◆ ◆ ◆
(クソ、クソ、クソッ!
早く、早く、早く…ッ!)
ナツキ・スバルは焦燥に駆られながら、竜車を荒々しく操る。
「スバルくん…! 少し、飛ばしすぎです…! 馬車に負担が掛かりすぎてます…!」
背後からレムが注意喚起するものの、スバルは聞く耳持たない。見ようによっては憂さ晴らしでもするように竜に鞭を入れ、もっともっとと加速を貪る。竜車はガタガタと危なげな悲鳴を上げっ放しだ。これで地竜が転んでしまったら、竜車は間違いなく大破してしまうだろう。
しかし、そんなリスクなどはスバルの眼中にはない。もっともっと巨大なリスクが、スバルを突き動かしている。
その巨大なリスクとは――魔女教団によるロズワール領の壊滅だ。
この時点に至るまで、スバルは何度も"死に戻り"を経験した。その際、彼は
村はある時は禍々しい業火に包まれていたし、ある時は息をも凍らす冷気に包まれていた。その光景は真逆な有様を描いているが、描く結末の本題は変わらない。
村人達は死に絶え、ロズワール領は巨大な墓地と化す。スバルの見知った親しき者達も、
恋い慕うエミリアの姿は見かけなかったが、それでも彼女がどうなったのか、容易に想像が付く。バカが付くほどお人好しな性格の彼女が、邪悪に蹂躙される村を放って逃げるワケがない。力の限り戦うだろう。そして…スバルの目の届かない何処かで、ひっそりと息を引き取った事だろう。
(あんな未来、もう二度とごめんだッ!)
スバルは地獄の結末を変えるべく、有らん限りの努力を尽くして来た。
彼1人ではあまりにも無力である事は十分過ぎるほど知っていた。だから、魔女教団を打倒すべく、こちらも大規模な戦力を整えようと頭を振り絞った。
王国の騎士団を説得しにも行った。王選の他の候補者の助力を得るべく、地に額を擦り付けて頼みもした。犬のように無様に振る舞えと言われれば、恥などかなぐり捨てて言われた通りにやったりもした。
スバルとしては、これまでの人生では考えられないほどの努力を注いだつもりだった。
だが――その全ては、裏目に出た。
騎士団は動いてはくれなかった。元より、魔女教団が暗躍しているという確固たる証拠がなく、騎士団という巨大組織を動かす原動力とはなり得なかった。加えて、先日の王選開始の儀式の際におけるスバルと騎士団の対立が禍根を残しており、スバルの言葉に耳を傾けてくれる騎士は誰もいなかった。
暗躍の証拠がない事は、他の王選候補者を動かす際にも痛手となった。そればかりか、候補者達はスバルの焦りを面白がるように振る舞い、バカにしこそすれ、マトモに取り合ってはくれなかった。
犬のように振る舞った時は、特に酷い扱いを受けた。理不尽極まりない要求に屈したのは、スバルなりの決死の覚悟であったと言うのに…彼の振る舞いを見た者は感銘を覚えるどころか、
「なんて詰まらない男なの!? それが守りたい者を背負った男の行動なの!?
卑屈なばかりの豚じゃない!」
そう罵声を浴びせられ、屋敷から放り出されてしまったのだ。
――こうして為した努力が
(誰にも頼れないからって、絶望してる暇なんてないッ!
時間は殆どない、どんな足掻きだろうと、出来る事をやってみるだけだッ!)
スバルは今回の"死に戻り"の後、すぐに竜車を調達し、一目散にロズワール領へと向かった。竜車が王都で中々見つからない事は、これまでの"死に戻り"で経験していた。だからスバルは即座にクルシュに頭を下げて頼み込み、竜車を一台得た。そして、頼まずとも付いて来てくれるレムと共に、寝食も惜しい急速の旅路に発った。
王都を出てからの平原地帯では、幸いトラブルに遭う事もなく、地竜の足に任せてスイスイと旅路をこなすことが出来た。とは言え、仮に並の盗賊が襲いかかって来たとしても、レムの戦闘能力があれば容易に撃退できたであろう。
地竜に禄な休息も与えず、出来うる限りの全速力で走り続け、一夜を越した頃。スバル達はロズワール領の森へと差し掛かる事が出来た。
竜車に同乗するレムは、スバルのような切迫した危機感を抱くことは出来なかった。彼女は"死に戻り"の能力もなければ、スバルの"死に戻り"の能力についても全く知らないのだから。スバルに「村に危機が迫っている!」といくら鬼気迫る表情で訴えられても、どういう理屈でそんな事が分かるのが理解できないでいる。
レムはスバルに対して敬愛の情を抱いてはいるが、それでもスバルと思考を共有しているワケではない。理解できないを言われて、手放しに首を縦に振って心底親身になるなんて、どうしても出来ない。
そんなレムはスバルの気迫を懸念しながらも、第三者的な観点から彼を支えようと、無理をさせ通しの竜車について神経を尖らせている。
「スバルくん、地竜の息が上がっています! このままだと、地竜がダメになってしまいます!
