陽二は結界路内にある反対岸へ戻ると、グリンズリーの査定をしている協会職員の仕事ぶりを見学していた。不思議なもので、取り出された直後の臓器類は、直視できない気持ち悪さを持っていたが、部位毎に切り分けられていくうちに、その気持ちも薄れていた。
そんな彼の隣には桜もいた。彼女は、解体職人の技術を確かめるような態度で、うんうんと頷いている。
―― 偉そうに……おまえは、その人たちの師匠なのか!?
そんなツッコミを口にしなかった彼は、反対側へと目線を移した。その先ではランスロットが、ヴァイオレットと川の中の人魚に挟まれる形で、口論を繰り広げていた。
前に後ろに忙しそうである。
彼と桜は、下手に刺激せず事態の推移を静観することで一致していた。それに
「度を越せば、屋敷には招かんぞ」
と忠告済みなので、ほっといても大丈夫だろう。
「なあ桜。あのグリンズリーって、どれくらいの値が付くんだ?」
「ふむ……。1頭で、金貨1枚は余裕ぢゃろうな」
この金額は、あくまで現時点でのものだ。これから施される様々な処理を含めると、その末端価格は100倍ほどになる。
その会話は、ランスロットと言い合いを続けるヴァイオレットの耳にも届いた。
「陽ちん殿も欲しい素材があるんけぇ? それなら、10頭くらいどうぞじゃけぇ」
そんな提案を持ち出したヴァイオレットは、ランスロットの相手などしている場合ではないと、彼の元へ歩み寄る。
1頭が金貨1枚なので、10頭だと日本円で約1千万円。もし自分で調合して売り
その言葉が耳に入った協会職員は大慌て。ガバッと振り向くと、引きつるような表情で絞り出した。
「あ、あの……。全てを協会の方で買い取らせていただく約束では……」
―― うわっ。なんか、もの凄い悲壮感を感じる……
それも当然だろう。それを見込んで、応援の人員を集めたのだから。それに、この商機には特別臨時ボーナスが出ちゃうかも!? と、この場にいる協会職員たちは、心の中でダンシングフィーバーだったのだ。
「なあ桜。グリンズリーの素材いる? アレなら、倉庫に保管しておくけど」
彼は、桜の耳元で
「わ、
「お、おう。じゃあ、お言葉に甘えて」
ヴァイオレットに礼を言った彼は、協会職員にそう告げる。その結果、彼は解体済みの素材を1頭分と、5頭分の肉の山を手にしたのだった。食用である肉の価値は、素材の中では低いのである。
―― レヴィの食料にもなるな。あっそうだ! リンメルにもおすそ分けしよう
レヴィアタンの喜ぶ顔を想像しつつ、大量の肉や素材を『大倉庫』へ収納していると
「陽ちん! これもあげる!」
彼とヴァイオレットの話を耳にした数名の人魚が、両手に持ちきれない程の魚やカニを捕まえていたのだ。その漁は止まることを知らないのか、次々と川岸に水揚げされちゃう川の民たち。
「あ、ありがとう。でも、絶滅しちゃうからそのへんで……」
するとそこに、別の人魚と口論を繰り広げていたランスロットが「おまえら、陽二に近寄るな!」と走ってきた。とても忙しそうである。
「うるさい! あなたこそ、あっちへ行け!」
彼の喜ぶ顔が見たくて、魚やカニを捕まえてきたのに……。それを妨害するランスロットは、とても意地悪な邪魔者なのだ。
ピューピュー!
