寡黙な瞳がアサシンを貫く。
万物の命を薙ぎ払う絶望の嵐。それが巻き起こるのは命などついぞ存在せぬ、暗黒の海底。そこに、破滅の嵐を巻き起こすのはたった一本の槍を振るう、たった一人の男であった。
そんなものを巻き起こせる存在が常人に理解の及ぶ存在であるはずがない。
北欧の主神。戦争と死を司る神にして、詩文を司る吟遊詩人のパトロン。魔術についても造詣が深い。
ライダーは無言のまま。その真名より想起できる限りの魔導の深淵をはるかに上回る秘術を一切の躊躇なく振るう。
その二つ名に嘘偽りなど何もない。魔術の神として、嵐の夜を率いる王として。その威厳を存分に見せつける。
「ーーーーーーーーー」
衝撃が響く。空間を震撼させる破壊の余波に、顔を蔽わざるを得ない。
ライダーの指の動きに従って空間に紡がれる魔術の秘蹟が煌めき、アサシンの放つ矢がそれらの中核を撃ち抜いてく。互いの霊核を貫くために放たれた遠距離攻撃は互角。互いの攻撃を打ち消して終焉となる結果が現れた。
「ーーー駆けよ、スレイプニル。天を駆け、我が身を勝利へと疾く運べ」
ライダーの号令に従って、彼が騎乗するスレイプニルが吼えて、その八つ足を動かし始める。
空気が揺れる。常識に逆らって空を駆けることで発生する空間への地震は俺たちの足場を確かに揺らし、安定を保つことができない。
アサシンが弓で狙おうにも足場が安定しないせいでまともに狙えそうもない。
「ーーー来たれ、我がエインヘリアル。ここに汝らの武威を示せ」
そんな俺たちに頓着することはないライダー。その新たな号令に従って、その軌跡を追うようにしてシャドウサーヴァントたちが一人、また一人とオーディンを先頭として軍団を成していく。
そこには、あの日撃破したシャドウサーヴァントも存在する。宝具として召喚され、すでに失われたはずのその存在。ーーー何故呼び出せるのか。それは、まさしく当然の疑問というほかなかった。
だがーーー。
「
そうだ。何もおかしなことなどないではないか。原典ですら語られている。
エインヘリアルとは、毎日朝から殺しあって、その夕方には蘇るとされる存在なのだ。
ならば、いくら使い捨てたとしても問題はない。俺たちが倒したシャドウサーヴァントも、彼にとっては使い勝手が良く、リサイクルもできる戦力というだけに他ならない。その戦闘能力はピンからキリまで千差万別。けれど、そのどれもが、彼にとってはそこまで大きな価値はない。
「行け」
端的な命令に従って、無数のエインヘリアルがアサシンに向けて殺到する。
一騎一騎が、成り損ないとはいえサーヴァント。その技量たるや常人たる己の知覚できるような程度のものではなく、さらには軍団として戦うことを想定されたエインヘリアルとしての在り方ゆえか、知性が存在しない、本能だけで武技を放つシャドウサーヴァントにはありえぬことに連携を見せていた。
それらを逃れることに成功したとしても、そこにはすでにライダーの魔術が仕掛けられている。この状況は、まずい。多対一だ。
練り上げられた、原初の魔術。
鍛え上げられた、英雄たちの戦技。
間髪を入れずに迫る猛襲。アサシンは雷電纏う黄金の杵をも防御に回すも圧倒的に手が足りない。三百六十度全方位から狙う、機械的なチームワーク。それを指揮するライダーの手も合わさったことで、その連携は崩せない。崩す隙間が見当たらない。状況は劣勢。音を立てて瓦解する虚構の均衡。
「こういう、
「ならば死ねばよかろう? 堕落をもたらす女よ。そうすれば二度と相手をする必要は存在しない」
文句を言いながらも雷電がシャドウサーヴァントを消し去る。すぐにまた別のシャドウサーヴァントが出現するが、それでも確かに一瞬の隙間は生まれる。その隙間を利用して包囲から抜け出し、直後背後を取ったシャドウサーヴァントの攻撃は一度も視認することなく避けて、その一撃はそのまま別のシャドウサーヴァントに突き刺さる。
そのまま同士討ちをした武器を蹴ることで空を舞って、そのまま真下に存在する影の群れを雷電と無数の矢によって浄滅させながら、その雷によってライダーの魔術を防ぎながら、アサシンは俺の元にまで戻ってきた。
「シャドウサーヴァントは強くないですけど面倒ですね……」
辟易とした表情で呟くアサシン。その瞳には煩わしげな感情を浮かべていて、けれど手を緩めている様子はまるでない。