速度を落として、ゆっくり走らせた方が良いです!
竜車の方も、車輪がガタついてきてます! 石にぶつかって車輪が外れたり…最悪、竜車自体が分解することだって考えられます!
少し、足を緩めましょう!」
レムはそんな忠告を事ある毎にスバルに放つ。勿論、スバルはレムの言葉を耳に入れている。だが、敢えて反応しないようにしている。
(分かってる、レム! 君がオレの事を想って言ってくれてるって事、分かってる!
だけど…今は、少しでも時間が欲しいんだッ!)
スバルがロズワール領で成し遂げようとしている事。それは、魔女教団が村に襲撃をかけてくるよりも前に、村人を村から避難させる事だ。
スバルは――彼本人の感覚としてだが――村人達から厚い信頼を得ている――はずである。ロズワールの従者としてだけでなく、ラジオ体操や子供達の遊び相手を通して、村人達とはスッカリ顔なじみだ。加えて、何よりも先日の魔獣騒動を収めた功労者の1人であると認知されている事が大きい。スバルは今や、"気さくなご近所感覚の勇者"と云った扱いだ。
そんな状態なのだから、スバルが真摯な一声をかけさえすれば、村人達は疑う事なく従ってくれる――そう確信している。
肝心の避難先だが、正直、心当たりがない。王都へ避難するのが一番だが、村には行商団が持つような大型の竜車なんてない。精々が近隣の村に物を売り買いしに行くときに使う馬車くらいなものだ。それでも、時間さえ掛ければ、ある程度遠くには逃れられる。
危険と分かり切っている村に留まるよりは、何倍もマシな選択だ。
避難先は、地理に詳しい村人に話を切きながら、移動しつつ決めれば良い。この場合は、足踏みは即座に致命的な結果を招く。
(早く、早く、早く――!
みんなを、エミリアを、逃がすんだ!)
レムが叫ぶ助言など聞き流しながら、スバルは一心不乱に手綱を操り、地竜を走らせ村へと急ぐ。
やがて、村へ至る森の一本道へと差し掛かる。
王都へ続く街道の程には立派に舗装されてはいない。だが、土が剥き出しながらも、よく踏みしめられ、小石や木の根が丁寧に取り除かれた道は、竜車を走らせていて快適な道だ。車輪が軋む音が小さくなったし、車体を歪ませる振動も
道の先には、小さく村とロズワールの大きな館が見える。少々煙が上がっている様子が見て取れるが、戦火による悲惨な黒煙でない事は一目瞭然だ。パンなどの調理によるものか、もしくは鍛冶仕事による、生活に根付いた煙だ。
遠くから見て取れるこの光景からだけでも、スバルは村の
(よし! これなら何とかなりそうだッ!)
スバルは焦燥一色に染まっていた表情を、思わず笑みを緩ませる。これまでの緊張や疲労が相まって、浮かんだ笑みは酷く
しかし――安堵は直ぐに、厳冬の如き絶望の冷気に塗り潰される。
「スバルくん! 気を付けて!」
レムが鋭く上げた声。それが一体何を意味するのか、スバルは理解するまで多少の時間を要する。
だが――進路上に、行く手を塞ぐべく横一直線に並んだ怪しい格好の集団が網膜に飛び込んでくると、スバルの笑みは引きつった驚愕へと一変する。
全身の一部たりとも露わにしない、無表情にして禍々しい黒塗りのローブと覆面で覆われた集団――彼らは、スバルが"死に戻り"の際に何度も目にした、憎き仇敵。
魔女教団の狂信者達だ!
(あいつら、この時点でもう待機してやがるのかよッ!)
スバルがギリリと奥歯を噛み絞め、眼に憤怒の炎を灯した、その直後。
横一列に並んだ狂信者達が、一斉に右手を突き出す。彼らの手のひらの手前には、真夏の太陽のようにギラギラと輝く炎の球体が形成されてゆく。
「スバルくん、危ないッ!」
レムがスバルに飛びかかり、彼を抱えて竜車から飛び出した――その直後。
残されたのは、スバルとレム、もんどり打って倒れた2人だ。彼らは脊椎を震わす爆発の衝撃も抜け切らぬ内に、素早い次の行動を求められる。
何せ、魔女教団の狂信者と来たら、スバル達の回復を待つことなどせず、非情にも攻め手を続けてくるのだ。もつれ合って倒れた2人を囲むと、早速魔術の準備をしたり、手にした武器を振るって襲いかかって来る。
(クソ…ッ! どこまでも厄介な奴らだな…ッ!)