とうとう人魚たちは、ランスロットに一斉射撃しながら『あっちへ行け!』と騒ぎ始めた。
「ちょっ、ちょっと皆さん。ストップ!」
ヒートアップした人魚たちに、彼の声は届かない。
「こらっ、おとなしくせんか! 招待せんぞ!」
△△
グリンズリーの買取り金額は、金貨42枚だった。税金や諸経費諸々を引いた金額であり、半端の銀貨や銅貨は寄付した形だ。ヴァイオレットはその全額を、人魚全員の食費やパールのお世話代として桜に差し出すも
「サラデインでも入り用ぢゃろう? しまっておけ」
と受け取らなかった。
「俺もいらないからね!」
突っ返されたヴァイオレットの顔を見た彼は、矛先が向きそうなのを感じて、先に断りを入れたのだった。
この日を境に、人魚姫と人魚の話がセナドゥースとスノームを発信源にして広がる事になり、住み家とされていたサラデインの入り江には、ひと目見ようと観光に訪れる人が増えていく事になるが、その人たちが人魚に会えたかどうかは分からない。
また、それと同時期。人魚の贈り物としてグリンズリーの素材の多くが、各町の協会を窓口として安く提供される事になる。その量は10年分とも言われており、価格も通常の5割以下だ。それでも協会の
協会は、儲けよりも人助けを優先して、この恵みをもたらしてくれた人魚の功績を讃えるべく、価格を下げたのだ。
この協会の方針には、誰かが関与したのでは?
そんな噂話が、
△△
人魚の背に乗った陽二たちは、人の目の届かない上流へと場所を移すことになった。
「あれっ? ランスは?」
「あの人は、1人で帰るから乗らないって言ってた」
そう告げたのは、ランスロットを乗せるはずだった人魚のマゼンタ姉さんだった。
「どうしたんだ……?」
急な用事でも思い出したのか。それにしても、あのランスロットが、桜や陽二にひと言も告げる事なく、行ってしまうだろうか? 彼は、信じられず首を捻ったのだが―――― 真実はこうである。
ランスロットを背に乗せるには準備が必要。そんな言葉で時間を稼いだマゼンタ姉さんは、彼と桜を乗せた人魚たちを先に行かせた。そして、その姿が見えなくなったところで、ランスロットを乗せると下流側へ猛スピード。騒ぐランスロットを跳ね落とすと
「意地悪な人は、海まで流れちゃえー!」
そんな捨て台詞を言い放ち、置き去りにしてきたのだ。
数多の試練を潜り抜けてきたランスロットも、この仕打ちには涙したと言う。
ランスロットが先に帰ったと訊いた桜は「ふむ。そうか」と軽く流すと、持ってきた仮眠棟を設置し始めた。ランスロットが何も言わず先に帰った―― それは出迎えの準備なのか、仲直りのサプライズでも企んでいるのか。
そのように捉えた桜は、突然現れた仮眠棟に驚く人魚たちに、屋敷での注意事項をいくつか伝えると、順番に仮眠棟の一室に飛び込みを指示。安全性は確認済みなので、そのまま
△△
彼と桜が外玄関の前までたどり着くと、屋敷の前にランスロットの姿があった。酷い仕打ちを受けた彼女は、今か今かとこの時を待ちわびていたのだ。
―― 落ち込んでないよな……
屋敷まではまだまだ距離もあり、彼女の表情までは確認できない。彼は、人魚たちが仮眠棟に入る少し前の出来事を思い返していた。
あれは、屋敷での注意事項(過剰なスキンシップの禁止など)を話し終わったあとの事だった。
「なんじゃと? 川に置き去りにしてきた!?」
そう叫ぶヴァイオレットの声で、仮眠棟の確認をしていた桜と人魚たちを整列をさせていた彼、そして待っている人魚たち。
その全員が、ヴァイオレットに意識を向けた。
「どうしたの?」
彼はそんな剣幕で叫ぶヴァイオレットを見て、ただ事ではないと感じ取った。なので、不自然なほど離れていた最後尾。そのヴァイオレットの元へ心配になって近づくと、彼女の目の前。川の中には、元気のないマゼンタ姉さんの姿があった。
「どうしたんですか? 顔色が悪いみたいだけど……」
「あっ陽ちん……」
マゼンタ姉さんはヴァイオレットに次ぐ年長者で、溢れんばかりの大人の色気を持つ。優しそうなタレ目がトレードマークで、仲間の事をとても大切にしている。
