ハヅキは、強力な魔物ゴブリンナイトに囲まれた危機的状況から、からくも脱出した。あのまま戦闘を続けていたら、間違いなく殺されていただろう。
なので、逃げ恥ではない。高性能のカンピューターが弾き出した、戦略的撤退だった。
しかもハヅキは、ゴブリンナイトを3体も倒す大金星を上げた。意表を突く手段だったとは言え、これは見事と言えよう。
しかしながら、その代償は大きかった。
負傷した腕の傷は、回復薬のお陰で、支障のないレベルにまで治っていたが、思慮深いゴブリンナイトに、お土産を持たされていたのだ。
そのお土産とは―― 毒だ。
左腕の傷口から、ジワジワと体中に毒が回り始めていたのだ。筋肉のしびれや麻痺から考えると、神経毒だろう。
おそらくこれは、彼らの常套手段なのだろう。身動きできなくなった女性を、凌辱するための……
ともあれ、早く気付いて良かった。もう少し遅ければ、毒のせいで溺死の可能性もあったのだ。
ハヅキは、
「ふう」
と、安堵のため息を漏らすが、簡単に手に入る解毒剤は、効果があるか分からない。
高い等級の解毒剤または万能薬は、MP回復薬と同等の即効性と幅広い対毒性を持っているが、今回のような等級の低い解毒剤は、対毒性の幅も狭く、回復力も低いのが実情だ。
とは言え、高い等級の解毒剤や万能薬は、作成に
貰えるだけありがたいので、ハヅキに文句はなかった。
そんな謙虚な姿勢に神が微笑んだのか、日頃の行いが良かったのか、幸いにも効果が出始めていた。
ハヅキは波打ち際で大の字になり、回復に努めた。海水で体が冷えてしまうが、気にしている場合ではなかった。
それは、近付いてくる足音と話し声に、危険を感じ取っていたからだ。
その声とは――――
ゴブリンナイトを先行させた追跡者。ゴブリン将軍たちのものだった。
ハヅキは、自身の状態を確かめた。
少しずつ
「まったく、厄介な土産をもらってしまったものだ」
あえて強がりを呟くことによって、冷静な判断力と心に落ち着きを呼び込むと、どうにか動く首を左右に振り、隠れる場所を探した。
ところがここには、身を隠せる岩など1つもなかった。ハヅキは首を動かして、足音のする方向をしっかりと確認した。ずいぶん近くまで来ていたので、姿形がはっきりと目視できた。
―― やはりゴブリンか……
ハヅキは、先頭よりやや後方にゴブリン将軍を3体。そのすぐ隣に、大きなハンマーを数人がかりで運ぶゴブリンと、3本の筒を運ぶゴブリンを確認した。
絶体絶命だ。
目視できる範囲だけでも、100ゴブリンをゆうに超えていた。発見されてしまえば、その場で犯され、身も心も悲惨な目にあってしまうだろう。
たとえ暗闇だからといっても、このままでは発見される可能性は高い。
そう判断したハヅキは、顔全体を覆うように
見た目は、丸い金魚鉢を頭に被っている。と想像してもらうと一番しっくりくるだろう。要は潜水用具の代わりだ。この中に魔法で空気を供給し続ければ、魔力が持つ限り隠れられる。
万全の準備を整えた彼女は、ゆっくり横転しながら、静かに海中へ身を潜めた。
△△
「裏切ったアイツは、どうやって殺す?」
「埋めて、石投げの的にでもして遊ぶか?」
ハヅキが隠れているとは知らない追跡者たち。そのリーダーであるゴブリン将軍たちは、裏切り者である、ゴブリン将軍の処刑方法を話し合っていた。
裏切り者の死体もチラホラ見掛けるようになったので、ゴブリンナイトが追い付いたのは明白であり、本隊が追い付くのも、時間の問題だと確信していたのだ。
「それよりも女の事だけどよぉ、おっ死んじまったって事にして、俺たちで飼わねーか? おまえらも、直属の強力な部下が欲しいだろう」
そんなクズのような話を持ち掛けたゴブリン将軍も、人族の女性から産まれた強力な個体だ。しかし、ゴブリンナイトを含む部下の全ては、ダンジョン産のゴブリンばかりである。
簡単に説明すると、ダンジョン産のゴブリンは量産型であり、女性に産ませた個体より弱いのだ。
「おまえ……ナイスアイディアだ! じゃあ、ゴブリンナイトたちが、間違って殺しちまう前に急ぐかっ」
ゴブリンキングに対する忠誠は低いようだ。そんな計画を立てたゴブリン将軍たちは、ゲヘヘと、今後の楽しみに妄想を膨らますと、全体に指揮を出した。