実力や相性、知名度といった様々な要素は存在しているのだが、サーヴァントとは基本的に同格の存在だ。誰もが古今東西において歴史に名を遺し、英霊として昇華されるに至っている。
そして、成り損ない。不完全な再現とはいえ、ここに存在する影たちは全てが英霊として呼ばれるに足るだけの実力を持っているからこそ、
ライダーに加えて無数のエインヘリアル。この状況は一対多と全く変わらない。彼女が苦戦しているのもおかしくない、むしろ当然と言える話だった。
「言い訳、考えといた方がいいんじゃない?」
「あなたの方こそ。ワカメがしなびてて頭が働かなかった、とでもいう準備をしておけばいいんじゃないですか?」
慎二の嘲笑を難なく躱し、それどころか挑発し返すアサシン。
闘志はまだ十分に。再度、果たされるは雷光の如き疾走。
アサシンの跳躍を迎え撃つのはライダーと、そして呼び出された万夫不当のエインヘリアルたち。生半可な攻撃では決して崩すことのできぬ軍勢。アサシンにそれを穿ち抜くだけの力が存在するのか、彼女のことを知らぬ己には予想などつくはずもないがーーー。
「……頼んだ、アサシン!」
それでも、彼女のことを信じると決めている。
彼女の願いを叶えるために戦うと決めている。
その気持ちには一切の嘘は存在しないために、彼女ならば破れない理由がない、とそう信じる。
「行け、我がエインヘリアル」
「ーーーーッ!!」
ライダーの命令を受けて、エインヘリアルたちが咆哮をあげる。言語を発することのできない彼ら、意識など一切存在しない彼らではあっても、戦に関わることであれば多少は柔軟性がある。
咆哮が大地を揺らし、敵対者を萎縮させる。並の兵士であればそれだけで心臓が止まってしまいそうなほどの衝撃。それが己に届かなかったのはサーヴァントの攻撃はサーヴァントにしか届けてはいけない、届かないようになっているという月の聖杯戦争におけるルールのおかげだろうか。
「翻弄しますね」
そして、その咆哮の影響を受けない、並大抵の存在ではない、サーヴァントと呼ばれる神代の英雄の写し身であるアサシン。彼女の放つ魔力弾が流星のように降り注ぎ、シャドウサーヴァントたちをすりつぶしていく。
幾体かは遠距離攻撃の手段を持つがゆえにそれを行使し、魔術や武技が宙を舞うアサシンに殺到する。それを空中を自らの足場であるかのように動くことで回避しながら、魔力の矢が確実にシャドウサーヴァントを消し去る。ーーー消し去っているのだ。
(なのに、減ってない……!)
そういうものなのだ。そういうものだとわかっているし、そうでなくとも元から多数のエインヘリアルを使役しているのだ。それこそ、復活ができないとしても、マスターの力量次第ではいくらでも呼び出せるだろう。
そして、慎二のことをあの喋り方ややっていることから考えて、ただの自尊心の強いだけの人間と思ってはいけない。
彼は、アジア圏でも有数のハッカーなのだ。記憶もなく実力もない己とは違って、魔術師としての優秀さにおいてはこの聖杯戦争でもきっと上から数えた方が早いとすら言えるであろうほどには。
「いい加減に面倒ですね」
くるりと振り返ったアサシン。彼女の瞳が捉えたのは今も宙をかけるライダー。
その背後には魔力弾の雨によって滅ぼされ続けるシャドウサーヴァントたちの姿がある。
よって邪魔を行える者は、今この瞬間においてだけは存在せずに、二人の相対を見届けるしかないのだ。
「ふむ。今となってはエインヘリアルだけでは厳しいか」
「そうですね。マスターさんはあのままの私よりは成長した方が好みだったようなので。あれらを倒せる私にならせてもらいました」
「……そういう割には全く成長していないようではあるが」
睨み合う二騎のサーヴァント。
気がつけば、地上のシャドウサーヴァントたちはすべて消滅し、再度ライダーの真後ろに出現している。
そろそろ、決着をつけるということなのだろう。
ライダーの召喚するシャドウサーヴァントではアサシンを削りきることができない。
アサシンではライダーの召喚するシャドウサーヴァントを抹殺することはできても、すべてを殺しきることができない。
このままだとジリ貧だ、という現実が、二人に行動を変化させるだけの理由を与えた。
「さあ、行くぞ……!」
宝具の解放。
宝具というものがどういう代物なのかわかってはいないが、切り札なのだろうということはアサシンとのこれまでの会話から察しはついている。