実は彼も注意事項の説明の時から、マゼンタ姉さんの態度がどこか変なのでは? と感じていたのだが……流石は最年長のオババであるヴァイオレットだ。その姿に当然気づいていたようで、マゼンタ姉さんを最後尾に連れ出し、話を訊いていたのだ。
「陽ちん殿、実はのう――――」
ランスロットが仲間の人魚にいじわるするので、怒ったマゼンタ姉さんは、反対の下流に連れていって置いてきた。
そんな説明を受けた。
その『仲間外れ』を実行したマゼンタ姉さんは、罪の意識に耐えきれなくなり、顔色が悪くなっていたとの事。
「陽ちん、ごめんなさい。私、探してくるわ」
「気にせんでもよい。その程度、妾の
そんな事を抜かしたのは、彼の後ろについてきていた桜だった。
―― 仲間外れが些細なことって……
「おまえって、本当に容赦がないんだな。知ってたけど」
「なんぢゃと陽二! コホン、まあ良い。ぢゃからぬしも、そう気にするでない。それにその程度の事、あのランスは気にも止めんぢゃろう。今頃は、屋敷の前で何事もなかったかのように待っておるはずぢゃ」
それを訊いたマゼンタ姉さんは、少し疑うような目で呟いた。
「そう、なの?」
彼女らは知らない。
ランスロットが、少なからず涙していた事に。しかし、桜に訓練されて度重なる試練をくぐり抜けた勇者ランスロットの、立ち直りの高さは常人の7倍である!(当社比)
―― 意外と元気そう?
ランスロットの姿を見た彼が、そんな感触を抱いていると
「陽二、あとは頼むぞ」
外玄関を入ってすぐ。右手の広い場所に仮眠棟を設置した桜は、あとの事を彼に託すと、すたすたと噴水の前に歩いていく。
「おう、わかった」
彼は部屋のドアを開けて、到着した事を伝える。
「面倒かけて、済まんけぇ」
すると、ドアの前でマゼンタ姉さんを、お姫さま抱っこしたまま待っていたヴァイオレットが
「陽ちん殿、あとは頼むけぇ」
と、ランスロットの姿を確認するやいなや、屋敷へ歩いて行った。
『あとは頼むけぇ』
その言葉の意味が、理解できない彼ではない。マゼンタ姉さんを抱っこしたまま、ランスロットのもとへ向かう―― その目的は謝罪だろう。
―― 律儀と言うか……人魚って結構しっかりしてんだなぁ……
そんな風に感心していた彼の耳に
「陽ちん、運んでぇぇ!」
部屋の中から、自分で動くのが
と同時に、屋敷からも声が届く。
「姉さまたち、なの!」
到着の知らせを受けたパールだ。玄関先で大きな声をあげながら、大喜びで手を振っていた。
その姿はまるで、パフォーマンスを披露する水族館のオットセイではないか。
水中で優雅に泳ぐ人魚の姿とは、ギャップが激しすぎて目も当てられない。近くで見るとかわいいパールも、遠目で見ると残念無念! そして部屋の中に目を向けると、順番待ちしているオットセイ、じゃなくて人魚のお姉さんたちが。
「なんで、もっと近くに置かなかったんだよ」
彼は思わず愚痴をもらしていた。
それは当然、仮眠棟を置くスペースがないからである。
すると
「陽ちん早くぅ! なんならここで(ペロペロを)始めちゃう~?」
そんな誘いの言葉が聞こえるではないか。人魚のお姉さんたちは待ちきれないようだ。色々な意味で。
だが今の彼は、誘惑に屈するようなヤワな男ではない!
「みなさんよく訊いてください。先程も説明しましたが、このお屋敷には、それは恐ろしい魔王さまが住んでいます。ペロペロは絶対にダメです。見つかったら半殺しで、そのまま外に放り出されますからねっ!」
最注意事項として、唯の事は説明済みだ。下手な事をすると、鉄拳制裁および人魚の丸焼きまである。なので注意するようにと。当然のごとく人魚たちも『メロン記念日』の首謀者は承知
の助でござる。なので
「だ、か、らぁあんっ。うふふっ。ここでしちゃえば、いいじゃないのぉ」
あお向けになったお姉さんたちは、プルンプルンとあふれる果実を爆発させて、エロい目つきと舌なめずりを向ける。まるで、待ちきれず男を誘う団地妻(語弊)のようだ。
「おっ、おおう」
彼は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
その目の前で、なんという事でしょうかっ!