スバルは自分の身体の上に覆い被さっているレムをなるべく優しく退かすと、上体を起こして狂信者達に立ち向かう。
スバル達は寡勢ながらも、よく奮戦する。
とは云え、その功労の多くはレムによるものだ。
体勢を立て直したのはスバルの方が早かったが、レムも回復まで決して時間を掛けなかった。飛び上がって起きると、馬車の残骸の中から愛用の鎖鉄球を引っ掴み、鋭い
鬼の血を引くレムの怪力は、狂信者の身体をボロ切れのように吹き飛ばし、血肉を紙屑のようにまき散らす。その働きは一騎当千の英雄を思わせ、狂信者達の無惨な屍を街道にバラ撒いてゆく。
一方、スバルも手をこまねいているだけではない。クルシュ邸でヴィルヘルムから習った剣術を用いて、狂信者に立ち向かっている。しかし、初戦は付け焼きの刃の技術だ。中々致命傷を与えることが出来ず、混戦になりがちだ。挙げ句、加勢した敵に数で押し込まれ、不利な状態に陥ることもしばしば。
その度にレムが目聡くスバルの危機を感知し、巧みな鉄球裁きで窮地を救う。スバルは何度、視線でレムに感謝の意を示したことだろう。
狂信者の屍の数は30を越える程になったが、彼らの勢いは留まることを知らない。精神に作用する薬でも使っているのか、はたまたは魔術で精神を増強しているのか――その判断は付かないが、狂信者達は仲間の死を目の当たりにしても全く怯まず、まるで機械のようにひたすら襲いかかってくる。
(何なんだよ、こいつらはッ!
どんな目的があって、命も惜しまず、こんなに戦えるんだよ!?)
却ってスバルの胸中に怯懦の念が芽生えてしまう。
…それが、これから先のスバルの残酷なる運命を象徴する予兆だったのかも知れない。
ズン…鈍い衝撃が、スバルのわき腹に突き刺さる。
(熱…ッ!)
痛みというよりも、気怠い熱を感じたスバルが、衝撃の元へと視線を向けると――そこには、身につけたジャージを貫いて、鮮血を纏ってヌラヌラと輝く鋼の切っ先がある。
背後から刺されたらしい。
「…あぁ…ッ!」
力の抜けた
「スバルくん!」
レムが悲痛な叫びを上げ、転瞬、鬼に相応しい苛烈な表情を浮かべる。愛しいスバルに傷を追わせた狂信者達への憤怒が、火を噴いている。
「スバルくんを、やらせはしないッ!」
レムは絶叫と共に、手にした鉄球を竜巻のように操り、周囲の狂信者達の顔面や上体を一気に抉り潰す。そして、大地を揺るがすような踏み込みでスバルへと向かって駆け出す――が。
彼女の激情は、戦闘で真に必要とされる冷静なる判断力を奪ってしまっていた。
レムはスバルばかりに――悪い言い方をすれば――執着し過ぎた余り、周囲の状況への気配りが損なわれてしまった。だから彼女はまんまと、背後からの爆炎の魔術の集中砲火をマトモに食らってしまったのだ。
「ああぅっ!」
レムの悲痛な叫びは、
(レム…ッ!)
スバルは悲痛なる少女の姿に手を伸ばし、その名を叫んでやりたかった。だが、脇腹を貫通した刃はスバルの内臓を血溜まりにし、言葉よりも鈍い赤色の血を口から吐き戻させる。
(レム…ごめんよ…オレが…無闇に突っ走っちまったから…また君を…)
スバルの視界が、歪んでゆく。それは
もしかすると、刃には毒が塗ってあったのかも知れない。
(ちく…しょう…っ!)
胸中で吐き捨てた罵声は、声にならずとも、もはや力は無かった。その憤怒が最後の命の炎だったかのようにスバルの、意識は烈風の前に消えてしまった蝋燭の火のように、急速に闇へと閉ざされて行く――。
◆ ◆ ◆
――気持ち悪い。
脳がグルグルと暴れ回っているような、
なんとかして不快感から逃れようと、鉛のように重くなった瞼を開こうと努力する。真闇の世界の中では、気落ちは更に強くなる。どんなに微かでも光があれば、人の心は安堵を得るものだ。
――くそっ、なんで開かないんだ、オレの瞼は。
胸中で二度目の毒を吐き出した時。スバルは眼よりも早く、頭の中が冴える。
(オレ…生きてるのか…!)
