逆上せ上がるほど熱気に満ちた浴室での出来事から一転して、俺は春とはいえまだ肌寒い外の空気に当たっていた。家の外に出て玄関の扉を背にする。
「それじゃあ、またね、勇希君……」
俺の視線の先では夜道に立つ燐子がいた。普段見慣れた燐子の裸体は清楚な印象を抱かせる衣服で包み込まれ、入浴を経て濡れていた燐子の髪は既に乾き、夜風でさらさらと揺れていた。
入浴後、燐子はドライヤーで髪を乾かすと、そう間を置かずに家へ帰る準備を始めた。燐子は燐子で、これから用事があるためだ。何と言ったか、確か『
燐子の友達。どうやら相手は年下のようで、明るく元気な子らしい。俺はその友達に会ったことはないからどんな子かどうかは燐子の口から語られる内容で想像するしかなかった。
俺が軽く手を振ると、燐子も控え目に手を振って夜道を歩いていった。時折立ち止まって俺のほうを振り返り、何度か手を振ってから歩き出す。それを、すぐ隣にある白金家に入るまで行っていた燐子の律儀さに苦笑した後、俺は家に戻った。
体の火照りはほどよく冷めていて、欲望も鳴りを潜めていた。燐子の中に散々精液を放出したおかげだ。普段はコンドームの中に出すことが多いため、たまに生身に注ぐとスッキリとする。それでもまだまだ射精は可能だが、ひとまず落ち着いているためこれ以上股間を刺激する行為は今日のところはやめておく。だからと言って寝るには少し早い時間帯だ。何か別のことで時間を潰そうと考え、いつも通りに趣味に使うことにした。
部屋の廊下を歩いた俺は自室のある二階には向かわずに、地下へと続く階段へと降りた。
階段の後に見えた重い扉を隔てた先には一つの広い部屋があった。いろいろと置かれている物は多いが、それらは全て音楽関連の代物で統一されていた。ステージピアノやエレキギター、ベース、ドラム、スピーカーや譜面台など。これらは全て、亡くなった父さんが趣味で集めた物だ。ここではよく、両親と友人の女性たちによって様々な曲が産み出され、演奏されたという。
父さんが交通事故で亡くなってからは女性たちはこの地下室に集うことはなくなり、父さんの遺した楽器だけが寂しく置かれていた。母さんも掃除以外では地下にはあまり赴くことはなかった。ここは想い出が詰まった部屋なのだ。仕事とは言え母さんが海外へ行くことを決めたのも、楽しい想い出で溢れる地下室から卒業しようという意図があるのかもしれない。
部屋にある棚の引き出しからクリーニングクロスを取り出し、楽器を簡単に拭いた後で俺は譜面台に向かった。そこには最近俺が作ったばかりの楽譜がある。それは俺が作ったオリジナル曲ではなく、この世界にはない前世で流行った曲の楽譜だ。記憶の中の音を探りながら少しずつ五線譜の上に音符を刻み、一つの曲としてこの世界に再現したもの。
俺は歌を趣味にしていて、頻繁にこの部屋に赴いては歌の練習や楽譜製作に時間を注いでいる。前世から興味があった音楽に関して注いできた時間は長く、自慢ではないが歌唱力では大抵の人には勝てると思っている。これだけ聞くと世間を知らない井の中の蛙のように思われるかもしれないけど、それは違うと断言できる。俺にはそれなりの実績があった。
スピーカーの近くにあったパソコンを起動し、椅子に座って向き合う。ログインを済ませると真っ先に開いたのは動画・音声共有サイトだ。大手の企業が運営するそのサイトにはネタのような動画からゲームプレイ動画やゲーム実況、音楽や政治の話題などまだまだ語りきれないジャンルの動画と音声が一つにまとめられている。
そのサイトの音楽部門のランキングで首位を飾っていたのは、何を隠そう俺が投稿した音声だった。それは、パソコンで自作した曲に合わせて俺がこの部屋で歌った声を録音したものだ。このとき歌ったのは、前世の歌ではなく本当に俺が一から作ったオリジナル曲。他にもオリジナル曲や前世の歌も山程投稿していて、ランキングには俺が以前に投稿した歌も点在していた。
一位となった自分の動画ページを試しに開き、再生する。このサイトでは動画を見た視聴者自身がコメントを投稿することができるのだが、相変わらず圧倒的な物量に少しばかり気圧された。
コメントの中には当然辛口な内容もあったのだが、それ以上に称賛のコメントが多い。俺がこのサイトで投稿するようになった当初からのファンを名乗る人もいれば、初見の人もいる。動画のページをたまに更新する度に異様なほど増幅する視聴数とコメント数、お気に入り数に毎回驚かされつつ、俺は動画ページを閉じた。
誰かに聞いてもらいたいという思いではなく、俺はあくまで練習のための参考に歌を投稿するようになった。歌うという行為に純粋に向き合うからこそ、自分以外の誰かの意見が必要になる。意見が聞ければどういう形でも良かった。
それでも、こうして不特定多数の人に聞いてもらい、評価してもらえるというのは嬉しく思っている。父さんの年の離れた友人で、今でも俺と交遊のある女性も俺の動画を見てよく誉めてくれる。手コキされながら耳元で囁くように称賛されたのが一番新しい記憶だ。あれは脳が蕩けそうになるほど気持ち良かった。
そう言えば、その人がスタッフとして勤めるライブハウスに、歌手として出演しないかと提案されている。いや、新人スタッフとして働いてほしいだっただろうか? そのときの俺は車の助手席でその人を抱いて腰を振るのに夢中になっていたからはっきりと覚えていないけど、確かそう言っていたはずだ。ちなみに、使用したコンドームの数は正確に覚えている。その人が、俺の精子が詰まったコンドームを両手の指で摘まんで嬉しそうに数を報告してきたからだ。あの人のいやらしい微笑みは忘れない。
話が逸れたが、インターネットを通じて歌を聞いてもらうのと、実際に人前で歌うのとでは勝手が違う。積める経験も段違いで、俺は大きく成長することができるだろう。
だが、顔を出すとなると勇気がいる。
少し考えた後、まだ結論を出すには早いと判断した。結論を迫られているわけでもないため、考えるとしてももう少し先で良いはずだ。今は考えるのをやめておく。
気を取り直して、俺はパソコンの中で音楽プレイヤーを起動させる。楽譜に合わせて再現した前世での歌だ。譜面台へと向かって立ち、数秒の猶予の後で遅れて流れるように設定した演奏がスピーカーを通じて部屋に満ちた。
俺は投じた歌声を演奏と共存させる。歌と演奏。どちらも欠かせてはならず、どちらも引き立つように歌詞を紡ぎ、声に乗せる。人の体も楽器の一種だ。他の楽器による演奏を無視した歌い方では魅力が損なわれてしまう。
俺以外に誰もいない部屋。俺の声を聞いてくれる人は誰もいない。だけど、俺の心は満たされていた。大事なのは自分の胸に溢れる素直な想いに従って、思いきり歌うことだ。この先どうなるかはわからないけど、今は一人きりのステージでもいいと思っていた。
しばらく歌の練習をし、その後俺は床に就いた。眠る前に性欲を覚えて悶々としていたが、今さら起きて一人で性欲処理をするのも空しいと思い、諦めた。
夢精しませんようにとささやかな祈りを捧げ、夢の中へと誘われた俺。まさか、起きたときには既に一人の少女のフェラチオによってたっぷりと搾精されているとは夢にも思わなかった。