ひとりのお姉さん人魚が、最後の砦である貝殻を、ゆっくりと見せ付けるように外した。その頰は赤く熱を帯び、金の鱗はどこから出ているのか、しっとりと
それを見た他のお姉さんもスイッチが入ってしまったのか、進んで貝殻を外すと、彼に誘いの目配せを送りながら、果実の先端をパックンちょ! ぺろりんちょ!
「いや~ん」
「くすぐったい」
彼は、その光景にくぎ付けになってしまいそうになるも、なんとか息子に行く血液の流れを抑えるため、先程目にした『グリンズリーバラバラ殺人事件』を必死に思い返した。
―― 何をしでかしてくれてんだ、この人たちはっ! ありがとうございます。いい薬です!
「いい薬って何だよ……。聞いてくださーい! いいですか? みなさんをここまで運んだ桜は、極めて迷惑かつ面倒な監視の魔法を使います。なので僕たちの姿は、常に見られていると思って行動してください。120%バレますので」
ちなみに20%は、桜の偽装を考慮してのものだ。
「見られているの? いやん興奮するわ!」
なんという事でしょうか! 脅しのつもりが、逆に火を付けてしまったではないか。
―― これはまずいなぁ……
この場面、経緯も何も知らない一般常識で考えると、悪者は彼で、人魚のお姉さんたちに、あのような姿を強要したと思われても、なんら不思議な話ではない。
チラッ
頼みのヴァイオレットは、既に玄関へ到着しており、桜は土の塊を出して、なにやら作業をしていた。
―― ランスは? ランスはどこだ? いた!
ランスロットの姿は、ヴァイオレットの影に隠れていた。なにやら言い合いをしているらしく、助け船は望めそうもなかった。
――△△――
「ランスロット殿、ワシの仲間が申し訳ないことをした」
「ごめんなさい……」
「ふっ。あの程度、痛くも|痒《かゆ)くもないぞ。それに私は、泳ぎも大の得意だ。おまえたちが来る前に海まで泳いで、陽二へのお土産を買ってくるほどになっ!」
つまり、泳ぎでも人魚になど負けない! そんなところだろうか。
ピュー、ピュー
「漁の網に
ふざけんなよ! そんな感じのマゼンタ姉さん。
「やめろ! せっかく着替えたのに」
「いいぞ、もっとやれ(これ、やめんか)」
「姉さま。本音と建前が逆、なの!」
――△△――
―― どうすっかなぁ
その間にもお姉さん人魚たちは、彼との距離をズルズルと詰めて来ていた。
―― エロいのに、何か怖いよ!
その姿はもう、這いよるゾンビにしか見えなかった。
彼はその場から走って逃げても良かったが、それでも彼が、強要したとの疑いが、避けられない可能性が残る、一般常識的に。なので彼は、この場を可及的速やかに、おさめる決意を固めたのだ。
「
黄金指のピンポイントマッサージで、人魚たちのピンクポッチを、的確に素早く攻撃。ぷにっと押して、くるっと回転させ最後にピンッ。
「きゃんっ!」「いゃんっ!」「あんっ!」
山びこのように、連続する絶頂の声が響いた。お姉さん人魚たちは、全員ふにゃふにゃの脱力状態で、軽く
「ふっ。また、つまらぬ物を斬ってしまったか……」
そして彼はそそくさと、何とも言えない表情のお姉さん人魚たちに、ポッチを隠すように貝殻を被せると、お姫さま抱っこで運び始めた。
―― 長い……
人魚の体は腰から下、つまり魚の部分が上半身の2倍近く長いのだ。
―― しっとりしてる……
人魚の鱗は少し
「話してないで、手伝ってくんない?」
屋敷に到着した彼は、その前で話していたヴァイオレットとランスロットにも声をかけた。お姉さん人魚は、あと5人も居るのだ。
「パールごめんだけど、見てて」
パールに、ふにゃふにゃになったお姉さん人魚の介抱をお願いすると
「姉さま……ペロペロの匂いがするの」
「……」
耳に蓋をした彼は、ランスロットとヴァイオレットを連れて、逃げるようにその場を離れた。
