「ここって……」
目を覚ますと、普段とは違う……おそらくは保健室と思われる教室で目を覚ました。
体を起こそうとするも、右腕は一切動かない。見てみれば、ユーフォリアが眠っている。
ただ、腕を動かそうとしたのを理解したのか、ユーフォリアがむずむずと動き始めている。
「おにーちゃん……?」
「うん、おはよ」
最後まで言葉は言わせてもらえなかった。おはよう、というたった一言。それを口にするよりも早く、ユーフォリアがほとんど頭突きのような形で抱きついてきたせいで、ゴフッと空気が抜けた。
けれどそれすらもユーフォリアは気がついていない。文句を言おうと思って彼女の方を見れば、抱きついて顔をお腹のあたりに埋めながら、わずかに体が震えている。だから、何かいう気が失せた。
「ユーフィーは甘えん坊だなぁ……」
よかった、と呟く少女の頭を撫でる。
彼女は一体何に対してホッとしているのかわからない。
だから、何があったのかと尋ねる。覚えていないんですか、と涙目のままこちらを見上げてきょとんとした顔をしているユーフォリアの顔を見れば、確実に何かあったのはわかるのだが……。
「えっとですね。おにーちゃんは攫われたんです」
久永久遠は攫われたのだと、そう語ったユーフォリアは、その攫われるに至った経緯。ここに戻るまでの全てを語ってくれた。
まず、暁を連れ戻しに向かった世界。そこで暁を回収したのはいいのだが、そこで暁を助けるために世刻が使用した『浄戒』なる力。それに対するカウンター兵器だったらしい永峰が覚醒して、その状態の永峰を世刻のことを恐れている奴らが攫っていった、らしい。
そして同時、目の前のユーフォリア。それも恐ろしかったらしく、仲がいい人物を攫って盾にしてしまえばユーフォリアを抑えられるだろう。そう判断したらしいその相手は久遠のことも攫ったらしく、その状態から救出されたが眠ったままだったのでユーフォリアがずっとそばにいた、ということを聞いた。
そしてその結果。
「もうおにーちゃんから離れません!」
ユーフォリアがむん、と手を握りそう宣言する。
彼のそばから離れなければ、誰かに攫われたりすることはないだろう、という考え。
それはいいし、彼も命の危険が減るだろうから特に嫌がることではないのだが、一つだけ文句があるとするのなら───
「……トイレまでついてこないでもらえるか?」
「やーでーすー!」
引き離そうとしても離れず、トイレにまでついてこようとする。
一人にすれば攫われる可能性がある。それが原因だとはわかっているがさすがにプライバシーという言葉を守ってほしいという思いは久遠にだって存在する。
なのでどうにか引き離そうとしているのだが、頑固なユーフォリアは絶対に離れようとしないのだ。
「何やってるんだ……確か、久永だったか……?」
「あ、暁! ちょうどいいタイミングだ……!」
そこにちょうど現れた暁絶。騒いでいた場所が廊下なので、人が現れることは何もおかしなことではないのだが、それが
連れションしようぜ! そう語ると微妙な表情になったが、その後のユーフォリアに対しての「ほら、暁がいるから!」という叫びとユーフォリアの不満そうな表情でなんとなく察したようだ。
「仕方ない。うちの最強戦力様が動けなくなると困るからな。連れションに付き合ってやろう」
「助かる……!」
ほら、ユーフィー。その言葉に不満そうながらもがっしりと抱き締めていた腕を解いて、ユーフォリアは久遠のことを自由にする。
二人してトイレに入ると、そこまで仲が良いわけではないので会話が発生しない。
なんとなく沈黙が気まずいな、と思わないわけではなかったが、話の内容なんて特別ない……そう思ったところで一つだけあることに気がついた。
「そういや、俺の救出ってどうやって行われたんだ……?」
「なんだいきなり」
「いや、俺が攫われたっていうのは聞いたけど、どんな風に助けられたのかは知らないなと思って」
「……結構簡単な話だぞ? お前が人質にされている時に、サレスがお前のことを全力で殺そうとしただけだ」
「…………は?」
「『
「……ああ、なるほど」
なんとなく、久遠にも何があったのか理解できてきた。
いかにも間抜けな話だが、俺のことを攫った相手が本気を出しても敵わないらしいユーフォリアの対抗策。それが俺という人質だったらしいが、そのためには神剣使い同士の戦いに俺を巻き込んではいけない、俺が死なないように全力で守らないといけない状態だったために自分たちの守りがおろそかになったのだろう。結果、俺のことを助けられる程度には相手に損害を与えたのだ、と。
「……間抜けだな」
「予測することが得意な連中だったからな。予測の外にあるユーフォリア相手にはどうしようもなかったんだろ」
そんなユーフォリアも、けれど久遠には特にそんなすごさが見て取れない。神剣使いとしての彼女を知ることができないという事実に多少の寂しさを感じながらも、久遠はそれを顔には出さずに連れションを終えてユーフォリアの待っている廊下に出る。
出たのと同時にユーフォリアが久遠のことを認識してぴょんと飛びついてくる。暁からすれば、仲間になったタイミングで久遠が攫われていたので、ユーフォリアのそんな姿を見るのは初めてだったので少しばかり目を丸くしながらも、気配を殺してその場を去っていた。
「はいはい、よしよし」
「ふにゅっ!?」
普段のように撫でると、わずかにびくんと震える。
その理由に一瞬思い至らず。けれど次の瞬間には久遠にも理由はわかった。
「ああ、悪い。冷たかったか……?」
「問題ないですよ」
手を離そうとすれば、ユーフォリアがその手を取って自分の頬に擦り付ける。
その掌はハンカチで拭いたとはいえ、手を洗った直後なだけあって未だひんやりとしている。
本当に体温に関しては気にしていなさそうで、むしろ触っていられるのが嬉しいと言わんばかりの姿。
「おにーちゃんがここにいるっていうのがわかるから、問題ないです」
少し、その言葉にどきりとした。
今までと何も変わらないはずの言葉。今までと何も変わらないはずのユーフォリアの姿。
なのに、どこかこれまでよりも綺麗に感じて言葉を発することができない。
ちゅっ、と響いた音。
その音の正体がリップ音だと気がついたのはわずかに遅れてのこと。
ユーフォリアの唇が、手の甲に吸い付いていた、ということに気がついた直後のことだった。
「ユ、ユーフィー!? 何して……!?」
手の甲を見てあれーと首をかしげるユーフォリアに動揺を隠しきれずに尋ねる。
あれーと言いたいのは自分の方だと言いたくなる程度には動揺していた。
「おにーちゃんがあたしのものだって証です!」
おにーちゃんのことは渡しません! と堂々と宣言するユーフォリア。
先ほどまで抱いていたユーフォリアの女性らしさを一気に打ち消す子供っぽさにホッとした。
おそらくはキスマークでもつけようとしたのだろうが、つけ方を知らなかった結果、と言ったところだろうか。
「ユーフィーは可愛いなぁ……」
「あ、えへへ……」
さすがにそれ以上何かをさせるわけにもいかず、いつものように撫でるのだった。