「おまえら急げ、スピードを上げろ!」
ゴブリンたちの行進は、やや小走りになった。
これによってゴブリンたちは、ハヅキに気づかず通り過ぎてしまうだろう。
ところが、風の壁を顔に
ハヅキは焦った。
しかし長年に渡る隠密行動の経験を発揮し、素早く気配を消すと、路傍の石に成りすました。その擬態は見事のひと言で、凝視しないと気づかないレベル。この暗闇の中だと、魚の死体か海藻の類いにしか見えなかった。
しかしながら、神の試練なのかイタズラなのか、不運が続く。雲に切れ間が発生して、極わずかの月光が、浜辺を照らしてしまったのだ。
僅かな光があれば、暗闇の中でもほぼ問題なく見える『
潮が満ちている浜辺は幅が狭くなっているので、ハヅキはほぼ足元に打ち上げられた形になった。『夜目』を持たざる者でも、『ん?』と見てしまうだろう。彼女だって、体をはって笑いが取りたい訳でもないし、真面目に行動しての結果が、こうなってしまった不可抗力だ。
そしてゴブリンを含む魔物たちは、能力の程度は別にして、大抵その『夜目』を持っている。なので彼女の姿は、しっかりくっきり、ハッキリバッチリと見えていた。
見事な擬態でも、通用しないレベルで。
「しょ、将軍っ! 女です!」
その瞬間ハヅキは、片膝の姿勢に動きながら、攻撃をしかけた。
「昇斬波・
手前から森側までのゴブリンを、1m幅の斬撃が強襲。昇斬波の通り道にいたゴブリンの体は斬り裂かれ、森までの逃げ道が生まれた。
ザザッ!
ハヅキは、ゴブリンの隊列を横断するようにダッシュ。森への逃亡だ。それと同時に、右側にいたゴブリン将軍を狙った。
「昇斬波・地走り」
地走りは、ゴブリンを縦に斬り裂きながらゴブリン将軍に襲いかかった。
バチン
しかし、ゴブリン将軍には通用しなかった。簡単に片手で受け止めると、地走りを
その間にハヅキは、森にあと1歩の所まで到達していた。ところが彼女は固い壁に激突し、火花を見るハメになってしまった。
―― っ!?
その壁とは――――
ハヅキの動きに気付いた別のゴブリン将軍が、彼女の進路を断つように、その強靭な肉体を壁にして立ちふさがっていたのだ。
そして、激突してバランスを崩してしまったハヅキは、そのゴブリン将軍の、人の頭を簡単に握り潰せるほどの握力で、両手首を
ズサッと、手離された風一文字が砂浜に落ちると同時に、ハヅキは、はっ! と激突の衝撃から意識を取り戻した。
目に飛び込んできたのは、彼女の肢体を無遠慮に、舐め回すように見ている目だった。
ゾクリと背筋が凍るハヅキだったが、即座に腹筋の力だけで、ゴブリン将軍の顎に蹴りをくらわした。
しかし、蹴りを受けたゴブリン将軍は、別の事に意識を向けているのか、全くのどこ吹く風だった。嗤いに口を歪ませると、彼女の肢体を見ながら舌舐めずりし始めた。
間違いなく、下衆な事を考えているのだろう。
間髪入れず、追撃を仕掛けようと試みたハヅキだったが、締め上げられているガントレットに、更なる力が加わった
バキッ。バキバキ
「くっ、ぐああー!」
ハヅキの悲鳴と共に、両方のガントレットも悲鳴を上げ破壊された。と同時に彼女は、左手首の骨が折れた音と、熱く焼けるような痛みと熱を感じていた。
ビリビリビリッ
すると、後ろから別のゴブリン将軍に、上半身の衣服を破られた。
「や、止めろ!」
そんな戯言が通じるわけもなく、フードも下半身の鎧も、次々と剥ぎ取られてしまった。その最中、まとめてフードの中に押し込んでいた長い黒髪が、ハラリと流れた。
残った装備は、内側に着込んでいた
ざわざわと、周囲で見ていたゴブリンの目に、興奮の色がきらめき始めた。
この流れは、
ゴブリンにしてみれば、過去に何度も開催された、楽しい楽しい催し物である。だが、この催し物を耐えきった生き物は皆無。それほど過酷で残忍で、尊厳を奪う催し物なのだ。
「おい、おまえたちはゴブリンナイトに伝えてこい。少し遅れるが、女どもは絶対に殺すなとな」
伝令を出された、先頭の50体をこえるゴブリンは、悔し顔を見せた。それは、催し物から強制離脱を宣告されたのと同義だったからだ。
しかし、逆らうことは許されない。
ゴブリンたちは渋々と
急いで戻れば、参加できるかもしれない!
