一回戦 一日目 『開幕』
気がつくと、白い天井が目に入った。
周囲を見渡して状況を確認してみる。どうやらここは学校の保健室のような場所。それも、多分
自分が横たわっていたのは、保健室ならば当然存在するベッドの一つ。どうしてこんなところに、と思って記憶を探ると、己の記憶の最後が謎の広場での気絶だということを思い返す。となると、きっと誰かがここまで運んでくれたのだろう。
そこまで思い出したことで、気絶に至るまでの道筋も思い返す。
電子の迷宮と呼べる空間につながっていた謎の壁のこと。
自分に絶対の死を押し付けようとした人形のこと。
そして、そんな地獄から己を救い出してくれた幼き少女のこと。想起される記憶は、どうしようもなく現実感が欠けている。
ーーーあれは、夢だったのだろうか。
「そんなわけないでしょう。あれを夢だと思えるなんて、一体どんな神経をしているんですか?」
疑念を言葉にすると、瞬間、隣に現れたのは、たった今”夢”と判断したあの広場の中での出来事で出会った一人の少女。
扉を開けた音はせず、保健室のベッドを覆うカーテンが開いた音もせず、ただ口を開いた一瞬の後にはそこにいた。「気がつけばそこにいた」としか口にできない出現方法。それはまるで、最初からその場にいたのではないかと錯覚してしまいそうになる。そんな瞬間移動じみた方法を以って、今この空間に少女は出現した。
「君は、確か……」
「なんですか、自分で召喚したサーヴァントすら忘れたんですか」
こんな人に召喚されたんですかと呆れる少女だが、気になる言葉が存在する。
その言葉は、確かにあの夢……ではないのか。もう、事ここに至っては現実だと認めることに否応はない。あの時の謎の天の声と称するしかない相手の言葉の中にも確かにあったはずだ。令呪の説明の時に『サーヴァントの主人になった証』だと言っていた覚えがある。
「サーヴァント……?」
けれどその意味まではわかるはずもなく。それを言葉にした途端に、はあっ、というような表情に少女の美しい顔が変化したことを見逃すことはなかった。
本気で言ってますと言いながらこちらが体を起こしたばかりのベッドに近づいてきて、その瞳にはありえないものを見るかのような色が存在する。
「まあ、いいですけど。あなたがどれだけ愚鈍であろうと私のすることは何一つとして変わりません。どんなあなたであっても愛してあげますよ」
で、何から聞きたいですか、とダウナーな雰囲気を漂わせたまま少女は質問を受ける態勢に。
聞きたいこと。そう言われるとたくさんあるのだが。
聞かなければならないこと。それもたくさんあるのだが。
けれど何から聞けばいいのかわからない。
サーヴァントとは何か。マスターとは何か。そして聖杯戦争とは何か。
聞きたいことは数あれど。けれど一つ。たった一つ。まず最初に聞くべき何かを言葉にしなければならないというのならーーー
「君の、名前は?」
助けてくれた相手の名前を知らないままでは、お礼もいうことはできない。
「私が誰なのかってことですか? 別に問題ないですけど……マスターさん、サーヴァントって言葉を知らないってことは、多分聖杯戦争についても知らないですよね」
「……う、うん。ごめん。何もわからない」
サーヴァント、聖杯戦争。
そのどちらもあの時に初めて聞いた言葉であり、わかる言葉があるとするのならサーヴァントが目の前の少女を指している言葉だ、ということと聖杯戦争とサーヴァントには何かしらの関係があること程度。それ以上のことも、それ以下のことも、何もかも自分はわかっていない。
「別に問題ないですよ。そんなことすらわかっていないマスターさんだからこそ、私以外のサーヴァントすべてから見捨てられたんでしょうし」
「そう、なのかな……?」
