三回戦 一日目 『
ーーー学園:マイルーム
他の面々が二回戦に挑んでいた、自分だけが戦いの軛から解放されていた七日間が終わった。
今日からは、己ももう一度聖杯戦争に身を投じることになる。願わくば、この七日間で多少気が抜けたりしていないといいのだが。
「今日からですね」
「ああ、うん。今日から、また……」
殺し合いに参加する。そのことを口にできない。今もなお、慎二を殺したことが心の中に残る。
けれど何を言おうとしたのかはアサシンにもわかっているらしい。頷いて、俺が言葉にできなかったことを、あっさりと言葉にする。
「ええ、今日から殺し合いです。この七日間とは違って、今度は相手がいます」
アサシンの瞳は気怠げなまま、けれどそこには俺のことを死なせないことを目的とした強い決意がある。
一体どういうことなのだろうか。彼女は、俺のことを堕落させようとしていて、何かあるたびに俺に諦めてしまえばいい、と囁いて甘やかしたりするような少女だったはずなのだが。
それでも、彼女が全力を出してくれるのであれば、それこそ俺がこれから先に諦める理由も、そして彼女のそのやる気を諌める理由もありはしない。
「それにしても……」
アサシンが瞳をこちらに向ける。その瞳には純粋な疑問がある。
「マスターさん、私の願いを叶えるためってことで戦ってくれてますけど、私の願いについて興味はあったりしないんですか?」
「興味がないわけじゃない、けど……」
「けど?」
アサシンがこてん、と首をかしげる。普段の退廃的な雰囲気とは違って、この瞬間にはただの少女のように思えた。
いきなり、わざわざこのタイミングでアサシンがこんな質問をしてきた意図はわからない。
脈絡もなければ、突拍子もない。いいや、「いきなり何を」という思いよりも、どちらかというと「なぜこんなタイミングで」という思いが湧き上がっていた。
ただ、それでも。彼女が求めた答えではないかもしれないが、彼女の願いを叶える協力をする理由ならある。
「アサシンなら、そこまでひどい願いをしない、って無条件に信じられる程度には俺は君に助けてもらったんだよ」
「なっ……!?」
本心からの言葉。そのことが伝わったのか、アサシンの顔には動揺が浮かんでいる。
小さい体に目一杯の驚愕。これまでの、少女らしからぬ、反英雄的な雰囲気とは違う等身大の姿。それが、見られたような気がした。
「そ、それで! 私の願いが世界そのものを危機に陥れるようなものだったらどうするつもりなんですか……!?」
「その時は……」
その時は、どうするのだろうか。慌てての質問なので、特別何も考えていなかったようにすら見えるアサシン。
ただ、うん。一つだけ、決まっていることはある。
「その時は、俺が責任を取るよ」
彼女の願いを叶えるために協力した身として。彼女とともに世界そのものから恨まれるのもいいかもしれないし、あるいは自分の身でその願いを静止する。
彼女の行動を容認するのであれば最後まで共にあるし、彼女の願いを認められないのであれば、その時は自分の手で彼女のことを止める。
これは、取り繕ったことのない本心で。今の己を構成する大部分はこの小さな、妖艶な少女によって形作られているからこその、最後まで共にあることを宣誓する言葉だった。
「そ、そうですか……」
アサシンは唖然としているのか、それとも照れているのか。どちらなのかよくわからない。
けれどわずかに、マイルームという空間に沈黙が降りる。
その沈黙に気まずいものを感じて、何かこの空気を打開するものを探してしまう。
そのタイミングで、三回戦の開戦を告げるであろう電子音が、端末から鳴り響いた。
「さ、さあ行きましょうマスターさん! このタイミングってことは三回戦の対戦相手についてでしょう……!?」
「……いや、ちょっと待って。今回も、多分対戦相手の発表じゃない……」
先ほどまでの雰囲気は彼女にとっても気まずかったのだろう。アサシンは普段よりも多少焦った状態で部屋を立ち去ろうとした。
俺もそんな彼女を追って、端末を確認しつつ立ち上がったが異変に気付く。
前日は、他のマスターたちが二回戦の決戦を行なった日。本来であればこのタイミングで受信するのは次戦の相手、それが掲示板にて発表されることの連絡だが、液晶に浮かぶ文面を見る限りそうではない。
俺の不可解な発言にアサシンも足を止め、揃って端末に送られてきたメッセージを黙読する。そこに書かれていたものは、確かに次なる戦いの幕開けを告げるものだったが、けれど―――。
ーーー学園:体育館
「マスター諸君、集まったようだな」
月海原学園の校舎に併設される体育館には現在、およそ三十人ほどのマスターーーー確か最初が百二十八人だったはずなので、ここにいるのは三十二人だろうーーーと実体化しているサーヴァントの姿があった。彼らの視線は全て、壇上にいる一人のNPCへと向けられている。演説でもするかのように、大仰な素振りで言葉を紡ぐその男は、自分たちの知る監督役、言峰に間違いない。
どうにも不吉な感想を抱かせる、その男が語るには―――。
「諸君も、そろそろ単純な決闘ばかりでは飽きてきたことだろう。よって、
一体それは何だと、この場に集ったマスターのうちの一人が声を荒げた。
ただ、それは全員の思いを代弁した発言でもある。