と、淡い期待をいだきつつ駆け出しだ。
「ぐっふっふっ。それでは、催し物を始めるか」
「俺が1番だ」
ハヅキを捕まえたゴブリン将軍が、いの1番に名乗りをあげると、次々と順番が決まっていった。
当然それを黙って見ていたハヅキではない。彼女は
「
蹴りあげた足を、ゴブリン将軍の
ゼロ距離からの魔法発動だ。
流石のゴブリン将軍も捨て身の魔法攻撃を受けると、ハヅキを手を離してしまった。
着地したハヅキは素早く風一文字を手に取ると、ズタズタになった、ゼロ距離魔法の反動を受けた足で踏み込み
「昇斬波・旋ぷッ!」
しかし、出そうとしたハヅキの旋風は、服を破いたゴブリン将軍の、後方からのショルダーチャージによって防がれてしまった。
「ううっ……」
「へっへっへ残念だったな」
弾き飛ばされたハヅキは、別のゴブリン将軍によって見事にキャッチされていた。
ゴブリン将軍のショルダーチャージは、軽トラが激突してきたのと同じか、それ以上。おそらくハヅキは、深刻なダメージを受けているだろう。
なのでキャッチされたハヅキは、意識を失っていた。
ゴブリン将軍はハヅキを寝かせると、
あらわになってしまったハヅキの体。
鎖帷子の破片がハヅキの体に食い込んでおり、その傷跡はとても痛々しく、いたる場所から血がにじみ出ていた。
でも、そんな事ゴブリン将軍たちには関係ない。彼らの目は、ささやかな乳房を含む女性特有の部分に集中していた。
ゴブリン将軍はハヅキの股を開くと、ヨダレを潤滑油代わりに垂らし、強引に進入を開始したのだった。
△△
ハヅキに危機が迫っている頃、唯は、彼女の元に駆けつけるべく、浜辺を走り出した。
残ったパトリックは、魔物から魔石を回収して、盾に吸い込ませていた。しかしながら、真魔王となった唯が倒した魔物の体内には、魔石がひとつも残っていなかった。
不思議な出来事にパトリックが頭をひねっていると、そこへ招かざる客が現れた。
その客とは、ハヅキに騙され森へ入った、ゴブリンナイトの集団だった。
「何だこれは? ……先行したナイトたちじゃねーか!」
「おい、あそこ見ろ。人間と裏切り者だ!」
「おまえたちの仕業か!」
「殺せ!」
「女も探せ!」
周囲に散らばっている仲間や、山積みになった仲間の死体をみたゴブリンナイトは、パトリックたちを犯人と決めつけると、一斉に襲い始めた。
「みんな、中に戻れ!」
それを見たパトリックは、ゴブリンナイトの前に
中に逃げ込むのを見届けると、入り口を閉じて剣を構えた。
そのまま距離を保ちつつ、ゴブリンナイトを誘う。
誘い込んだら、ゴブリンナイトの真後ろに城の壁を展開して、後ろの風景が見えないように細工すると、距離を保ちつつ拓けた浜辺まで誘導し、目的の場所まで到達した。
実は、ゴブリンナイトたちは気づいていないが、ゴブリンたちが逃げ込んだ城の壁は、すでに消えていた。
城の壁は、パトリックとあまり距離が離れると、勝手に消えてしまう性質があるのだ。そのため、ゴブリンナイトに気づかれないように、ここまで誘い出したのだ。
きっと今頃ゴブリン達は、安全な場所に身を隠しているだろう。
△△
「わが名は、パトリック・クルシュナイン。騎士の道を外れた勇者だ!」
スッと、剣をかかげて、彼は名乗りをあげた。
その彼に向かって、ゴブリンナイト数体が飛び出した。
「逃げ回ってばかりの腰抜けが!」
「おらー!」
ゴブリンナイトの鋭い槍が、彼に迫っていた。
「今こそ見せよう勇者の力を!」
その言葉と共に、彼の左腕にある、真っ白で青い十字模様が描かれた盾が、強烈な光を放った。
不意に光を受けてしまったゴブリンナイトたちは、目を
「顕現せよ!