彼女以外のサーヴァント、というものがどういった存在なのかわからない。だから見捨てられたと言われても特別何か感情を抱くことはない。
「そういうものです。そもそも他に応える英霊がいたなら、私がやってくるはずがないじゃないですか。……それじゃ教えますよ。一回しか言わないのでそれで覚えてください」
そこから、彼女は説明を始める。
俺もそれに耳を傾け、何もわからない状況から脱しようとする。この状況、すでに自分の許容できる限界を超えているのだが、状況がが理解できる状態になれば多少は許容できるかもしれないのだから。
ーーー聖杯戦争。
それは月面で発見された太陽系最古の物体、ムーンセルという名前のあらゆる願いを叶えるとされる万能の願望器、すなわち聖杯。その所有権を求める戦い。
その戦場は今俺たちが存在する聖杯内部、霊子虚構世界
マスターとは、この聖杯戦争に参加した魔術師のことであり、聖杯戦争に参加した魔術師たちは皆、とある存在を使い魔として戦いに挑む。
その使い魔の総称こそがサーヴァント。過去、現代、未来。時間の軛に囚われることはなく、生前に名を馳せた英雄は後世にて信仰され、精霊の一種へと昇華された存在ーーー英霊。それを、七つの
その七つのクラスの名称はそれぞれ
聖杯戦争とは、願いを持った魔術師たちが、同じように願いを持ったサーヴァントを使役して、サーヴァントに行わせる代理戦争。ただの魔術師同士の争いではなく、誰しも勝利する可能性を作った上での戦争……すなわち殺し合いである、とのこと。
自ら以外の全ての願いを踏みにじった先に、己の願いを叶えるために万能の杯を手に入れることができる。そういった戦争なのだと。
少女は気怠そうにしながらも、丁寧に説明してくれた。
「最優のクラスって言われてるのはセイバーですけど。……そうですね、ここで一つ問題です。私のクラスはなんでしょう。ちゃんと話を聞いていたならわかるはずですよ?」
少し、悩む。『話を聞いていたら』と言ったからには、この会話の中にヒントがあるとは思うのだけれど。
思い返してみても、この会話の中にヒントになりそうなものはなかったような……
……あ。
「もしかして、アサシン?」
「はい、正解です」
……いやらしい。
確かに彼女の話の中にはそのクラスを特定する材料はあったが、それはこの会話の中ではなく彼女を召喚した広場で彼女が言っていたこと。彼女は自分で「サーヴァント、アサシン」と明言していた。
あの流れだったから、ここでの会話の中にヒントがあるものだと思い込んでしまった。
正解したので褒めてあげます、なんて言って棒読みでえらいえらいと言う少女。
わずかではあるが、その性根が理解できたような気がする。
「そういうことなので、これからは私のことはアサシンと呼んでください」
「う、うん。これからよろしく、アサシン……」
「ええ、宜しくお願いしますね、マス……そういえば、名前をまだ聞いてませんでしたね」
人にだけ名前を聞いておいて自分は名乗らないんですか、なんていうアサシン。特別興味はなさそうな態度ではあるのだが、尋ねられた以上は答えざるを得ないだろう。彼女は、俺にとって命の恩人にして、これから長い付き合いになるのであろうパートナー。彼女の方から名前を聞く形で歩み寄ってくれるのであれば振り払う理由など何もない。
「智仁。岸波智仁。……まあ、名前を明かしておいてなんだけど、アサシンの好きなように呼んでくれ」
「ええ、そうさせてもらいますよ、マスターさん」
やっぱり興味なんてなかったんじゃないか、と思いながらもそれ以上の言及はしない。
……そういえば、アサシンの真名については聞いていなかった。そのことについて伝えるとーーー
「真名、ですか? 別に弱点を突けるサーヴァントなんてそこまで多くないので聞かれても問題ないんでしょうけど……」
「けど……?」