俺以外の話ではあるが、第二回戦を勝ち抜いた猛者が一堂に会した状況だ。相手に自分のサーヴァントの情報を知られるかもしれない、相手に自分の心理的な弱点を知られるかもしれない。そういった緊張感は尋常ではない。
なのに、そのことを理解していないセラフではないだろうに、何故集まらねばならなかったのか。
マスターの一人は、監督役の権限を行使してまで全員を集合させたその理由を問いただしている。言峰も、おそらくはそうした彼らの不満などを想定した上で立っているのだろう。
言峰が語る、趣向と称した謎の催し。
それが一体なんなのか。その意味するところに、マスターたちは全員、不安にも似た驚きを得るのだった。
「聖杯戦争の進行に不備が生じた。それゆえ、君たちにはその原因の
言峰曰く、セラフでも修復しきれない
まあ、それに関しては別にいい。レオが言っていたではないか。セラフは現代のスーパーコンピュータをはるかに超えるのだと。それでも結局のところは電脳を生み出せる機械でしかない以上は、そういった問題の一つや二つ程度なら起こしたとしてもおかしくはない。
だからこそ、その問題をなぜわざわざセラフ内部で完結させるのではなく、外部からやってきた自分たちに任せるのか、ということ。それが、全てのマスターの中で疑問として膨らんでいった。
「不備とは言ったが、システム上の単なる故障ではない。厳然としてアリーナに蔓延る障害。異物と称しても差し支えはない、明確な対象が原因だ」
言峰はつまりと続ける。
「すでに君達には二度、願いを叶えるという共通の願いを持った同胞を葬ってきたという事実がある。そろそろ、殺害という事象にも慣れてきた頃合いと見える。で、あればーーーこの任務、マスター諸君に任せるのが適切だと私は思うのだがね」
中立であるはずの監督役にあるまじき、口元からは愉悦の色が読み取れる様子。
言峰の言葉は、こちらが直視したくない真実をついてくる。
基本的には二回戦を乗り越えたばかりの人物たち。その中には友人と殺し合ったりして、その死を乗り越えられていない人物も多いだろう。
自分たちが殺したという事実は、永劫変化することはない。
神父の言葉はメスのように、心の奥底に沈められたその事実を浮き彫りにして、それによって感じた苦悩を解体し始める。ーーーそこで、ふと疑問を抱いた。おそらくは全てのマスターが同じ内容を。その疑問も想定通りだったのだろう。言峰はなんら表情にも声音にも変化を見せることはなく、鼻で笑う。
「ああ。君達の考えている通り、障害は生物の姿形をとっている。正体不明のとあるエネミーが現れ、セラフがその処理に手間取っている以上、第三回戦は始まらない。聖杯戦争を速やかに再開させるには、そのエネミーの速やかなる排除が必要となる」
その生物に関する全ての情報が不明である。だからこその異常。セラフはそう断じて、その排除に躍起になっている。それ以上の理由も価値も必要ない。セラフにとってそれはただの害悪。そのために聖杯戦争が続かない。
「大切なことを言い忘れていた。マスターの中には、無益で不毛な遊興ーーー暫定的に『
そして唐突に、あるいは敢えて言い残していたのか、言峰がそれを告げる。
あくまで本戦とは関わりのない戦い。運営の不始末に煩わされているに等しいこの状況で、好んで言峰が言うところの『狩猟』に望むマスターはいないだろう。
そこには何の利益も無いと諦めて。そこには何の価値も無いと見定めて。
故に、言峰が放った次の台詞。このゲームにおける報酬は自分たち全員の心を盛大に奮い立たせる効果をもたらした。
「監督役である私からこの一件における報酬を提示する―――見事、聖杯戦争に生じた異物を排除した暁には、そのマスターに対し『第四回戦』への無条件進出、そして四回戦の
「!?」
瞬間、周囲の空気が一変したのを感じ取った。
言峰が示した報酬、それはつまり第三回戦の勝利―――七度の戦いの内、一つの突破を約束してくれるものだった。いずれも二回戦を勝ち残った強者たち。出来ることなら余力を残して先へ進みたいのが本音だ。
それだけではない。次の戦いにおいて、自分だけは最初から情報を一つ得られると言うのだ。しかも、真名ほどではないけれど有用であることには絶対に違いない情報を。
彼の台詞が嘘でなければ、謎のエネミーを討伐したマスターはその時点で第三回戦を突破する。他のマスターたちが死闘を通過するなか、ただ一人だけは第四回戦へと安心して駒を進める。ただ一人だけは情報を集める苦労がわずかに減る。その優位性は喉から手が出るほどに欲しいだろう。
「エネミーは二の月想海、第二層の最奥で陣取っている。マスター諸君にはアリーナを共通で開放しておいた。いずれ敵対する者たちと手を組み討伐するも君たちの自由だ。しかし、この期間でのマスター同士の戦いは極力控えてもらおう。ただでさえ混迷を極めているのだから、これ以上余計な仕事を増やしてくれるな」
―――運営に見つかれば、厳重な罰が下されることを承知しろ。
重い警告を最後に、ようやく言峰の説明は終了した。
浮足立っているマスターたちの中、自分もまた神父の言葉を脳裏で反芻する。
(で、どうするんですかマスターさん? あの神父さんの言葉を信じるなら楽になりそうですよ?)