するとその道中、ヴァイオレットが耳元で囁く
「陽ちん殿ずるいけぇ。ワシにも
「なっ!? なに言ってんの? 今日耳日曜!」
「意味がわからんけぇ」
そんな2人の間に、反対側を歩いていたランスロットが、スッと割り込む。
「何をこそこそと話しているだ?」
△△
その頃、桜は何をしていたのか。
彼女は、本部から持ってきたゼラガイオーの胴体部分を上手にくり抜くと、噴水を取り囲むように人魚たちのプールを作っていた。噴水から出る水量と排水の量を調節した、浄化の力と深さが自慢だ。これなら人魚たちも、ゆったり寛げるはずだ。
そのプールは屋敷と並ぶように作られ、縦10m、横20m、高さは2階の窓に合わせてある。彼が借りている部屋の窓を開ければ、目の前にはプールの最上部だ。プールの縁に肘を付けば、窓越しで楽に話ができるように計算してある。
人魚にとっては少し狭いのかもしれないが、そこは我慢してもらうしかないだろう。
完成したプールに人魚たちを運び込んでいる作業をしていると、パトリックの元に出かけると言って、唯が出て行った。
その時彼女は、彼と人魚たちに大きな大きな、それは山かと思うほどのクギを刺していったのだ。
「陽二、分かっておるじゃろうな? さっきのは見逃してやる。が次はないぞ。うぬらもじゃ! またよからぬ事をしでかしてみぃ。すまきにして森の中にポイッじゃ!」
しっかりちゃっかりバレていた。彼も人魚たちも顔面蒼白でガクブルもんだ。メロン記念日の首謀者は、言葉の重みが違うのだ。
「ワ、ワシは、まだ慰みを……」
ヴァイオレットの口から、ボワーっとしたナニカが出ていたのだが……彼が我が身かわいさもあって、見てみぬフリを貫いたのは仕方がない。
「妾もちと、サラデインに用があるので行ってくる。
「無茶ぶりすんなよ。仲間だろう?」
そう言う彼をスルーした桜は、思い出したようにプールから顔を出していた人魚たちに向かって叫んだ。
「プールの中で用を足してはならぬぞ。帰って来てから別に作るので、それまで我慢ぢゃ」
―― まさかの
すると、プールの縁から顔を出したパールが口を開いた。
「桜ちん知らないの? 人魚は、大も小もしないの」
「えっ嘘でしょ? 本当に?」
パールの発した『昭和アイドル宣言!』に、彼は思わず見上げて聞き返した。
「奇遇ぢゃな、妾もぢゃ!」
とパールに向かって胸を張ったではないか。
「嘘つけや!」
彼は、胸を張る桜にツッコんだのだ。
△△
「アスモさん。どこなんですか?」
「もう少しですよ」
先を歩くアスモデウスと話をしながら、陽二は田んぼ道を歩いていた。その隣にはヴァイオレットがおり、手が繋がれていた。
ヴァイオレットは口から魂が抜け出て、いい加減どこかへ旅立とうとしていた。見ていられなかった彼は心配になって、手を
結局それ以降、彼女は手を離そうとしないのだ。
―― まあ、いいけどね。
不憫に思ったのか、見てみぬフリに罪悪感を覚えたのか、彼はその現状を受け入れていた。
道を挟んだ田んぼの反対側には、幅2mほどの川が流れている。水深は1mもないが、その清らかな水は、豊かな生態系を育んでいるのだろう。様々な大きさ・種類の魚や綺麗な緑色の水草が、流れのままに身を任せているのが確認できる。
その川を泳いで付いて来ているのが、パールを含む人魚たちだ。時には魚を捕まえ、時には跳ねて、彼の気を
「おまえらうるさい。おとなしく屋敷で待ってろ! ヴァイオレット、おまえもいい加減に手を離せ!」
その言葉が引き金となり、彼の後方では水が飛び交っている。キャッキャッウフフと実に楽しそうだ。やめさせるのは、野暮ってものだろう。
「ここです」
到着した場所は、ため池の水を田んぼへ引き入れる
