帽子をしっかりと目深に被って、できるだけ人と視線を合わせないようにしたおかげで、ナンパされることはなくなった。誰の注目も浴びずに、のんびりと休日を過ごす。美少女だらけの生活もいいけど、たまには一人も悪くない。
街の景色を撮影することにすっかり嵌ってしまった俺は、どんどん通りを外れ、見知らぬ道へと突き進む。俺は方向音痴ではないから大丈夫だけど、人によっては迷子になりそうな具合に直感だけに頼って行動していた。
気がつくと、結構な距離を歩いていた。昼食には少し早いが、今から店を探すことを考えればちょうどいい頃合いだろう。
携帯をポケットにしまい、キョロキョロと辺りを見回す。住宅が多く、この辺りには飲食店はなさそうだ。このまま大通りに向かって歩こうと、さっきから数台の車が向かっていく道へと足を進めた。
「ふえぇ……」
なんか聞こえた。
通り過ぎようとしていた十字路の隅で、先の声を発したと思われる少女が立ち往生している。辺りを落ち着きなく見回す動作に合わせて、花飾りのついた髪留めで束ねたハーフアップのサイドテールがゆらゆらと左右に振り回される。
不安と焦燥。庇護欲を駆り立てるような可憐な容貌には、そんな感情が浮かんでいた。
今日はこのまま一人で過ごそうと思っていたけど、なんだか放っておけない。きっと困っているのだろう。手伝えることがあるかはわからないし、自分から少女に声を掛けるとまた問題が起こりそうだけど、そうなったときに対処すればいいか。
「あの」
声を掛けると、少女が今にも泣き出しそうな顔で俺を見た。
「何か困りごとですか?」
意味ないかもしれないけど、少し高めの声で問うと、少女は驚いたようにぱっちりとした眼をさらに大きく開いた。
男だと一瞬でバレた?
「お願いします! た、助けてください……!」
と思ったけど、そんなことはなかった。少女は俺へと詰め寄って、頭を下げた。
相当焦っているようで、俺は少しだけ狼狽えた。手伝えることがあればとは思ったけど、想定を超える問題が起きているのかもしれない。とりあえずは話を聞いてみないことにはわからないため、少女から詳しい事情を聴き出した。
「実は……」
いったい何が。
「実は?」
「えっと……」
口にするのも憚られるほどの何かが?
「迷子になってしまって……」
「迷子? ペットが逃げ出したとか?」
それだと確かに不安になるのも無理はないか。
「い、いえ……」
俺が言葉を待つ中、少女は恥ずかしそうにもじもじとした後、口を開いた。
「私が……」
そこまで聞いて、俺は身構えていた体から力を抜いた。
何かと思えば、ただの迷子だった。でも、良かった。ペットを探すよりもよほど簡単だ。迷子になってここまで必死になることがあるのかとは思ったけど、きっと大事な用が控えていて急いでいるのだろうと思う。
「じゃあ、道案内しましょうか?」
「はい、お願いします……」
そうして俺は、同世代の少女と行動を共にすることになった。
行動を共に、とは言うが、一時的なものだ。大通りに着けば、とりあえず大丈夫だろう。
なんて思っていたのだが。
「大通りに出ましたけど、ここからはわかりますか?」
「あの、いえ、すみません、わからないです……」
もう少しだけ案内したほうが良さそうだ。
「目的地はどこですか?」
「その、駅まで……」
少女から聞き出した駅は、俺が普段使っているものだった。
結構距離があるけど、道は単純だ。大通りを道なりに進んでいけばいい。
それだけのはずなのだが。
「ふえぇ~……」
ちょっと目を離すと、
「すみませ~ん……」
少女は脇道に逸れて姿を消す。
「た、助けてぇ~……」
道なりに進むだけでどうしてそうなるのだろうか。どうやら少女は方向音痴のようだ。それも、重度の。顔を見られないように少し距離を取って歩いていたので、また少女を見失ってしまいそうだ。
