ーーー学園:マイルーム
マスターさんは変な人だと思う。
主従関係を作るのに、そして円滑に進めるのに一番便利な道具が「愛」であることは事実だし、私自身そのことに文句など言うつもりもない。
友愛、親愛、恋愛。そのどれを持っているのかは知らないが、まあ多分友愛とかだろう。さすがに恋愛とかはない。
ただ、マイルームにこもっている夜ならともかく、そうでない時間も私とたまにおしゃべりをしようとしてくることが多々ある。私との仲を深めるよりも他のマスターと話をしたりして、未だに記憶が戻らないが故のハンデを、新しく吸収した知識で埋めるべきだと思うのに。それらすべてを差し置いて、私と話をしようとしたりする。その辺り、ちょっとおかしい。
だから、本当に意味がわからない。私の内面なんて知っても絶対に幸せにはなれないのだ。醜くて、複雑で、ドロドロ。
そうだ。だから好かれるはずなどない。愛されるはずがない。私に対して向けられるのは甘やかされて堕落した者たちの、もっと甘やかしてほしいと言う願望と、そんな私のあり方を許せない者からの怒り。たったそれだけのはずなのだ。
だって、自分ですら、自分のことをどうしようもなく性格が悪く、面倒くさく、マイナス思考で、絶望に馴染みすぎて、愛されるはずがない存在だってことを理解している。
そんな私をここまで優遇するのは、さすがに認めるしかないだろう。形はどうであれ、その根底には私に向ける愛っぽい何かがあるということを。
「まあ、だからと言って何か変わるわけではないんですが」
マスターさんがそういう人物だとわかっただけだ。ただーーー。
「さすがにこんなに特別扱いされると……」
いつも与えるばかりだったから、こうして仲良くなろうという思いを向けられる立場になるのは、少し新鮮というか、慣れないというか、ムズムズしてしまう。
こういう場合はーーー。
「うん、とりあえず、いつものペースに戻るために、マスターさんをこの矢で射ちましょう。……いえ、ぶっすり直挿ししましょう。命の保証なんて必要ありませんよね? だって私は、
そう口にして、眠りについているマスターさんの前に立って矢を持つ。
「……いやいや待て待て。真名を教えてないから当然のことだけど、ここまで私の矢で取っ替え引っ替えってことがなかっただけで、今この一射がやばいやつの可能性もあるんだから。マスターさんの愛の方向性とかがシヴァ的な方面でやばかったらどうしようもないんですし……」
撃つべきか、撃たざるべきか。
私自身、撃たない理由もどこか言い訳じみてしまっているような気がするが、それでも本気で悩んでいる。
悩んでいるとマスターさんが言葉を漏らす。ピクピクとまぶたが動いているところを見ると、そろそろ目覚めるのだろう。だが、気がついたのは遅かった。私が気づいた時点で既にマスターさんは目を開きかけていて、今から隠しても間に合わない。絶対に何かをしようとしていたことだけはバレてしまう。
それなら、開き直ってしまうのもいいかもしれない。
「なに、やってるの?」
「見ての通りですよ」
マスターさんの言葉に堂々と答える。
彼からすれば、朝目を覚ましたらサーヴァントである私に矢を刺されそうになっているという謎の状況。
少しぐらいは警戒してくれたりするだろうか? なんとなく寂しい気もするが、それはそれ。さすがにこの距離感のままだと背中がムズムズしてしまう。
「私の、情欲を引き起こす矢をマスターさんに刺そうとしてるんです」
「な、なんでまたそんなことを……」
「それは決まってるじゃないですか。最近のマスターさんはなんとなく気安すぎる気がするんです。ですので、多少は距離感を覚えさせるために、この矢を刺そうと……」
「いや、今の話を聞く限りだとその矢を刺しても距離感は変わらない気が……」
そうだろうか。これを刺せばマスターさんの愛情の向かう先は確かにわかる。
こんな私に向けられることはないので、そういう意味では一安心なのだが。
更に言えば、マスターさんからすれば好きな人のことを強制的に自覚させられ、さらにはその相手に対して行動を起こさせられるわけだから、かなりの精神的ダメージになって、私との距離感を考え直してくれそうだ。
私にとってはいいことづくめだ。ーーーこの矢を刺した場合にマスターさんが私に対して情欲を引き起こされる可能性について考えない限りは。
