ーーーアリーナ、一の月想海、第二層
アリーナの第二層。そこに入った途端に、己の背後に存在する入り口の転移スポットが封鎖された気配を感じた。とっさに後ろを振り向くと、そこには光を失った入り口が存在する。
『あはははっ! 聞こえるか、岸波!』
「慎二……!?」
一体どこからと思ったが、どうやらこの空間全体に響いているようで、慎二の姿はどこにも見当たらなかった。
『今日は少し面白い趣向を思いついてね。この入り口を封鎖させてもらったよ。君たちが出るには、アリーナの出口の転移門からしか不可能だけど、もちろんただそれだけで終わるわけがないだろう? どうせ君程度じゃ、僕と戦うに値するプレイヤーにすらなれないのさ。だからこそ、最低限の優しさってことで、出口にこの間君たちが一も二もなく逃げ出したあのエインヘリアルを置いておいた。せいぜい、あれにやられないように、アリーナの中を永遠に彷徨っていればいいさ!』
慎二は叫ぶ。目には見えないが、俺たちが出口のシャドウサーヴァントに手も足も出なかった事実に、閉じ込めてそれと接触するしかない状況に追い込むことで俺たちを処分してしまおうという考えに思い至ったのだろう。
それを最後にアリーナ内部と校舎内の連絡は途切れたようで、慎二たちの声は響かない。
「あー。確かに気配がありますね。このあいだのシャドウサーヴァントの気配です」
「……行ける?」
「何聞いてるんですか?」
行かなきゃ死ぬだけですよ。それはあなたは
その言葉は、彼女が俺の在り方をわかってきてくれたことを端的に示している。
ここまで明確に、彼女が、俺の性格を理解して尊重していることを言葉として示してくれたことはあっただろうか。
わからない。わからないけれど、今はそのことを考える必要はない。態度で示してくれていたことは理解しているが、それ以上については今日が終わってから考えればいい。
アリーナ第二層の奥から感じる気配。
エネミーのそれとは違う、濃厚ながらも希薄な生の気配を感じながらも先に進む。
道中のエネミーたちはアサシンの強化された魔力弾が一撃で粉砕していく。
「さて、どうします?」
「ここまできてどうするって……」
苦笑。
既に逃走という選択肢は存在しない。
たとえ逃げたところで、待っているのは決戦場に姿を見せなかったことによる自動敗北。それに万が一あれとの戦いを回避し、校舎に戻るという目的を達したとしよう。だが、その程度の覚悟ではどのみち明日の決戦に勝利することは叶わない。明日の勝利に繋げるためにも、今日の戦いは必須だ。
「なら、指示をくださいマスターさん。
俺の号砲が、アサシンの行動を決定づけるのだと、そう宣言されたからこそーーー。
「ああ、わかってる。……頼む、アサシン。あのサーヴァントを倒してくれ……!」
その戦いは必然。
アサシンが弓を構え、同時に周囲に魔力弾が出現する。黒い人型の影が腰を落とし、片腕を引いてもう片方を突き出す、以前と同じ構えを取る。
ここに慎二がいないからか、それともこのサーヴァントは対戦相手とは認められていないのか。少なくともこの戦いにおいてはセラフからの介入はない。
これは、マスター同士の私闘ではないのだから。
だが、今はそちらの方が都合がいい。
存分に、取り戻した力を試せるのだからーーー!