つまり、サクラノヒカリの田植えが近いという事だ。水路を掃除すると、どんどん田んぼに水が入っていく。
「今から撹拌作業をします。泥が跳ねて汚れますので、離れていてくださいね」
アスモデウスは、仲間の腕輪で汚れてもいい服に着替えた。といっても、いつも通りのメイド服だった……きっと、何かが違うのだろう。暇な時間を見つけては、少しずつ進めてきた田んぼの準備。しかし最近は色々と忙しく、例年より遅れているのだった。
「私も手伝うぞ」
意気揚々と田んぼに入場を果たしたのは、裸足ジャージ姿のランスロットだ。
「パールたちも、お手伝いするの!」
どんな作業をするのか良く分かっていないが、川からため池、水路を通って田んぼに入ってきたパールたちも、声高々に宣言だ。その体には水草が絡まっており、水路の掃除には一役かったようだ。
「ヴァイオレットは行かないの?」
「まだ、慰みの途中じゃけぇ」
「そうなんだ……」
という事らしい。なので、ヴァイオレットと
「ちょっ。唯さんが大魔神になるぞ。すまきにされたいの?」
「もうちょっとじゃけぇ。先っぽだけ、先っぽだけじゃけぇ」
「何を言ってんだか……それよりも手、離れたけど」
「やってしもうたけぇ!!」
頭を抱えたヴァイオレットは、後ろにのけ反るような体勢で叫んだ。それはそれはプルンプルンだ。
「ま、まあ。あと少しだけね」
ちょっと不憫に思っていた彼は、プルンプルンは関係なく、そのまま見学する事にしたのだ。
「陽ちん殿!」
しかし我慢限界! ヴァイオレットは再度のハグを敢行。背中に感じる感触は、最高チョモランマさんだが、流される訳にはいかない。
「はい、手を回さないでねぇお客さん。ボディタッチは禁止ですよー。壁に耳あり、そこら辺に盗撮犯あり」
彼は軽く、きゅっとヴァイオレットの手の甲を摘まんだ。
「はっきゅーん!」
そう言ったヴァイオレットは、後ろに倒れて気を失ってしまったのだった。
―― また、つまらぬ物を斬ってしまったかーってすげぇなぁ黄金指。まあ、ヴァイオレットの見た目が良いのは認めるけど、つい最近まで、ベローンとしたロールババアだったんだよなぁ……
彼はヴァイオレットの上からおりて、上半身を隠すようにタオルをかけておく。この山脈は目に毒である。思わず手が伸びてしまっては困るのだ。
彼はうしろ髪ひかれつつも、頑張って田んぼに目を向けた。
この田んぼは、相当広く。屋敷の前からずっーと続いている。おそるべきは、おそらく一枚の田んぼということで、もう㎢の世界である。広いなりの工夫が施されているのだろうが……
「うぉぉぉぉぉお!」
その広大な田んぼの中を、剣を地中に突き刺した状態のまま、ランスロットが泥を巻き上げながら走っていた。
「あいつ何馬力あるんだよ、すげぇな。そう言えば田んぼって、膝くらいまである新雪の中を、走るのと同じくらいじゃなかったっけ? 知らんけど」
その両側には人魚たちが泥の中を追泳(?)し、ランスロットに泥を飛ばしていた。その他の人魚たちは、真面目に撹拌しているようだが。
そのランスロットと人魚は、見えなくなるまで走って行くと、場所を変えて戻ってくる。
「仲が良いのか悪いのか」
全員が泥だらけで、とても良い笑顔を見せており、実に楽しそうである。
しかしアスモデウスの姿は、ここにはない。
彼女は魔法で渦を発生させると、グリングリンと広範囲の泥を撹拌させているのだ。なので今は、誰も居ない遠くの方で頑張っているだろう。
その時だった。
「バァ!」
彼が身構えるより早く、泥人形が襲いかかってきたのは。
「くっ不意打ちか!?」
「陽ちんも、遊ぶの!」
不意に引っ張られた彼は、田んぼへと引きずり込まれて泥まみれ。逃げようとするも
バタン
と、顔面ダイビング。
「陽ちん、良い腕をお持ちですな、なの!」
