「はい、お待たせ」
「お、来た来た」
年配の店長が持ってきた皿がテーブル越しに向かい合って座っている俺とイリヤの前に置かれる。乗せられているのは二段重ねのパンケーキ。四角くカットされたバターに蜂蜜がたっぷりとかけられていて、その横には控えめに盛られたホイップクリームとベリー系のフルーツ。フォークで突き刺し、ナイフを立てるだけでフワフワとした感触が伝わってくる。一口にカットしたパンケーキを口の中に入れて咀嚼して食感を楽しみ、インスタントでは無い引きたて淹れたてのコーヒーで流し込む。
あぁ、至福だ。行きつけの喫茶店のモーニングだが、一週間も来ていなかっただけでこんなに美味しく感じられるものなのか。
「食べないのか?冷めてても美味いけど、温かい方がもっと美味いぞ?」
「ゴメン、もうちょっとだけ待って」
パンケーキを前にして、イリヤスフィールは頭を抱えてテーブルに肘をついていた。今の彼女の格好は適当に買ったものでは無く、服屋の店員と話し合って用意したもの。セーターの上からポンチョを羽織り、下は丈の短めのズボンにニーソックス。今は店の中なので脱いでいるが、耳当て付きのニット帽もある。
初めて会った時の様な貴族の令嬢を思わせる格好ではなく、活発そうな格好をイメージして揃えてみた。完成度の高さに思わず店員とハイタッチを交わしたのが懐かしい。
だけど店員はタイツ派だったのでそのまま流れる様に殴り合いに移行したのだが。
「えっと、教えてもらった事を纏めるとよ?第三次でアインツベルンが反則をしてアヴェンジャーのクラスのサーヴァントを召喚、それが負けた事で無色だった聖杯が呪いに汚染されて、第四次でそれにそれとなく気がついたキリツグが聖杯を破壊させたのよね?」
「あぁ、そうだな。補足させてもらうと衛宮切嗣はその時に呪いを浴びて魔術回路の大半が使えなくなったそうだ。それでもお前に会おうとアインツベルンに向かったけどアハト翁はこれを拒絶、そのせいで短くなっていた寿命が余計に短くなって五年前に亡くなったな」
「ーーー悪いの
「アハト翁バグってるんじゃね?」
イリヤスフィール、実家のやらかしを聞かされて涙目である。可愛い。
店員とマスターが何事かとこちらを見てくるが、気にしないでと手を振りながら暗示をかけると少しだけ目を濁らせて視線を逸らした。開店と同時に来たからか、他の客が居なくて助かった。
「はぁ……なんでそんな事を知ってるのよ?貴方、第三次も第四次も参加してないでしょ?」
「ウチの爺さんの書庫から見つけた本に書いてあったんだよ。それと、第四次に関しては蟲を通して見物してたからな」
知識で聖杯が汚染されていた事は〝識っていた〟が、その経路を用意しておかなければ臓硯に警戒されてしまう。あの妖怪が几帳面に資料を残してくれたおかげで、こうして彼女に何が起きたのかを話すことが出来るのだ。
サンキュー妖怪ジッジ。蟲風呂プレイは絶対に許さねぇけど。
そして第四次に関しては蟲を通してだがこの目でちゃんと見ているのだ。始まる直前には目的を定めていたので、第五次の時に使える事は無いかと探すつもりで臓硯に頼み、最初から最後までリアルタイムで見通した。
ただ、あの妖怪はやたらと叔父さんが苦しんでる姿を見せるのを勧めてきたが。
「それよりも食べてしまえよ。ここのパンケーキは絶品だぞ」
「……そうね、食べさせてもらうわ」
実家のやらかしから目をそらす為か、それとも気分転換がしたかったのか、イリヤスフィールはナイフとフォークを手に取ってパンケーキを食べ始めた。その所作が洗練されていて、彼女が良いところの出身であると改めて思い知らされる。
