あーっ! あーっ困りますっあーっ! メスガキこのっ! この舐めやがってっ! じゅるるるるーっ! 作:道明寺ファンブル
開発の進んだ地区の繁華街は平日の正午でも喧騒に包み込まれていた。
人々が行きかう姿をガラスを隔てて見つめて、啜ったコーヒーの苦味を逃がすように息を吐く。
今いる喫茶店に空調が完備されていなければ、夏に近づき熱くなる外で火照った身体は汗を滝の如く吐き出すに違いなかった。
また落ち着いた色調でデザインされ、クラシックのBGMが耳に心地よく、コーヒーも美味いと来たもんだ。
心の中でお気に入りの店として登録すると同時、わざと目を逸らしてきた現実について俺は唱えずにはいられなかった。
「どうして俺はお前と卓を囲んで学園をサボっているんだろうな――栗生」
「ふぇ? はいあいっあ?」
そう――平日であるというのに学生の本分を微塵も果たそうとしない不良が二人此処にいること。
顔を合わせることも無いだろうと思っていた、パフェをこれでもかと頬に詰め込んだ天宮栗生と向かい合わせで座っているということ。
俺は曖昧な笑みを浮かべながら、黒く美味しい苦渋を飲み干していくのであった。
――今朝の事だ。
俺は一昨日伝えられた井上という男の殺害について嫌な予感を覚えていたから、とりあえず危険のない範囲で事件に首を突っ込もうと――つまり、事件の現場を探ってみようとしていた。
邦城は『あそこにはもう何もないと思いやすがね』、と微妙な表情を浮かべていたが……まあ事件について犯人の証拠となるようなものは無いだろうと確信はしている。
存在Ⅹについての情報が転がっていたりするかもしれない――などと分の悪い賭けではあるが。
事件と存在Ⅹ、この両者について俺は関連性を見出したいと考えていた。
そうでもなければ、あまりにも不可解な事件は(考えすぎかもしれないが)また別の
二つを一筋の糸で繋げられたとしたらそれでいいのだ。
最低でも俺の追う相手の輪郭程度はようやく捉えられそうだから。
……パラノイアに片足突っ込んでる気はするが、まあいい。
「えー? おにーちゃん休んじゃうのー? でもでも元気じゃん! 朝ごはんだって全部食べちゃったし……それでもやっぱ、どこか具合悪いの?」
「……悪いな。それで、彩美に頼みがあるんだが――」
俺が休むと伝えると、彩美は『久しぶりにお家からおにーちゃんと一緒に登校できると思ったのにー』とかぶーたれていたが、食い下がっても折れてくれないと観念したのか彩美は拗ねつつも『わかったよ……これも借りだよ?』とそれ以上訊いてくるのもやめてくれた。
そして、頼み。
俺は今日一日――できれば今後も夢寐と一緒にいてくれないかと頼んだ。
それと、もしなにかあったら学園の近くに住む構成員にすぐに連絡しろ、とも。
言い知れぬ何かを感じ取ったのかもしれない、彩美は頷くと、任せて、と笑った。
まったく、良くできた妹だ。
「やっぱり、自分の女に知らない男が擦り寄るのは良く無いもんねっ! 彩美がちゃーんと見張っててあげうっ☆」
ぶっ飛ばしたろか。
とは、言えないしやれないが。
彼女は俺と夢寐はそういう関係にあると勘違いしているのであった。
……日曜の朝、夢寐と同衾していた姿を彩美に発見され、誤解は誤解を呼び――いや、もう思い出したくないな。
波紋が広がりに広がり源十斎にまで突っ込まれたのは肝が冷えるかと思ったぞ。
その後、昨日帰宅した夢寐にもそれとなく『人通りの多い場所を通るんだぞ』、と注意しておいたところ、『お父さんみたい笑笑』と返されてしまった。
妄信の如く信じると言った彼女だ。暖簾に腕押しと分かっておきながらも一言二言伝えるのだが、話を聞いてくれない娘に頭を抱える父の気分になってしまったのだった。
『父性?』と彩美に訊かれたが絶対に違うと思う。
……とまあ、朝のごたごたを回想していたら。
景色は朝だというのに暗くじめじめとした、安アパートばかりが並ぶ地区に移ろっていた。
この辺は中央の開発計画のしわ寄せが来た場所というか……労働者を呼び込むために安宿を幾つも作り、そして開発完了の目途が立ってくると何人か失業者が出て、その数人が細々と商売を始めたり……言うなればスラム、だろうか。