これは、唯との特訓で考え出した『城の壁』を応用した技のひとつだ。何度も何度も練習して、迷路の地形パターンを覚え込み、瞬時に発動できるようになった『迷路地帯』。
ちなみにもうひとつ、『
そして特訓のお陰で、城の壁を出せる範囲も半径50mから70mにまで伸びており、この『迷路地帯』は490㎡と広い。
さらに中の通路を狭くすることによって、長い武器は振り回しにくくなっている。
彼が『迷宮地帯』を発動すると、一瞬で50m以上の外壁が出現し、敵の逃亡を防ぐ。壁は分厚く強固、破壊はまず不可能だろう。
その次に迷路を構成する内壁が、地面から生えるように現れるのだが、それによって生まれる振動は、震度5以上の地震に匹敵する。なので、立っているのも困難であると同時に、逃亡または彼から意識をそらすのにも役立つ。
また完成後の壁は高く陽光も届きにくいので、ある程度の視界阻害の効果もあるだろう。
そして最大の特長は、城の壁とは違って、彼が『迷宮地帯』から離れたり、
パトリックは剣を収める。この迷路地帯に剣は必要ないからだ。攻撃方法としては、壁で押しつぶしたり生き埋めにしたりするのが効果的だろう。しかしその方法では、唯に通用しなかった。
なので、彼の中での攻撃方法は、『
狭い通路に誘い込むことによって、容易に回避できない状況を作り出し撃ち込むのだ。まだまだ改良の余地も残されているが、唯からも及第点をもらっている。
『迷路地帯』を発動すると、一瞬で囲まれてしまったゴブリンナイトたちは驚き、戸惑いを隠せなかった。その次は、足元から出てきた壁にあわてふためく。運悪く、出てくる壁の真上に居たものは、落下のダメージを受けてしまい、それ以外は、震動を堪え忍ぶしかなかった。
そうして迷路地帯が完成したその時、ゴブリンナイトたちは、ほぼ分断されていたのだ。
パトリックの視界には『迷路地帯』の地図が表示されている。この中では盾の能力で、自身の現在地や敵の位置などが、手に取るように分かるのだ。当然、何度も試行錯誤し、視界に映るマップ表示にも慣れているので、もし接近戦になったとしても影響はない。
パトリックは『落壁』を発動。
通常の『落壁』は、城の壁で出した壁を飛ばす技だが、この『迷路地帯』では違う働きをする。
彼の周囲には、大人の指ほどの三角すいが、30個以上もクルクルとスクリューのように回転しながら漂っていた。
これが『落壁』で、敵を貫く弾になる。もちろん追加も可能で、ほぼ無尽蔵の物量だ。
彼はこの技を、敵に対して発動する場面になったら、心に決めていた事があった。
それは、2度と、騎士とは名乗らない。と言うこと。
『迷宮地帯』は、相手を罠に嵌め、一方的に攻撃するようなものだ。他人が許しても、自分が許せなかった。
それから20分後。
無残にも穴だらけになり、抵抗すら許されなかったゴブリンナイトたちの中心で、『迷宮地帯』を解除した勇者パトリックは、空を見上げていた。
▲▲
僅かな月光が差し照らす砂浜の、砂を巻き上げる勢いで走る人物がいた。
出会って間もないが、寝食を共にして、生い立ちを聞いた。最初の頃に比べれば、強くなっている。とは言え彼女から見れば、まだまだ赤子も同然の実力だ。
生死の境目は、鋭利な刃先の如く。死が身近なこの世界では、明日も明後日も、笑って話し合えるのかは誰にも分からない。
それは、誰にでも平等に起こり得る出来事なのだ。
▲▲
妙な気配と魔力を感じ取ったアスモデウスは、
アスモデウスはテントの外に出ると、妙な気配の正確な場所を特定するため集中した。
―― 1、2、3……ランスちゃん!?
場所を特定していた彼女は、ランスちゃんの『ラ』の字で駆け出していた。
するとその隣に、並ぶ影があった。
「アスモどうしたのぢゃ?」
「桜ちゃんも気づきましたか?」
赤ジャージ姿の桜だった。
「いや、アスモが外に出たのでな。それで、ランスか?」
「ランスちゃんの近くに、妙な気配を感じました。危ないので、桜ちゃんは待っててください」
「待つよりも、アスモと一緒に行った方が安全ぢゃろう? それに、ランスは大事な家族。――戻らん」
桜は、彼女がこの場を離れる事によって、待っていても襲撃される可能性を示唆し、一緒に行く材料にした。
「決して、離れないでください」
ふたつの影は、暗闇の中を疾走。
しかし、目的地に到着するまでの間に、ふたつの気配は去っていた。当然、桜も彼女もそれに気づいていた。
目的地に到着。うつ伏せで倒れているランスロットの姿を目にした2人は
「ランス!」
「ランスちゃん!」
と声を上げ、唇をかんだ。
その場には鉄くさい臭いが残り、地面には大量の血痕があった。