「いきます!」
アサシンの叫びとともに放たれた幾条もの矢。
そこに内包された魔力はこれまでの全力の比ではなく、無数に枝分かれした矢の全てがエネミーを一撃で粉砕するに値する代物。
それら全てが、たった一つの攻撃の迎撃に向けて放たれる。
「えーい!」
高速で飛来するは一本の剣。
周囲の時空を歪めながら、ただただ光の速さを超えてアサシンの心の臓を狙い撃つ。
己の通る道だけではなく、その周りすらも歪ませていくその刀身にはまさしく全てを破滅させる太陽の属性と、それと相反する呪詛が篭っている。
ここに存在する、敵サーヴァントが呼び出した代物は
あまねく命を照らす太陽の属性を持ち。
さりとて聖なる属性を持つわけではなく、その栄光を切り捨てて魔剣という名前を得た。
今となってようやく、その剣の銘がわかる。
真なる太陽を湛える、古き神代の魔剣にして、新たに魔性を得た新生魔剣。
故にこそ、その名は”
魔剣による破滅、その中でも
そして、その剣の持ち主として英霊となれる人物には幾つか選択があるが、シャドウサーヴァントとなりながらも、これほどまでの力量を保ったままの戦士となれば、このサーヴァントの真名は英雄シグルドに他ならない。
以前は、迎撃は不可能だと一瞬で悟って必死に逃げたそれも、今となっては力のほとんどを解放できていないと理解できるからこそ迎撃が可能。
これまでは、そんな程度の状態のサーヴァントとすら戦えない程度の実力しかなかったのだと、今になって痛感する。
少女が穿ったその剣は、けれどその程度の一撃で欠けることはなく。せいぜいが勢いを失って落ちた程度。
「……!」
それを、落ちるよりも早くサーヴァントが拾い上げる。
地震かと錯覚してしまいそうなほどの揺れを引き起こした踏み込み。同時に握った剣が大気を切り裂きながらアサシンの体を袈裟懸けに切り裂く軌道を描いて迫る。殺到する魔力弾に対して一切の反応を見せることはない。己の体が削られながらも戦いに必要となる機能だけを残すことを目的とした回避。それとともに放たれる剣の一撃は、確かにその体を切り裂くーーーはずだった。
「あら、どうしたんですか? まさか私が近接戦をできないとでも思ってたんですか?」
その一撃を防いだのはまさしく神の兵器。彼女が新しく身につけた金の杵のアクセサリー。それが巨大化したような何かが、剣が彼女の肉体を切り裂くことを防いでいた。
黄金の杵が纏うは雷電。神の兵器たる杵であると言っても、これほどまでの雷を操るとなればその格は疑う余地もなく強大。オリュンポスの天候神にして最高神、ゼウスクラスの神格ではないだろうかと思ってしまう。
それほどまでに強大な代物を、少女はただ己の身を守るための自動防御にしか使用していない。あまりにも贅沢すぎる防御。これを攻撃に回せば一瞬で決着がつくという代物。それを、攻撃を己の逸話のそれに頼りきりにはしないということを見せるかのように、攻撃には使用しない。未だに余裕があるようにしか見えないというのに。
「!? アサシン、何かくるぞ……!」
シグルドが下がる。雷電に体を削られボロボロとなっていながらも、その戦闘能力に一切の限りを見せない英雄の残骸。それが虚空に描いたのはルーン文字。現代からはすでに失われた原初のルーンが空間に煌めき、多種多様の効果を見せる。氷の刃が風の刃に乗って荒れ狂い、岩石が先を尖らせてアサシンの逃げる場を奪いながら現出する。
そしてーーー。
「えーい!」
まるで
十八種のルーン文字に対して放たれたのは三十七矢。一つの文字を二発が打ち抜き、最後の一矢はシグルドの胴体を貫く。
だが、竜殺しの英雄は止まらない。心臓を貫かれたとしても止まらない。ここにあるのは真のシグルドではなく、人格が存在しないエインヘリアルとしてのシグルドであるがゆえに。真のシグルドであれば一度は止まるような負傷を以ってしても止まることはない。
真名解放は不可能ながらも、引き出される太陽の属性。
拳で柄を殴り飛ばし、同時に放たれるは全てを焼き尽くす灼熱の
「いい加減眠ってください」
それも、当たればの話。太陽の炎は速度を上げるわけではなく。だからこそ多少大げさな程度に良ければいいだけのこと。炎が燃やす範囲を、多少大げさなまでに読み取ってしまえばいいだけのこと。
先の焼き直しのようにすでに距離を詰めたシグルドが握り直した”