流石に日本というだけありある程度の衛生は保たれているものの、ここに住まう人間の精神の方の衛生を思うと苦い表情しか浮かばない。
この街を牛耳るヤクザの下っ端が住むだけある、ということなのだろう。
邦城から教えてもらったタバコ屋までに行く途中、何人かとすれ違う。
そのほぼすべてが在日外国人のようで、浅黒い肌をしていた。濁った眼に奇異の意を込めてこちらを見てくるが、害意は無さそうだ。
……まだ日の明るい時間帯を狙ってきてよかった、と安堵する。
俺の命が狙われていたっておかしくはないのだ。
夜道を自ら進んで歩けるほどこの命に未練が無いわけではない。
ただ護衛役を一人も付けなかったのは、やはり俺を突き動かす唯一つの理由にある。
――存在Ⅹ。
その名を知る者は恐らく一人だっていないだろう。
故にそれは
もちろん洗脳アプリを使って炙り出すことだって出来るだろうが、それは敵だって同じ。
今は俺相手に油断しているのだろう――その隙を利用しない手は無かった。だが目立てば存在Ⅹは二度とその尻尾を掴ませてくれないだろうと確信もあった。
だから一人で行動せざるを得ない。
「……ジレンマだな。――もし今回の殺害が存在Ⅹの手によるものだとしたら、俺一人の手には負えない。だが安易に誰かに頼ろうとすれば、奴はそこに付け込むだろう。奴は周到かつ狡猾、また慎重だ。……ああクソ、相手の力量を見誤って今に至るまで“信用に足る仲間を作る”という選択肢が浮かんでこなかった――これで足元掬われたらとんだ愚物だぞ」
味方、と断言できるのはせいぜいが猫屋敷夢寐、彼女ぐらいだろう。
小学生一人味方につけて何になる? 言い方は悪いが、足手まといにしか適正が無いように思える。
「それに源十斎だって疑いの余地はある。今回の件をいちいち組内で大事にしたこともそうだ。邦城さんはなにか確信がある――と言っていたが、あの男は何かを掴んでいるのか? 奴が存在Ⅹ、あるいはそれの仲間? ……しかしそうなると、前回の時に組が潰された件についての整合性が取れない。他の派閥を潰してまで頂点に君臨しようとした男が、簡単に組を手放せる……かはともかく、それが目的だというわけがないだろう」
つまりあの男は今回の事件について、組総出で注意しなければいけない事柄であると言外に警告したのだ。
何某かの脅威が潜んでいる、ということ――それが、俺の追う相手なのか、はたまた組の脅威であるというだけか分からないが。
「聞いたところで答えてはくれないだろうな……裁量権は源十斎が持っている。『聞いたところで何もできやしない』と切り捨てられて終わり、ってところだろう。――利害を一致させて敵の姿を確かめるだけのカードは俺にはない……いや、あるにはあるが……危険すぎる。まだ博打に出るほど追い詰められてもいない、はずだ」
無意識のうちに、スマホが入ってる方のポケットを探ってしまっていた。
手は汗ばんでいて、気付けば首筋や額にも汗が浮かんでいる。そしてそれらの汗とは
俺は頭に浮かんでは消える、“手遅れなのではないか”という疑念を頭を振ってかき消そうとする――が、多少めまいを覚えただけで懸念がぬぐえない。
“誰を信じて、誰を切るか”――その選択が出来るだけの情報を俺は持ち合わせていなかった。存在Ⅹについての情報はもはや、何も知らなかった前回の程度と変わらない。
「…………いや」
そこまで考えて、俺はもう一度かぶりを振った。
知っていることはある。起死回生の一手になるとは到底思えないが、
俺はスマホを取り出しメッセンジャーアプリを起動する。
この時代に舞い戻り幾度となく見てきたその名前をタップし、心に浮かんだ疑念をそのまま打ち込んだ。
「必ずや、見つけ出してやる」
怒りを胸に――そのつぶやきは、とあるタバコ屋の隣の路地裏に溶けて消えていった。
ここが、目的地の場所。咲洲組構成員井上が殺害されたという場所。
周囲を確認してみるが人はいない。視線も気配も感じない。それはタバコ屋の中も例外ではなかった。
……偶然出かけてる、って話だが。季節外れの海外旅行か?