そして一口サイズに切ったパンケーキを食べた時、目を見開いて驚く様な顔をしていた。
そんな反応を見るだけで頬が緩みそうになる辺り、相当に入れ込んでいるのだなぁと自分の感情を再認識した。
当初の目的であるイリヤスフィールの服は買い終えた。予想していない出費だが、間桐の財力からすれば微々たるものでしか無い。
本来ならば冬木の管理人である遠坂家が管理している土地があるのだが、遠坂凛の後見人を務めている言峰綺礼が杜撰に管理している為にいくつか放流され、それを臓硯が買い取って管理しているのだ。
そのお陰で間桐は潤い、遠坂は枯れる。その上、遠坂の魔術は高価な宝石を扱う物なのでさらに枯れる。そりゃあもう出涸らしなんじゃないかってほどに。
まさに愉悦である。
「さて、服は買ったし朝飯も食べた。夜が来るまで適当に街を歩こうか」
ちなみに服は嵩張るのでアサシンに工房へと持って帰らせた。実体化させる必要があるが、アサシンには高ランクの気配遮断スキルがあるので問題無いだろう。
その時のイリヤスフィールは凄く複雑そうな顔をしていたが。
「サーヴァントも連れずに街を歩くなんて不用心ね。それに、住んでいる街だから探索なんて必要ないんじゃないかしら?」
「朝っぱらから仕掛けてくるようなところは無いだろ。それとこれは探索じゃなくて案内のつもりなんだけどな。お前、まだ街を見てないんだろ?」
「……えっと、私のためなの?」
「そういうこと」
彼女が聖杯戦争の前に冬木に来ている事は〝識っている〟が、街の造りを把握出来るほどに現地を視察したとは考えられない。アインツベルンの本家が辺鄙なところにあるのも相まって、俺からすれば見慣れた街並みだって彼女からすれば珍しい物に違いない。
無論、彼女だけでは無く俺にも益はある。聖杯戦争という殺し殺されの環境に身を置き続ければ、たとえ感じていなくてもストレスが溜まる。なのでこうして息抜きをしてストレスを発散させるのだ。
とは言っても、これは建前だ。彼女の喜ぶ顔が見たい、それが本当の理由。
「そう……ならエスコートは任せるわ」
「了解」
「それと、私の事はちゃんとイリヤって呼びなさい」
「あー、そういえば名前呼んでなかったか」
「そうよ。ずっとお前としか呼ばれてないわ」
「なら俺の事もちゃんと呼んでくれよ。名前は教えただろ?」
「分かったわ……それじゃあ、セーイチ。宜しくね?」
「任せておけ、イリヤ」
ミトンタイプの手袋に包まれた手が差し出され、それを優しく握る。
他の真面目に聖杯戦争をしている参加者が知ったら巫山戯るなと怒り狂うかもしれないが、このひと時だけは全てを忘れて楽しむことに、そしてイリヤを楽しませる事を決めた。
「あー!!楽しかった!!やっぱりアインツベルンとは全然違うのね!!」
「そりゃあ未開の地みたいな場所と現代の都市部を比べたらな」
イリヤは俺からすれば見慣れた冬木の街を物珍しそうに歩いた。気になるものがあればあれはなんだと俺に尋ね、行ってみたいと俺の手を引いて目に付いた場所に向かい、凄い凄いと文字通りに飛び跳ねて喜びを表していた。
昼食を取るのにハンバーガーショップに行った時なんて、包みを剥がして直接食べる事を知って驚いていたのが印象的だった。どう食べ進めたら良いのか悩んでいる彼女に手本を見せながら食べるのが楽しかった。
その時も、やはり
今の時刻は午後三時。夕暮れにはまだ早いが、冬場だと夕暮れだと思っていたらあっという間に暗くなる。そろそろ帰るのが良いのだろうが、まだ寄りたい場所が二箇所ほどあった。
なので近くの花屋で花を買ってからタクシーを拾い、運転手にそこの住所を伝えて向かうように頼む。