すぐに彼女は、ランスロットを仰向けにすると、体の隅々を確認した。丈夫な
「アスモ、ランスはっ?」
桜は、心配で堪らない気持ちをストレートに伝えるも、ランスロットの体を調べていた彼女は、若干困惑気味の様子だ。
「桜ちゃん。ランスちゃんは――」
と、その時だ
「むにゃむにゃ。ようちゃん、おまたせ」
と、にへっと笑いながら、ランスロットが寝言を口走ったのは。それを見て桜は、深刻な状態ではないと悟ったのだ。
とは言え、大量の血痕と損壊の激しい乙女戦闘服だ。当然、何があったのか、事情を聞く必要がある。
念のため彼女は、もう1度ランスロットの体を隅々まで調べると、問題はない、との頷きを桜に送った。
しかし、彼女は何か納得できないようで、ランスロットの頭に手を触れながら考え込み始めた。
それを見た桜は『むっ?』と思ったが、起こした方が早いのぢゃ。と言わんばかりに、ランスロットのデコに、強烈なデコピンをくらわせた。
「よ、ようちゃん。そこはだ、だめ(ベシッ)ぎょへ」
いかがわしい夢でも見ていたのだろうランスロットは、突然訪れた、おでこが陥没しそうな強烈な痛みで、強制的に覚醒されたのだ。
「だ、だめめめめ」
おでこを手で押さえたランスロットは、桜とアスモデウスの間を、右に左に転がりながら、夢を引きずるような言葉を漏らした。
そして痛みに慣れたのか、何事もなかったようにムクッと上半身を起こすと
「よ、陽ちゃんは?」
と言った。
「な、なにが、陽ちゃんぢゃ!」
心配させやがってこの野郎! そんな目覚めのデコピンを、桜は渾身の力で、ランスロットのデコに食らわせた。
しかしランスロットは、ピクリとも動かず耐えきってみせた。
そして――――「陽ちゃんは?」だった。
まだ寝ぼけていると確信した桜は
「まだ目が醒めぬのか! ならば、もう一発ぢゃ」
クスクスと、そんな2人のやりとりを見ていたアスモデウスは、笑いだした。
しかしながら、状況は深刻である。それも、死んでいても不思議ではない程の怪我を、負っていないと説明がつかない現場状況だ。
彼女が感じた気配は2つ。
1つは、嫌な気配。ドロッとした気持ちの悪い物だった。
もう1つは、無味無臭の水のような、妙な気配。それも、隠せるのに敢えて隠さない。むしろ、彼女に知らせるような出し方だった。
おそらく後者は中立もしくは味方で、ランスちゃんを助けてくれたのでしょう。と彼女は予想した。
それと、彼女には解析できなかったし、自信を持って断言できないが『記憶操作に似た、なにかを施した形跡』が、ありそうでないような気がしていた。
つまり彼女は、
もしこの違和感の正体が記憶操作なら、彼女にも判別できない高度な術式、もしくは魔法と言うことになる。
それは、大変な脅威と捉えるべきだった。
もしかしたら、ランスロットが操られている可能性も、なきにしもあらずなのだから――
「突然なにをする―― ここはどこだ? んん? あれぇ……? 確か見回りの時間になって、その途中に約束を思い出して、デートの待ち合わせに行って……陽二は?」
「まだ寝ぼけているようぢゃな……」
「ランスちゃん。この状況が分かりますか?」
そんな彼女の問いに、ランスロットは、何かこう、頭の中がうまくかみ合わない様子だった。
そんなランスロットは、少しでも情報を得ようと周囲を見回し、血痕や自身の乙女戦闘服に気が付いた。
「こ、これはなんだ……? もしかして私は死ぬのか? それともここは天国?」
「死んでいませんし、天国でもありません。健康体そのものです。それ以前に、絶対に死なせたりはしません」
「そ、そうか。しかし、これは一体なんなのだ? 全く私の記憶にはないぞ?」
その言葉を聞いた彼女は、ここで、何かがあったのは間違いない事実で、何者かがランスロットを襲い、何者かがランスロットを助けた。
その事は、今さらどうでもいいと考えた。過ぎた事であり、ランスロットは無事、生きているのだから。
しかし問題なのは、彼女が
そして、ランスロットを襲ったであろう人物だ。
使った痕跡があるので分かったが、乙女戦闘服は『超全体強化』を使ったあとの防御力を自乗する仕様だ。確かに上限はあるものの『
それなのに、乙女戦闘服の損壊が激しかった。全くとは言わないが、ほとんど役に立っていなかったのでは? と彼女は予想した。
それほどの相手だ。
彼女が思い当たるのは、豊。それと、唯から聞いていたマモンだ。再度、襲ってこないとも限らない。大至急、ゼラニオンのパワーアップが必要だ。
すぐにでもゼラニオンのパワーアップを始めたい彼女は、桜に相談。しかしそれは、ゴブリンとの決着がつくまで、延期される事になった。
