その日は、偶然誰とも予定が嚙み合わなかった。土曜日なのに暇を持て余していた俺は、ここぞとばかりに朝から歌とギターの練習をし、投稿用の歌の収録もしまくって時間を使っていたが、そろそろやることに悩み始めていた。
たまにはゲームでもするかと、少し前にこっそりとインストールしておいたとあるオンラインゲームを立ち上げようと思っていたとき、インターホンが鳴った。
いったい誰かと思い、玄関を映すカメラが捉えた女性の姿を見て、俺は一瞬硬直した。思わぬ来客。まさか接触してくるとは露程も思わなかったのだが、幾ら瞬きをしてもカメラの前からその女性はいなくならなかった。
なんか面白そう。
そう感じた俺は、この退屈を凌ぐイベントがやって来たと思い、応対したのだった。
「初めまして、岩戸勇希様」
玄関の扉を開けると、そこには黒ずくめの女が立っていた。
「我々は、
キッチリと整えた黒髪と、黒いサングラス、そして黒いスーツ。もう七月になって段々と夏が近づいている中では少し暑そうに見えるが、彼女たちは汗一つかいておらず、皆涼しげな表情をしていた。
黒服の女は複数人いる。
玄関の前に立っているのは一人だけだが、正面には黒くて長い高級車が停められている。その傍らにも目の前の黒服さんと同じ格好をした女が二人控えていて、俺がやって来るのを待っているようだった。
彼女たちこそ、数日前から俺を監視している者たちで相違なかった。
しかし、その正体は燐子でも掴みかねていて、とりあえず害はないということだけはわかっていたから放置していたのだが、まさかこんなに堂々と接触してくるとは。
弦巻家。どこかで聞き覚えがあるような気がするが、そんな家の使用人がいったい何の用なのか。それにしても使用人か。ボディガードとかそういう類の職業の人かと思っていたのだが。
「事前のお約束もなく押しかけてしまい、大変申し訳ございません。本日は、岩戸様を弦巻家の食事会にお招きしたく、こうして伺った次第です」
「食事会……? あー……」
忘れかけていた記憶が呼び起こされる。そう言えば、母さんから連絡を受けていた。友人の御令嬢との食事会、だったか。日程が未定とのことだったけど、こんなに早いとは思いもしなかった。事前の連絡もないし。
「突然で驚きました」
「はい。サプライズとのことでして、内々で準備を進めておりました」
そういうことか。確かに驚きはしたけど、こういうサプライズって本人の都合が合わなかったときはどうするのだろう。今日はたまたま暇だったから特に問題ないけど、もしも俺が自宅に女を招いていたら。
そこまで考えて、俺は思うところがあった。
今日、恋人だけでなく最近知り合った子とも予定が合わなかったのは、本当に偶然なのだろうか。言葉にしていないし、表情にも変化がなくてわかりづらいが、黒服さんは今日の俺には予定がないはずと確信を抱いているようにも見えた。
もしかすると、この状況は仕組まれたものかもしれない。そんなことが可能なのかとか、可能だとしても普通実行に移すだろうかとか、いろいろと思うところはあるが、全てが俺の想像通りだったとしたらなんて用意周到なのだろう。
「ご同行いただけますでしょうか?」
と言われ、一瞬だけ躊躇いを覚える。
素直に従っていいものか。車に乗れば、目的地に着くまで降りれない。
どうしよう。
悩む俺を、黒服さんは催促することなく、黙って見つめていた。
しかし、五分近く俺が無言で、無表情のまま思案するのを見て、さすがに痺れを切らしたようだ。スーツのポケットに手を滑り込ませ、そこから一枚の写真を取り出すと、俺に向けて差し出してきた。
「これを。来ていただけるのであれば、お渡ししま――」
「行きます。ちょっと待っていてください」
俺は迷わず手を伸ばし、写真を受け取った。
