨漏りの水滴というには大きすぎる。
上に何か……?
「避けてくださいッ!」
見上げるより先に体が反応した。足元のボスをラグビーボールをかっさらうようにして抱え込み地面を転がる。ライトの明かりが壊れた回転灯のような軌跡を描き、体勢を整えると共に襲撃者の姿を照らし出した。
小さな胴体は楕円で先端部にはもはや見慣れた単眼。胴体から伸び出る細い多脚は関節を持つ。鋭角かつ胴体よりも長いそれは蜘蛛を彷彿とさせるが、無様に天を仰いでのたうち回る姿は理想とは程遠い。静かに獲物を絡めとるはずだった奇襲は既に失敗しているのだ。
「セルリアン……! こんなに居たのに匂いが分からないなんて」」
自分を責めているようなイエイヌの声が隣から聞こえる。しかし彼女が悪い訳じゃない、屋内はずっと錆びた鉄の匂いと淀んだ水の匂いで充満していたのだから。
「たいした大きさじゃないけど多すぎるな、これは……」
上向きにしたフラッシュライトが照らし出す無数の瞳。
どこから集まって来たのかコンクリートの天井は今やひしめく単眼で覆い尽くされていた。重力などおかまいなしなその姿はまるで子グモの群れだ。
「危ない!」
ひっくり返っていたセルリアンが体勢を立て直し飛びかかってくるのをイエイヌの爪が弾き飛ばす。虹色の光と黒い破片が暗闇の中で舞い、セルリアンは装置に叩き付けられた。
「か、堅いっ」
「逃げるぞ!」
イエイヌが1撃で倒せないということは厄介なセルリアンの証明だ。おまけに数も多く暗い室内では戦いにくい。取り返しがつかなくなる前に引き下がる。
その場を一目散に離れるや背後に軽い紙屑が大量に落下したような音が響き渡った。
ガサガサガサ──と。
既に振り返る余裕もなく走って扉に取りつき、スライド式のそれを開こうとイエイヌと一緒に取っ手を掴む。
「おもっ、重いですこの扉っ!」
ドアはまるで接着剤を貼り付けたように固着していた。動きはするが、本気で力を込めてもじりじりとしか動かない。スライドの機構がロックされているのか!?
「開けてくれボス!」
「アワワ、電力が通ってないよ、アワワワワ……」
「クソッ!」
セルリアンは悠長に待ってはくれない。虫の大軍が迫るかのような気配が後方に感じられる。
「頑張れイエイヌ! 少し開けばそれでいい!」
「はいっ!」
イエイヌと一緒に歯を食いしばり全力で力を込める。ギギギと金属が擦れるような音を鳴らしながら、ドアと壁の隙間にようやく小さな隙間が出現する。
――今ならイエイヌを反対側へ押し込められる。
がががっ!
「うっ!?」
「わきゃっ!?」
自己犠牲の選択肢が頭をよぎった瞬間、ドアが勢いよくスライドして盛大につんのめった。更にその直後、開いた隙間から伸びて来た何者かの腕が俺とイエイヌを引き込んだ。
「よいしょ」
慌てて振り返ると、ボスが隙間を通ったのを確認した人物が俺達ではびくともしなかったドアをいとも簡単に再封印している所だった。
「これでよし」
初めて耳にする理性ある声は大人びた印象を受ける。少女と言うには少し低い声だが、ドアの向こうで無数の気配が蠢く音がまるでそよ風のように感じられた。
「君は……!」
「ふたりとも怪我はない?」
彼女はライトの明かりに目を細め、顔の前にかざした手の隙間からは金色に反射する瞳が覗く。虎柄のロンググローブを着けたその手は以前と違って獣の物ではなく、鎖付きの手枷も存在していない。
「あ、アムールトラさん!?」
アムールトラ。
そのフレンズはゆっくりと手を下ろし、驚嘆するイエイヌに小さな微笑みを返す。優しげな表情には、もはやビーストと呼ばれていた頃の面影は残っていなかった。