それは過去、桜やランスロットでさえ逃げ出した恐怖の合宿で、その名も『
△△
唯が走り出した丁度その頃。ハヅキは、絶体絶命の真っ只中に居た。ショルダーチャージで背後から強襲され、ゴブリン将軍に捕まり、今にも犯される寸前だった。
「う、うわあああ!」
我に返ったハヅキは、大声を出して暴れ始めた。なのでゴブリン将軍は思うように事を運べず、イラっとしていた。
バシッ
ゴブリン将軍は、ほんの軽くハヅキの頬を叩いた。しかしその衝撃だけで、彼女の全身の至る場所が悲鳴を上げた。まるで、体の中を熱いなにかで突き刺して、掻き回されているような。そんな耐え難い激痛が、彼女の身に襲いかかった。
それもそのはずだ。
ハヅキの体は、全身が深刻なダメージを受けていたのだ。痛みに耐えきれなくなったハヅキは、気絶してしまったのか、暴れる事はなくなっていた。
「そうだ、おとなしくしておけ。すぐに気持ち良くなるからな」
ゴブリン将軍は醜悪な笑みをハヅキに向け、胸に手を伸ばした。
実はこの時のハヅキは、気絶している訳でも、激痛を耐えている訳でもなかった。
―― このままでは、何もできずに終わってしまう。せめて、目の前のコイツだけでも道連れに。お母さんたちは、唯さんとリックに任せておけば安心だ。あの2人になら……
そんな事を、痛みを感じない朦朧とする意識の中で考えていた。
ハヅキの、母親を救い出すという目標は達成された。もうひとつは、兄と姉の
―― それでも、こいつだけでも道連れに……
ハヅキは、右手にありったけの魔力を込め始めた。もう死んでしまってもいいと。目の前のコイツさえ殺せればいい……
ハヅキは残った力で、ゴブリン将軍に攻撃をしかけた。彼女は、ゴブリン将軍の目に指を突き刺して、内部から
しかし――
ガシッ
ゴブリン将軍には、弱っているハヅキのぬるい攻撃など、止まって見えていた。そのまま、掴んだ手首に圧力をかけた。
ポキッ
右手首の骨まで折られてしまった彼女は、目も当てられないほどの満身創痍で、風前の灯火だった。
だが、それでもハヅキは諦めなかった。
唯との特訓で学んだものは、技術的な事ではない。
ただ、ただ、諦めない心だった。
しかしそれは、泥水を啜ってでも生きのびるための心。死なないための、諦めない心だった。
心の中で唯に謝罪した。
生きるための諦めない心を、殺すためだけの諦めない心に変えた事に。
目的が達成されるのであれば、
▲▲
彼女と食事をしている時、ふと会話が途切れたので、私の身の上話をした。
洞窟での生活、父親から教わったこと。
母親の病、目が見えず歩けないこと。
兄と姉の死――
話し終えたあと私は、最終的にどうしたいかを話した。
ふと顔を見ると、あの彼女が泣いていた――
そして突如、抱きしめられ温もりに包まれた。
彼女の鼓動を耳にしていると、妙に落ち着いた。私は無意識のうちに抱き着いていた。
まるで母親に包まれている、そんな気持ちを感じていたのだ。
そして色々な事を教わったが、これだけは覚えておけ。と言われた言葉があった。
『生きることを諦めるな』
なんの変哲もない、ありふれた言葉だと、その時は思っていた。しかし、その言葉の意味は深いのだろう。
彼女が、どのような意味と考えを持って、贈ってくれた言葉なのか……もう聞く事はできないだろうけど……
少しだけ、少しだけ分かった気がする――
▲▲
「
風塊の攻撃は、あっさりとゴブリン将軍に避けられてしまった。それを見ながらハヅキは、それでも満足げに、ゆっくりと目を閉じたのだった。
△△
「やっと、おとなしくなりやがったか」
ゴブリンたちの催し物は、まだ始まってもいない。
暴れる獲物もグッタリとしてしまって、もしかしたら死んでしまったのかもしれない。
ならば、固くなってしまう前に楽しまなければならないだろう。
グッと、ゴブリン将軍が押し入れようとした、まさにその時だった。
「お姉様たち、お願いなの!」
そんな声が響いたのは――――
続けざまに
「
そんな声も響いた。
するとハヅキを中心にして、10m以上離れた南北の波打ち際や森の中に、ダイナマイトバディを見せ付ける金髪の女性が、40人以上も現れたのだ。
「将軍、女です!」
その声で、順番待ちをしていたゴブリンも、そうでない者も、一斉にハヅキから目を離した。
「こっちにもいるぞ!」
「こっちにも」
「こっちにも」
「捕まえろ!」
ゴブリン将軍が叫ぶと、われ先にとゴブリンたちは、近くの金髪女性に飛びついた。誰でも、ボロボロで血まみれの死にかけより、豊満で綺麗な女性の方がいいに決まっている。