また"死に戻り"したのだろうかと
その点から鑑みると、どうやら――。
(まだオレは、死んじゃいないみたいだな…)
そう独りごちながら、無意識に
そして、網膜に飛び込んできた光景を認識して、やはり"死に戻り"などしていない事を確信する。
そこは、薄暗い光源に照らされた洞穴の内部である。ムワッとした冷たい湿気が頬を撫で、激痛に吹き出す冷や汗と混じり合い、不快感を更に強める。
洞穴の天井にグルリと視界を巡らせると、所々に木材による補強が見られる。響き渡る音が水滴ぐらいな事から鑑みるに、ここは遺棄された鉱山なのかも知れない。
この洞穴の由来はともかく…この光景には、見覚えがある。同時に、胸糞の悪くなる、激しい憎悪の情念の噴出を感ずる。
ここは――魔女教団のアジトだ!
(まさか…レムも!?)
これまでの"死に戻り"の経験から、焦燥に駆られる眼球をグルグルと回し、洞穴の光景の中に"想定される最悪"を見つけようと躍起になる。その"最悪"とは、酷く痛めつけられて拘束されたレムの姿だ。
過去の"死に戻り"に際しては、スバルと共に捕まったレムは縛り吊され、ペテルギウスの異能の力によって嬲り殺しの憂き目に遭った。
あの時と同じ結末を辿る羽目になってしまったのかと、レムの姿を探すが――何処にも見当たらない。幸いにもレムは魔の手を逃れたのか、それとも単に別の場所に拘束されているのか。何とも判断が付かない為に、安堵する事は出来ない。
(クソ…今度はどう出てくるつもりなんだ、魔女教団の奴ら…ッ!)
ギリリと歯噛みしながら起き上がろうとして――脇腹の痛みと共に、四肢が動かぬ事を知覚する。この時点に至ってようやく自身の身体に視線を投げると、両腕を後ろ手に縛られ、足首も荒縄でギッチリと縛り付けられている様子が見て取れる。また、貫かれた脇腹はジャージにベットリと血痕が付着しているものの、それは既に赤黒く乾き切っていた。深い傷だったのだが、なんとか血が止まったのか。それとも、教団の奴らが何らかの目的で止血治療を施してくれたのか。何にせよ、失血死という無惨な最期を遂げる心配は無さそうだ。
(何とかして、抜け出さないと…!)
スバルは脇腹の痛みを歯噛みして耐えながら、芋虫のように激しくうねるが。縄は一向に緩む気配がない。それでも、大人しく諦められる状況ではない。大勢の命と、何よりもエミリアの命が掛かっている。肩の骨を外してでも、拘束から脱しなければ――!
呻き声を上げながら、しばらくもがき続けていると――スバルの方へと近寄ってくる足音がある。スバルは動き続けながらも、足音の方へと視線を向け――やがて現れた足音の主の姿に、燃え盛る激情をぶつける。
「テメェ、ペテルギウス…!!」
そう、そこに現れたのは病的に青白い肌をした、禍々しい漆黒に身を包んだ僧侶姿。魔女教団の"怠惰"の大罪司教、ペテルギウス・ロマネコンティだ。
ペテルギウスは自分の名を呼ばれた事に驚愕と共に歓喜の情を顔に貼り付ける。
「おやおや、私の名を知っておられるとは! 光栄の限りですな、"傲慢"の席を埋めるお人よ!」
この"死に戻り"の回においては、ペテルギウスはスバルと面識がない。だがペテルギウスは特に
「やはり、我ら魔女様に祝福されし者! 特に貴方の祝福は、私などもとても及ばぬ程に濃密だ!
魔女様はきっと、貴方様に我々に関する深淵なる知識を授けて下さったに違いない!」
「ンなワケあるかよ、このキチガイ野郎…ッ! 意味分からねぇ事ホザいてんじゃねぇぞ…ッ!」
手足が自在であるなら、スバルはきっとペテルギウスの喉笛に噛みついた事だろう。しかし悲しいかな、スバルは拘束の憂き目に遭っている。
「オレはなぁッ! 絶対にテメェの計画をブッ潰してやるッ!
村も、レムも、エミリアも、皆この手で守り抜いてやる…ッ!
テメェの思い通りなんて絶対にならねぇ、精々吠え面掻けよ、キチガイ野郎!」
スバルの炎のような罵声が響くも、ペテルギウスは涼しげに聞き流すばかりだ。拘束されて吠えることしか出来ないスバルを嘲り
「エミリアッ!
そうでしたな、貴方はあの娘を酷く気にかけていたのでしたなッ!
あの王選の大舞台でッ! ズラリと並んだ王国の騎士達の中でッ! あの汚らわしい少女の為に、勇猛果敢に
ああ、何たる美談ッ! 何たる青春ッ! 貴方の身に受けた痛み、恥辱ッ! それを耐え切った挙げ句の果てが、少女からの心無き絶縁の言葉ッ! 嗚呼、嗚呼、何たる悲劇ッ!