ーーー学園:二階図書室
「それで、どうしてここに来たんです?」
「いや、ティアマトについて調べようと思って……」
図書室に到着してから、訝しげなアサシンの視線を受ける。
朝からアサシンに矢を刺されそうになったりしたことを除いてはいつも通りの朝。
その朝を超えて、最初にしようとしたことは当然のごとく図書室であのサーヴァントについて調べることだった。
真名については最初からわかりきっている。メソポタミア神話の女神、天地創造の礎とされた女神。ティアマト、その女神について調べることは全く難しいことではない。
神々は真水であるアプスー、塩水であるティアマトから生み出された。
その後、子供である神々は原父アプスーに反旗を翻し世界の支配権を獲得するが、ティアマトは子供たちの行為を穏やかに容認した。夫への愛より子供たちへの愛が勝っていた証左である。
しかし、神々は母であるティアマトにさえ剣を向けた。ティアマトは嘆き、狂い、新しい子供として十一の魔獣を産みだし、神々と対決する。
戦いの末、ティアマトと十一の魔獣は敗れた。神々は彼女の死体を二つに裂き、天と地を造り、これを人界創世の儀式としたという。
創世後に切り捨てられた母胎。追放された母なる海。
生命を生み出す土壌として使われたが、地球の環境が落ち着き、生態系が確立された後に、不要なものとして追放された。並行世界でもなければ、一枚の敷物の下にある旧世界にでさえない、世界の裏側――生命のいない虚数世界に。
わかった情報はこの程度。彼女を殺したというマルドゥクという神がいればどうにかなることはわかったが、この月の聖杯戦争において「マルドゥク」として召喚されたサーヴァントなんて求めるべくもない。
神霊は召喚できないのが聖杯戦争の基本原則。たとえマルドゥクが召喚されていたとしても、それはマルドゥクとしての召喚ではなく、何か別の概念と習合されたマルドゥクだろう。
一回戦の慎二のサーヴァントであった、ワイルドハントのように。
「……」
アサシンが別の書物からティアマトについての情報を探ろうとしていることを確認。
その隙に、とある条件から彼女の真名について探ってみようと思う。
ーーー愛の矢、あるいは情欲を引き起こす矢
そんな代物は普通は持っていないだろう。多分、彼女の宝具かスキルにまつわる代物だ。
よってそれを頼りに調べてみたところ、いくつかの名前は出て来た。……出て来たのだが。
「全部神霊の名前かぁ……」
ローマ神話のキューピッド、ギリシャ神話のエロス、そしてインド神話のカーマ。
そして、召喚できないはずの神霊しか出てこないことをさておくとしても、やはり疑問は残る。
エロスとカーマは男神であることが明言されている、ということ。キューピッドは男、女の性別については明言されていないが、羽が生えているらしい。アサシンには羽が生えていない。一体どういうことなのだろうか。
そして、今挙げた神霊たちは、ティアマトとは一切の関係がない神話の神々だ。知っている理由がない。
というかそうでなくても、アサシンのクラスになれそうな逸話を持っているのがこの三人の中にはいない。
せいぜいが、カーマが持つ、意識を集中している最中のシヴァに向けて矢を放った逸話程度だろう。だがこの神様は男だから……。
「マスターさん」
「え、あっ、……と。どうした、アサシン?」
気がつけば、アサシンがそばに来ていた。本当に気がつけば、といった状況だったのでもしかしなくても俺が手に持っている本がティアマトに対しては一切関係ない本だということにも気づかれている。
今持っていたのはローマ神話のキューピッドについての本。彼女はそれを一瞥して、私だけに働かせないでくださいと一言文句を言ってそのまま調べ物に戻っていった。
バレなかった、のだろうか……? いや、もしかしたら真名について調べていたのも気がつかれていたかもしれない。それでも何も言わないのはどういう理由か。それについては一切わからないが、それでもこれ以上このことを調べていたら怒られるかもしれない。今はこの程度でやめておこう。
ーーー学園:地下食堂
あまり伝えたくない情報ではあるが、それでも手に入れた情報であることには変わりない。故にこそ、その情報を共有するべき事項として通達する。
