紗夜からの不穏なメッセージを受けた日以降、俺の身の周りで変化が起きた。
「こんにちは」
「……どうも」
ライブハウス『CiRCLE』に入店したのは、すっかり俺と顔なじみになった湊さんだった。相変わらず視線を合わそうとすると目を逸らされるが、最低限の会話をすることはできる。なかなか関係が進展できないのは俺に思い切りがないからだ。今までは割と向こうからぐいぐいと関係を迫ってくる女が多く、この手の子との経験が少ない。
と、まぁ攻めあぐねているわけだが、今は正直それどころではなかった。
「こんにちは」
当然のように湊さんの横に立っている少女、紗夜。微笑むでも怒るでもなく、澄ました顔をしているのが逆に怖い。まるで今まで築いてきた紗夜との関係がなかったかのように感じられ、だいぶ心が苦しい。試しに笑いかけてみたが、湊さんが顔を赤らめる一方で紗夜は視線をわずかに逸らした。
駄目だ。やっぱり怒っている。しかし、未だに紗夜を怒らせた原因がわからない。
「勇希君、接客」
黙したまま客を見つめる俺に気付き、背後から近づいてきたまりなが耳元で囁く。俺は我に返って接客を再開した。スタジオの予約確認。設備等に問題がないことも確認した後、部屋の場所を告げる。
「Bスタジオをご利用ください」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
湊さんと紗夜はそう言って、部屋へと向かう。横並びになっているものの、まだ二人の距離感はどこか他人行儀だ。二人の背中を呆然と見送りながらそんなことを考えていた俺は、ガラス扉の向こう側から歩いてくる少女たちの姿を見つけ、接客へと戻った。
この日は結局、紗夜とまともに話すことができなかった。メッセージを送っても応答はない。どう謝るべきかについて本格的に悩み、もう直球でいいやと思って開き直った数日後のことだった。
「やっほー、勇希」
「あ、ゆうゆうだ!」
なんか増えた。
湊さんと紗夜、そしてリサとあこという面子。湊さん以外、俺の女で構成されたその集団に、俺はなにか引っ掛かりを覚えていた。世間は狭いというが、こんな偶然はあるのだろうか。いや、あるから今こんな状況になっているわけなのだが、それにしても奇妙だ。
「ご予約は?」
「してるよ。あ、ちなみにアタシは見学ね?」
リサが受付のテーブルに身を乗り出し、楽しそうに告げる。どうやら今日、あこがオーディションを受けるらしい。直接音を聞いたことはないが、あこがドラムを嗜んでいることは知っていた。そのあこが湊さんに憧れているようで、湊さんと紗夜が結成したバンドに入れてもらおうとしているらしい。
本当にそれだけが目的? 俺が湊さんを狙っていることを知っているリサ。いつも通り明るい笑顔を振り撒いている。あこはオーディションに期待半分緊張半分の様子でリサと賑やかに戯れている。あこのほうに裏はなさそうだった。
「リサとあこって知り合い?」
「そうだよー、言ってなかったっけ? アタシの後輩だよ」
俺の問いにリサが答える。そう言えば、リサとあこは羽丘女子学園の生徒だったことを思い出す。その関連で面識があったのだろう。いずれも社交的な性格であるため、二人の関係は良好のようだ。
「今井さん、練習時間が減ってしまうので絡むのはやめてください」
「あ、ごめんごめん。紗夜」
紗夜? リサが紗夜のことを名前で呼んだことに、俺は首を傾げた。リサの社交性ならば初対面に近い相手を名前で呼ぶこともあるだろう。だが、なんというか昨日今日知り合った関係とは思えない親密さを感じ取れた。
これはいったい。俺の認識の外で、何かが始まろうとしている。そんな予感があった。
リサに尋ねれば何かわかるだろうか。紗夜が怒っていることも何か関係しているような感じがしたが、もしもそれが本当ならばリサに聞いても答えてくれないだろう。用意周到な紗夜がリサに口止めをしていないわけがない。
下手な行動はせず、俺は傍観に徹することにした。