脳が、ふ・る・え・るッ!」
熱した鉄板の上に置かれたミミズのように激しくうねりながら叫ぶペテルギウスの姿は、狂人そのものだ。感極まって爪を立てて頬をグシグシと掻き
一方で、スバルは感心にも近い驚愕を覚える。ペテルギウスは王選の場でスバルがやらかした事を、かなり子細な事まで把握している。魔女教団は巨大な組織だと聞いた事があるが、騎士団の中に間者が潜んでいるのかも知れない。
スバルが感心している最中にも、ペテルギウスは独りの世界に浸りきり、狂気の振る舞いのままに言葉を続ける。
「だが、だがッ!
ここで震え切ってはいけないのですッ!
何故ならば、貴方には更なる絶望がッ! 或いは、耽美がッ! 待ち受けているのですからッ!
それを以てして、私は真にこの脳髄を震撼させねばならないのですッ! それこそが、私の勤勉の証ッ!」
ペテルギウスの言動にスバルが顔を歪めたのは、その変態的行動も
更なる絶望? 或いは、耽美? 一体何の事を言及しているのだ? 狂人の
(まさか――やっぱりレムが、捕まって!?)
スバルの胸中の叫びは、実際の声となって漏れてしまったのだろうか。ペテルギウスは彼の疑問に対し、大仰に首を左右に振りながら否定する。
「あの鬼の娘も捕縛出来れば、貴方を更なる深淵へと導けたことでしょうが…忌々しくも、逃してしまいました。何たる怠惰、嘆かわしい怠惰でしょうか…!」
この言葉に、スバルは少し安堵を覚える。どうやらレムは、あの多勢の中を生き延びて逃れられたようだ。
――では、とスバルは直ぐに顔を曇らせる。スバルを絶望に導くモノとは、一体何なのか。全く想定出来ず、必死に頭を巡らせていると――。
ザワザワザワ…。まるで大量の小豆を転がしたような、さざ波にも聞こえる乾いた音が近寄ってくる。それが、小さな小さな、しかし甚大な数量の足音であると気付くまで、スバルには暫く時間がかかった。
やがて、スバルの視界の正面、この洞穴の部屋の入り口に当たる部分に、奇妙な物体が現れる。
それは、横倒しになった円柱のように見える。いや――滑らかな凹凸がある分、石膏像と云った方がより相応しい。それでも、石膏にしては表面はボロ切れのように粗く、堅さよりは柔らかさを印象づける。
この物体にピッタリの言葉が、スバルの頭の中でようやく見つかる――ミイラだ! 銀色に輝くボロ切れ状の表面は、正に包帯の純白を想起させる。
だが――ミイラにしては、明確に解せない部分がある。ミイラは本来、乾燥したした遺体の事を指す言葉だ。だが、眼前のミイラの凹凸感はとても肉感的で瑞々しい。それに――胸の部分でクッキリと盛り上がった双丘は、僅かながらゆっくりと上下しているように見える。
つまりは、この中に居る人物――肉感的な凹凸感からして、女性のようだ――は、まだ生きている。
さて、このミイラがスバルの目の前まで運ばれ、ピタリを動きを止めると。それまで聞こえていたザワザワザワ…という乾いた音もピタリと止まる。ここでようやく、スバルは音の正体がミイラを運んで来た"モノ"達の足音だと理解する。さて、その"モノ"の正体とは何か? スバルがミイラの下の方に視線を向け――ギクリ、と強ばる。
そこには、洞穴の作り出す陰に溶け込むようにして、数十と利かない甚大な数の小さな蜘蛛が、ミイラの下に敷かれた絨毯のように広がっている。
スバルが気味悪がって露骨に顔を強ばらせていると――ふと、頭上からクックッと嗤い声が漏れてくる。
「ペテルギウス様が"傲慢"の席に相応しいヤツだと言ってたが…拍子抜けだねぇ。
傲慢ってより、随分と謙虚と言うか…臆病だねぇ。王選の場での武勇伝が誇張のように聞こえてくるよ。
…あー、でも、"怠惰"の号を持つペテルギウス様も勤勉だったりするからなぁ。大罪司教になるヒトってのは、ギャップを抱えてるモンなのかもなぁ」
スバルは蜘蛛の群を見た時よりもギクリとして、脇腹の痛みを噛み殺しながら、海老反るようにして天井を見上げる。
するとそこには、コウモリのように天井に逆さまに直立する、外套を羽織った男の姿がある。スバルがこれまでの"死に戻り"では全く見たことのない、真新しい人物だ。
