目を覚まして、一番初めに視界に入って来たのはここ数日の間で見慣れてしまった無機質な天井だった。
身体を起こして右へ左へフラフラさせ、ここが何処なのかを思い出して意識が完全に覚醒する。今の自分の姿を確認すれば裸。つまり、いつも通りにセーイチと魔力供給を行った翌日だ。
側に置かれていた服を着て、宛てがわれた寝室から出て談話室となりつつある部屋に向かう。いつもならば私が起きた時には必ずそこにセーイチがいた。今ならば割烹着に身を包んだアサシンも一緒に出迎えてくれるだろうかと考えながら扉を開けば、そこには誰も居なかった。
「あれ?セーイチ、アサシン?」
呼びかけてみても返事は返ってこず、先程よりも大きな声で呼びかけても結果は同じだった。何かあったのかと思いながらソファーに腰を下ろすとテーブルの上に紙が置かれている事に気がつく。
【ちょっと遠坂凛に自宅燃やされたから遠坂凛の家燃やしてくるわ】
「うーん、セーイチらしいというかなんというか……それよりもリン、私よりも先にセーイチの事を知ってたのになんでこんな事をしたのよ……」
手に取ってみれば、上記の内容が書かれていた。それもドイツ語で、調べながら書いたのか辿々しい筆跡で。
まず初めに書かれていた内容に呆れてしまった。付き合いの短い私でも、セーイチは頭のネジが外れているタイプの人間だという事は分かっている。リンもその事を知っていたはずなのに、どうして彼の家を燃やすという選択肢を選んでしまったのだろうか。今、彼女はシロウの家にいるはずだ。寝る場所には困らないだろうが、間違いなくこれから先が苦しくなるに違いない。
そして次に、書いてある文字を見て笑った。多分、私が読めるようにと気遣ってドイツ語で書いてくれたのだろう。読めない訳ではなく、ちゃんと文にもなっているのだが、文字のサイズが疎らな上にガタガタで、まるで子供が初めてペンを持って書いてみた様な文字だった。笑わない方がおかしい。
「さて、どうしようかしら……」
置き手紙をテーブルの上に戻し、一人で出来るだけの身支度を整えて、考える。冷蔵庫を確認したら食べられそうな物はあったので空腹に困るような事にはならないだろう。セーイチの事だから、燃やすだけ燃やしたらすぐに帰ってくるはずなので、彼が戻って来てから一緒に食べる事にする。
ここから出るという選択肢も無い。彼はアサシンを連れて出て行ってるらしく、監視の目は無いので逃げようと思えば逃げられるのだが、そうなった場合は間違いなくセラとリーゼリットに矛先が向かう事になる。出掛けるにしても、彼が帰って来た時に入れ違いになり、逃げたと思われた時点でそうなるのだからここから外に出るわけにもいかない。
暇を潰せそうな道具はあるのだが、それを使うような気分では無いので却下。結果として、何もやる事が無くなってしまった。
「……暇ね」
自分以外に誰も居ない部屋で小さく呟き、フラリと倒れるようにソファーに横になる。そういえば、ここに連れてこられてから暇なんで感じたことは無かったなぁ、と思い出す。
夜は聖杯戦争の時間なので除くとしても、明るい内はセーイチが居て、アサシンが居て、心の底から楽しいと思えるような時間を過ごす事が出来ていた。時折、会話の無い静かな時間があるのだが、それにも気まずさや居心地の悪さなんて感じる事はなく、どこか安心していた様な気がする。
それがどうだ、セーイチが居ないだけでこんなにも寂しいと感じてしまっている。彼の居ない静かな時間が、アインツベルンに居た頃を思い出してしまって心が軋む。まだ十日も過ごしていないというのに、しかも私に薬を盛って犯した相手だというのにどれだけ入れ込んでいるのだろうか。
ちょっとチョロすぎでしょ、私。
ソファーから起き上がり、棚に折り畳んで収納されていた毛布を手にとってそれを被り、再びソファーに横になる。この毛布はセーイチが愛用している毛布だ。私に寝室を与えて自分はここで眠っているのか、毛布には嗅ぎ慣れた彼の匂いが染み付いていた。