その写真には、金髪の少女が映っていた。年齢は高校生くらい。眩しいくらいの笑顔と、キラキラとしたぱっちりとした眼。世の中は楽しいことで溢れている。そう信じて疑っていなさそうな純真無垢な美少女。
写真の中の少女は、どこかの教会を背景に白いウェディングドレスに身を包み、手に持った花束を俺へと差し出している。その満開の笑顔と、少しタイトなウェディングドレスから確認できる女体の線が魅力的で、写真に手が伸びてしまった。
とびきりの美少女。この子が御令嬢とやらなのだろう。
可愛い子との食事会。断る理由はなかった。
一度家に戻った俺は戸締まりをし、最低限の外出準備を整えると、家を出て黒服さんたちの下へと戻ってきた。どこか満足げな微笑みを見せる彼女に誘導され、俺は車へと乗り込んだ。
車の中は広かった。ドラマとか映画とかで高級車の車内の様子を見ることはあったけど、実際に見られる機会があるなんて。体を預けるシートは俺の体を包み込むような安定感で、車の揺れは殆ど感じない。傍にはシャンパングラスなどが置かれたテーブルがあり、正面の天井には大画面の薄型テレビが取り付けられ、映画の上映が始まっていた。車内の上部に嵌められた大きくて広い窓は、時間帯が夜ならば夜空を眺めることができるだろう。
もしも目隠しをされて車に乗り込んでいたならば、ここが車の中ではなく、どこかの部屋かと勘違いしていたに違いない。そう思える豪華な空間で、それなりのお金持ちであることを自覚しつつも一般的な生活を送っていた俺には場違いに思えた。
沈むようなシートの端に身を預け、過ぎ行く車窓の景色を横目で眺める。
のこのこと車に乗ってしまったわけだけど、今さら少しだけ後悔していた。
手に持ったままの写真の少女を眺める。屈託のない笑顔。ウェディングドレスを着た彼女は、俺のことをどう聞かされているのか。ただのお見合い相手? それとも結婚相手? この様子だと後者のように思えるが。
燐子よりも、他の少女のウェディングドレスを先に見ることになるとは。
罪悪感が募る。そして、燐子のウェディングドレスが見てみたいという欲求が高まる。間違いなく見惚れるような美しさなのだと思う。俺の強い性欲が一瞬でも浄化されるほどの。頭で思い浮かべるだけでこれほど興奮するのだから、いざその燐子を前にしたとき、俺は果たして正気を保っていられるのだろうか。
一度膨らんだ妄想はどんどん広がっていく。
広い教会。燐子の横には、同じようにウェディングドレスを着た恋人たちが並んでいた。
そこにはまりなやRoselia、Afterglowのメンバーも、まだ出会ったばかりで恋人ですらない少女たちも並んでいる。優しい笑顔を浮かべて俺を待つ彼女たちはまさに天使のようで、そのお腹は俺の子供を身籠って、出産間近のように丸々と膨らんでいる。
ウェディングドレス姿で妊婦の恋人たち。
俺は誘われるように彼女たちへ手を伸ばして――。
『なんであたしだけこの格好……』
端のほうに立っていた、ウェディングドレスを着たピンク色の熊のような着ぐるみがぼそりと呟くのを聞いて、俺は我に返った。
「ん……」
妄想に耽っているうちにいつの間にか眠っていたようだ。
また変な夢を見ていたようだ。最近こういうことが多い。なんかファンタジーな世界観で生きる夢とか、現実だけど俺が生きる世界よりもどこかぶっとんだ設定の世界で生きる夢とか、自分や周りの人たちがデフォルメされた三頭身の体になった世界の夢とか、いろいろと変わり種が多い。
まあ、楽しいからいいんだけど。
今寝れば、また続きを見られるだろうか。どうせなら、エロい夢が見たい。
窓の外で流れゆく景色をぼうっと眺め、窓から注ぐ柔らかな昼の陽射しを受けながら、目蓋をゆっくりと閉じた。そうしていると意識が引きずり込まれ、俺はまた、おかしくて、エロくて、気持ちのいい夢の世界へと誘われるのだった。