三人がそれぞれ別個に情報を収集していたが、それも一段落がついたところで、誰からともなく購買がある学生食堂とでも呼ぶべき空間に集まっていた。
「確かなのよね、その情報?」
「あ、ああ。調べればこれぐらいのことはあっさりとわかったけど……」
逆に言えば、これ以上のことはそう簡単には調べられない。というよりも、図書室にある情報から得られたのはこれが限度なのだから、これ以上は違法となる。
「マルドゥク神がいないと倒せない、か……」
「いえ、倒せないというわけではないと思います。問題は、原典における殺し方以外には今の所は有効打が存在せず、そして原典の殺し方を行おうにも、それを再現できるだけの
真名からその終焉まで。彼女の終わりまでは確かにはっきりと理解できた。
だが、それは対処法を理解できたということではない。
敵は、一つの神話におけるあらゆる生命の祖。サーヴァントである以上は本来よりも弱体化しているのだろうが、それはこちらも同じこと。どういう理屈で神霊が召喚されたのかなどわかるはずもないが、本来は召喚できるはずもない存在が召喚されている以上は、どんな反則によってサーヴァントの枠を超える力を持ち込んでいるのか。そこについても気にしないといけない。
だが、そうして悩んでいると、遠坂はあっけらかんと言葉を発した。
「あら、そんなの簡単じゃない。神話による殺し方を再現できないなら、あいつの弱点をついてあげればいいのよ」
「……は?」
至極単純で、悩む必要が何処にあると言いたげに。
「ティアマトは確かに強敵よ。それについては一切疑う余地なんてない。今の私たちにはマルドゥク神もいなければ、その概念を内包した礼装を作る目処も立たない。こんな状況で真正面から戦ったところで、倒し切るなんて不可能に近いわ。嘘か本当かはわからないけど、昨日、アサシンの語っていた能力のこともあるしね」
ああ、その恐ろしさ、その高い耐久性については把握している。
だからこそ、あれに対して打つ手がないように思われるのだがーーー?
「そう、あいつには真正面から戦っても勝てない。なら、搦め手を使えばいいだけのことよ。だって、あいつはサーヴァントなんだから」
「……納得です。ミス遠坂の作戦は愚直で単純で、実に短絡的ではありますが、ある意味では真理のようにも思われます。どれだけの能力を持とうと、あれは”サーヴァント”という枠組みに収まっている。それに収めた手段はわかりませんが、それでもサーヴァントであるならば、”マスターからの魔力供給がなければ現界できない”という弱点が存在します」
「悪かったわね、短絡的で。シンプルイズベストって奴。相手が絶対に倒せないサーヴァントであるなら、マスターを倒してしまえばいいってこと」
「……なるほど」
これはサーヴァントである以上の原則。
”マスターがいなければ現界できない”
それは、当たり前にすぎることだからこそ、頭の中から抜いていた。これでも殺しきれないとなると、それはもはやサーヴァントではなく、
問題はーーー。
「オーケー。これで次にやらないといけないことは決まったわ」
自分の中にある問題を明確に言葉にしようと思ったところで、遠坂の言葉が思考を遮る。
「まず、あのマスターについて調べないとね。正規のマスターではないみたいだけど、じゃああれは一体どこの誰なのかって話になるし。あのマスターの使う術式について調べれば、多少の対抗策は見えてくるでしょ。……お互い有力そうな情報を手に入れたら、同じように集まって共有しましょ。……ふふん、良い具合に話が纏まってきたじゃない」
嬉しそうに頷く遠坂の気持ちも分かってしまう。
暗中模索だった敵の攻略は、此処に来てようやく軌道に乗り始めたのだ。確固とした手応えの感触に、自然と頬が緩むのは無理のないことだろう。
そうして、三人で食堂を後にする。
一先ずの方針――あの名もわからないマスターについての情報を探すため、その足を他の場所へ向けようとした時。
「殺生院キアラ、ですよ」
清涼な響きが鼓膜を震わせる。振り返るよりも早く声の主を理解した。
「レオ……」
黄金を背負う少年・レオ。
相も変わらずの悠然とした笑みを向けてくる少年の登場に、俺だけではない、遠坂とラニまでもが表情に何故を浮かべていた。
「………………」