「次はどこに行くの?」
「着いてからのお楽しみだよ」
「お客さん……その、その子との関係は……?」
「
「うーーー何も、問題、無い……」
「良し」
「良しじゃないわよ」
運転手からは怪しい人を見るような疑いの目を向けられたので暗示をかけてしまったが、些細な事だろう。イリヤの俺を見る目が若干トゲトゲしくなっている気がしたが。
タクシーを走らせて十数分で最初の目的の場所に辿り着く。運転手にはすぐに戻るから待っているようにと伝え、イリヤと一緒にタクシーから降りた。
「ここは……」
着いたのは冬木中央公園。平日で冬場という条件であるが、人影は俺たち以外には誰も見当たらない。俺からすれば心地の良い空間なのだが、他の者からすればそうは感じないのだろう。イリヤもこの公園の空気を感じ取って眉を潜めている。
「冬木中央公園。前回の聖杯召喚地だ」
「それって……」
「あぁ、アイリスフィールはここで死んだ」
正確には聖杯が完成したからではなく、言峰綺礼に殺されたのだが、そこまで正確に伝える必要は無い。イリヤにとって、ここで自分の母親が死んだということの方が重要なのだ。
「酷い場所ね」
「ここで聖杯が砕かれてその中身がブチまけられたんだ。寧ろ、よくこの程度で済んだと感心するよ」
復興計画の一環でこの場は自然公園として生まれ変わったが、恐らく利用する者はほとんど現れないだろう。来るにしても、十年前の被害者が来るぐらいか。
花屋で買った花を公園の邪魔にならない場所に置き、イリヤと共に黙祷を捧げる。俺とアイリスフィールとの間には面識は無い。だが、イリヤには何かとお世話になっているのだ。祈りの一つでも捧げないとバチが当たるというものだ。
もっとも、彼女が俺のやってる事を知ったらメルセデスで突っ込んで来そうだが。
黙祷を終えてタクシーに乗り込み、次の目的地に向かう。イリヤは次に向かう場所がどこなのか何となく察しているようで、何も喋る事なく窓の外を眺めていた。
そうして辿り着いた先はーーー墓場。タクシーを帰らせて、砂利の敷き詰められた道をイリヤの手を引きながら歩く。事前に蟲を使って場所を調べてあったので、迷う事なくそれを見つけることが出来た。
「キリツグ……」
「離れた方が良いなら離れておくけど」
「ううん、大丈夫だから」
花束を受け取り、それを墓前に供える。怒り狂うか、嘆き悲しむか、それとも無言で墓石ブレイクするかと思っていたのだが、イリヤの顔は慈愛に満ち溢れた穏やかな物だった。
「ーーーお疲れさま、キリツグ。よく頑張ったね。もう頑張らなくて良いから、ゆっくり休んで」
真実を知ったからなのか、イリヤの中から衛宮切嗣への恨みの感情は無くなっているようだった。墓石へとかけられた声は優しく、穏やかで、誰かの為に頑張り続けた父親を労わる娘のそれだった。
だが、それでも堪えられないのか、彼女の目には涙が浮かんでいる。
「はぁ……ねぇ、セーイチ。ちょっとだけで良いから、泣いても良いかな?」
「おぅ、ちょっとだけとは言わずに好きなだけ泣けばいいさ。その位の甲斐性はあるつもりだ」
「うん……ありがとう」
そう言ってイリヤは俺に抱き着きーーー泣き出した。声を押し殺しながら、だけど嗚咽を零しながら。
俺の出来る事は彼女が泣き止むまで、優しく抱き締める事だけだった。
イリヤちゃん、実家のやらかしを知って崩れ落ちる。アハト爺はやることなす事全部が裏目になってるんだよなぁ……ルーラー召喚の世界線だと横槍入れられて台無しになるし。
ママリスフィールと衛宮パパ嗣の御墓参り。折角冬木に来たのだから、両親のお参りをさせてあげたかった。
次回は槍ニキ戦よ〜