アサシンが宝具を使うのか、それとも使わないのか。その部分はアサシンに任せる。まあ、未だに宝具というものがどういうものなのか、ということすら教えてくれていないということは、この一回戦では使うつもりがないということなのだろう。
「さあ、エインヘリアルたちよ。我が
ライダーに付き従う英雄たちが、黒い流星と化して駆け抜ける。一部の英霊はその場に押し止まり、後ろから大量の遠距離射撃を行い続ける。ランサーよろしく構えた槍。けれど槍兵としての召喚ではないからか、その槍、神話に名高きグングニルの力を解放できていない。
「
一条の流星が、無数の
ゆえにこそ、俺の視界がその影に覆われてアサシンの姿を視認できなくなるまでには、そう時間はかからなかった。
「アサシン……!」
消滅していないことは、己の敗北を告げる何かが来ていないからこそわかる。けれどそれだけだ。このままでは俺が敗北するのは確実でーーー。
「あははははははっ! 岸波、お前のサーヴァントは死んだみたいだな! 所詮お前程度の凡人じゃ、僕みたいな天才には勝てないんーーー」
慎二の嘲笑、愉悦の言葉。その途中で、言葉は断ち切られることになった。
彼の言葉を断ち切ったのは、俺ではない。空に響く雷鳴の音。海底を模したフィールドで天空というのもおかしな話だが、それでもそんなところから雷鳴が轟いたのは事実だった。
つまりこれは人為的なもの。この災害を起こせる人物を俺は一人だけ知っていて、この空間にいるのはおそらくその人物だけであろうことも理解していて。
けれど、彼女がそれを行なったという理解にたどり着くまでに一瞬の時間を要したのは、彼女がこれまでに一度もあの杵の力をここまで解放したことがなかったから。
「マスターさん」
アサシンの声が耳朶を震わせる。
よかった。無事だったんだ。そう思う心はしかし、目の前の状況を理解できていない。
「アサ、シン……?」
雷鳴が轟き、地面に落ちて来た分の豪雷によって土煙が上がる最中、その中から聞こえた声。
ホッとした。その思いに嘘偽りなど断じてない。
けれど、そこにあったアサシンの姿はこれまでの姿とはまるで違った。
衣装、横顔、髪の色、手に持つ武器。全てがそのまま。なのにその肉体だけが、これまでの幼き童女から己と同年代くらいの少女になっている。
「ええ、あなたのサーヴァントのアサシンですよ」
「その、姿は……?」
「ちょっと本気でやるってだけのことです。本気でやるなら少し大きくなった方が都合がいいので」
彼女の言葉を、よく理解できない。
本気をこれまで出していなかったのだろうか。
しかしその疑念は、直後に削られる。
「が、ぁ…………!」
苦悶の声。魔力を強制的に抜かれる感覚。自分一人の魔力で彼女の力を賄いきろうとすると、どう考えても足りない。それでもなお、彼女が力を振るうというのは本気を出すと誓ったからか。
他の人が見ればマスターの命を考えていない、と言いたくなるかもしれないが、そんなことはない。
実際には、俺が果てることのないように、ギリギリまで能力を削っている。サーヴァントとして再現された能力のほとんどを使用できないまま、けれど本気で、全力でやろうと己の持てる能力を使える限りに解放している。
ならば俺にできることは、命の限り彼女の戦闘を支えることだけ。これまでと何も変わらぬ行動、けれど死がより近づいているがゆえに、錯覚しそうになっただけのことだ。
代わりに、意識が朦朧として知覚できなくなってしまった戦場は、アサシンの側に傾いていた。
「堕ちて」
あらゆる攻撃が、アサシンに大して効果を発揮するよりも前に消えて行く。アサシンが分身しているようにすら見える。
アサシンの分身が攻撃を受けて消滅し、ライダーの一撃がそれらをかいくぐってアサシンに届いたとしても、その攻撃は理由もわからないままに脆弱な代物にまで威力が
ライダーの攻撃は全て惰弱なものへと変わって、その分身すらもかき消すことはできない。
「貴様……! それは■■■■の……!」
驚愕を見せているであろうライダーの声は聞こえない。
何かを理解したのか、ライダーが言葉を発したことだけはその唇の動きから読み取れたがーーーそれ以上は不可能。自分は読唇術など
「そうか! 貴様はサーヴァントなどではなく、ましてや■■■ですらもなく……! ■■■■か!!」
「ええ、その通りです。ですが、今の私はただのアサシン。マスターが許可を出さない限りはそう振る舞いますよ」