この人物が奇妙なのは、髪や外套も重力が反転したかのように、天井に向かって"垂れ下がっている"点だ。天地を逆転させる魔術でも使っているのかも知れない。
ならば、全くの気配なくスバルの天井を取ったのも、魔術による所業なのかも知れない。もしくは、忍者のように気配を殺す技術に長けているか、だ。
「ペテルギウス様の事は知ってるようだが、流石にオレの事は知らないかぁ」
天井に立つ男は独りごちると、天井を蹴って宙に飛び上がる。そしてクルリと身体を回転させると、今度は重力が通常に戻ったかのように、髪や外套は大地に向かって垂れ下がる。そして男は、ワイヤーにでも吊されているかのように、フワリとした速度でゆっくりと洞穴の床に降り立つ。
こうしてミイラの隣に立った男は、拷問を受けたような痛々しい傷跡の残る顔をニンマリと歪ませてつつ、ミイラの胸の双丘を嫌らしい指使いで撫でながら自己紹介する。
「こんにちわ、"傲慢"の候補者さん。
オレはハリト。教団の中じゃ"蟲遣い"って呼ばれてる。と言っても、知る人ぞ知る程度のマイナーなヤツさ、知らなかったからと言って恥じることはない。
ただし…」
ハリトが指をパチリと鳴らす。転瞬、ミイラの下に広がる蜘蛛達がゾワゾワと動き始め、小高い山を作りながら、ミイラを直立させる。立ち上がったミイラは、天井からの朧気な光源に照らされて肉体の凹凸が立体感を増し、女性的な印象を強める。
蜘蛛達はミイラをすっかり直立させると、、山から崩れて絨毯のような蟲の群に戻る。そして、ハリトの外套の内側へと引き潮の如く集まり収まってゆく。蜘蛛達の数は山を作るほどの数量を誇ってるはずだが、ハリトの外套の中に収まると、異空間にでもしまい込まれたようにスッキリと姿を消す。もしくは、体内にでも蟲を飼育しているのかも知れない。
ハリトは自分の背丈よりも頭一つくらい低いミイラの全身を撫で回し、唾液が銀糸を引く舌で口のあたりを舐め回しながら、興奮に震える声をスバルに浴びせる。
「これからの事を見りゃ、死んでもオレの事は絶対に忘れられなくなるがなぁ…!」
ハリトの言葉は自信たっぷりだ。彼は、ミイラにされている人物がスバルに強い影響を与える事を確信している。
だとすれば、ミイラにされている人物とは…まさか!
(そんな、まさか…!
ラムだっている! ベア子だっている! ロズワールさんが居なくたって、それなりに護衛は出来ているはず…!
そのはずなのに…まさか、まさか!)
スバルの鼓動が狂ったように速まる。加速した血流に応じて脇腹の傷が酷く
「さぁ、"傲慢"となる者よ!
その眼で、しかと見つめるのです!
汚らわしき存在が、芋虫が蝶へと変じるように、麗しき神聖なる存在へと転じる瞬間を!」
ペテルギウスがスバルの後ろに回り、彼の髪を掴んで無理矢理海老反らせ、ミイラの顔と対面するように視線を投じさせる。
一方、ハリトもペテルギウスの動きに呼応するように、ミイラの顔の辺りを手品でもかけるようにサラサラと撫で回すと。顔を覆っていた布状の覆いが綿菓子のようにドロリと溶け出し、その内に隠していた顔を露わにさせる。そこに現れた顔は――!
「エミリア!」
そう、スバルがこの世界において最も慕う銀髪のハーフエルフの美少女、エミリアだ!
「スバル!」
エミリアは身動き出来ぬ自分の身より、傷つき拘束されたスバルを気遣い、悲痛な声を上げる。
「スバル、どうしたの、その傷は!? 何があったの!? レムはどうしたの!?
それに…どうして私達、こんな所に居るの!? 此処は何処なの!?」
スバルが質問に答えるよりも早く、口を開いたのはハリトである。
「スバルくんはね、どうやら君を助けるつもりだったらしい。どうやってかオレらの計画を嗅ぎつけて来たんだけどねぇ。レムとか言う小娘と2人きりでどうにかなると思ったのかなぁ、無謀にも過ぎるよなぁ?
レムとか言う小娘が今何処に居るか分からねぇが、そんなことどうでも良い。オレの計画に必要なのは、アンタとスバルくんなのさ。
だから、オレはアンタを此処に
「計画!? 何よ、それ!
