午前の授業を受け終えて、今は昼休み。休み明けの月曜日から空はどんよりと暗く、雨が教室の窓を叩いている。帰りには止んでいるといいけど。横目で窓の外を見て思いながら、俺は自分の席で食事を進めていた。
今日の昼食は購買のメロンパン。クッキー生地の部分があまりサクサクしていないけど、味はそれなりに良い。大きさの割に値段は安く、お腹を満たすという目的を果たすのには十分だった。
前世の頃から食事にあまり拘ってこなかったな。
なんてことを考えながらメロンパンを頬張っていると、正面で卵焼きを味わっていた友人の若林が思い出したように口を開いた。
「この前の休日に、良さげなパン屋を見つけてさ」
「なんて名前?」
「悪い、忘れた」
「なんで」
「いや、通り過ぎただけだったから。昼飯食べ終わって出掛けたときにたまたま商店街に立ち寄ってみたんだが、行列ができていたな。匂いもいいし、たぶん人気店だろ。今度行ってみたらどうだ?」
「パンか」
パン屋と言えば、おすすめの店が商店街にあるとリサが言っていたのを思い出す。リサ自身も後輩に紹介されただけでまだ行ったことはないらしく、今度行ってみようかという話になったのを思い出した。もしかすると、若林が通りがかったというのはその店のことかもしれない。
食欲よりも性欲。パン屋から関連してリサのことを思い出し、俺は携帯電話を取り出した。若林は、俺が携帯電話でパン屋の名前を調べ出したと思ったのだろう。「店の名前がわかったら教えてくれ」と言って、ハンバーグを食べ始めた。
『今週の土曜日、デートしない?』
通知アプリでリサにメッセージを送った後、俺は再びメロンパンに齧りついた。
「店の名前わかったか? 口コミとかはどんな感じだ?」
「残念ながらわからなかった」
メッセージを送るのに満足して、調べること自体を忘れていたなどとは言えない。
「そっか。まぁ、今度気が向いたときに寄ってみればいいか」
俺も、今週リサと行ってみよう。まぁ、予定が会えばの話だけど。
「ん……」
制服ズボンのポケットにしまっていた携帯電話が振動した。もう連絡が来たみたいだ。俺は携帯電話を再び手にし、アプリを開いて返事を確認する。
『ごめん! 今週はアルバイトのヘルプを急に任されちゃってさ』
悲報。気分は空のように曇ってしまう。
そう都合よくはいかないか。別に急ぐ理由もないし、予定が合ったときにしよう。
また今度行こう、と俺が文字を入力しようとしたとき、リサから連投があった。
『もしよかったらなんだけど、アタシとのデートの代わりにモカと会ってみない?』
続くその言葉に、俺は文字を入力していた手を止めた。
モカ、というのはリサの後輩のことだ。以前話に上がったきりで、結局どういう感じの子なのかまだわかっていない。食欲がすごいグルメのようで、リサにいいお店を紹介してくれている、ということくらいだ。
『勇希の承諾を得て少し前にモカに紹介してみたら、ぜひ会ってみたいって熱烈に頼まれちゃって。あの様子だと、勇希で処女を卒業するつもりかな? たぶん、出会ったら襲われると思うけど』
リサから『どうする?』と再度尋ねられたときには、俺の意思は決まっていた。
『会わせてもらえる?』
『了解。それじゃあ、モカに返事しちゃうね? あとで連絡先も教えるから。アプリでやり取りできたほうがいいだろうから、勇希のIDも教えていい? モカのほうから連絡するように伝えておこうと思うんだけど。それと、写真や動画も送っていいかな?』
『全部いいよ。ありがとう』
そこまで会話を続けて、俺はようやく携帯電話を机に置いた。
「長かったな。急な連絡か?」
「とても大事な連絡。今週の予定が埋まるかもしれない」
「あ、また女か……」
理解した様子で、若林はそれ以上追求して来なかった。
「若林は彼女作らないの?」
何気なく聞いてみると、「いやいや」と若林は表情に苦笑を滲ませた。
「女は狼だから、怖くて彼女なんて簡単に作れん」
これが、この世界の男たちの一般的な認識だ。
「作るとしたら、見合いとかになるかな。いや、それはもう結婚まで直行か。何にせよ、気軽に出会う勇気は俺にはないな。悪い女に捕まって、欲望のはけ口にされたら堪らないからな」