そこで多少言葉を濁すアサシン。彼女が言葉を濁すというのが、少しばかり驚きで目を見開く。
けれど、一つだけわかる。ここで渋るということは言いたくはない、ということだろうとだけは。
「ええ、そうですね。私のマスターさんはひよっ子だということがわかったので、情報の大事さが身に沁みてわかるまでは真名については内緒です。実際、こんなところでこんな会話を始めようとする時点で落第ですけど」
「うっ……それは……」
そうだ、よくよく考えたらここがどこなのかすらよくわかっていない状態だったのだ。
それはつまり、誰がいたとしてもおかしくはない状況だったというわけで。
そんな状況で話を始めた俺はどう考えてもただのバカだ。
「わかっているなら問題ないです」
一つ少女は頷いて、直後現れた時と同様にして姿を消す。
目を離していなかったはずなのに、瞬いた瞬間にはその姿は消え去っていた。
物理的なものではなく、空間的な消失。その場に存在するけれど、誰からも認識されないであろう状態。ーーー後で聞いた話だと、サーヴァントであれば誰しもが持つ「霊体化」という能力らしい。
「あ、智仁さん。目が覚めたんですね。よかったです」
アサシンの姿が消えると同時に保健室の扉が開き、どことなくアサシンが成長した後の姿のような印象を受ける少女ーーー確か、あの偽りの日常では間桐桜という名前だった覚えがあるーーーが入ってきた。
違いを述べるとするのなら、やはり先ずは髪色だろうか。アサシンの純白の髪とは違い、少女の髪は藤色だ。
「セラフに入られた時に預からせていただいた
その言葉とともに、聖杯戦争というものについての知識を多少取り戻す。
アサシンと出会う前のあの偽りの日常生活の正体。あれが、聖杯戦争における「予選」と呼ばれるものだったということを。
聖杯を求めムーンセルへと侵入した魔術師は、門を通過する際に記憶を消去され、一生徒として日常を送ることを強いられる。それが予選の内容。
その偽りの日常にて与えられた
それが出来なければ死あるのみ。そんな、凶悪な篩にかけられたのだ。
「あれ……?」
けれど、そこで違和感が襲いかかる。
自分は予選を通過した。それはここにいるという事実が示している。だからこそ、己の記憶は全て戻っているはずなのだ。ここに来る前の自分がどういう人物で、何を目的としていたのか。
それら、戻っているはずの全てがーーー伽藍堂のまま、何も思い出せない。自分が何者で、何故この戦いに参加したのか。最も重要な
「え、記憶の返却に不備がある、ですか……? それはわたしには何とも。
自らがAIだと明かす少女、間桐桜は、記憶が戻っていない不都合に困惑の表情を浮かべるだけ。
確かにここは人間同士の争いの場ではあるが、
「あ、そうでした。これ、渡しておきますね」
少女が取り出し、こちらに渡してきたのは携帯端末らしき何かだった。
とりあえずは連絡用らしきものだが、もしかしたら他にも何かしらの用途があるのかもしれない。
けれど、この状況ではこれを使用してどうこう、というのは不可能。
とりあえず、この保健室の外を見て回るとしようか。
聖杯戦争の舞台となるのは、一般的な校舎。偽りの日常と同じ場所であるのなら、ここは月海原学園ということであっているのだろうか。
これといって特徴のない学園の敷地内。その中でも解放されている廊下、教室、校庭、地下の食堂、中庭、果てには弓道場にすらもマスターと呼ばれる存在は跋扈していた。
意気込みを語る
すでに作戦を構築し始めていた
あるいは、校舎の内部を走り回る己より幼い、アサシンと同年代程度の少女や、逆に「厳つい」としか形容できない強面の老人、歴戦の軍人としか呼べないような存在もいる。
