アルバイトがない日は平日でも駅前で路上ライブをするようになった。学校から帰ってきてギターを手に取り、今日も駅前に向かって演奏を始めた。
誰かの前で歌うことは楽しい。防音室に一人で閉じこもって自分の技術と向き合い、ミスなく完成された歌をサイトに投稿するよりも心が満たされた。その事実に気がついてしまうと、俺は自分の気持ちを抑えきれなかった。父さんが遺して鳴らなくなったギターの音色を代わりに奏でて、そこに俺の声を乗せて歌を作り上げる。それが楽しくて、嬉しく、つい夢中になっていた。
ライブを重ねるごとに演奏の技術が上がっていく。伴って表現の幅も広がっていく。俺の歌を聞いてくれる観客も増えていく。
演奏中の今も、俺を中心にして円を描くようにたくさんの人が集まっている。路上ライブを始めた当初から観客はそれなりに多かったけど、今ではちょっとしたステージと化している。帰宅途中の会社員。学校帰りの学生。子連れの親子。観客全員の表情には笑顔。それを見ていると、不器用な俺でも自然な笑顔を浮かべられた。
観客から聞いた話によると、駅前ですごい歌手が路上ライブをしているという噂が流れているらしい。そんな噂が人伝いに広まってこうして人を集め、人だかりに引かれた人がまた足を止めてくれている。
想定外の状況だ。でも、嬉しかった。
元々は自分のために歌おうと思っていたのだけど、いつしか俺は集まってくれた人たちのためにも歌うようになった。皆が楽しめる。そんなライブがしたかった。
毎日を楽しく生きている人にはもっと笑顔を。辛いことに直面して落ち込んでいる人にはそれに向き合える勇気を。それを伝えるために、俺の中にある感情を込められるだけ込めた。表現や技術は勿論大事だけど、歌に一番大切なのは想いだ。
皆を元気に。溢れんばかりの想いを、俺は歌に乗せて皆に届けた。
そんなときだ。俺が観客の中にいるその少女を見つけたのは。
「あの……」
ギターケースを背負い、街頭の灯りもまばらな夜道を歩いていると、消え入りそうな声を耳が拾った。足を止めて後ろを振り返ると、花咲川女子学園の制服を着た少女がいた。茶色の髪を頭頂部の左右でまとめた髪型は猫の耳を連想させる。意図的なのか、そうではないのか。お団子ヘアとはまた違う初めて見る髪型をした少女は酷く不安そうな顔をしていた。
その顔に俺は見覚えがあった。
さっきのライブの時に見掛けた子だ。明るい笑顔の似合いそうな少女。俺のライブで笑みをこぼしてくれていたかと思えば、ふとした瞬間に何か思いつめたように俯いていたから記憶に残っていた。俺のライブに何か想うところがあったのかもしれない。
「こんばんは」
「こんばんは……。えっと、私、
声が途中で途切れ、戸山と名乗った少女が咳をした。辛そうだ。風邪とはどこか違う様子。声が出ないわけじゃなくて、出せない? なんとなくそう思って、俺は戸山さんの眼前に向かって手の平を突き出した。それに驚いた戸山さんが目を大きく見開いて言葉を止める。
「無理しなくていい。君の声、全部聞こえるから」
俺は言ってから、通り過ぎようとしていた公園を指差した。
「話があるなら、そこで聞くよ」
戸山さんは申し訳なさそうな顔をしながらも、小さく頷いた。
俺は戸山さんを連れて公園に入った。俺たち以外に誰もいない。小さな灯りに照らされつつも、暗い青色に沈む静かな空間に足音を響かせ、ベンチに腰掛ける。「そこに座って」と促すと、戸山さんは俺の横に恐る恐る腰を下ろした。
そのまま戸山さんは視線を下げ、黙り込んでしまう。言葉に迷っている様子だった。
「ライブ、見てくれてありがとう」
とりあえず話しかけようと思って、俺は戸山さんにお礼を言った。