剣が止まる。そこに、態勢を立て直す暇すら与えずに黄金の雷杵が鎧を砕く勢いで叩きつけられる。この迎撃すらも読んでいたのか、いつの間にやらシグルドが放っていた短剣は時間差で届くが、それはアサシンが魔力弾を以って叩き落とす。
「これで、おしまいです」
瞬間、交錯する視線。
理性がないがゆえにシグルドの瞳から読み取れる感情はなく。
理性がないがゆえにアサシンの瞳の感情をシグルドが読み取れることはない。
哀悼も、感謝も、憎悪も、憤怒も。そこにある感情がどういったものなのか、アサシンの瞳の中にある感情を知ることができた相手はいない。
ーーー学園:マイルーム
「いよいよ明日が決戦ですね。……まあ、やれるだけのことはやったわけですし」
あの後、出口となっている転移門から脱出した俺たちは、マイルームで
今も、緊張している。不安しかない。まだ何かやれることがあったんじゃないかと心の中から声が聞こえてくる。
そんな俺の様子を見抜いたのか、アサシンは「やれるだけのことはやった」と言ってくれる。ベッドに腰掛け、足をプラプラと遊ばせながら、普段俺を堕落させようとする甘い声で、俺の緊張を解しにきている。普段は身を任せることのないその声に、けれど今は癒されていた。
「うん。ありがとう」
買ってきたパンを食べる。正直に言って喉を食べ物が通るとは思えない。けれど、食べなければ、体調を整えられないのであれば明日の戦いに勝ち目はない。
一応、アサシンのぶんも買ってはある。彼女が何を好むのかわからなかったから、プレミアムロールケーキという女の子が好みそうな代物を。
「勘違いしないでくださいね。この姿は、てぃーぴーおー? に合わせているだけで、ええ、普通の子供と一緒の扱いをされるのは心外ですよ。……いや、ちょっと待ってください。別にそのプレミアムロールケーキがいらないとは言っていません」
「あ、うん」
心外ですよ、と言われたので片付けようとしたところで待ったを食らう。彼女を子供扱いはせずに、されど子供舌の彼女の好みに合うものを買ってくればいいのか。
少し、気が紛れたような感じがする。
「それは良かったんじゃないですか? ……で、何が不安なんです? もうどうしようもないですよ。これ以上は何かの準備をできる時間はないですから。今日までにやれるだけのことは全部やりましたしあとは覚悟を決めるだけです」
「……そう、だね。これは確かに不安だけど、それでも不安だけじゃないと思う」
「なら、一体?」
明日の勝負。それは命がけだ。
それはつまり、間桐慎二と岸波智仁。そのどちらかが死ぬということでもある。
もしも俺が勝ち残り、慎二のサーヴァントを打倒できたとして。その場合残る結末は慎二の死亡ということだけ。それを生きるために必要なことと割り切れるのであれば、俺はここまで迷ったりはしていない。
「要するに……ああ、うん。そうだ」
言葉にして気がついた。
「俺は、自分が勝ってもいいのかわからない」
自分には記憶がない―――。
自分が何者であるのか。自分が何のために聖杯戦争に参加したのか。
ただ漠然と、”殺されることを良しとする堕落を認められない”と願っている。それは、もっと単純な言葉で示すのであれば”死にたくない”なんていう、誰もが思っているであろうことだ。
世界の安定を謳い、支配を確実なものとするべく参加した西欧財閥のレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。
彼の行動を阻止するため、確固たる決意と共に参加した遠坂凛。
他にも多くの魔術師たちが、万能の盃を求めて命を懸けている。きっと、間桐慎二もそうだ。願望に優劣があるとは思わない。けれど……”死にたくない”という願いだけで、彼らのような崇高な願い、と一部からは呼ばれるであろう願いを轢殺して、彼らを殺すことを、自分は認められるだろうか。
「うーん、そうですね。ぶっちゃけた話、マスターさんが覚悟を決めようが決めまいが、どっちでもいいんですけど」
「……アサシンからすれば確かにそうだろうね」
「ええ、その通りです」
苦笑しながら言うと、アサシンも頷いてくれる。
彼女に相談したのは間違いだったけれど、自分の中の悩みが明確な形になったのはいいことだ。
あとは、この悩みの答えをどうにかして見つけないとーーー。
「でもまあ、マスターさんには負ける場合は言い訳の余地を一片も残さないようにしてからじゃないと、死の直前でも堕落してくれそうにないので」
