深夜の冬木の街。人が眠りに就こうとしているこの時間帯に、新都の上空を駆ける二つの人影があった。赤い外套の男性と、彼に抱えられた少女。聖杯戦争に参加している魔術師の遠坂凛と、彼女のサーヴァントであるアーチャー。
立ち並ぶビルの屋上を足場にしながら、彼らは真っ直ぐにある一点を目指して歩を進めている。
凛の自宅は間桐誠一の手によって爆破、炎上させられた。が、魔術師にとっての心臓と同意義である工房は地下にあったので最悪の被害だけは免れたのだ。そこに残されていた宝石や資材を使い誠一の現在地を調べたところ、新都のある一角を指し示した為にそこへと向かっているのだ。
誠一はやられたからやり返しただけだと言っていたが、凛自身は間桐邸を焼いた事を後悔していないし、間違ったとも考えていない。
臓硯は先代である遠坂時臣との契約で、桜の事を魔術師として育てるという条件の元で引き取ったのだ。しかし、実際には魔術師としての教育は施されることは無く、行われていたのは口にするのも悍ましい所業。魔術師としても、人としても臓硯を許す事が出来なかった。故に報復として間桐邸を焼いた。
平時ならば問題になっただろうが、今は聖杯戦争の最中。その上、臓硯はキャスターを死霊魔術によって操っていてマスターの枠組みに入っているので聖杯戦争の一環として処理される事になった。
それは遠坂邸も同じなのだが、彼女自身も自分からやったのだからと一応の理解はしている。
が、頭で理解したからと言えども、感情も納得しているわけではない。
やったからやり返された。ならば、やり返されたのだからやっても文句は言えない筈だ、と内心で怒りを燃やしながら最低でも誠一の拠点を使い物にならないレベルにしてやろうと奇襲を仕掛ける事に決めた。
もしも誠一が彼女の内心を知ったのならば、腹を抱える程に爆笑しながらダブルファックサインを突きつける事間違い無しである。
「止まって、アーチャー。ここよ」
そうして彼らは目的地にたどり着く。一見すれば、そこは廃墟と化したビルの一つにしか見えない。だが、注視すれば微かにだが魔力が残留しているのが見てわかる。
「さて、リン。私が言ったことは覚えているかね?」
「勿論よ。間桐誠一を格下だと侮るな、でしょう?」
それは誠一の拠点を攻めると決めた時にアーチャーから言われた言葉。間桐誠一というマスターの戦績は一言で語れば異常であると言える。
ケルト神話に語られる大英雄の
遠坂は誠一が魔術師としての才能が殆ど無い事を知っている。が、だからといってマスターとして自分よりも格下であると思い込む程に怒り狂っていなかった。だからこそ、アーチャーの忠告を素直に受け入れた。
「それじゃあ、行くわよ」
「了解した」
アーチャーが扉を開け、先行する形で屋上から廃ビルへと侵入する。外部はヒビが入っていたり欠けていたりと廃墟としか思えなかったが、内部はそれ程までに酷くは無かった。電気が通っているようで電灯は点いているし、予想していたよりも埃っぽさを感じる事は無い。
そして、ここは工房とは呼べぬお粗末な物だった。普通の魔術師ならば内部の一部を異界化させていたり、猟犬代わりの悪霊やキマイラを放っていたりと侵入者に対して様々な対策を施している。が、ここには何も無かった。衛宮邸でさえ張られていた外部からの侵入を伝える結界すら張られていないのだ。
誠一の事情は知っていたが、もう少しどうにかならなかったのかと、いっそのこと憐れみすら覚えてしまうレベルの酷さである。
だが、誠一本人もその事を理解しているのか、視界の端で小さな蟲が動いているのが見える。恐らくはあれを使ってこちらの事を見ているのだろう。潰せば誠一の目を奪う事が出来るのだろうが、向こうもそれを分かっている筈だ。それを行う労力を嫌い、遠坂はそれらを無視して先に進む。
ゆっくりと、道なりに、魔術以外の罠を警戒しながら進む。どうやらこのビルは構造上の仕様なのか、窓が存在せずに、光源は天井の電灯だけしか無い。戦闘になった時にはそれに気をつけなければならないだろうと思いながら階段を降りて下の階層に進むと、それまでの部屋とは違う拓けた階層に出た。
それまでの階層と同じく窓は存在しないが、会議室でも想定していたのか壁が存在せず、障害物は四方にある柱だけ。さらに電灯が古くなっているのか、不定期に点滅を繰り返してる。
そして、部屋の中心にそれはいた。
黒い、ボロ切れのような外套を身に纏った猫背の人影。その雰囲気はまるで幽鬼のようで、直接目にしている筈なのに何処か朧げ。顔は髑髏を模した仮面で隠されていて確認する事は出来ない。
一目で理解出来た。あれこそが聖杯戦争で召喚された最後のサーヴァント、アサシンであると。
「ーーーッ!!」
「驚いたな、よもや暗殺者風情がその姿を現わすとは。マスターの指示なのかね?」
宝石を取り出しながら下がる遠坂を庇うように、アーチャーが前に立つ。空であったはずのその手には一対の夫婦剣、干将・莫耶が握られている。
彼らの警戒は当然の事だ。アサシンのサーヴァントは直接の戦闘能力に劣る代わりに気配遮断というサーヴァントの警戒すら掻い潜る事の出来るスキルを保有している。それさえあれば、アーチャーの目を欺きながら遠坂の命を狙う事も可能だったのだ。