全ゴブリンが、ハヅキをほっぽり出して駆けだした。その瞬間、ハヅキの周囲だけが空白地帯になったのだ。
その空白地帯に、ザッっと空中から降りてきたのが、セイレーン姿のヴァイオレットだった。
着地と同時に回復薬をぶちまけると、ハヅキを少々あらあらしく抱き上げ、砂浜を蹴り宙を蹴り、100mほど離れた海面に向かって翼を広げた。
そこには、人魚姫パールを含む仲間の人魚が待ち構えていた。
「
人魚たちは魔法で、直径1mの、円形状の泡で作った物を、海面に4つ作り出すと、それらを合体させて大きくした。
その上にヴァイオレットは着地すると、ハヅキを寝かせた。
「
すぐさま緊急治療を始めたのは、人魚姫パールだ。これは彼女が『定着の儀』で得た『
人魚姫パールの手の平から、小さな泡が飛び出し、瞬く間にハヅキの体を飲み込んだ。すると泡は合体を繰り返して、ひとつの大きなシャボン玉みたいになった。
シャボン玉の中に、横たわるハヅキの姿が見えた。このシャボン玉の中にいると、身体の回復など様々な効果があるのだ。
「パール、どうじゃ?」
ヴァイオレットは、パールに魔法の効き具合と、ハヅキの回復具合を訊ねた。
「分からない、でも頑張ってみるの」
ハヅキの状態は非常に悪く、いつ死んでもおかしくない状態だった。パールは、治癒効果を精一杯高める事しかできなかった。
その頃、波打ち際や森の中では、金髪の女性は、捕まえようとしてもすり抜けてしまう、触れる事のできない幻なのと、ハヅキの姿が消えたのがバレていた。
「将軍、女が!」
「ぐわわわぁどこのどいつだ! 探せっ!」
ゴブリン将軍の命令で、消えたハヅキを探してゴブリンたちが右往左往していると
「将軍、あそこです」
めざといゴブリンが、人魚の集まっている場所を発見して指を差した。
「おいおいおいおーい」
人魚の姿を確認して、ご機嫌になったゴブリン将軍たちは、ハヅキの事などすっかり忘れてしまったのだ。
「たくさんいるじゃねーか、おまえら捕まえてこい」
「本当だ、いくぞ!」
「おおっ!」
ゴブリンちは、次々と海へ入り、人魚の元を目指して泳ぎ始めた。
「見つかってしまったけぇ」
だが、ヴァイオレットたち人魚は、こちらを目指して泳ぐゴブリンの大群を見ても、顔色ひとつ変えていなかった。
それもそうである。
ここは海だ。海は人魚の独壇場だし、浜辺から10mも沖に出れば、水深は一気に深くなるのだ。
なので人魚にとっては有利な事ばかりで、敵の数がどれだけ多くても、全く負ける気がしなかった。それに、その気になれば、簡単に逃げられるのも大きかった。
驚くことにゴブリンたちは、犬かきみたいな泳法で、えっちらおっちらと泳ぎが達者だった。
しかしながら、泳ぎの上手い下手は、海中に潜った人魚たちには関係なかった。次々とゴブリンの足を引っ張って、海中に引きずり込んだ。
あっという間に溺死である。その被害は、軽く50ゴブリンに及んだのだ。
「戻れ、戻れ!」
ゴブリン将軍は大声を上げ、戻るように指示を出した。この、姿は見えているのに、手も足も出せないもどかしい状況では、諦めるしかないだろう。
当然、人魚たちもそう考え、余裕で出方を見ていた。
すると――
「おい、アレをよこせ」
ゴブリン将軍は筒のような物を受け取ると、片膝を付き、両肩に1本ずつ担いだ。
筒の長さは1m弱で、直径は20cmほどだ。
その両脇に、ハンマーを持ったゴブリン将軍が立つと、筒の後に控えていたゴブリンが何かした。
それを確認したゴブリン将軍が、おもむろにハンマーを構えると―――― 筒の後方を叩いた。
ドンッ!
すると、大きい爆発音とともに、筒から何かが発射されたのだ。
その何かは轟音を響かせながら、ハヅキの横たわっていた休息場の前方10mの海に落ちて、大きな水しぶきを上げた。
その光景に、人魚たちは青い顔で唖然となった。
距離もそうだが、とんでもないスピードだった。ならば、威力も桁違いに凄まじいだろう。もし、人魚に直撃してしまったと考えると、おそろしい結末を迎える事になるだろう。
実はこの武器、ジェームスが発明した物だ。
大きい筒はイグナス種の発射能力でないと使えないが、このロケットランチャーみたいな筒は、ゴブリン将軍でも扱うことができる。
秘密は、イグナス種が排出する
そして弾を飛ばすには、1つあれば十分だ。
筒に弾と結晶をセットして、専用のハンマーで叩くだけのお気軽仕様だ。その際、専用のハンマーがピッタリはまって、ふたの役目を果たすのである。
しかし結晶を爆発させるためには、ゴブリン将軍のパワーと、正確に打ちつけるテクニックが必要だ。
ドンッ!