ここにいる魔術師たちは全員、記憶を消され人形とともに駆けるあの予選を超えてきた猛者たちばかりである。そうと思ってしまえばこそ、彼らの全てが周囲に対する警戒を確実に持っていると理解できてしまい、その緊張感を抱けていない己が、この空間においての異物だと感じてしまう。
「あれって……」
そうして、多少の気まずさを感じながらも校舎の中を散策して、最後にたどり着いたのは学園の屋上。
開放的な空間ながらも0と1で構成された電子の空による閉塞感も確かにあって、そして次にその中でも異彩を放つーーーいいや、あらゆる注目を一身に集めてしまうであろう少女がフェンスによりかかながら地上を見つめていることに気がついた。
あの赤い服を着た少女についての情報は、予選の時にも手にした気がする。
思い返せ。一体誰が言っていたのだろうか。ーーーそう、そうだ。慎二だ、
月海原学園のアイドル的存在。才色兼備という言葉はまさしく彼女のためにこそ存在するとまで言われた女性。
確か、名前はーーー
「遠坂、凛」
『うわぁ……本当ですか、これ。あの恋愛脳の女神と会うことは流石にないだろうとは思ってましたけど、まさかこっちと会うことになるとは……。いやいや、まだこの遠坂凛があれの知り合いだと決まったわけじゃ……』
名前を、口に出した。同時にアサシンは少し焦ったような状態に。この短い付き合いではあるが、それでもこの姿は珍しいと思う。
名前を口に出したからか、存在に気がつかれた。そこまで大きな声だったつもりはないが、この誰もいない空間だったからか声は響き、それに伴い遠坂はこちらを振り向く。
「あら、貴方ーーー」
「な、なんですか……?」
ずいずいと遠坂はこちらに歩み寄ってくる。さすがに彼女のこの行動は予想外だ。こちらが戸惑っている間に、遠坂は距離を詰め終えてーーー
「まだキャラの方はチェックしてなかったわね。…………ちょうどいいわ、ちょっとそこを動かないで。すぐに終わるから、じっとしてなさい」
その言葉の意味を噛み締める時間すらもなく、理解するよりも先に遠坂の指がこちらの体に触れてきた。
あまりに突然すぎることに何も抵抗できず、その細く、白く、柔らかい指先が頬に触れることを止められなかった。
言葉からして、何かしらの情報を探ろうとしているのはわかる。けれどーーー
「…………へえ、温かいんだ、生意気にも。変ね。顔が赤くなってるような気がするけど」
どう考えてもこれは、聖杯戦争に関係あるとは思えない。一体彼女は何を探ろうとしているんだーーー!?
「けっこうリアルなのね…………。ん、何を笑ってるのよ? NPCだってデータを調べておいた方が……え、彼もマスター? ウソ、だ、だって……マスターならもっと……」
何かしら、おそらくは己のサーヴァントからの言葉でようやく俺がマスターなのだと気がついたらしい。
「別に私のマスターが没個性なのは事実だからいいんですけど」
「サ、サーヴァント!? やっぱり、あなたマスター……いや、それじゃあ調査という名目で身体をベタベタ触っていた私って一体―――ッ!?」
けれど、遠坂凛の名前を聞いて反応がなくなっていたアサシンが霊体化を解いて言葉を発したことでようやくそれを認められたらしい。
己の所業を思い返して悲鳴じみた声をあげる遠坂に、白けた瞳を向けるアサシン。そこにはなんとも言えない感情が浮かんでいるように見える。ここに至るまで無気力だという雰囲気を醸し出していたアサシンが。
「う、うるさいっ! 私だって失敗ぐらいするわよ! ち、痴女とか言うな!」
「いえ、どこからどう見ても痴女そのものでしたよ」
なんとなく、アサシンの態度には棘があるように感じる。
遠坂凛は、おそらくは霊体化して潜んでいる己のサーヴァントからのからかいの声にムキになって叫んで、さらにそこにアサシンからの追撃が入ったことで一瞬息を詰まらせる。
「大体っ…………! そっちも紛らわしいのよ! 影薄すぎて