若林の意見は極端ではあるが、現実に起こっていることだ。
前世とは違い、性犯罪は女が起こすものだ。その原因である女の性欲も、一般的な男が抱くそれと比べると桁が違いすぎる。俺がいい女に恵まれているだけで、相手のことも考えず、悪事に手を染めてまで男に欲望をぶつける者も少なからずいる。
「見合いとか、まだ真剣に考えるには早すぎるけどな」
見合いか。俺にはそんな話が来るのだろうか。持ってくるとすれば、母さんしかいない。この家の娘さんと結婚しなさい、といつ言われてもおかしくはない。下手に一人身でいるよりは、認めた相手と結婚してもらったほうが、母さんとしては安心できるだろうから。
勿論、俺には見合いをするつもりはないし、結婚するならば今付き合っている恋人たち全員とだ。それは絶対に譲るつもりはない。一夫多妻制が一般的なこの世界に産まれておいて、ハーレムを作らないなどという考えは最初からなかった。
進路とか今後の将来のこととか、珍しく真面目に話し合いながら昼休みは過ぎていった。腹持ちのいいパンで腹を膨らませ、程よく眠くなった状態で午後の授業に突入する。復習をするまでもない授業に耳を傾けつつ、俺は教師に隠れて携帯を見ていた。
『初めまして。リサさんから紹介されました、
午後の授業に入ってすぐ、通知アプリに届いた友達申請と一通のメッセージ。俺は申請を承諾してそれを確認しつつ、相手を示すアイコンを見る。そのアイコンには、どこか眠たげにぼうっとした表情をしたショートヘアの美少女、青葉さん自身の顔が映っていた。
見覚えのある顔だと思って記憶を探ってみると、すぐに正体にたどり着いた。
CiRCLEでよく練習をしている五人組のガールズバンドの一人が、青葉さんだった。
世間は狭い。まさか、こうやって繋がりができるとは思わなかった。
『初めまして、青葉さん。岩戸勇希です。よろしくお願いします』
返信してすぐ、俺のメッセージが既読状態になった。学校を休んでいるわけでなければ、青葉さんもこの時間は普通に授業中だろう。向こうも、隠れながら携帯を弄っているようだ。
『リサさんから顔写真を見せてもらったんですけど、岩戸さんはCiRCLEでアルバイトをしている人ですよねー?』
他人ではあるが、完全に初対面の関係というわけでもない。それは青葉さんも認識しているようだ。特に隠していることでもないため、『はい』と肯定した。
『いや~。まさか、あのイケてるスタッフさんがリサさんの恋人だったとは』
『俺も、青葉さんが常連さんと知ってびっくりしました』
『敬語じゃなくていいですよ? あたしのほうが一学年下なのでー』
『わかった。モカ、って呼んでいい?』
『いいですよ~。あたしも、勇希さんって呼ばせてもらいますね? それにしてもその対応力。女性慣れしていますね~。話によれば、リサさんのバンドを侍らせているんだとか。いいな~、あたしもその中に入れてもらえませんか~?』
『いいよ』
『あたしが聞くのもあれなんですけど、即答していいんですかー? もしかしたらモカちゃんは、すごく悪いことを考えているかも』
『モカなら大丈夫だと思ってる。CiRCLEで見ただけだけど、友達を大切にしている子みたいだし。優しい子だと思う。それに、リサの後輩だから』
『まさかこうもはっきり言われるとは。照れますな~』
言った後、モカは本題へと切り出してきた。
『誉められてますます勇希さんに会ってみたくなったんですけどー、今週の土曜日くらいに会うってことで大丈夫ですか?』
『うん、都合が良ければ今週にでも。詳しい待ち合わせ場所と時間はまた後で伝える』
『了解しました~。それではまた後で~』
モカは最後にそう結ぶと、一旦会話は終了した。
携帯電話をポケットにしまい、授業へと意識を戻す。同級生たちが教師の声に黙って耳を傾け、板書を続ける姿を一瞥した後、すぐ左手にある窓の外を見遣る。
まだ雨が降っている。テレビで朝の天気予報を見たときは、今週は雨の日が多いようだ。土曜日は曇りとなっていたが、せめて小雨くらいに留まってほしいと思った。