私は絶対、あなた達みたいなヤツに力を貸したりなんか…!」
「貸さなくても良いさ。借りる気もない。
ただね…」
ハリトはエミリアの顔に迫って対面すると――ベロリと唇を一舐めして、熱っぽく呻く。
「
そしてハリトは、エミリアの桜色の可憐な唇に、己のカサついた唇を重ねる。
「…!!」
声にならない叫びは、エミリアだけのものではない。スバルもまた、暴れ回りたくなる衝動に駆られて体を揺すり、叫び声を上げんと大口を開いたが。直後、ペテルギウスが背中に腰を下ろした為に、身動きも取れなくなると共に、言葉も苦しげな呼気となって立ち消えてしまう。
「貴方は! ここで! 大人しく! 見守るのです!」
ペテルギウスが盛大に唾を
「恋い焦がれる者が陵辱される様を、ただただ指を咥えて見守るのは、怠惰の極み!
しかしながら、勤勉を尊ぶ私ですが、今は貴方の怠惰を許します!
全ては、我らが悲願を成就するためッ! 嗚呼っ、脳がふ・る・え・るッ!」
独りで感極まり、スバルの上でブルブルと痙攣するペテルギウス。
その一方で――エミリアと唇を重ねたハリトは、ジュルジュルと汚らわしい粘水音を立てながら舌を蠢かせ、エミリアの桜色の唇を割って口内を犯しにかかる。
「んん…っ! んんん…っ!」
エミリアは唇を堅く結んだり、歪めたりして抵抗するが。彼女の瑞々しく柔らかな可憐な唇が、仇となってしまう。巨大なナメクジのような舌は、可憐な唇の抵抗を暴力的に屈服させ、ズルリと口内へと侵入してしまう。
「んふぅッ!」
エミリアが眼を見開いて、声にならない悲鳴を上げる。その頃には、ハリトの舌はエミリアの舌と絡み合い、ナメクジ同士の交尾を思わせる貪り合いを繰り広げる。
「エミリアッ!
クソ、この変態野郎ッ! エミリアを離せッ!」
スバルは激痛も構わず、ペテルギウスを振り落とそうと、陸に釣り上げられた魚のように激しくのた打ち回る。だが、ペテルギウスは動じない。キヒヒヒ、と乾いたせせら嗤いを漏らすばかりだ。
それはまるで、何の抵抗も出来ないスバルを見下し蔑んでいるかのようだ。
「テメェらぁッ!」
スバルがこめかみに青筋を浮かべて、獣のように咆哮を上げた頃。エミリアとハリトの貪り合う口の間から漏れる声の質が、変わる。
「ん…んふ…んんん…んふぅ…」
ジュルジュル…ピチャピチャ…。ハリトばかりが吸い付き、一方的に貪るばかりであった粘膜の摩擦が、次第に淫靡な求め合いへと変じてゆく。唾液の糸が引く唇と舌の合間から漏れるエミリアの声は、トロンと蕩けた夢見心地の微熱を帯びている。
チュパァ…ハリトが思い切り音を立てて、太い唾液の糸を何本も垂らしながら、エミリアから口を離す。するとエミリアは、半開きにした唇の合間からチロリと舌を出し、虚しく空を舐め上げると。
「あ…」
漏らした声は、何とも残念そうな、雌の濡れた声である。
この様を見たハリトは、ベロリと口の回りについた唾液を舐めとると、ニンマリと口角を釣り上げて嘲り笑う。
「おやおやぁ? なぁ、騎士殿よぉ?」
ハリトは上気、頬をうっすらと紅色に染めたエミリアを見つめながら、スバルに語りかける。
「アンタのお姫様ってばよぉ、満更じゃなくなってきたらしいぜぇ?