けど、普通のエネミーではなさそうな感じがする。
アサシンの言いたいことはすぐにわかった。セラフからの破格と言う言葉でも足りなさそうな報酬。そして伝えてきたのが言峰と言う男である事実。それらが躊躇させる。
つまり、自分たちで勝てる程度の敵なのかどうか。セラフが排除に困るほどの相手に、自分たちは勝てるのか。……いいや、勝てなくてもいい。その場合はその場合で、ちゃんと逃げられるだけの余裕があるのかどうか。そう言う話だ。
(それなら、他のマスターにどう動くのかでも聞いてみますか? 一回戦に生き残っただけの私たちよりも、二回戦を勝ち残った他のマスターさんたちの考え方。参考にはなりそうですけど……)
「うん、まあ今回は休戦だから、話し合いに応じてくれるマスターはいるかもしれない。……とは言っても」
アサシンの言葉に一つ頷いて周囲を見渡す。
体育館に集ったのは三十二人のマスター。実際には本体が来るのではなく
聖杯戦争本戦開始から二週間が経過した。それはつまり、二度の決戦が行われたと言うことであり、同時にまた、聖杯戦争の参加者の四分の三がすでに死んだことになる。だからだろうか。今もなお生き残っているマスターには、最初からどこか他のマスターとは違う、強い決意のようなものがあった、印象に残りやすい人間ばかりな気がする。実際、どこか見覚えのある人物ばかりだ。
けれどそこに、明確に知り合い以上の関係性にあると言える人物はいない。レオ、遠坂、あとは一応、ユリウスも。彼らの姿は、今この場には見えなかった。
(ひとまず、アリーナにいるというエネミーについての様子でも見に行きますか? そのエネミーが消えるまでは怠惰に過ごすことも可能ですけど……)
そんなことをはしないんでしょう、と。呆れた様子が霊体化で姿が見えないとはいえ読み取れる。
わかっていながら聞くのか、と思って苦笑しながらも頷いて。けれどそれよりも先に、まずはリターンクリスタルを購入しに行く。
何事もなく討伐できればいいのだが……。
ーーーアリーナ:二の月想海、第二層
迷宮は、一回戦を終えた後。皆が第二回戦を行なっている最中のアリーナと一切の変化を見せていない。
厳密に”これ”が第二回戦の延長を示唆しているのか、既に何度か足を踏み入れたことのある迷宮の構造、内部を徘徊するエネミーの姿に変わりはない。唯一の変化と言えば、暗号鍵の取得が必要ないことくらいだろう。
見慣れた風景を次々と踏破していく。
道中で出くわした雑兵も進撃を食い止めるほどのものではない。
その最中、今回のエネミーについて考える。
ーーーダン・ブラックモアが何者かの襲撃を受けて消滅した。
きっと、七日前の言峰の発言はつまり、今回の敵手についてのことなのだろう。
サーヴァントを倒せるのか、それともマスターを殺したことでサーヴァントを消滅させたのか。どちらなのかはわからない。
けれど、どちらにせよ、油断などできるような相手ではない。なぜなら、一回戦を勝ち抜けるだけの力を持った存在が、そのエネミーには負けたのだ。
「うげっ……」
今回の相手となるエネミーについて考えを巡らせていると、アサシンの嫌そうな声を聞いた。
今までに聞いたことがないほどにアサシンの嫌悪を含んだ声。ついた場所は広場としか言いようがない空間。狙撃なんてことがうまいことできそうな空間だった。言峰の話を信じるのであれば、この広場にそのエネミーがいるようなのだが……。
「あら……?」
その言葉は、砂糖よりも甘く、そして何よりも粘つくような声を以って発せられた。
瞳の先には、僧衣に包まれた一人の女性。見た目には尼であることには間違いないはずなのだが、聖職に就く身でありながらも、どこか悪魔的に淫靡な雰囲気すらも醸し出していた。
ーーー魔性菩薩。
そんな単語が一番しっくり来る。けれど、それだけだ。プログラムでしかないはずのエネミーの方が、普通に強そうに見える。そんな女性。
彼女が本当に今回のエネミーなのだろうか?