そうですね、なんて言いながら顎に手を当ててアサシンは考えている。
何かを得るには何かを犠牲にしなければならない。
生物は他の何かを犠牲にしながら生きている。犠牲なくして生物は生きられない。奪い、求め、糧とする仕組みは世界が定めたものだ。生存による犠牲の肯定。そのルールを認められない自分の方が異質なのだ。
当然のことを当然として認められない。そんなものは、ただ臆病としか称することができない。
けれど、そんな自分のために戦うに足る理由をアサシンは考えてくれている。
それが純粋な善意ではないとしても、そこで理由を与えてくれるのであれば俺にとっては救いでしかない。
ゆえに、彼女の言葉を待つ。
聖杯―――万能の杯に願うような理想が俺には無い。地に足が付かないこの感覚、それは戦う目的が存在しないがゆえの空虚さだと言うのであれば。
サーヴァントに、それも自分よりも幼い少女を相手に聞くのも間違っている気がするが、今はそれでも見つけたいのだ。前を向ける意味を。
「堕落を振り払うだけでは納得がいかないのなら……」
自分だけでは見つからないその答え。たとえ仮のものであったとしても、何かの理由が欲しい。
その答えを、確かにアサシンは持っていた。
「だったら、私の願いを叶えるために頑張ってもらえませんか?」
けれどそれは、己が全く思ってもみなかった答えでもあった。
「アサシンの?」
「ええ。私にも願いがありますし」
何のために戦うのか。その答えは千差万別。アサシンもアサシンで俺に従ってまで戦う理由は確かにあるはずだ。
だが、だからこそ、マスターに対して自分のために戦えなんて言うサーヴァントとは思いもよらなかった。
けれどーーー。
「うん。それはそれでいいかもしれない」
自分には記憶がない。だからこそ、何を目的とすればいいのか。それは、己が目覚めて、己という人格を得てからの日々で会得したものの中から見つけなければならない。
ならば、己の人生で一番大きなものとは何か。そう問われればきっと命の恩人であるアサシンが最初に出てくる。彼女の存在は、今この場にいる己を成立させる最も大きな
だからこそ、そんな彼女のために戦うことは至極当然のことなのかもしれない。
「アサシンの願いを叶える。確かに、何もない俺からは見つからなくても、俺と一蓮托生になっているアサシンには願いはあるんだもんな」
そして、今は俺の戦う理由がそれだけのものであったとしても、これから先も戦って行けば、あるいは願いが見つかるかもしれない。
今はただ、彼女
だからこそこの決意は大きく、明日の戦いを容認はできても肯定することはできないままながらも、猶予期間が終わる。
彼女との夜がこれで終わるかもしれないと、途端に未練が沸き上がった。けれど、たとえどれだけ願ったとしても、それで時間が止まることはなく、時計の針は無慈悲に進む。
決戦の時は、刻一刻と、音を立てて近づいていた。
目の前で眠るマスターさんの顔を見る。
この顔も明日で見納めかもしれないと思うと、多少の名残惜しさは湧いてくる。
この依代にとっての光だった人物とはまた違う、けれど前に進む意思をはっきりと持っている人物。
「……やっぱり、この一週間にも満たない期間じゃ堕ちませんでしたか」
心を打ちのめさないと、きっとこの人は堕落しない。
そのことを理解しているが、だからこそ納得がいかない。
「私は、カーマ。愛の神」
己のアイデンティティーを再確認。
全てを嫌いながら同時に全てを愛せてしまう、そんな存在。
全てを堕落させないと気が済まない、そんな存在。
「だからこそ……」
ああ、そうだ。だからこそーーー。
「私に堕落することなく、人生を終えるなんて許さない」
本気を出す理由なんてそれで十分。
彼が堕落を受け入れるまで、死なせるわけにはいかない。
堕落させられずに終わった相手、など認めるわけにはいかないのだ。
「だから、安心して私を頼ってくれていいですよ」
すでに眠ったマスターさんの頭を撫でる。
先の一件。自らが戦う理由。その部分だけの話ではあるが、彼は私のことを頼ってくれた。
真正面から堕落させにかかるよりもきっと、彼自身のアイデンティティーの面から攻める方が有効だろう。
「私はいくらでも、その苦悩
すでに暗くなった部屋で、私はそう呟いた。
私の願い(ビーストになって全人類を堕落させること)
つまり主人公が世界を滅ぼす一助を成すことに……