これ幸いと、俺は足音を立てずに路地裏の方へと入り込んでいく。
「…………こりゃ、また」
金曜日の雨がまだ残っているほど水はけの悪い場所だった。
ところどころ黄色い染みやら水の染みた跡が目立つ場所のあるコンクリート製のアパートの壁がひたすらに気持ち悪い。
先日の大雨によりゴミは端の方に集まり、こびりついていた。これで鼠が巣食っていたら百点満点のクソスラムだな、と吐き捨て数十秒。
「行き止まりか」
井上が死んだという場所には、花の一輪さえも供えられていなかった。
血の染みすらないアスファルトとコンクリートが彼の棺桶だったのだろう。
形だけでも合掌し、辺りをそれとなく探ってみる。
……が。
「やはり何もないか」
大雨で辺りのものは流されて、その上組の捜査まで入っている。
警察だって目じゃないスキルを持った連中の嗅覚でさえ何もつかめなかったのだ、素人の俺が何か見つけられるわけはないか。
……例えばその組の人間を使って、存在Xが証拠を隠滅した、とか。
可能性がゼロではないのが痛いな。これもそれとなく探りを入れる必要がある……か。
一見して何もないその行き止まりを、いろいろな角度からスマホで撮影していく。
そして最後のフラッシュが焚かれた時、隣のアパートの窓ガラスが突如開かれた。
「――誰だ!」
「うぉぉ!? な、なんでいなんでい……!?」
警戒し一歩退いてみるが、そこから顔を出したのは煙草を咥えた中年のおっさんだった。
俺の声に驚いたようで、ライターに火を灯しながら火のついてない煙草を咥えて固まってしまっている。
「……いえ、すみません。どうやら驚かしてしまったようで。一服を邪魔してしまい、申し訳ございません」
「あ、ああ……いや、ははは! 随分と堅苦しい言葉遣いだなぁ、あんちゃん! なーに、邪魔する程度、言葉が通じるだけマシってものよ!」
豪快に笑う男は――偏見かもしれないが、建設業を営むものだろう――気を取り直して煙草をふかし、こちらに向き直る。
「しかしあんちゃん、こんな辺鄙なところになんのようだ? 今はまだ日も出てるしいいが、その身なりだといつ襲われるかわかったもんじゃねーぜ? ここ、まともじゃねーんだからよ」
「……なら、そんな場所に好んでくる自分もまともではないと思っていただければ良いかと。具体的に言うならば、自分はカタギとは程遠い場所に身を置いてまして」
「ひゅー……やっぱり丁寧な口調の人間ってのは腹に一物抱えてるもんだな」
こうして敬語がスラスラと口に出るのは、前回のサラリーマンの経験からだ。
そしてまた、年上の人間は多くが年下には敬語を強要する。そうでなくとも、敬語は使われるだけで気分のいいものだ。
「それで――こんな傾奇者がお尋ねいたしますが――最近、この近辺で変わったことはございませんでしたか?」
情報を簡単に漏らすぐらい。
「…………目の色変えやがって。んなギラついた目をされて、素直にはなれねぇなぁ」
……そう思っていたからこそ、目の前の男の対応に少しばかり驚いた。
「ああ。ああ確かに変わったこと、あったとも。それを教えてもいい。だがそっちは――どうやらこの情報が欲しいようだ、な?」
それですぐ後に安心した。
この男もまたある程度信用のおける人物だろう、と。
「これは失礼しました。商売の基本を失念していたらしい。……それではこちらを、どうか」
「へへっ、悪いね――って」
そうして俺の財布から手渡された額に、男は目を丸くした。
「……情報料に五万? 言っておくが、そんな大した情報じゃない。これじゃ逆に怖くなっちまうだろうが」
「情報料は一万です」
「…………なら、残りの四万は?」
「口止め料ですよ――その諭吉で喉を詰まらせて窒息死したくなかったら、余計な口は利かない方がよろしいかと」
「……………………あいよ。まあ吹っ掛けたのは俺だ。その辺は守るとも。……ただまあ、死ぬときはそんな幸せな死に方をしてみたいもんだね」
こんな場所に住まう者の流儀だろうか、口外はしないと今一度誓った男はぽつりぽつりと語りだす。
だが人目が気になるのか、まずはこっちに来いと手招きされ耳を近づける。
「ここに来たってことは、あの死んでたおやっさんの関係者か」
「……ええ。井上という男です。分かっている情報はと言えば、彼の死因が銃殺、それも拳銃ではないアサルトライフルによるものだったこと」
「ああ――見ていたさ」
男は先日の事を思い浮かべるように目を閉じて唸った。
「アサルトライフル――っちゅーんがなんてもんかは知らねぇが、でけぇ銃持った男があの死んだおやっさんを撃ってた様子を覚えてるぜ」
「その男は?」
「分からん。が、そいつは日本人じゃなかった。ここいらだと良くいる在日外国人――アジア系だな、肌が日焼けした肌みたいだった」
思わず歯ぎしりしてしまう。
……在日外国人。あるいは最近急増した外国人観光客に紛れてか……?