さらにもう1発、弾が発射された。
だが、今度の弾は少し変わっていた。
丸く固まった物が空中で広がると、唖然と立ち尽くすようにしていた人魚を、捕まえたのだ。
まるで
「おっしゃあー! おまえら引っ張り上げろ」
「おおー!」
筒を持つゴブリン将軍の手には、網につながる縄が握られていた。これは、そこらへんの普通の縄ではなく、魔物の素材で作った
「オーエス、オーエス!」
「オーエス、オーエス!」
そして素材に使った魔物の物だろうか、網には小さな毒針がいくつも付いていて、運悪く刺さってしまえば、体の自由が奪われる鬼畜仕様なのだ。
捕まった人魚は、慌てて網から逃げようともがくが
「痛い、痛いよぉ!」
運悪く毒針の餌食。パニックになって暴れるほど、毒針の餌食になるのだ。
「痛いよ――」
とうとう網にからまったまま、泣き出して動きを止めてしまった。当然、黙って見ている人魚たちではなく、助けようと網に手をかけたのが間違いだった。
「痛っ! これは……なに?」
そこに、ゴブリンが集まってきた。
助けようと必死だったのだろう。ずいぶん浅瀬まで来ていた人魚も、毒で体の自由が奪われていた。
「コイツも捕まえろ!」
気づいてみたら、周囲はゴブリンだらけだ。
その間も縄は引っ張られており、網の周囲にはゴブリンがわらわらと群がり、人魚の姿も見えなくなっていた。
ヴァイオレットや仲間の人魚も、網に捕まった瞬間、助けに向かっていた。だが間に合わなかった。
しかし、浅瀬で毒に苦しんでいた人魚は、なんとか救出してパールの待つ場所まで戻っていた。
ヴァイオレットは、毒を受けた人魚をハヅキの隣に寝かせると、パールに告げた。
「パールは、仲間と一緒に人魚の休憩所を押して逃げるのじゃ」
「嫌なの!」
それを聞いたヴァイオレットは、ゴブリンが集まっている波打ち際に指を向けた。
「ゆうことを聞かんか! あれを見るけぇ」
その中心では、捕まった人魚が網から出されようとしていた。網がこんがらがって、うまくいってないようだが。
そのゴブリンたちの歓喜の叫び声は、パールたちの耳にも聞こえていた。仲間の姿を確認できない人魚たちの頭には、最悪の光景がよぎっていただろう。
その時ヴァイオレットは決断していた。今は、とにかく姫を逃がすのが先決だと。種も授かり、人魚界はこれからなのだと。
「パールが、陽ちんを探しに行きたいって、わがままを言ったせいで……ごめんなさい」
「なにを言うけぇ、そのお陰で人を1人救えた。それに陽ちん殿には、みんなが会いたがっていたけぇのぉ。パールが飛び出さなくとも、ワシが探しにいっとったけぇ」
△△
ヴァイオレットは、仲間の人魚に指示を出して、しぶるパールもろとも全員を送り出しだ。
筒は、こちらに狙いを向けているし、仲間1人もゴブリンの手の内。
―― おそらくじゃが、殺すのが目的ではなく、生きたまま捕らえたいと考えているはずじゃ。しかし、交渉が始まってしまう前でよかったわい。パールは優しすぎるから、自分を犠牲にしても仲間を救おうとしたはずじゃ。じゃけんど、それでは人魚に未来はない。これでいい、最悪
黄金の翼を広げ、海面を蹴り宙を蹴り、ヴァイオレットは決死の覚悟で救出に飛び立った。
その頃ゴブリンたちは、誰1人としてパールたち人魚を見ていなかった。目の前の捕まえた獲物に、釘付けだったのだ。
筒を持つゴブリン将軍でさえ、筒は海に向けていたが、目はすぐ近くの人魚をロックオン。
まず『触れた』というのが大きなポイントだった。
幻であれだけ大騒ぎした後だ。落胆した気持ちが、触れるボインボインにマックスバインだった。
「すげえ上玉だな。早く網を取れ! だが、慎重に慎重に外せよ」
捕まった人魚は、最年少の人魚だった。見た目は、20歳くらいのピチピチなお姉さんだ。
暗闇でもキラキラと光り輝く金髪と鱗、種族を簡単に凌駕する色香と、それを感じさせる全体像。貝殻で先っぽを隠しているが、あふれる果実はチラリズム。そして、黄金の鱗から分泌されている興奮を
―― くううっ! 早く
全ゴブリンが、そう考えていた。
人魚の姿が見えない場所では、見える場所をめぐってイザコザまで起こり始めていた。
このあと開催されるであろう催し物は、大荒れになりそうだった。