「え……」
「ライブ見てくれた子だと思ったけど。違った?」
「いえ、すごくよかったです……」
「ありがとう」
勘違いじゃなくて良かった。あと、俺のライブは良かったと感じてくれていたらしい。
でも、だとしたら、思いつめていたのはなぜだろう。俺のライブじゃなくて、戸山さん自身が抱える悩みが理由なのだろうか。それを俺から聞くのに躊躇いを覚えてしまい、何も言えずにいると戸山さんが口を開いた。
「さっきのライブ、すごくキラキラしていました……。見ているだけで、胸がドキドキして……。私もあんな風に歌いたいって思うんですけど、今ではそれができなくなって……。体はどこも悪くないのに声も出なくなって、どうすればいいのかわからなくなって……。皆に、迷惑をかけちゃって……」
眉尻を弱々しく下げ、戸山さんは言葉に詰まりながらも心中を吐露していく。
やっぱり、声が出せなくなってしまったようだ。話を聞くと、おそらくは心因的な問題だと思う。何かに思いつめられて、解決策も見つからない。そんなときに俺のライブを見て、もしかしたら現状を打開する糸口を掴めるかもしれないと思ったのだろう。
それで俺に声を掛けた。
声が出ないのは本当に辛いことだ。もしも俺が戸山さんの立場になったらと思うと、不安に駆られて心臓の鼓動が速くなる。今まであったものがなくなって、どうしようもなくて、戸山さんと同じように藁にも縋る想いになるに違いない。
しかし、だ。それは俺が一人で歌っているからだ。戸山さんも俺と同じく一人で歌っているのなら、何か助言してあげられたかもしれない。
だけど、戸山さんは違う。戸山さんは今、『皆』と言った。この子はバンドを組んでいるのだろう。バンド仲間がどういう子たちなのかはわからないけど、戸山さんは大切に思っている。だからこそ、迷惑を掛けたくないと思って一人で足掻いている。
「俺から言えることは何もない」
俺の言葉に、戸山さんは顔を上げた。突き放されたような怯えた表情。少し罪悪感を抱く。でも、事実だ。そもそも戸山さんがこうして相談すべき相手は俺じゃない。仲間を差し置いて、会ったばかりの部外者の俺が何かを言うのも間違っている。
俺はベンチから立ち上がり、ギターケースを背負って歩き出す。
「あ……」
と戸山さんの声が聞こえてきて、俺は足を止めた。
俺に言えることはない。それでも、これくらいは言ってあげてもいいだろう。
俺は戸山さんのほうを向いて、言った。
「仲間のことを大切だと思っているのなら、迷惑掛けるとか考えないで、全部仲間に伝えてあげて。自分が何に悩んで、苦しんでいるのか、どうしたいのか。仲間だったら、きっと君のことを受け止めてくれる。嫌だなんて思わないはず。バンドはそうやって支え合って、皆で音楽を作りあげていくものでしょ?」
「皆で……」
「君は一人じゃない。一人で抱え込まないで」
直後、戸山さんの目が涙で潤んだ。俺は咄嗟に視線を外した。
俺にできるのはこれだけだ。あとはもう、戸山さんと仲間たちの間で解決していくしかない。他に俺にできることはない。いや、一つだけあるか。問題を解決することはできなくても、その一助になれるかもしれない。
「辛くなったら、ライブ見に来て。笑顔にして見せるから」
言って、俺は戸山さんから離れるように歩き出した。「あのっ……!」と今日聞いた中で一番大きな声が聞こえてきたけど、俺は足を止めず、逆に駆け出した。
顔が熱い。いろいろと恥ずかしいことを言ってしまった。思うだけならともかく、面と向かって誰かに想ったことを言うのがこんなにも恥ずかしいとは。
誰もいない帰り道、暗くて誰にも見られないはずなのに、俺は顔を隠して家までひた走った。