「……人数は?」
「一人だった。殺した奴はな。……だけど後日になって、通りを見晴らせるところで住む友人に訊いても知らぬ存ぜぬ――あのでかい銃だ。歩けば目立つ。車を利用したんだろう。憶測の域を出ないが、車を運転した奴と銃を持ってた奴、二人いるんじゃないかと思ってる」
「その根拠は」
「――子供だったんだよ」
…………なんだと?
「銃を持ってたのは子供だったんだ。そう、簡単に言い表すなら、“少年兵”って感じの」
「確かに、そうなると複数犯の可能性も出てきますね……ただまあ、憶測ということで一旦置いておきましょう。その時の状況で分かってることはありますか?」
「ああ――つっても怖くて部屋の隅で隠れてガタガタしてたから曖昧なんだけどよ……どうにも追い掛け回されてたらしいぜ、あのおやっさん。それで逃げてたが追い詰められて、ズドン」
「殺意があった……」
「そういうことになるな」
明らかに、俺の言っていた“不良の遊び”程度ではないことだけは分かる。
それが巧まずしての結果ではなく、そこには何者かの意志が介入しているということになるのだ。
「それとだが……まあこれは一万円に足る情報とするためのおまけと取ってくれて構わない」
「……どうぞ?」
「タバコ屋の主人も死んでたらしい」
「っ、……それは、本当ですか?」
「ああ。聞くところによれば……ほら、臨海してて唯一誰も寄り付かないあの倉庫群。あの場所に主人の持ち物が転がってたらしい――血に塗れて、な」
……なるほど。“偶然”などではなかったわけだ。
こちらが情報を咀嚼する前に、男はそれと、とまた付け足した。
「台湾の麻薬カルテルが咲洲組っちゅーヤクザのシマで商売を始めようとしてるとかなんとか」
「それは?」
「どーも気性の荒い集団らしくてな……武器の出所にも関係あるんじゃないかと思ってよ」
そこまで言い切り、男は煙草を思いっきり吸い上げた。
話はこれまでと言わんばかりに大きく息を吐き、紫煙で俺と彼を隔てる。
「こんぐらいかな、俺の知ってる情報ってのは」
「ありがとうございました……なかなか興味深いお話が聞けましたよ」
「ったく、世も末かね……こんな青年が、こんな情報欲しがるたぁ…………気を付けろよ、あんちゃん。どうもこの街、きな臭くなってきたからな」
最後は語気を強めた警告だった。
俺は了承の意として会釈をし、それを受け取った男はじゃあなと笑い、煙草を路地裏に捨てて部屋に戻っていった。
「……まさか、掘り出し物に当たるとは」
そして俺も踵を返した時。
もう一つの掘り出し物に当たる。
それはメッセンジャーアプリに来た返信。
“存在Ⅹについて知っていることを伝えろ”という文面に対する神からの返信だ。
『分かることは少ない。それほどまでに存在Ⅹは足跡を消すのが得意らしい。それ故教えられることも少ないが――まあ、一つだけ教えておく』
次いでくる返信に、俺の懸念は増幅する。
『お前の受けた仕打ちについてだが――あの時間軸に置いて、存在Ⅹは
そして俺は、開発の進む中央の方へとやってきていた。
この喧騒には嫌になるが、しかし先ほどまでいたあの場所の静寂と比べると何倍もマシだった。
時刻としてはもう昼前になるのか。学園をサボった時ほど時間の流れは早いものだなとしみじみする。
「……はぁ」
あの辛気臭い場所から移動したのは心機一転という目的もあるが、やはり神から伝えられた例の情報について考えておきたいことがあったからだ。
というかぶっちゃけ得られた情報が頭の中で錯綜してぐちゃぐちゃになっている。“存在Ⅹは俺をこの街から追い出すべく行動している”という前提がいともたやすくぶち壊されたのだ、自分で言うのもなんだが仕方ないと言えよう。……あとは腹が減ったから、だな。
ここから学園はそう遠くはない。
今は大人の姿しか見えないが、空が橙色になる頃にはここも学生でにぎわうだろう。
それほどこの場所には色々なものが揃っている。もし入用のものがあれば大抵のものが買い揃えられるほど。
それだけあって、やはり店同士の競争率は高く、それを制した強者ばかりが並ぶ、通りを静観する飲食店などには期待も募るというものだ。