レオの後ろでは彼のサーヴァント・ガウェインが静かに佇んでいる。
騎士としての振る舞いを微塵も崩さぬその態度に、敵意や殺意の類いは一切見当たらない。けれど、全身が放つ太陽の如き気配は相対するだけで他者を圧倒する。
「……ああ、すみません。突然そう声を掛けられても何のことだか分かりませんよね。―――先日の件についてです。さすがに協力はできませんが、それでも何もしないわけにはいきませんので」
そこでようやく合点がいく。
レオが口にした先日の件。それはつまり「ティアマト討伐の協力」であり、それは「できない」と判断しながらも、せっかく声をかけてもらったのだから、ということなのだろう。
あの時のガウェインの懸念。それによって保留された解答は最善のものではなくなったが、だからと言って彼が律儀にくれる情報は、一歩先に進めるに値する情報だった。
「ちょっと、岸波くん。どういうこと? なんでレオがいきなりあなたを尋ねてきて、情報までくれるわけ?」
けれど当然、遠坂はそのことを知らないために驚きを口にする。
事情を改めて説明するとともに、今この場で宣言した通り、彼の協力は得られないことが決まったということも。
聖杯戦争優勝候補筆頭、地上世界を支配するハーウェイの次期当主となるべく育てられた者、その協力を得られないのは残念と言わざるを得ないが、それでも彼がくれた情報は破格と言わざるを得ないものだった。
「ふぅん。……で、まさかハーウェイの次期当主様ともあろうものが、まさか名前についての情報しか渡さないわけ?」
「おや? まさか自分で調べるつもりもないと? これはハーウェイの評価についても多少考え直さないといけないかもしれませんね。……ミス・遠坂。若くして戦場に身を投じ、ハーウェイの管理体制に異を唱え続けてきたレジスタンス。ハーウェイは高く評価していますが、それでも自分で調べるつもりもないとなると、ただ与えられるものを享受する、こちらの管理体制にいる人たちと何も変わりありませんね」
「あら、自分でも調べるつもりよ? 例えば、今この場で貴方を殴り倒して情報を吐かせたり、ね」
―――彼らが敵対関係にあることは知っていたが、まさかこれほどとは。
聖杯を求める上での対立より以前に、地上においてのしがらみ。ハーウェイ財閥と、その支配体制に抵抗を示す解放戦線レジスタンスとしての対立がそこにあった。
遠坂の煽りに対して、多少の毒を吐くレオ。それに応じるようにして遠坂も握った拳を顔の横に持ってくる。
レオは、ハーウェイの次期当主として地上での支配。すなわち、徹底した管理と秩序をもたらすべく万能の盃を求め、遠坂凛は西欧財閥に聖杯を渡さないため。緩慢な滅びの下り坂を進む世界を避けようと、月の聖杯戦争に参加した。
理想と信念があり、そして決意を抱いている。生半な思いで否定してはならない。
だが、それでも、できる限り穏便に。そしてできれば事実を列挙するだけの書物だけではなく、彼女の思想などについての情報をもらいたい。それは、彼女について知っているらしきレオでなければ不可能なことなのだと頼んでみる。
「……そうですね。殺生院キアラ、というのは西欧財閥が指名手配している人物です。その原因は”万色悠帯”と呼ばれるコードキャスト」
レオ曰く。そのコードキャストは元々は医療用、カウンセリングのためのソフトらしい。
それだけであれば何も問題などなかったのだが、使用すると麻薬にも似た多幸感や幸福感・強い中毒性を生じさせる副作用があり、これが西欧財閥の中枢にまで蔓延しかかったので禁忌に指定され、製作者であるその殺生院キアラという女性が指名手配される羽目になった、ということ。
「ですが、今回のハンティングの対象になっていることを考えれば、その魔術師としての力量については考えるまでもありません。ただの医者、と甘く見ないほうがいいでしょう」
それに関しては言われるまでもない。あんな怪物を召喚、さらには使役できる時点で、それがただの医者だったら地球上はどんな魔境になっているというのか。
そう口にすると、レオも少し笑ってーーー。
「ええ。そんな魔境ではありませんよ。そんな魔境だったら、西欧財閥だって倒れてます。……では僕はこれで。貴方たちが殺生院キアラを撃破できることを祈ってます」
そう言って去っていった。