蒼穹の夢を見る。
それは幼き日の記憶。
彼の既視感の源泉となる、一つの
『ほえ? これ、くれるの? ありがとう、くーちゃん!』
あの時、彼女に渡したのは一体何だっただろうか。
目が覚めれば覚えていない、思い出すことを許されない過去を前に、そんなことを思う。
そう、過去。
今はなぜか、この夢を過去と断じることができてしまっている。
『でも、あたしおかえしになにあげればいいかな?』
何と返したのだろうか。わからない。自分が何を言ったのか、思い出すことができない。
でも、多分。何もいらないみたいなことを言ったんじゃないだろうか。当時の俺からすればきっと、彼女の笑顔以上に価値のあるものはなかっただろうし。
『だめだよー。パパは、もらうだけじゃだめだっていってたもん!』
だからね、と
その鈴の音のような声が耳朶を震わせている姿を見て、あれは麻薬だと、直感的に理解する。
あの少女こそが俺にとっての運命の女。己の身を破滅へと導く
『だからね、あたしはぜんぶをあげる!』
「あ、おにーちゃん。起きましたか?」
「ユーフィー……?」
どうした、と聞く必要はない。後頭部に触れる柔らかさ、上から彼女がこちらの顔を覗き見ている状況を鑑みれば、膝枕をされているのは明白。
さらさらと柔らかい手に髪を梳かれているが、その手も、そして後頭部から伝わる太ももの感触も、どちらもわずかに湿り、そして普段よりも体温が高いようで。
「お風呂、入ってきたのか?」
「はい。それで、帰ってきたらおにーちゃんが寝てたので……」
膝枕をしていた、と。
新しい世界……『未来の世界』と俺たちが呼ぶ世界は、その名前の通りもともといた地球が発展したかのような世界だった。それは、街中の建物という点も含めて。
だが、だからこそ。マナを使用しての建造物なども多かったとはいえ、オイルの匂いや汚れた空気もまた、地球とは比べ物にならないほどに発展していて、染み付いた匂いを取るためにか、かなりの時間を風呂に入っていたらしい。
「……ちゃんと髪、乾かしてこいよ」
「えへへ……」
はにかむユーフォリア。彼女の髪からは未だに水滴がぽつぽつと。それが、しっかりと髪を乾かしていないことを示している。
ため息をつく。なんとなく、彼女が求めていることを理解した。どこにあったかなと視線を彷徨わせれば、すぐに目的のものは見つかった。
体を起こす。あっ、と少し寂しそうな声を出したユーフォリアに、そういえば学園祭の時に膝枕するって言ってたのは果たされたな、なんて考えて、目的のもの……ドライヤーを手に取りに行く。
「ほら、そこ座れ」
「はーい」
なんだか慣れたなぁと少々自分に呆れる。ユーフォリアが己の膝の上に座って体を預けていることにも慣れてしまった。そんな彼女の過剰すぎるスキンシップに対して何も思わなくなっている時点で、なかなかにほだされているような気がする。
彼女の髪にドライヤーからの温風を吹き付けていると、キラリと視界の端に何かが光って見えた。
「おもちゃの、指輪……?」
そうだ。よく見ればおもちゃの指輪だ。
年季が入ってボロボロだが、それでも大事にされてきたのだろうとは思える程度には品質が保たれている。
ふにゃあ、と気持ち良さそうな声を上げていたユーフォリアもどうやら俺のつぶやきが聞こえたようで、その視線を自らの左手薬指に嵌められている指輪に向けた。
「これ、ですか? この指輪はですねー」
少しだけ、過去に想いを馳せるようにしてユーフォリアが今までに見たことのない表情に。彼女を膝の上に乗せている関係ではっきりとその姿を捉えられたわけではないが、わずかに見えた横顔にどきっとした。
その憂い顔は、これまでに見た見た目相応の少女然とした姿かははるかにかけ離れていたために。
「あたしの宝物です」
「へえ……」
曰く、これは大事な人からもらったものらしい。