アサシンの声が、頭痛に苛まれる俺の脳髄に染み渡る。甘く、蕩けるような、愛の海へと溺れさせるような声音。意味は理解できない。理解できないが、自分が破滅の手綱を握っているような錯覚を得てしまっている。
根拠なんてない。ライダーの顔が驚愕というよりも憤怒に染まっているような気がしたからこそ思った、たったそれだけのこと。それだけのことが、無性に気になった。
「どの私がお好みですか?」
放つ、無数のアサシン爆弾。ライダーにアサシンの分身が纏わり付いて、それらが極大の魔力爆発を引き起こす。
無数のシャドウサーヴァントがその爆発に巻き込まれ消えて行く。その爆発は、ライダーにまで届くが、霊核へのダメージにまでは至らない。
「なら、こんなのはどうでしょう?」
出現するのは雷電の杵。螺旋を描いて回転しながら、ライダーに向けて一直線に向かって行く。現出したシャドウサーヴァントたちをなぎ払いライダーにまで届く。
「ぬぅ……!」
神話に名高いその一撃。金剛杵の一撃が、神話の主神が持つ神槍とぶつかり合う。拮抗。正面戦闘を得意としないクラスだからこそ、その一撃はお互いの最奥にまで届かない。
「ッ! ……頭のいい勝ち方ってやつを教えてやるよ!!」
けれどそこに、慎二の言葉が響く。
ぼやけた視界はスローモーションで、空中を指で弾く慎二の姿が確かにこの目で捉えた。
魔術? 魔法? ―――否、それは『コードキャスト』と呼ばれる術技。
電脳空間であるムーンセルにおいて、
コードキャスト。サーヴァント戦に介入するための、魔術師たちの秘策。
記憶を失っていた自分には知る由も無かった代物。
マスターとは、サーヴァントの戦いをただ傍観するだけの存在ではない。その援護を行うのでなければ、ここにマスターがいる意味がない。そして、己の相手となる魔術師。それは、アジア圏でも有数のハッカー。つまりは魔術師としても優秀。
そんな彼が扱う魔術は、この場での拮抗を崩しライダーに傾けるための代物であることに他ならない。
「……!」
自分にできることはないかと心の内に問いかける。
記憶はない/けれどこの身は魔術師である。
たとえ記憶を失っていたとしても、この身体は魔術師のもの。ならばこの血肉には、その細胞の一片に至るまで、魔術師としての全てが息づいているはずだ。聖杯戦争に参加したマスター、予選で敗退したマスター、それら全てが持っていた、魔術師としての能力が。
過程を跳躍。手段の理解を放棄。
蔵書から解答を引きずり出せ。細胞の一片、魂の一欠片に至るまでも適応してみせろ。本能だけで振るわれるは己の体に息づいた一つの
「な……!? げふっ!」
コードを紡いでいる最中の慎二を殴り飛ばす。紡がれたのは身体強化。アサシンにかけた場合に、下手に強化したら彼女が扱いきれないのではないかという思いから、その形では使用できなかった。
できたのは、己にかけて慎二のコードが完成するよりも先に中断させることだけ。ただ、それで十分だった。
消える直前の慎二の魔術を一瞬だけ視認。己の封印された知識の中から、それに類似する魔術を紡ぎ出す。
「
ぶつかり合うライダーとアサシン。その最中、ライダーの後頭部で爆発が発生する。一瞬崩れる態勢。そしてその崩壊は、拮抗すらも崩してアサシンへと勝利の天秤を傾けた。
「はい、おしまいでーす」
多少気の抜ける、投げやりな決着の合図。すでにアサシンの興味はライダーからは消え失せている。
同時にライダーの心臓を穿ったのは、螺旋回転を行う轟雷纏った金の杵。
もはや体に開いた穴を埋める手段は存在せず。
ただ、静かに愛馬の上から崩れ落ちるようにして。
霧散し始めたシャドウサーヴァントたちの黒い粒子に包まれるようにしてライダーは地面へと落ちていくのだった。
(ああ、儘ならんな……)
その最中、ライダーは思う。
(この者を倒すこと、叶わなんだか……)
戦いの最中気がついた、このサーヴァントの正体。人類が超えなければならない悪。神としての己が撃破してしまえば、それは何も意味をなさなかったが、今のこの身はサーヴァント。己の手で撃破すればそれはすなわちマスターが撃破したことになる。それを狙っていたのだがーーー。
「その役目は、我ではないということか……」
そして、一人のサーヴァントが地に伏した。
決戦場に広がる静寂の時間。歓声は上がらない。それでも確信する。
慎二の膝が砕け、大地にへたり込んだその瞬間に―――第一回戦の決着は着いた。
つ「ネガ・デザイア」