そんな訳の分からない事を言うパールは、泥だらけの体で彼に飛びついた。
△△
並べた大きな石の上に、網を乗せただけの即席
現在彼らはランスロットの発案により、ため池の側でバーベキューを開催していた。アスモデウスはまだ戻って来ていないので、調理を担当している人物は、スーパー女子力・ランスロットだ。
その見事な包丁捌きは、人魚たちを
その見事な串焼きは、人魚たちを
「魚、食べるんだね」
てっきり、魚類は食べないと勝手に思っていた彼は、驚いていた。
「ふふふーん」
ついつい鼻歌を奏でちゃうランスロットの、
「ランちん、最高なの!」
「お、おいしいです!」
パールやマゼンタ姉さんを筆頭に、最上級の誉め言葉をランスロットに贈っていた。
ちなみに、炭や調理器具その他食材は、彼が
そのレヴィアタンが、パクッとひと口。
カチャーン
彼女は、手に持っていたスプーンを落とす程の衝撃をうけた。
「よ、陽二。これ、うまし。レヴィ、感激! シェフを、シェフを呼ぶ。お礼、したい、直接!」
「どこの一流レストランだよ……」
そんな出来事が、あったりなかったり
「しかし、本当に上手だよな。腕も味も」
彼はグリンズリーの肉を頬張りながら、ランスロットに感謝を伝える。グリンズリーの肉は、若干クセがある。しかしランスロットは、そのクセを良い方向に伸ばす調理を施していた。歯応えがあるのに柔らかく、噛むほどに閉じ込められた甘い肉汁が暴れだすと、独特の味が複雑に絡み合い見事な協奏曲を奏でまくりスキー。
「ふふん、そうだろう。いつでも食べさせてやるからな。むしろ、毎日私のお味噌汁を飲んでくれ!」
「こんなところで、まさかの逆プロポーズ!?」
彼の隣には『うっぷっ』ボチボチ限界のヴァイオレットと『まだまだコレからだぜ!』のパールも居たが、ランスロットの言葉に
「そうなの! ランちんは、食事係に決定なの」
「そうじゃ給仕メイドにピッタリじゃ。仕方ないけぇ、末席にランちんを迎えるとするけぇ」
人魚界に、ランスロットが認められた瞬間だった。―― 違う意味で
「誰が、食事係のメイドで末席だ!」
吠えるランスロットだが、その表情は少し嬉しそうだ。そこに
「ランちん、大物ゲットだぜ!」
どっかの〇ケモンでもゲットしたような言い方が届く。
―― この世界には、マスターボールがあるのか?
くわっ! と彼が振り向くと
1番最初に満腹になり、腹ごなしで川へ泳ぎに行った人魚が、大きな魚を捕まえてきていた。
「そ、それはあかんやつや! 食べちゃダメ!」
見覚えのあるフォルムに倍率ドン! それはダンジョンナマズだった。
「魔王の娘さんが、それはそれは大事に育てている高級素材のお魚さんだから! この階に住んでいる生き物は、むやみに捕まえちゃダメ。だから逃がしてきて」
と彼は諭した。
案外素直に『は~い』と言って連れて行ったので、彼は拍子抜けだ。
とそこへ、撹拌作業を終えたアスモデウスが帰ってきた。
彼女は全くと言えるほど、どこにも泥が付いていないし、足元も綺麗だった。
「もしかして……ランスちゃんが料理を?」
何故かアスモデウスは、驚いた様子を見せた。
「ああそうだ。アスモの分もちゃんとあるぞ、食べてくれ」
「そうですか……仕方ありませんね、いただきます」
「?」
彼は、アスモデウスの雰囲気が少し違うと感じ取った。それは、落ち込んでいるような……
そんなアスモデウスに、どこで取って来たのかランスロットは、柑橘類と思われる果物を串焼きに絞って振りかけると、その皿を手渡した。へいっお待ち!
受け取ったアスモデウスは
『うぷっ』と満腹になり、その場で寝転がるヴァイオレットや『出てこいや!』とモリモリ食べ続ける大食いチャンピオンをひと目見ると、トボトボ。
みんなに背を向ける形で、川のほとりに腰をおろした。
―― アスモさん?