「確かにマスターさんの陰が薄いのは事実ですけど、そんなのは貴女が少し注意してみれば十分にわかることでしょう? その努力を怠ったくせに文句を言うなんて、ねぇ?」
本当に、どういうことなのだろうか。アサシンは何事にも無気力な感じの少女だと思ったのだが、遠坂凛には棘のある、という正の方向ではないにしろ、感情がこもった言葉を向けている。
自分よりも、遠坂凛の方が彼女の興味を引いている、ということだろうか。出会ったばかりだとは言え、これから先を一緒に戦っていくことになるサーヴァントに興味を持ってもらえていないことは、少しばかり悲しく感じる。
ただ、遠坂凛の「影が薄い」という言葉は的を得ている。
一般生徒と見間違う、というのは、俺は彼らと同様に『
だが、そうなるとこれは本当に俺が悪いわけではないのではなかろうか。だって、このミスには俺は一切関わっていない。そのことも含めて事情を全て伝えると、彼女の表情は深刻そうに歪んだ。
「それってかなりマズいわよ……記憶が戻ってないのは、つまり肉体とのリンクが途切れているってことだし。早めに回復させないと、聖杯戦争どころじゃなくなる。ああ、でも―――」
きっとそれは、聖杯戦争に参加したものからすれば至極当然のことで。
けれど命懸けであると理解した上でここに来ながらも、その理由を取り戻せない俺からすれば恐ろしいほどに平坦な声音。
「記憶があろうが無かろうが同じことよね。聖杯戦争のシステム上、勝ち残れるのは一人だけ。貴方みたいな人は、早い段階で脱落するだろうし……何処で死のうと、変わらないしね」
遠坂凛は、一瞬でお人好しから戦士……聖杯戦争に参加するマスターに切り替わっていた。
辛辣な台詞は、彼女が敵であることの証明。お互いに聖杯を求める限りは、どうしようもなく最後には戦い、命を奪い合わなければならない関係性であることを自覚させられる。
だからこそ、遠坂凛が「敵」に対して向ける態度には一切の疑問を挟む余地はなく。むしろ、それに怯えてしまう己の態度にのみ問題が全て集約する。
記憶がない。故に願いは分からず、戦いに対する覚悟もできていない。
聖杯戦争という殺し合いにおいて、その事実は致命的なまでに心の中に食い込んでいた。
「ご愁傷さま、せいぜい私と当たらないように祈ってなさい」
遠坂凛は、屋上から去っていく。
早い段階で己が脱落するであろうことをだけ告げて。
今はその言葉を心に留めておくしかない。迷いは、己の身を死に至らしめるだけのものだと。
やるべきことがわからない。そんな状況下にありながらも、だからこそ止まっているわけにも行かずに聖杯戦争本戦参加者が何をするべきか。それを探しながら校舎の中を歩いていく。
その最中、一部のマスターたちのように学校内部にいるにはふさわしくない格好をしながらも、マスターとしての雰囲気を醸し出していない人物を一階の玄関付近で発見した。
毅然とした態度で立つ、
彼ならば何か知っているだろうか、と思って話しかけようとしたところでーーー
「おや……本戦出場おめでとう、少年。私は言峰。この聖杯戦争の監督役として機能しているNPCだ」
言峰、と名乗る男性。
彼の一言一言に、一挙手一投足に、なぜか不快感を掻き立てられる。
嫌悪に似た感情を引き出すその声を長く聞きたいとはどうしても思えずに、その精神に毒を滑り込ませるような声による説明を黙ることで促す。
とは言っても、そもそもが
「この戦いはトーナメント形式だ。一回戦から七回戦まで勝ち進み、最終的に残った一人に聖杯が与えられる……つまり、128人のマスターたちが毎週殺し合いを行い、最後に残った一人だけが聖杯にたどり着くというわけだ……非常に分かりやすいだろう? どんな愚鈍な頭でも理解可能な、実にシンプルなシステムだ」
戦いは一回戦ごとに七日かけて行われる。一日目から六日目までは