スタジオに入った湊さんたちは真面目に練習しているようだ。最初、見学と言っていたリサがベースの貸し出しを追加で求め、四人で音を合わせている。ボーカルの湊さん、ギターの紗夜、ドラムのあこ、ベースのリサ。結構いい組み合わせなのではないだろうか。本当に楽しそうだ。各スタジオにある監視カメラ越しの映像をバックヤードで一瞥し、俺は小さくため息を吐いた。
皆が楽しそうなのはいいことだけど、俺もそこに混ざりたいという思いがある。しかし、ボーカル二人になるとバランスは一変するし、何より今の湊さんが受け入れてくれないだろう。それに、なんとなくこのバンドは俺のような異物を入れないほうがいい気がした。
だから、状況が動くまでは俺は変わらず見ていることしかできない。
紗夜たちが何を考えているのか。それがわかるまでは。
「勇希、また来たよー」
「今日はりんりんも一緒だよ」
「おはよう、勇希君……」
燐子、お前もか。状況の進展を望んでいた俺だが、これはあんまりではないか。
湊さんたち四人がライブハウスを訪れてからさらに数日が経った。今度はその四人に燐子が加わることになったらしい。五人となった彼女たちが受付に姿を現したとき、俺はぽかんと口を開いたまましばしの間硬直してしまった。
一人、また一人と身内の女が湊さんに取り込まれていく。あれ、これって寝取られでは? まさか、と思いながら湊さんを見たが、男に免疫のない湊さんはいつも通り俺と目を合わせてはくれなかった。
スタジオに入る五人組。もう立派なバンドだ。ベース担当のリサはブランクがあるものの、一人一人の技術は高い。そこに小さい頃からピアノを習っていた燐子がキーボードとして加入することになれば、レベルの高いバンドになるのではないだろうか。
バックヤードで休憩中。俺は椅子に腰かけ、監視カメラ越しにスタジオの様子を俯瞰していた。先週のあこのオーディションのように、今回は燐子のオーディションなのだろうか。音声までは聞くことはできないため、演奏を始める五人の動きだけを目で追う。
「そこの寂しそうな勇希君。これを見たまえ」
声を掛けられ、後ろを振り向くと何故だか楽しそうなまりながいた。何やらポスターのようなものを手に持って、俺に見せつけている。紙面に書かれていたのは、一ヶ月後にこのライブハウスで行われるライブイベント用のポスターだった。
「それがどうかした?」
「あれ、反応薄くない?」
まりなに人差し指で頬を突かれる。俺は特に反応せず、されるがままの状態を受け入れる。それを良いことにまりなの指が俺の頬を弄りまくる。遊ばれているが、それも今はどうでも良かった。
「おーい」
「なに? まりな」
「それはこっちの台詞だよ。相当参っているみたいだね?」
やれやれ、仕方ない。そう言ってまりなは改めて俺の眼前にポスターを掲げた。
「勇希君。一緒にこれに出てみない?」
「は?」
どういうことだ? 話の流れが理解できない。そんな俺に、まりなは続けた。
「勇希君がボーカルで、私がギター。二人でいい音を作って、皆を嫉妬させちゃおう?」
そうすれば、皆が勇希君の魅力を再認識できるかも。耳元で告げられたその言葉に、俺はなるほどと思った。向こうが俺に嫉妬を抱かせるような行動を取るのならば、俺もまた同じように燐子たちを嫉妬させればいい。それにもしかすると、音楽好きな湊さんの気を引くことも可能なのではないか。
「やる」
俺は席を立つと、やる気を漲らせた。そうと決まれば早速行動だ。ライブで歌う曲の選別。練習時間の確保。ライブまでの日程を逆算し、スケジュールを立てていく。思考を巡らせる俺の前で、まりなが苦笑していた。
「……勇希君って本当に扱いやすいよね」
「え?」
「ううん、何でもないよ」
小さく呟かれたまりなの声が聞き取れず、俺は聞き返した。しかし、特に重要なことではなかったようだ。にっこりと微笑むまりなを見て俺は再び思考に没頭する。湊さんたちをあっと言わせる。そのために、俺はステージに立つことを決めた。