……こういうところで何故かしぶとく生き残ってる家系ラーメンの看板はとりあえず無視することにした。
今はとにかく暑い。どこか良い感じの店がないかと辺りを見渡してみたところ――
「…………な、なんか……見覚えのある奴が…………まさか、な……?」
赤レンガ造りの風情ある喫茶店のショーウィンドウに張り付かんばかりに近づいて息を荒げる幼女が一人。
割と目立つサイドアップの髪が俺の記憶の中から否が応でも彼女の姿を想起させる。
ファーのついた黒いジャンパーと、バランスの良い健康的な足をこれでもかと際立たせるホットパンツ。白い帽子に――ショーウィンドウにはサングラスをかけた“天宮栗生”の姿が映っていた。
「んー……んーーーーー……」
近づいてみると、なにやらんーんー唸っている様子。
視線の先には特大パフェとやらが……見るからに胃もたれする要塞級のスイーツの数量限定の表記の下に、思わず引くほどの値段設定を見た。
「おい」
「んー……? ………………………………うひぃ!?」
見かねて声を掛けて、栗生が目線だけでショーウィンドウに映る俺の姿を見て数秒。
遅れて跳びあがる栗生に周りからは奇異の視線が向けられていた。ズレたサングラスを戻すこともせず、栗生は怯えたような表情を浮かべる。
「な、な、な……なんで、アンタがここに……」
「なんだっていいだろ……ってかこっちが訊きたいわ不良幼女」
と、声を掛けても向こうには届いていないようで。
「ままま、まさかまた私を犯しに来たってわけ……!? あ、ああああああアンタ人の心ってもんがないの!? あれから一晩寝れなかったし! 怖くて学園にも行けなかったのに! こ、この外道! 人でなし! ロリコンー!!」
「あー……」
まあ無理もないだろう。
今この場が車や人の喧騒で騒がしくあったことに感謝した。
もし誰かに聞かれていたら――こうした原因は俺にあるとしても――あまりよろしくない。
自分の身体を抱き涙目になる栗生に肩を竦めた。
「そんなことはしない」
「え……?」
そしてその目に幾ばくかの希望の光が宿った。
それからサングラスを元通りにすると、不思議そうな顔でこちらを見上げてきた。どう見ても敵意があるとは思えなかったのだろう、“どうして?”と言外に伝えてきているようだった。
あっけらかんと答える。
「叱られたからな」
「子供の悪戯かよ――ッ!!!」
激情のままにサングラスを地面に叩きつける幼女がそこにいた。
――そして場面は冒頭に戻る、と。
空調の整った喫茶店内は過ごしやすく、アイスコーヒーを喉に流し込んでいくのがたまらなく心地よかった。
……はずだったのだが。目の前で一心不乱にパフェを吸収していく栗生を見て、眉間にしわが寄るのを抑えられない。
「……あによ。奢るって言ったのそっちだからね? くれって言ってもあげないんだから」
「いるかそんなカロリーボム! ……ジュニアアイドルが、太っても知らないぞ? あーあ、コーヒーについてきたシュガーまでかけやがって」
「アンタが言うことじゃないでしょうがこの犯罪者。いーの、今はお忍びなの、アイドルじゃないから好き勝手してても良ーのっ!」
暴論を展開する甘党に、俺は頬を引きつらせるしかなかった。
それに、と――お前がただの一般人としているのなら、今この場は強姦魔と被害者っていう分かりやすくも意味不明な組み合わせになるわけだが。いやまあアイドルのままでも変わらんが。
歪んだ関係性は俺の胃を容易く締め付けてくれたようで、どうにかそれを収めようと提案したのが栗生にあのパフェを奢る、というもの。
「にしたって往来でいつまでも唸ってるんじゃねーよ。金ならあるんだろ? アイドルなんだから」
「……その辺はお父さんとかお母さんとかが管理してるから。使い過ぎないようにってお小遣い制なの……あー、でも、やっぱりタダで食う飯は美味いわね……!」
小学生にしてなにをほざいてやがる……と言いかけたが、余計話がこじれそうなのでやめておいた。
スピードを衰えさせることなくパフェを平らげていく栗生をしり目にコーヒーのお代わりを頼み、それから疑問を投げかける。
「それで? 俺はお前には滅茶苦茶恨まれていると思っていたんだが?」