そして、その戦いに決着がつくのは七日目のこと。相手マスターとの直接対決。逃れられない殺し合い。その殺し合いの果てに生き残ったマスターだけが次に進める。
……確かに、彼の言う通りわかりやすいことこの上ない。たとえそこに至るまでにどんな過程を経たとしても、七日目に勝ち残ることができなければ、それらには何も価値がない。ただ、そこには死という無情な結果が残るだけだ。
だが、そうなると気になることがある。対戦相手の決定方法と、その知らせ方だ。少なくとも、目が覚めて以降、対戦相手に関わる情報を聞いた覚えがない。
そのことを伝えるとーーー
「何? 一回戦の対戦者がまだ決まっていないだと? ……どうやらシステムに不備があったようだな。明日までには君の対戦者を手配しよう。それからもう一つ―――」
言峰の言葉に従い端末を取り出すと、その端末が軽快な電子音を響かせながら震える。何か、情報を受信したようだ。
「
より正確にはそれの承認コード、らしい。ただ、それがどういったものなのか全くわからない。言峰に視線を向けると、彼はその内容を語ってくれる。
「本戦に勝ち進んだマスターには個室が与えられる。戦士には時に休息も必要だという、運営からの計らいだ。認証コードは端末の方に渡しているため、後で確認しておくといい。……さて、説明は済んだかな。暇を持て余しているのなら、”アリーナ”へ行ってみてはどうだ。鍵も既に開いている。今日のところは、そこの空気にでも慣れておけ」
アリーナ。それがどういったものなのかはわからないが、運営役からの言葉だ。行ってみる価値はきっとあるだろう。準備ができたら行くとしよう。
ーーーアリーナ:一の月想海、第一層
入り口となる予選の時に通り抜けた壁に設置されていた門から迷路状の空間、電子の訓練場たるアリーナへと足を踏み入れる。
海底を思わせる、静謐な、そして厳かな雰囲気に。そしてそこに巣食う異様な何かの雰囲気に体が震える。
「さあ、それじゃ行きましょうか。……まあ、さすがに今日いきなりアリーナ踏破、なんてマスターさんには無理でしょうし。途中まで進んで帰るのが一番いいんじゃないんですかー」
真横には、アサシンが霊体化を解いて出現する。
アリーナには、
これの打倒はサーヴァントの力無くして叶うことはなく、人間ではどれだけ頑張ったとしてもエネミーに勝ち目はない。
「そう、だね。それじゃ行こうか」
「ええ」
歩く。歩く。アリーナの構造はなかなかに単純で、少し歩いたところにエネミーと呼ばれるプログラムらしき何かを発見する。
その姿を認めて、アサシンもわずかに前に出る。手には、あの時に持っていた弓は持っていない。素手で戦うのだろうか、とこれまでのやる気がない雰囲気を思うと多少不安に感じたが、よくよく考えてみれば彼女はサーヴァント。武器に関しても瞬間的に呼び出せるのだろう。
「アサシン、頼んだ……!」
「はいはい。……気乗りはしないんですけど」
刹那、少女の姿はすでにエネミーの目の前に。その周囲には蒼黒のエネルギー弾が取り巻いている。徘徊する一体のエネミーに殺到するエネルギー弾の数々。内包するエネルギー量からして一発だけでも俺を数十回は殺してもお釣りがくるような代物。
立方体を二つ繋ぎ合わせたようなエネミーも、サーヴァントでなくば倒すことは不可能と称されたことは伊達ではなく、絶え間無く襲いかかるエネルギー弾に翻弄されることにはなったが一撃で消滅することはなく、けれど抵抗をする暇など与えてもらえることもなく。
やがてエネミーは黒い粒子となって消滅する。やはり、サーヴァントというのは尋常ではないのだろう。それこそ、人間では逆立ちしても敵わないほどに。
「ありがとう……それじゃ、先に進もうか」
「……ええ、そうですね。面倒ですしぱぱっと済ませてしまいましょう」
