「おにーちゃん、おはようございます!」
朝、目を覚ますとひょっこりと布団の中からユーフォリアが顔を出す。
えへーと笑っている彼女は、今日に至ってはその笑顔も普段の数割り増しで輝いている。
昨日、明日は早く起きないとダメですよーなんて言っていた通り、普段よりも一時間程度は早い。
少女はすでに寝間着から普段の部屋着に変えている。全身からワクワクしている気配、楽しみですという気配を隠せていないし、隠すつもりもないだろう。
「おはよう、ユーフィー……」
今日も元気だなと呟くと、はいっ! と大きな声で返事を返される。
まあ、それも当然なのかもしれない。彼も、今日という日をクラスメイト含めたいろんな面々から嫉妬と憎しみの視線で見られていなければ、きっと楽しみにしていただろうから。
なぜなら───
「だって、今日は学園祭なんですから!!」
異世界に飛ばされることになった日。
あの日は、”学園祭の準備に人が集まっていた”のだ。
そして、ようやく気を抜くことができるタイミングがやって来た。それは、学生たちに心の余裕が取り戻されたということであり、同時に神剣使いに対しての気遣いに対しても心を配る余裕ができた、ということでもある。
それによって『本来ならもうやっていたはずの学園祭をやろう』と誰かが言い出したことが始まり。
今日は、本来ならいたはずの人物が欠けていたりするが、その代わりと言ってはなんだが異世界人も結構な人数いる。
そんな、普通なら決してできるはずのない学園祭の開始だった。
あたしのところにも来てくださいねーと走り去って行ったユーフォリア。
それを見送った後に、周囲から向けられたのは嫉妬の視線。
基本行動がユーフォリアと一緒になったこと、以前久遠に突っかかった連中に対してユーフォリアが不満ですと言わんばかりにぐいぐいと文句を言っていたことで、基本的にはユーフォリアに嫌われないようにと不満があっても口にはしないようになっていた。
けれど実害はないのは、やはりユーフォリアがやってくることを信じているから、だろうか。
「ユーフィーのせいで睨まれてるけど、ユーフィーのおかげで睨まれる程度で済んでいる。……これがマッチポンプってやつか」
本人にはそこまで考えが及んでいるわけではないだろうが。
まあ、ここでユーフォリアとの間柄が悪くなるのはイコールでユーフォリアに懐かれている彼に実害が出始めることに繋がる、そんな可能性が残っている以上悪くするつもりは彼にはない。
そうでなくても、見た目の年齢は置いておくとしても、あんなに可愛い女の子に懐かれているというのは久遠にとっても悪い気がするようなものではない。
理由がわからないのは不気味であるが、その辺りについては今調べる必要はない。いずれ時間ができた時、いずれ彼女の記憶が戻った時にはわかるだろうし、懐かれている……つまりは悪い感情を抱かれていないのであれば、その理由も決して悪いものではないのだろう。そう、思っている。
「……そういや、あの子が何をするのかは聞いてないな」
教えてもらえなかった、とも言う。
当日のお楽しみですと言われたので、そこまで興味もなかったことも合わさってそれ以上尋ねることをしなかったのだ。
幸いにも場所については知っているので、どの教室で何をやっているのかがパンフレットに書かれている以上はその気になれば一発でわかる。わかるのだが───
「……少しぐらいは驚いてやるか」
そのパンフレットを開くのは、彼女のところに行った後。そう決めて、パンフレットを開くことなく片付ける。
彼女が働くという時間帯は午前中だけ。午後からは一緒に動ける……というかおそらくは動くのだろうし、他のところを見て回るのはそれからでもいいだろう。
そう結論づけて、ユーフォリアが働いているという教室に向けて歩き始める。
「おかえりなさいませ、ごしゅじんさまー」
たどり着いた時、学園祭が始まってからまだ數十分程度だというのに、大層並んでいた。それも男子ばかり。