それをする事無く、こうして堂々と目の前に姿を現している。何かあるはずだと警戒しない方がおかしい。
「アーチャーとそのマスターか。よくぞ我が主の工房へと参られた。が、生憎と貴様らの目的である主は既にここには居ない」
「やはり逃げられたか、昼間に事を起こすから豪胆かと思えば小心なマスターの様だな」
「ククッ、全くその通りよ。あの方は自身が他のマスターよりも実力が劣っている事を誰よりも自覚している。奇襲をされて能天気に迎え撃とうなどと欠片も考えておられなかった」
やり難い、それがアーチャーがアサシンと言葉を交わしての感想だった。
アーチャーの言葉は相手を侮辱し、挑発させ、行動を誘発させる意味合いがある。だというのにアサシンは自身を、マスターである誠一を侮辱する言葉をぶつけても、激昂するどころか賛同して笑う程の余裕を見せつけてきた。
正規の英霊では無く反英雄だからなのかと、挑発に乗らなかった事の予想をしながら干将・莫耶を構える。
それに呼応するようにアサシンもまた、黒塗りの
「成る程、貴様がここにいるのは殿か」
「然り、序でに貴様らの実力を測ってこいとも言われた。本来の目的が果たせずに不服だと思うが、付き合ってもらうぞ、弓兵」
「サーヴァントを囮にして自身は一目散に逃げる、か。フッ、よくそんなマスターに従えるな」
「何とでも言うが良い。既に我が今生はあの方に捧げると決めた。例え如何様な罵倒を投げつけようとも、我が忠義は揺らぐことは無い」
アサシンがランサーの心臓を喰らい、知性と記憶を取り戻してから然程時間は経っていない。交わした言葉も限られていて、これ程までの忠義を向けられる理由は無いはずだった。
それは偶然だった。ランサーの心臓を喰らい、朧げであるが知性と記憶を取り戻しかけた直後、誠一がその身体を濃密な神秘を宿した武器に貫かれながら廃ビルから飛び出したのを、そしてそこから覇気を纏ったサーヴァント、ギルガメッシュが姿を現わすのを見た。
咄嗟に身を隠し、暗殺の機会を伺っていたのだが、誠一とギルガメッシュの問答が偶然耳に入ったのだ。
その言葉に、アサシンの朧げであった記憶が刺激され、ある事を思い出した。
それは生前の出来事の事。暗殺教団に所属していたアサシンは〝山の翁〟として名を残そうとしていた。しかし、その身は特別な物を何も宿さぬ平凡の身。誰にも真似をする事が出来ない特筆するべきものが何も無いただの暗殺者でしかなかった。
それを自覚していても、アサシンは〝山の翁〟として名を残そうとした。己を偉大なる者として、優れた者として名を残したかったのだ。
故に、アサシンは狂気に走った。
自らの名を捨てた。
生まれた村を捨てた。
愛した女性を捨てた。
自らの顔を捨てた。
自分の持っていた物を全て投げ捨てて、彼は〝山の翁〟にならんとその道を進んだ。そしてその果てに、特筆するべきものを得るために最後の凶行に走る。
己に才能が無いのならば、特別な力を宿すモノを己の肉体にすれば良いと、自身の右腕を切り落とし、悪性精霊である魔神シャイタンの右腕を繋げたのだ。
そうして得たのは鏡面存在である虚構の心臓を握り潰す事により、実体の心臓をも破壊する呪殺〝
しかし、そうして得た物は彼が望んだものでは無かった。
彼は自身の名を残さんとして〝山の翁〟になりたかった。しかし、その過程で自らの名を、そして顔を捨てた。残されたのは〝ハサン・サッバーハ〟という称号に等しき名と、髑髏の仮面だけ。
加えて、平凡であったはずの彼が〝ハサン・サッバーハ〟を襲名した事を気に入らぬ者たちからの冷遇もあった。魔神の腕を得たからあれは〝山の翁〟になれたのだと。それさえ無ければあれは所詮、平凡な暗殺者に過ぎないと。彼を知っていた者たちの嫉妬の声が耳に届いた。
アサシンはそれを理解している。自分が平凡な暗殺者であった事を理解していたからこそ、魔神の腕を宿したのだから。
アサシンが聖杯戦争に招かれた願いは、己の名前と顔を取り戻し、誰でも無い何者かでは無く、一人の人間として己の名前を残す事。だが、それと同じくらいに認められたかったという
その時、どうして自分が誠一に呼び出されたのか理解した。
彼は英雄王に認められたい。アサシンは認められたかった。
『ーーー嗚呼、まさか同じ願いを持つ者に召喚されるとは』
ならば、是非も無し。同じ
誠一の願いに共感し、今を生きる彼を優先すると決め、アサシンは忠誠を誓う事を決めた。それはマスターである誠一すらも知り得ない事実。
故に、アサシンは誠一に従う。
アサシンとアーチャーの間に言葉が無くなる。高まる緊張感を感じ取り、遠坂は冬だというのに冷や汗を流す。
そして電灯が点滅して闇が訪れた瞬間、アサシンとアーチャーは同時に斬りかかった。
マコニキ、実はハサン先生に気に入られていたという。そりゃあ同じ願い持ってたら共感されるよね。
ちなみにハサン先生の認められたかったっていうのはオリジナルだから。でも、魔神の腕を得たから山の翁になったわけだし、そういう陰口は言われていたと思うの。