丑三つ時、空は手に持つ木槍を振るう。その形状はかつて己が魔導師として戦えた頃のデバイスの形態と委細違わず。けれど片腕が消えたことと、この二年もの間一切の訓練を行って来なかったことが重なって、幾度となくバランスを崩して転び、かつての槍の冴えも今では見る影もない。転ぶたびに立ち上がり、また槍を振るっては転ぶ中、時間だけは無情なまでに過ぎていく。
「朝か……」
無感動なまま呟く頃には朝焼けの日差しが上がり始める。それを視認して、木槍をしまいながら家への道を辿り始める空。早く戻らないことにはユーリが目覚めるのだ。彼女は空に対して強く言えないとはいえ、そうなるとしばらくの間はユーリからの疑問の目を向けられて厄介なことに変わりはない。道中は苦悶を隠しながら治癒魔法で怪我を治していく。
幸いなことに、その姿は誰か知り合いに見られることはなく。空は家への道程を進み続けるのだった。
「はぁ……」
ユーリは一つため息をつく。いつものように出勤し、けれど研究できるのは義肢でありながらも彼女が望むものとはまるで違う現実に、そんなことをしなければ耐えられなかった。
彼女が求めるのは徹頭徹尾『川崎空が使用できる、人間とまるで変わらない義肢』なのだ。魔導師が腕を失った、足を失った、けれど戦いたい、そう言う場合のための魔力で動く義肢ではない。無論、それによって救われる人がいることも事実であり、その事実は彼女にとっても嬉しいことだが、何よりも一番治療してあげたい人物に対して治療の目処が立たない現状には、ため息をつかざるを得なかった。
「どうして空の義肢については全く進まないんでしょう……」
いや、彼女自身現実はわかっている。管理局からすれば作ったところで誰かが戦えるようになるわけでもなく戦力が上がるわけでもない義肢よりも、作れば、優秀ながらも四肢の欠損によって未来の絶たれた魔導師の復活につながる義肢。どちらを優先するかと言われればそれは後者だろうし、前者について作りたいのであればそういった専門機関にでもいけと言われるだけということは。
けれど、だからと言って管理局をやめるわけにはいかない。ユーリ自身言葉にしたくはないが、空が今も管理局に勤められるのは、ユーリ・エーベルヴァインという少女が空の保有戦力として登録されているからだ。制御できる状態のエグザミアは、『ただそこにあるだけで無限の魔力を生み出し続ける』という確保すれば最強クラスの戦力として運用できる事実がある。その戦力としての価値は金銀にも勝り、そのためなら腕がなく魔力もまともに使えなくなった魔導師の一人や二人、後方支援としておくことには管理局は何もためらいはない。
ただ、それを理解しているからと言って納得できるかどうかは別なのだが。
「ユーリちゃん。どう? 進んでる?」
「主任。……はい、進んでますよ」
「いや、そっちじゃなくて」
背後から話しかけてきたのはユーリの上司。彼女の目的を知っている女性。だが、それは知ったところでどうにかできる類のものではない。何せ、空の義肢が出来上がるということは、空が魔力に関して諦めることを前提にすれば元の世界に戻る危険性もあり、そうなればユーリもついていくだろうと管理局は考えている。それが事実であれ嘘であれ、管理局からすれば手放すことになりかねない不安要素は潰しておくのが吉。故にそれこそ、彼女がもっと地位の高い管理局の高官であったとしても、トップの意見を変えられない限りはユーリの願いは叶わないだろう。
見せた、義肢に関わる資料にけれど主任は苦笑して違うと口にする。その言葉に隠された意味を理解して、ユーリもまた顔を少し曇らせて首を横に振る。それに、主任もそうと呟いて悲しそうな顔になる。
「ユーリちゃんも早く恋人のための義肢を作ってあげたいわよねぇ」
「恋人じゃないですよ」
「またまた。好きでもない相手にこんなに尽くせるわけないでしょうに」
「それは、そうですけど……」
あ、地雷踏んだ。
それが、主任と呼ばれる彼女がユーリの表情を見て最初に思ったことだった。ユーリの表情は暗く、そこに恋愛の成功の芽を見て取れない。
主任が知ることは、ユーリが空の義手を作ることを目的としてこの部署に入ったことだけであり、より深い、どうして空の腕が存在しないのか、なんてことは知らない。だからこその発言であり、だからこそこの地雷の踏み方であった。
「だ、大丈夫よ! まだ結ばれてないのに、一緒にいることを許してるんだから。それこそ好きでもない相手と一緒に居られるわけないって!」
「そう、でしょうか……?」
「そうそう!」
そこまで言っても、ユーリの表情は明るくならない。その事実が、結ばれないと判断できる理由があるのだろうかと気になって、けれど主任はその表情に聞くことをためらう。
「大丈夫。ユーリちゃんはこんなに可愛いんだもの。男の人だったら誰もほっとかないわよ。それに、聞いた話だと地球、それも空くんの出身である日本の人間って皆ロリコンなんでしょ? ユーリちゃんだったら問題なくいけるわよ!!」
「空もロリコン、なんですか?」
「ええ、きっとそうよ!」
嘘である。
日本人がロリコンと言うのは、昔の和歌などからもわかる通り、日本人は小さいものを可愛らしいと思っていたと言うことがこのミッドチルダに伝わる時に色々と変な噂が交わったことで伝えられた嘘である。とりあえず、空はロリコンではない。
「そういえば……」
けれどユーリは悩む。空はどうしても抑えきれない黒い感情が出てきた時にユーリを使って発散することが多いが、それは逆にいえばユーリに対して勃起する程度には情欲をそそられているということで。主任の言葉によって多少の可能性は見えてきた。少なくとも、この成長しない肉体が原因となって見向きされないという可能性は消えた。
それよりも見向きされない理由の比重として重たいものがあることには変わりないのだが。
「その感じ、何か心当たりがあるのね」
「はい」
「だったら大丈夫よ。ユーリちゃんが迫って、それで落ちない相手なんていないわ!!」
何も根拠のない言葉。けれど人生経験が豊富(なお年齢イコール彼氏いない歴)である主任の言葉は力強く、言い訳を探すだけになりかけていたユーリの心をわずかに照らす。小さくではあるが暗かった表情から微笑みへと変わり、それに主任はうんうんと頷く。
「はい。もう少し頑張ってみます」
「ええ、頑張りなさい。ちゃんと結婚式には呼んでね」
「はいっ」
ユーリは力強く頷いた。とは言っても、今から直行できるわけではなく。ユーリは定時だが、空は未だに仕事中。さすがに今から向かうわけにはいかないと一旦は家に帰ることに。ユーリが担当している分野はユーリ一人ではこれ以上は進められない。他者の報告を待つ必要があるのだ。
「それではみなさん。お先、失礼します」
「ああ、うん。それじゃまた明日ねユーリちゃん」
「旦那の邪魔はしないようにねー」
パパッと荷物をまとめて、皆にお辞儀してから部署を出る。小動物じみた愛らしさを持つユーリはこの部署の中では異様に好かれているので、皆がほんわかとした気持ちになった。
今からユーリは一度家に戻って料理の準備をして、あとは温めるだけの状態にしてから空の迎えに行く。そのことを知る面々は、完全に奥さんだと、実際の状態を知らないままに思うのだった。