久遠が並ぶと前に並んでいた男子たちが一斉にぐるりと久遠の方を見たのは、彼の心臓に悪かったが、それも今となってはどういう意味での視線だったのかよくわかる。
あれは、お前は普段から
……そう、メイド。
この教室の分類は喫茶店。その名称は”悠久”。詳しいことは知らないが、ユーフォリアがかつて言っていた、彼女が契約している永遠神剣の銘が『悠久』であることから、最初からユーフォリアをメインに据えるつもりだったか。あるいはユーフォリアが手伝うと言ったからこの名前になったのか。
メイド喫茶として生まれたこの店は、男子にとっての憩いの場となっているようだ。
「あ、おにーちゃん!」
「……いや、俺に構ってないで仕事しろよ」
「おにーちゃんはお客さんだから問題ないですよ?」
ぽすんと抱きついて来たユーフォリア。彼女もメイド喫茶にふさわしく、ワンピース部分が赤色のエプロンドレスに、頭の上にはホワイトプリム。要するにメイドさんの姿をしていた。
そんな彼女の発言を聞いて、やはり兄とその他の違いは大きいのか! と叫んで崩れ落ちる男子生徒たちに対して、店員たちがゴミを見るような視線を向けている。
その中にはユーフォリア以外の神剣使い……一番最初に飛ばされた世界である、俺たちが「剣の世界」と呼ぶ世界で合流した、生徒会長である斑鳩先輩が所属する『旅団』の人間の一人、タリアの姿もあるし、その横で呆れたような表情をしているのはこの「魔法の世界」の大統領であるナーヤ・トトカ・ナナフィ。
「それにしても、なんでメイド喫茶なんだ……?」
そんな疑問を漏らした時だった。
「それはじゃな」
「ナーヤさん」
気がつけば真横にまでナーヤがやって来ていた。どうやら事情を知っているらしい。
「本来は制服の上にエプロンで、と言う話だったのだが、一部の学生達の強い要望で、このようなメイド服で接客する形式になったのじゃ。“究極の癒し”を追求しておるというその学生達によれば、メイドの自己犠牲的献身的な姿勢こそが、現代における安息の絶対的な実在であるらしく……と何とも熱く語られて、その後紆余曲折あって、こうして喫茶店『悠久』が誕生した、と言うことじゃ」
「……その制服はどうしたんですか?」
そんなもの、この物部学園にはなかったでしょう? と言う疑問が湧いてくる。
だがその疑問は、それはですねと抱きついているユーフォリアからの言葉がかけられたことで氷解した。
「企画に賛同してくれた生徒さんが居まして、その人が一人で全部用意してくれたんですよー。とってもやさしい人なんですね、きっと」
「いや、多分その人はやらしい人じゃないか……?」
人間、欲望のためであればなんでもできると言うことか。少々驚愕と畏敬の念が瞳に表れていたのか、ユーフォリアはきょとんとしている。
「……ここに来ている時点であんたもやらしい人の仲間入りよ。自分だけ違う、って顔してるんじゃないわよ」
まったく、こう言うのだって知ってたら、手伝いになんて来なかったわよ。そんな人の良さが滲み出ることを言っているタリアさん。
別にユーフォリア以外の途中参加の神剣使いとはそこまで親しいわけではないが、それでも「ユーフォリアと仲のいい生徒」と言う形で存在だけは認識されている。なので久遠は名前は知られていないが、他の有象無象とは違う立ち位置にいた。
「いや、俺はユーフィーから来てくれって言われてたから来ただけだし……」
「えへー。……どうですか、似合ってますか?」
「うん、可愛い可愛い」
褒めると、笑顔が光り輝いた。
あとで一緒に回りましょうね、絶対ですよ。そう言ってユーフォリアは仕事に戻ったが、それによって周囲から向けられる嫉妬と憎悪の視線はより強くなった。
これは人の多いところを歩いていた方がいいかな。
そうでないと殺されそうだと、久遠はメイド喫茶”悠久”にて簡単な間食を食べてからまた別のところを回り始めるのだった。