「あら、先生じゃん。おひさ〜」
「……間桐か」
夜の早い時間帯。予め調べていた葛木宗一郎の帰宅コースでコンビニ袋を片手に待っていたら、予想通りの時刻に彼はやってきた。学校でも融通の効かない人間だと言われていたが、彼の場合は事情さえ知っていれば規則通りに働いているだけにしか思えない。
今日だって業務を予定通りに終わらせ、帰宅の途に着いただけだろう。
「こんな時間にどうした。最近、何かと事件が起きて物騒なことはお前も知っていると思っていたが」
「ウチの爺さんがコンビニのプリンが食べたいって駄々捏ねたんですよ。先生の言った通りに慎二や桜に行かせるのも忍びないからこうして俺が行ってきたんですよ」
物陰から何かを訴えるような視線を向けられている気がするが無視する。
「そうか、ならば早く帰りなさい」
「言われなくても……あぁ、そうだそうだ」
葛木が通り過ぎた時に声をかけると、彼はその場に立ち止まった。俺は背を向けていて、振り返る足音はしなかったので背中合わせのような状態になっている筈だ。俺の背後に潜ませていた蟲と視界をリンクさせる。
「聖杯戦争、キャスター……この二つの単語に聞き覚えは?」
「ーーーそうか、お前もそちら側なのだな?」
葛木がメガネを外し、胸ポケットにしまう姿を蟲の視界が捉える。
「まぁそう言うことだよ」
コンビニ袋を手放し、腰に巻いていたベルトに手を掛ける。
そしてコンビニ袋が地面に落ちた瞬間、同時に振り返った。
先手を取ったのは葛木の一撃。ボクシングのジャブに似た左拳の一撃が蛇のような奇天烈な軌跡を描きながら放たれる。葛木の拳法は徹頭徹尾殺す事だけを注視している邪拳。初見で一撃を見切ることは不可能であり、知識の中ではあのセイバーにさえ致命傷を与えて戦闘不能に追い込んでいる。
究極の初見殺しだと言っても過言ではない葛木の拳法だが、俺はその存在を〝識っている〟。記憶の中に微かに残っているそれを頭の中で何度も反芻し、立ち会ったのならどうするかと言うことを予め予習している。全てを捌ききる事は不可能だが、一撃くらいならば防げる。
事実、右腕を盾にしてその一撃を防ぐ事は出来た。その代償に右腕の骨が折れた、或いは砕けた。本来ならば即死の一撃を重傷程度に抑えられたのだ。不幸ではなく幸運だと喜ぶ事にする。
右腕を砕かれながらも左手で握ったベルトを振り回す。たかがベルトと思うかもしれないが、ベルトというのは身近にある物の中で最も便利な凶器だ。バックル部分を先端にして振り回せば当たりどころにもよるがアッサリと人を殺せる威力が出せる程には。
一撃を入れて動きの止まった葛木の側頭部にベルトのバックルが命中する。遠心力によって高められた一撃は余程の物だったのか、葛木は僅かに身体を揺らして足をもつれさせた。
その姿を見て好機などとは考えず、後ろへ飛び退く。相手は葛木宗一郎、二十年掛けて暗殺道具として育てられた人間なのだ。あの挙動でさえ隙を見せてのものかもしれない。そもそも、ベルトの一撃が当たった事さえ幸運なのだ。
「ベルトか。意外だな、マスターなのだから魔術とやらを使うと思っていたのだが」
「生憎と魔術師としては落ちこぼれ以下なんでね。なんでもかんでも魔術に頼るわけにはいかなかったのよ」
そう言いながら使役している蟲たちを予め隠れさせていた物陰から呼び寄せる。今回は隠密性を重視して連れて来たのは大きくても雀蜂程の大きさのものばかり。一噛みで人を殺す事は出来ないが、一刺しで人を動かなくする事が出来る毒を持っている。
この蟲達を使って葛木を生け捕りにし、柳洞寺に引きこもっているキャスターを引っ張り出す。それが第一プランであった。
しかし、どうやら予定通りには事は運んでくれないらしい。俺と葛木の間の空間が歪み、そこから人影が現れる。恐らくは空間転移の類いだろうか。現代の魔術師では凡そ不可能な魔術を事前の準備も無しに行使出来る存在など一人しか思いつかない。
ローブに身を包んだ女性ーーーキャスターが現れた。
「宗一郎様、ご無事ですか!?」
「キャスターか、問題無い。頭蓋骨は砕けたようだが今すぐ死ぬ程のものではない」
「宗一郎様、それは普通に重傷です!!」
普段はフードで顔を隠している筈なのだが、慌てて来たのか彼女の顔は露わになっている。それはそれだけ彼女が葛木宗一郎という人間の事を大切に思っているという証拠。やはりキャスターを下すには人質が有効だろう。
行け、っと小声で蟲達に指示を出す。
「邪魔よ」
が、それは神代の時代を生きたキャスターには児戯に等しかったのか。振り返りながら腕を振るというワンアクションだけで、彼らに向かっていった蟲達は全て弾け飛んだ。
「これが現代の魔術師のレベルなのかしら?だとするなら随分と落ちたものね」
「クソ雑魚魔術師もどきとキャスター様を比べられてもなぁ……」
神秘というものは基本的に古ければ古い程に強い。神秘の殆どが淘汰された現代生まれの落ちこぼれ魔術師と、神代の時代に生きた魔法に近いレベルの魔術を行使できるキャスターとでは比較にならないだろう。細胞と山のどちらが大きいのか比べているようなものだ。話にならない。
