たかだか十歳児程度の脳ミソに狂疾の治療など任せるべきではなかった。まさかあんなことになるなんて。何をするか聞いてさえいれば……
無尽蔵に湧いて出る自責の念に溺れつつ、フランを元の部屋へ運び込んだ。
「……ひどい失態です。前もって止めるべきでした」
どうするでもなくただ汚れた棺の中に横たわる彼女に、無意識に語りかけていた。
「お姉様と同じ。私のことなんかちっとも考えないで、独りよがりに全部仕切ろうとして。省みるべきはそこじゃないの」
体を起こしていた。咲夜の目を見据え、笑いも怒りもせず、淡々と、彼女は答えた。
「傲慢なやつばっかり。誰も私自身なんか見てないんだもの」
何も、何も反応できなかった。この短い間に血を吸い尽くされ、骨まで抜かれたような気分でいた。
「まあいいわ、パチェが外で聴き耳立ててる。行ってあげて」
部屋の外で立っていたパチュリーが、話があるとかで、咲夜を図書館へ連れ込んだ。テーブルに用意された紅茶はすでに冷めていて、わずかに埃すら浮いている。
「紅茶なんか飲めなくなるだろうから、先に冷ましておいたわよ。……どうしたの、夢にでも迷ったような顔して」
「……聞いていたでしょうに」
「そうね。全部聞いてた。でも貴方、事実を突きつけられたくらいで狼狽えるような人じゃないわ」
パチュリーは答えを知っている。知ったうえで問答を仕掛けている。それくらいは咲夜にもわかった。
「わからないんです。わからなくなったんです、何もかも。妹様がいきなり正気に戻ったようで」
「正気……人と話ができるような状態ではなかったのにいきなり口を開いたことなら、あれがあの子のペースなのよ。それも含めて、その〝何もかも〟を説明するわ。レミィがやったことから全て、こうなるのは必然だったのよ」
姉妹がワラキアにいた頃。母親は早くに蒸発して、父親と小さな城で暮らしてた。レミィは長子として目一杯可愛がられていたのだけど、癇癪持ちだった妹は〝Frantic doll(狂った人形)〟なんて呼ばれて、地下室から出ることを、それにレミィはそこへ降りることを許されていなかったの。
そう言われれば入ってみたくなるのは当然。何年か経って、父の外出中はいつもかかっているはずの扉の鍵が開いていた。後長い螺旋階段を降りた先にあったのは、正座を前に倒した姿勢で樽を背負った、自分と同じくらいの大きさの人形だったの。
初めそれをフランドールと認識することはできなかった。姉妹そろった髪の色は抜けて、蝙蝠の羽根は得体の知れない軸ときれいな宝石に取り替えられていたからね。
樽と拘束を解くとフランは言ったの。「もとに戻して、お父様に叱られる」って。
数年ぶりの再開で、潰れた肺から必死に絞り出した言葉がそれだった。
数日後帰った父は、レミィの犯した禁忌を知っていた。フランにしていることを全て話した。隠すことでもなかったように。
・自分の趣味通りの美しさを彼女に与えた
・近辺の貴族や吸血鬼に地下室と彼女を貸し出している
・劣情をそれと認識したことはなく、一重に愛である。彼女もそう信じめいっぱいの愛を享受している
愛について熱弁する父を理解できなかった。
フランの手で殺させることにして、紆余曲折あれどそれは成功した。
苦労したのはフランの洗脳を解くことだった。正しいと思う愛を説こうったって、自分が知るのも父からの、親らしい愛だけだったから。
「その経験から、今回も同じような手でかたをつけようと焦ってた。仇討ちなんてそう何度もすることじゃないから……数少ない成功体験にすがるほかなかったのよ」
ひと呼吸置いて、また口を開く。
「今回は、どうして失敗したと思う?」
「えと……すいません。その、話を飲み込みきれなくて。失敗……妹様の殺意が欠けていたんだと思います」
「まさに。殺意なんて持てるはずがなかった。今更、だからどうってわけでもないけれど。話の着地点を見失っちゃった……とにかく、レミィを責めてはいられないのよ」
話を無理やり着地、いや不時着させたところでパチュリーは咲夜を図書館からさっさと追い出した。二つのティーカップに浮く埃は、終始穏やかに漂っていた。
そこへ小悪魔が寄って言うに、男の処刑を完遂したと。
「それとパチュリー様。変なこと聞きますね、仮に明日死ぬとわかったら、今日は何します?」
「そうねぇ……あなたのその依り代を好きにさせてもらおうかしら。私が死んだらずっとこき使うんでしょう?本当は足りないくらいよ」
「なっはははは!いいですね!カタツムリみたいにおとなしいパチュリー様が、どんな趣味を展開するのやら!」
もちもちに笑う顔を正面からパチュリーの顔に押しつけ、もちもちしながら言葉を繋ぐ。