「マスターさん。指示をください。とっととぶち殺せって指示を」
ぶち殺せ? 普段のアサシンからはまるでかけ離れた単語。
その瞳に映るのは完全なまでの嫌悪。彼女に対しても愛を向けてはいるけれど、それ以上に嫌悪が彼女の中を埋め尽くしている。
「今回に関しては見ないふりをできないみたいなので。
「ええ、そうですわね。どういう理由か、どういう理屈かはわかりませんが、私も貴女を少しでも視界に入れていたくないようです」
ただのエネミーではない。喋っている、それだけでも十分に異常なエネミー。けれどそれよりも彼女を異質に思わせるのは、その左手の甲に存在するもの。
彼女と己が
その異常、その存在の異質さ。左手の甲に刻まれた参画の紋様。
ゆらりと動く左の手。そこに刻まれたのは、ただのプログラムにあるまじき権利。サーヴァントを統べる三度限りの命令権。同時に聖杯戦争に参加するための資格でもある”印”。つまり――――
「来なさい、
それは、マスターとしての宣言。左手に刻まれた令呪が光る。マスターとしての命令以外に取りようがないその言葉は、小さく響くと同時、とある存在を出現させる。
「laーーー」
その歌声。その絶叫。
大地を踏み鳴らす轟音と。
大気をかち割る
エネミーと称されている女性を守るようにして、その目の前に一つの巨体が舞い降りた。
「これ、現実なんですか……」
呆然と呟くアサシン。
ーーーそれは、『竜』によく似た何かだった。
女性的な顔に角が生え、その巨体は竜の形をしている。
ただその圧倒的にすぎる質量だけで脅威な、
仮に、もしも仮にあの女性をマスターと認めたとして、別にサーヴァントがいることはおかしなことではないのだが……。
「さすがに限度があるでしょう。こう、あの女にふさわしいのは口が悪く偏屈で悲観主義、やる事成す事刺々しい、素直ではない。そんな感じの男でしょうに……」
アサシンの言っていることが妙に具体的なのは今は置いておこう。どうやらあの女についても知っているようだが、それについて聞くにも、まずはこの場を生きて帰らなければならない。
「マスターさん。残念ですけど、一旦ここは退きましょう。クラスは多分、バーサーカーですかね。喋れないみたいですし。……さすがに、あの女を殺すにはこの状況だと無謀すぎます」
撤退だ。迷うことなく逃げるだけ。そうでなければ死ぬ未来しか待ち受けていない。
流動する泥。その竜の肉体の表面を覆うように、アリーナの足場の外から出てくるのは、見ただけで不味いと感じる泥だ。それが、アリーナ内部にまで侵食してくる。
故に、リターンクリスタルをすぐに取り出す。一瞬でも選択肢を過つことがあれば、それはすなわち死ぬということ。
「おや、せっかくいらっしゃったのに、もう帰るのですか?」
そんな中で、女性の声だけが響く。
けれど今は構っていられない。むしろ、どうしてマスターだからと言ってこの泥を前にして平然としていられるのか。
「ですが、どうせまた来るのでしょう? その時を心待ちにしていますわ。このーーー」
女性が、自分のサーヴァントに目を向ける。
その直後に放たれた言葉はいくら何でもありえないと言いたくなるような、絶望の事実だった。
「サーヴァント六十一騎分を食らったティアマトとともに」
聖杯戦争に参加した者には大変申し訳ないことをしたと思っている。
だが私は謝らない。なぜならここにいるのは全てビースト
そしてこのメンバーをどうにかする光景が思いつく人がいるなら教えて……
ティアマトさんが一回戦終了時点でもぐもぐした数は四十騎近く。その戦いが終わった後だったり、二回戦の途中だったりでもぐもぐさせていくつかの組は不戦勝になっていたりする。