「さて、私のマスターに手を出した報いは受けて貰うわよ?」
キャスターの声に混じる感情は怒り。それはそうだ。大切に思っている相手が傷つけられれば、マトモな感性の持ち主ならば誰だって怒る。本当なら今にだってキャスターは俺の事を八つ裂きにしてしまいたいだろうが、葛木が目の前にいるから必死になってそれを抑えているのだろう。
なんともまぁ涙ぐましい事かーーー不自然にも気が付かずに。
「待て、キャスター。間桐がマスターだというのならば、何故サーヴァントを連れていない?」
葛木の一言で怒りに支配されていたキャスターの動きが鈍る。漸く気が付いたか、だがもう遅い。葛木がこの場にいる時点で、キャスターが葛木を連れて逃げ出さなかった時点で、もうキャスターは詰んでいる。
暗殺者として通ずるものがあったのか、先に反応したのは葛木だった。闇夜に溶け込むような黒塗りの
弾いた事で出来た僅かな間隙。そこを狙ってアサシンは葛木の頭上に現れ、手を頭に添え、そのまま
「ーーーえ?」
葛木の反応に気づき、振り返ったキャスターが目撃したのは頭部を失った葛木の姿。迎撃の構えを取ったまま立つ骸は、やがて糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
「嘘……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ!!こんな、こんな事って……!!いやぁ……宗一郎様……ッ!!」
キャスターが葛木の死体を抱き起こし、無くなった頭部に手をかざして魔術を行使する。恐らくは治療しようとしているのだろうか。葛木は完全に死んでいる。心臓が止まった程度ならば魔術でも治療出来たかもしれないが、頭部を失えば
それなのにキャスターは一心不乱に葛木の死体に向かって治療を施そうとしていた。自分の背後に立ち、
そして、無防備なキャスターの延髄目掛けてそれは振り下ろされた。
「そう、いち、ろう……さま……」
葛木の名前、それがキャスターの最期の言葉だった。葛木の死体の上に重なるように力なく倒れる。
そして、物陰から這い出して来た蟲達が二人の死体に群がった。
『呵々!!出来したぞ誠一!!』
喜色を隠さぬ妖怪の声が辺りに木霊する。本来ならばあの妖怪に手を貸すなんてしたくはないのだが、暗躍してくれればそれだけ俺たちから目を逸らすことが出来るはずだ。終盤までなどと贅沢は言わない、せめてランサーを倒してアサシンの強化を終えるまで臓硯には暴れていてほしいものだ。
群がっていた蟲が引いた時、そこには何も残っていなかった。二人の死体どころか地面にあるはずの血痕まで、あらゆる痕跡が無くなっていた。
「いってぇ……」
葛木と対峙していた緊張感から忘れていた痛みが、緊張が緩んだ事で振り返してくる。アサシンから短刀を借りて服を破いてみれば、右腕は鬱血して骨が飛び出していた。
これは痛いに決まっている。良くさっきまで無視出来てたな。
治療しなければならない程の重傷だが、生憎と俺は治療魔術を使う事は出来ない。そうなると病院に駆け込むくらいしか当ては無いのだが、それだと入院させられて拘束されるのが目に見えている。
「当てはあるにはあるが……さて、どうなることやら」
患部に手を添えて、意識を集中させる。マキリの杯が起動して俺が小聖杯となった時、ある事を思い付いたのだ。
アインツベルンの杯であるイリヤスフィールは人でありながら聖杯である。それにより、彼女の魔力には〝人の願いを叶える〟という特性が備わっているのだ。それにより彼女は魔力を放てば
「おぉ……本当に治った」
結果、その仮定は正しかった。治療を望みながら患部を一撫でしただけで飛び出していた骨は肉の中に隠れ、鬱血は無くなり素の肌色に戻っている。試しに何度か掌を開閉し、曲げ伸ばしして調子を確かめても全く痛まない。
が、その代償なのか酷い倦怠感に襲われる。
何度も経験しているから分かる。これは魔力不足だ。イリヤスフィールという供給源を得たところで俺個人の保有出来る魔力量は変化していない。サーヴァントとマスターのようにラインをしっかりと繋ぐことが出来ていれば話は変わったかもしれないが、俺ではそれをする事が出来なかったのだ。
帰ってからする事は決まった。だが、明日の予定は決まっているので軽く済ませようと心に決め、アサシンを霊体化させて帰路に着くことにした。
この場から立ち去る間際、葛木とキャスターが寄り添うように倒れていた場所に向かって一礼をしてから。
キャスター&葛木先生、決着。キャスターが柳洞寺に引き込もられているのが問題であって、出て来てくれるのなら幾らでも殺す手段はあるんだよなぁ。今回は先に先生を殺して錯乱させたけど。
こら、そこ。アサシンがアサシンしてるとか言わない。
さて、魔力不足&戦闘に勝利……次はそういうお話だよ(ニッコリ