「いっそ今日やったっていいんですよ?」
フランは自室にレミリアを招いていた。ベッドの前に置かれた質素な一人用の机に一つだけ、血のたまったティーカップが置かれている。フランはベッドの上に座りレミリアはそちらを向いて背もたれのない椅子に。
「それ、お姉様に。頑張って用意したのよ」
レミリアは大変に居心地が悪かった。あんなことをされてすぐ、フラン本人が直接、あの乱心が嘘のように冷静に、この部屋へ連れ込んだのだから、今ここで殺されても仕方ないと本気で思っていた。この血に聖水の一滴でも入っていようと受け入れる。その気でいた。
「こうも部屋が血生臭くちゃ、せっかくの香りもわからないわね……!?」
その血が唇に触れる。しかし口に通すことはできない。
「デジャヴュっていうのよね?……別に変なものは入れてないわ」
聖水でも、香辛料でも、きな粉でも、銀イオンでもない。
「もしお姉様が独りよがりの信条に任せて、お父様から私を引き離しさえしなければ……私が飢えを知ることもなかったのに」
ティーカップに注がれていたのはフラン自身の血だった。
「飲まないの?あなたはまだ……飲めないの?」
唇を離す。
「まだ認めないのね。あの日、お姉様のために流した血を、素直に飲み干していれば──」
紅い唇を震わせ答える。
「……わ、わからないのよ。私は、ああすればあなたが、"しあわせ"になれるだろうって、信じて疑わなかった。サーカスに生まれた虎みたいに……外を知らないで、あいつにいいようにされてるのを見過ごせるわけないでしょう」
「──もう長くないの。あいつが来てる。嘘でもいい、飲んでくれたら、もう一度、もう一度だけ──」
もう長くない。真意はわからないが彼女は嘘などついたことがなかった。そう育てられた。
「っっっっはあ!さ、もう一度!」
もう一度、フランは抱擁を受け止めた。彼女の人生でたった二度目の、長女式の愛に満ちたそれは、何百年残した対の凝りが融け合うほどに温かかった。
「……はぁ、ふぅ」
椅子に縛られた小悪魔は、みぞおちに深々と刺さるナイフをじっと見つめていた。この身体を好きにしたいと語ったパチュリーは結局、喘息で変に動けないとかで、いわば静的に責めることを選んだのだ。そして今、たった一本ナイフを刺して、横で弱るのを待っている。
何年ぶりであろうこの感覚、体の芯から冷えていく体温と逆に高揚する気分を、当の本人も愉しんでいた。
「しぶといわね。もう日付も変わった」
パチュリーがナイフの柄を掴み、いけるところまで一気に下ろす。
「私みたいなただの人間風情が長く変わらず生きてるとね、嗜好がめちゃくちゃになってくるのよ」
腹に開いた大口に右手首を突っ込んだ。
「すごい、これがあなたの脈拍ね」
未だ生命滾る大動脈と握手する。腕を伝い来る彼女の興奮は痛みか愉しみか、もはやわからない。いや彼女に二つの区別はないのかもしれない。
叫ぶ口は微笑み緩んでいた。変わらず生き、めちゃくちゃになった嗜好と照らし合わせても、この極端なマゾヒズムは到底理解できない。替えの体があるとこうも余裕が幅を効かせるようになるのか。
「……待って。えっ、どういう、……消えた」
握手が緩む。
「レミィと、フランの……」
パチュリーは随分前から、フランとの遊びが発端で、二人の拍動を常に監視していた。ついさっきまで恐ろしく早く刻まれていたリズムが、二人同時に、
「こあ。何をしたの」
「はは、ばれちゃいました?……ほら。状況を思い出して……今日がその、〝仮の明日〟でしたよね?」
とっさに手を引っ込める。
「……うそ。そんなつもりじゃ」
「忘れてませんか?私、悪魔なんですよ。と同時に、第五の封印を解く子羊であったようで!」
いつの間にかこの拷問部屋の入り口に、処刑したあの男が、自身の背丈ほどもある大きな斧を片手に持ち立っていた。彼は死んだ。これは小悪魔がわざわざ地獄から呼び戻した彼だった。
「ど、どういう……ねえこあ」
「死後の魂の処理まで、命令は受けてませんでしたよね?私、気づいちゃったんです。あなたとの契約外にいる存在なら、私に代わってさっさとあなたを死なせられるんじゃないかって」
死者を生者がどうこうすることはできない。もはやパチュリーになせる術はない。
「い、今、命令する。あいつを止め──」
「そりゃ無理です。あなたが死ぬまで彼の魂は縛れない。そう契約しました。さあ!」
声高らかに、麗らかに。私が見たのは、祭壇の下だった。
一旦の区切りです。
様々釈然としないものがあるとは思いますが、「フランちゃんはワラキアでも虐待されてるんです」を読んだ後こちらを読み直すと意味がわかります。