「別に。恨んではいるけど、パフェ食べたかったし。なんか、悪いこと企んでる顔でもなかったし。それに――」
そこで一旦、アイススプーンを置いて、
「ねぇ、聞かせて。あの言葉……夢寐は――“あの子は誰にも傷つけさせない”っていうのは、どういう意味だったの」
俺の双眸を真摯な瞳で射抜いてきた。
「……文字通り。俺は夢寐に危害を加えるつもりは……あー、まあ、無いし、他の誰でも例外でもないってことだ」
「なんでちょっと言い淀んだのよロリコン」
そりゃ最初はがっつりレイプしてたわけだし――とは言わずに話を続ける。
「…………つまり、そうね……私たちの間にはすさまじい誤解があるんじゃないかって思ったのよ」
「誤解、ねぇ……そうだな、それは少し――いや、かなり思い浮かべていた。思えば何も言葉を交わしていなかったしな」
何気なく言葉を返すが、俺は内心では驚きまくっていた。
彼女は――栗生はそう理論立てて感情を抑制しているのだ。彼女の内心が全て読み取れるとは言わないが、今でも俺を殺したいぐらいは思っているはずなのに……その精神力と、冷静さに感嘆しつつもこうして話し合いの場が設けられたのだ、感謝するしかない。
「アンタの事を全部信じるわけじゃない」
「……ああ」
「それでも……あの子は信じてるのよ、これがまたどうして全くもって分からないけど、夢寐はアンタに信頼を置いてる。なんでか知らないけど私がアンタに襲われたことだって察して……いえ、多分知ってメッセージを幾つか送ってきたぐらいだし。だから、まあ、あの子が信じるんだから、私はあの子が信じるアンタを信じてもいいかなぁ、と思わなくもなかったり」
回りくどい言い方をしながら自分の考えを主張する彼女は、見てみてよ、とスマホを見せてくる。
夢寐とのメッセージのやり取りだ。『あれは夢寐が悪かった』、『右京さんはなにも悪くないの』――というのが長々と、ある程度簡略化しているがそのような言葉が続いていた。
それが俺の書かせたものではないと確信しているのは……最後に数十分と電話していた表記があった。彼女の声を聴いてみて、長く話し合って結論付けたというわけだ。
「あの子、趣味悪くない?」
悪戯っぽく笑う彼女が、夢寐の愛用する変な猫のスタンプを見せつけてくる。
「アンタみたいな男にここまで傾倒するなんて、ね」
「……ああ、参ったよ」
してやったり、と今度こそ栗生が明るい笑みを浮かべた。
俺はその笑みに夢寐の姿を重ねていた。……どっちも恐ろしいまでに強い“芯”を持っている。
羨ましいようで、危ういようで、眩しくて目を細めてしまっていた。羨望をコーヒーの苦味で流し込んでいく。
「でも、やらかしたことに関しては赦すつもりはないからね。警察に突き出さないのも、アンタじゃなくて夢寐のためなんだから」
「分かっている。それについては本当に感謝して…………栗生?」
気付けば、アイスとラズベリーの乗ったスプーンが俺の口元まで運ばれていた。
呆気にとられた俺が栗生を見るが、向こうは微笑を崩さないで、
「手打ちは必要でしょ? ほら、口開けなさいよ」
「……くれと言ってもあげないんじゃなかったのか?」
「私があげたいんだから、いーでしょ?」
有無を言わせぬ態度に、思わず言葉が詰まる。
それより周りの視線が怖いんだが……今は温かな視線だが、これがアイドルと一般人ってバレたら……。
…………いや、仕方ないか。
相手がこうして譲歩しているのに、俺が我儘言うわけにもいかないな。
「分かったよ……」
「それでよいよい♪」
素直に口を開けると、満足気に頷いた栗生がスプーンを口の中にまで入れて――
――ひょい、と。
俺が口を閉じると同時、スプーンは栗生の口元にまで戻ってしまっていた。
「ぁ、な…………」
「あはははははは! お兄ちゃんってば面白ーい! 今時こんな古典的な悪戯誰も引っかからないのにー!」
先ほどまでこっちを見つめていた店内の客たちすら笑い出していた。
「これでぇ、手・打・ち♡」
「お、おおおおお前ぇぇぇえええええええ――ッ!!!」
正午の喫茶店に、男の虚しい叫びが木霊していた――
あけましておめでとうございます
正月にこれを書いてる自分を誰か殴って