どことなく、妙な雰囲気を見せるアサシンに疑問を抱くが、それでも戦闘そのものには一切の支障はない。そこから数体ほど同じ型のエネミーを撃破した後、これまでとは違う蜂型のエネミーを撃破したところで帰ることにした。
初日、まだ自分たちの限界がわかっていない状態での無謀な前進は危険だろう。ここはすでに戦場。一歩間違えれば自分は死ぬのかもしれないのだから。
夜ーーー学園:マイルーム
言峰神父から渡された
完全密室のプライベート空間。この空間であればどのような会話をしても問題はない。情報の漏洩に対するストレスが存在しないこと、それを除いたとしても「戦士には休息が必要」という言葉を反映したかのようにベッド……休息の場所が存在する事実、それが安息を与えてくれた。
けれど、うちのサーヴァントはそんな安息に浸ることを許してはくれないようで、顔を曇らせている。
「マスターさん。さっきのアリーナでわかりましたが、どうやら私は本来の力を全く発揮できていないみたいです」
「あれだけのことができてたのに……?」
アサシンの言葉。それは全く信じられない。
いいや、別にアサシンが信じられないわけではなく、人間では決して敵わない相手を瞬殺しておきながらも、全く力を発揮できていないことに驚いている。
これが、サーヴァント……英霊と人間の違いということなのか。
「ええ。エネミーを撃破できる程度の力しか出せていません。……まあ、理由はわかっていますけど」
「理由……?」
それはなんだろうか、と問いかける。
彼女に守ってもらう身として、己にその理由を排除できるのであれば身を賭して行わなければならないだろう。そうでなくては、結局死ぬのだから。
「原因はマスターさんですよ。マスターさんが未熟なのか、それともあの召喚が異例なのか。その理由はわかりませんが、それによって私の
「俺のせい、なのか」
「その通りです。……ですが、それでも問題ないです」
そう言って、ベッドに座っていたアサシンは立ち上がり、こちらによってくる。
命の危機、というわけではなかったが、それでもマスターとして戦闘の指示を出したことで多少は疲れているらしい。こちらは眠気に襲われている。
そんな、働かない頭の中で、少女の甘く、蕩けるような声は脳髄に深く染み渡る。
「マスターさんが未熟でも、完璧でも、そこから這い上がろうと努力しても、全てを投げ捨てて諦めてしまっても、その全てを私は愛します」
「それ、はーーー」
ダメだろう。そんなことを言われて、立ち上がれる人物はいるのだろうか。疲れたこの体には、まるで甘やかすかのような言葉は毒のようなものだ。きっと、立ち上がる力は奪われてしまう。
それは、堕落だ。己があの時振り払ったものだ。だから、振り払わないといけない。
「いいんですよ。私は、人が堕落する姿を見るのが好きなんです。だからーーー」
あなたが望むのなら、いくらでも。それは別に義務でもなんでもなく、楽な方に流されることは人間の性なのだから、とアサシンは告げる。ああ、流されてしまいたくなる。
けれど
「だめ、だよ……」
やれるだけのことをまだ全て終えたわけではない。休むのはいつだってできる。やらないという選択肢を選ぶことはいつでもできる。
けれど、「やる」という選択肢は今この瞬間にしか選べない。だから、今はそちらを選ばないと。いずれ訪れる「休む」以外の選択肢を取れなくなるその瞬間までは。
そう告げると同時、ほぼほぼ眠りにつきかけていた己の思考が、瞼を閉じるのと同時に深い闇の中へと沈んでいくことを感じた。
だからだろうか。それに気がつかなかったのは。
「……」
アサシンがこれまでとは違う、多少の興味を持った視線をこちらに向けていたことに。
人類悪、ビーストⅢ/Lの興味を引いたようです(まだビーストではない)