もう勝手にどこかへ行かないよう、俺は少女の手を握った。
「えっ!?」
「行きましょう」
そのとき、はっきりと顔を見られてしまったけど、もうどうでも良かった。引き受けた以上は、少女を無事に目的地まで送り届ける。それだけを考えて、もう素性を隠すことは諦めることにした。
「お、男の人、だったんですね……」
「ごめんなさい。驚かせてしまって」
「いえ、大丈夫です……。ちょっとだけ、子宮が驚いただけなので……」
後半何を言っているのか聞こえないくらいに小さな声を発し、さっきまでとは別の意味で気恥ずかしそうに少女は視線をさ迷わせている。居心地が悪そうだ。でも、手を離すとまたどこかへ行ってしまいそうだから、諦めてもらうしかない。
手を繋いだまま、俺たちは歩き続ける。
二人の間に言葉はない。俺は口数が少ない人間であるため、少女が遠慮してしまった今では会話が発生しない。まだ駅まで距離があるから、このままずっと無言を貫くというのもなんだか嫌だった。
何か会話をしないと。
そんなことを思いながら、俺は顔を赤らめている少女の横顔を見た。
改めて見ると、少女は可愛かった。
さっき出会った白鷺さんもそうだけど、この人も女子にしては珍しく肉食系ではないようだ。純真そうで、非常に美味そうだ。落ち着きながらも女の子らしい装いを引き剥がして女体を隅々まで味わいたくなる。
ナンパしてくる相手はよく見定めないと危険だけど、こういう子は手を出しても大丈夫なのではないだろうか。こちらから詰め寄ったところで手痛い目に遭うことはなく、決して毒にはならないだろう。
「名前」
「え……?」
「なんて言うんですか?」
聞くと、少女は息を詰まらせ、俺から慌てて視線を振り外した。
「な、名前、聞かれちゃった……。え、どうしよう……? もしかして、このまま交際、とか……? 結婚できるのかな……。こんなに格好いい人と……。いいの……? 子作りたくさんできるの……? 赤ちゃんも、いっぱい……。あぁ、子宮が疼いて、下りてきちゃう……。赤ちゃん欲しい、赤ちゃん欲しい、赤ちゃん欲しい、赤ちゃん欲しい……」
なんかすごく小さな声でブツブツ言っている。
「大丈夫ですか?」
「は、はいっ……! なんでもありません……!」
「あ、はい……」
目がぐるぐると回っているように見えるけど、本人が言うのだから平気なのだろう。
「俺は岩戸勇希です」
「ま、
「松原さん。良ければ、連絡先交換しませんか?」
「連絡、先、ですか……?」
戸惑っている松原さんを見て、ちょっと攻め方が雑だったかなと後悔する。白鷺さんのときみたいに相談を持ち掛ける体で連絡先を聞いたならばともかく、これでは何の脈絡もない。ただのナンパと何も変わらないだろう。
焦りすぎた。もうちょっと話し合って相手のことを知ってからのほうが良かった。
警戒されてしまったようで、松原さんはまたそっぽを向いてしまった。さすがの俺でも聴き取れないほどのかぼそい声だ。悪口を言われている気配はないけど、怖いと思われてもおかしくはないかもしれない。
いや、でも、この世界の少女だから、そんなことはないのか?
一旦足を止めて、俺は松原さんの出方を見る。
自分で言うのもなんだけど、ここで立ち止まっていても大丈夫なのだろうか。急いでいるんじゃなかったのか。何やら考えを整理しているらしい松原さんの思考を遮ってまで声を掛ける気にならず、結局待ち続けた。
「私で良かったら、貰ってください……!」
自分よりも圧倒的に立場が上の重役に名刺を渡すがごとく、松原さんは気負った様子で携帯電話を差し出してきた。なんか変わった子だけど、可愛いからいいか。自分の股間に従った俺は、松原さんをいずれ味わい尽くすために、まずは連絡先を交換し合った。