それに包まれていると、この場に居ないはずのセーイチを身近に感じる事が出来る。アインツベルンを思い出して軋んでいた心が、少しだけ暖かくなった様な気がした。
「早く帰って来ないかなぁ……」
セーイチとご飯を食べて、お喋りがしたい。今日は動くのかは分からないが、出来るのならば夜も一緒に居たい。
だって、
前回の聖杯戦争でお母様がそうであった様に、小聖杯をその身に宿した者はサーヴァントが脱落する毎にどんどんと人間としての機能が削ぎ落とされてしまう。聖杯の欠片、ホムンクルスでは無くて人間、聖杯が汚染されているなどの要素があるが、それはマキリの聖杯であるセーイチも同じ筈だ。
バーサーカーとランサーは脱落してキャスターは間桐臓硯の操り人形。残っているサーヴァントはアサシンを含めて四騎だけ。ここから聖杯戦争が進めば、セーイチは間違い無くマトモでは居られなくなる。ひょっとすると、もう何かしらの影響が出ているのかもしれない。
だから、遅くても一週間だろうか。それがセーイチが人としていられる……そして、私が彼と一緒に居られるタイムリミットになる。
叶うのならば、彼に勝者となって欲しいなぁ、と考えながら、私の意識は闇へと沈んでいった。
「……寝てるな」
「お疲れでしたのでしょう。起こさずにそっとしておきましょう」
遠坂の目を掻い潜りながら新都に戻り、適当に食べれそうな物を買って帰って来た俺たちを出迎えたのはソファーに毛布に包まりながら眠っているイリヤだった。
あまりにも良く眠っているので起こし難く、アサシンの言った通りにそのまま眠らせておく事にした。
「ん〜……」
昼食は彼女と一緒に食べるつもりだったのでまだ食べていない。アサシンは買った物を持ってキッチンへと向かって行き、やる事もないので対アーチャー戦の作戦でも考えようとしたところでイリヤが起きてしまった。
「……セーイチ?」
「あぁ、悪い。起こしたか?」
「ん〜……」
そう言って、イリヤは俺に向かって両腕を伸ばしたが、俺と彼女の間には距離があるので届く事はなく、虚しく宙を切るのみ。
「イリヤ?」
「ん〜……」
しかし、それでもイリヤは手を伸ばす事を辞めなかった。何をしてるんだと思ったが、もしかしたら寝ぼけてるんじゃないかという考えに至る。それなら惚けた顔をしながらこんな行動をしているのにも納得がいく。
寝ぼけているイリヤを見ていると心が癒されるのでそのまま眺めていたいのだが、同時にその内ソファーから落ちるのではないかと心配になってくる。少しだけ悩み、彼女の側に寄ることにした。
すると、イリヤに抱きつかれた。首に腕を回されて、離れない、或いは離さないと言わんばかりに力強く。
「すぅ、すぅ……」
そして、彼女は再び眠りに着いた。抱きついて密着した状態のまま、自分の顔を俺の肩に乗せて、耳元で安らかな寝息を立てている。
「こうしてると普通に外見相応にしか見えないな」
見た目は十かそこらにしか見えないが、中身はしっかりと十八年生きた大人のはずだ。それなのにこうして居眠りをして、寝ぼけている姿を見ると見た目相応の子供の様にしか見えない事に思わず苦笑してしまう。
ずり落ちない様にイリヤを抱えてソファーに座り、冷えない様に毛布をかけて対アーチャー戦の作戦を頭の中で考えることにする。本当なら考えをまとめる為に紙に書きながらやりたかったのだが、それをすれば彼女を起こしてしまうので我慢する事にする。
彼女が何を思い、何を感じているのかは俺には分からない。魔力供給の相手を務めてくれる協力者で、特別に思っているからこそ出来る限り誠意のある持て成しをしていたつもりだが、やっている事は拉致監禁した上での強姦行為と変わらない。
だが、それでも俺は俺がやった事を否定しない。俺の目的の為に彼女を利用している事は否定しない。
ギルガメッシュを超えて、認めてもらう。その為だけに、俺は生きているのだから。
おや、イリヤちゃんの様子が……?