その人がどれだけ大事な人なのか、というのは彼女の語り口からして、予想はつく。
小さい頃にもらったそれ、くれたのはきっと好きな人だったのだろうな、と思える程度には。
「ん、終わったぞ」
「えへへ……ありがとうございます」
髪を乾かし終えて、彼女がその頭をいつものように擦り付けてくる。
それにしても、と思う。少女はこんなに無防備に他者に甘えている姿を見たら、彼女の好きな人とやらは大層怒るのではないかと疑問が湧いた。
俺にも彼女にもそんな気持ちは一切ないが、それは俺たちだからこそわかるもの。彼女の好きな相手はおもちゃとはいえ、わざわざ”左手の薬指にぴったりの大きさ”の指輪を渡しているのだから、つまりそういうことだろうし。
「ほら、そろそろ寝るぞ」
「はーい」
けれどそのことは口にしない。どうやら、この状況を俺も気に入っているらしい。
俺が布団に入ると、もぞもぞとユーフォリアも同じ布団に入ってくる。俺の上に乗っかった彼女は、ひょこっと布団から顔を出して、至近距離でにぱーっと笑う。
そんな彼女のことを湯たんぽがわりに抱きしめて、俺も微睡みに身を委ねるのだった。
「ごほっ、ごほっ……!」
翌日になると、おにーちゃんが咳き込んでいた。どうやら風邪を引いたらしい。
そのことを伝えると、すぐに沙月さんたちが対策を取ってくれたけれど、どの異世界でもらった、どんな病気なのか。そのことが全くわからないために、これ以上広がらないようにすることしかできない、と言われた。
なので、今の目的地にまでたどり着くまでの間、あたしが部屋に隔離されたおにーちゃんの面倒を見ることになったのだが、何をしてあげればいいのかわからない。
保健室は、他にも人が来るせいで、その人たちに風邪をうつすわけにはいかないからと使えないのだ。
「ゆー、ふぃー……」
「おにーちゃん!」
名前を呼ばれた。急いで向かう。神剣の力を引き出しておけば、風邪に関してはそこまで気にしなくていいために、あたしたちだけがおにーちゃんのことを診ていられる。
幸い、といっていいんだろうか。あたしは青と白の属性持ちだから、青属性の神剣魔法で氷を生み出すことだってできる。今、おにーちゃんが使っている氷嚢だってそうやって生み出したものだ。
体温を下げるために使用しているにも関わらず、握ったおにーちゃんの手はとても熱い。あたしが握ったことがわかったのか、その手には力が込められる。
「とうさん……かあさん……」
「……」
今この場にはいない、おにーちゃんの両親のことが呼ばれた。そちらに関してはどうしようもない。
あたしは、おにーちゃんと呼んでいるけれど、それでもずっとそばにいた家族ではない。
だから、それが少し───
「さび、しい……」
──寂しいのだ、と。
気持ちは同じ。
どうしようもなく 本当の家族には会えない事実があって悲しいおにーちゃんと、本当の家族にはなれない寂しさがあるあたし。
おにーちゃんは、人間なのだ。本当に、ただの。
神剣を持って戦うことができる人物でもなければ、これまでに戦場に立ったことのある人物でもない。
そんな彼が、こんなことにいきなり巻き込まれて何も思わないはずがない。
年齢とか、いろんなことが重なって隠すことには成功していたのだろうけれど、それでも思うことはあったのだろうだ。
もしかしたら本人すら気がついていなかったかもしれないけれど、あたしのことを受け入れてくれたのもそういうことかもしれない。
ちょっと嬉しいのは、両親よりも先にあたしの名前を呼んでくれたこと。そんな場合ではないのに、嬉しくて頬が緩んでしまう。
「大丈夫ですよ……」
だから、あたしも、おにーちゃんの手を強く、その存在を刻み付けるように握る。
「おにーちゃんのお父さんもお母さんもいませんけど、
ユーフォリアちゃん、年上の妹として貫禄を見せる