どうしたのだろうか。なにか心配事でもあったのだろうか。気になった彼は、彼女に声をかけながら、ちゃっかり隣に座った。
「どうかしたんですか?」
「陽二くん……料理だけは、ランスちゃんに敵わないんですよね」
「んんっ? アスモさんの料理は、とても美味しいですよ。パールだって、あんなに美味しい美味しいって、食べてたじゃないですか」
―― アスモさんは、何を気にしているんだ? 料理のおいしさはひとつではないのに……
確かに同じ料理ひとつでも、各家庭・人それぞれで、味付けから材料まで何もかもが異なる。それが普通であり、正解などない。あるとすれば、好みの問題だけだ。
「ランスちゃんの料理を食べてしまったら、今度からお屋敷で出す料理のハードルが、上がってしまいます……」
串焼きを口に入れたアスモデウスは、噛み締めるように言葉を
そんな弱音を、彼女の言葉を訊いた彼は、意外に思った。
あのアスモデウスが、何でもできる完璧超人と思われるほどの人物が、ランスロットの料理に嫉妬していたのだ。
「すっげー意外です。アスモさんでも、他人に嫉妬するんですね」
「あたりまえじゃないですか。ふふ。ここは、くらっかーですかね。……私は、桜ちゃんにも唯にも、そして陽二くんにも、嫉妬している部分はありますよ?」
「ええっ? 本当ですか……ちなみにどこに?」
「秘密です」
そのまま会話も途切れてしまった。秘密を暴くように追及するのは悪手である。そう判断した彼は、話題の転換を兼ねて、練習ダンジョンでボコボコにやられて逃げ帰ってきた事と、センダイで活躍する青紫軍。そして、イノゾミラの事を尋ねてみた。
「地下5階は……ちょっと意地悪でしたね。あそこは、仲間と連携して進めば、案外簡単にクリアできるんですけど。そうですねぇヒントをあげましょう。あの階の魔物は、1歩を踏みださなければ決して襲ってきません。下の段に転移した後も同様です。そして魔物のパーティーは、全滅させなければ復活しません。もう分かりましたね? それと最初の赤いスイッチは、複数あるルートのひとつです。真の正解は、1回で最下まで転移できるスイッチです。ただし、そこでの戦闘は
「1歩を踏み出さなければ……全滅させなければ? あっ! なるほどです」
「探索者の事は、地下5階をクリアできたらお教えしようと思っていたのですが、もう知っていますよね?」
「はい、大体ですが……ミラさんに教えてもらいました」
「イノゾミラさんは、確かセナドゥースの領主、イノさんの娘さんですね。そうですか、彼女はセンダイに行っていたのですか……そう言えばもう少しで、ソラマンから出ている結界路に繋がるはずですね」
彼女が語っているのは、センダイにいる探索者『青紫軍』の目的と仕事の話だ。『青紫軍』は、遥か遠くにあるセンダイから、結界路を延ばしてソラマンに結合させるのが、最大の目的で長年受け継がれた人族の悲願だ。『恩に報いる』または『義理を通す』とも言われている。
長年、幅にして約150mの結界路を、延々と伸ばし続けて来た。その内容は、結界路を設置後、結界路内の魔物を駆逐、大木を斬り倒し岩をどけて道を作る。
少しずつ繰り返した陣取りゲーム。その終わりが、すぐそこまで来ているのだ。
「結界路が繋がったら、次は私たちの番です。陽二くんにも手伝ってもらいますので、お願いしますね」
「次ってなんですか?」
「結界路内の、町と町を繋げます。つまり、スノームとシノフィールを、そしてスノームとセナドゥースをです。このように全ての町を繋げて、結界路に囲まれた安全地帯を広げるのが『次』です。そのためにも陽二くんは、『魔技強化合宿』に参加してくださいね。その合宿が終わる頃には、地下5階をクリアできるだけの実力も、自然と身に付くでしょう」
質問をしたばっかりに彼は、『魔技強化合宿《アスモキャンプ》』の参加が、否応なしに決定されたのだった。