見ろよ、この潤んだ瞳、赤くなったほっぺた、そして唾液で光った唇。盛りの付いた雌豹そのものじゃあないかぁ?」
「ち…違うわッ!」
即座に声を上げたのはスバルではなくエミリアである。だが、ハリトは却ってそれを面白がり、チッチッチッ、と人差し指を揺らしながら語る。
「いやいや、何も違っちゃいないさ。
むしろ、仕方のないことだよ。これは、人間ってより、動物の生理的で自然な反応さ。
体を拘束され、感覚を限定されてしまうと、感じられる刺激ばかりを鋭く、強く感じてしまう。
それが性的な興奮なら、オレみたいな下衆野郎が相手でも、どうしても悦楽を味わっちまう。それは仕方のないことなのさ。
そして…」
ハリトは更に、エミリアの顔を包み込むように両手で頬に手を置く。すると、ハリトの外套の裾から、ワサワサと黒い群が這い出してくる。その群れの正体は勿論、ハリトの扱う小さな蜘蛛達だ。
「ひ…っ!」
エミリアは少女らしく、この小さな蟲の大群に生理的な嫌悪を感じるようだ。息を飲む悲鳴を上げる。
しかし、蜘蛛達は構わずにエミリアの顔を蹂躙する――すると、エミリアの顔が、口元だけを残して、みるみるうちに銀色に輝く
そう、エミリアは蜘蛛の糸によってミイラのように拘束されているのだ。
「あ…あう…」
エミリアがぎこちなく声を出す頃、子蜘蛛達はハリトの外套の裾の中へと帰ってゆく。そして残ったのは、口元以外がすっかりと蜘蛛糸に覆われてしまった、エミリアの顔だ。
パクパクと口を動かすばかりのエミリアを、ハリトは愉快そうに眺めながら、スバルに向けてのものらしい言葉を口にする。
「これでお姫様は、口以外の全ての感覚を封じられたワケだ。
音も聞こえないし、匂いを嗅ぐことも出来ない。勿論、見ることだって出来ない。
味わうことと、舌と唇で感じること。それだけの感覚が敏感になった所で、もう一度キスすると――どうなっちまうのかなぁ?」
「やめろよッ!」
スバルは火を噴くような怒声を上げるものの、身動き出来ない身の上では、威嚇にもならない。ハリトは鼻で笑うと、見せつけるように舌を突き出してレロレロと宙を舐めながら――エミリアの唇に、触れる。
するとエミリアは――暗黒の中、チラリと見えた僅かな光明を求めて必死に手を伸ばす者のように――上気して朱色に染まった唇を自ら割り、赤い舌を伸ばしてハリトの唇に絡んでくる。
「んん~、積極的な
ハリトは歌うように語り、自らも舌を伸ばしてエミリアと絡み合う。
ジュルジュル…ピチャピチャ…チュパチュパ…。舌だけでなく唇の粘膜同士も貪り合い、激しく求め合う2人。
スバルはその光景に、心が音を立てて瓦解していくような深い絶望感を味わう。
もう、やめろ、という拒絶の言葉は
泣き崩れそうな程に揺れ動く眼差しで、貪り合う2人を見やり、ぼんやりと口を開くだけだ。
そんなスバルをあざ笑うのは、相変わらず彼の背に乗るペテルギウスである。
「ああっ、ああっ! 何という悲劇か! いや、喜劇かも知れない!
感覚を遮断された少女は、唯一残された性感にすがりつき、数瞬前の光景すら忘れ去って、ひたすら悦楽を貪る!
彼女を恋い慕う者が眼前に居るにも関わらず! 忌んでいたはずの男と、激しく情愛を交わす!
嗚呼、なんと脳が震える光景ッ!」
んぐ…んぐ…んぐ…。エミリアが、咽喉を鳴らして激しくハリトの口に吸い付く。ハリトはエミリアの口内奥深くにまで舌を伸ばし、わざと唾液を溢れ出させている。エミリアはそれを甘露のようにひたすら飲み下し続ける。
チュピン…大きな粘水音を立ててハリトが唇を離す。だが、エミリアはもっともっとと感覚を求め、積極的に舌を伸ばして虚しく空を舐める。
「ああう…あああう…!」
耳が聞こえないために、形にならない言葉を呻いて、ハリトの口を求めるエミリア。その有様にハリトもペテルギウスも大嗤いだ。
「見てくれよ、大罪司教様よぉ!
人間ってのは、昆虫みてぇにここまで快楽を求めて、勤勉に動くんだぜぇ!
自由を奪われていた方が、却って必死に動き回るってのは、滑稽な話ですがねぇ!」
ハリトはそう叫んでから…トン、とエミリアの体を押す。すると、蜘蛛糸に包まれたエミリアの体は、当然踏ん張りなど利かず、重力の為すままに洞穴の床に転がる。幸いにも蜘蛛糸の弾力性が働いたお陰か、エミリアは痛みを訴えることもなく、その場に仰向けに転がる。
「あう…! ああううう…!」
求める声が次第に大きくなる、エミリア。ハリトはそんな彼女を
露わになったハリトの体は痩せ気味で、蜘蛛の子を何処にしまい込んでいるのか全く分からない。身につけているのは体にピッタリと密着したタイトな黒い衣装だ。どこにも無駄な盛り上がりがない事から、服の下に子蜘蛛を飼っているワケではなさそうだ。
やはり、魔術の力で異空間でも形成し、その中に子蜘蛛をしまい込んでいるのかも知れない。
それはそうと――ハリトは腰に巻いたヨレヨレの革のベルトをカチャカチャと音を立てて外し、ズボンを下げると。エミリアの顔の上に乗るかのように、腰を落とす。
その時、ハリトの毛深い尻越しに、スバルは見たくもない汚物を直視してしまう。
重力に引かれてブラリと下がった、黒々とした肉棒。先端だけが燃えるような赤に染まったそれは――ハリトの、男根だ。
「さぁて…お姫様、今度はコイツで遊ぼうかぁ?」
ハリトの言葉は、粘っこく、厭らしく、スバルの鼓膜に張り付く。
- 続 -