ネタバレ注意。
そわそわ。早朝のリビングは静かで、思考を遮るものはない。だというのに、中々いい考えが思いつかない。
「うーん」
うろうろ。身体を動かしてみても、さっぱり浮かばない。どうすれば失敗しないんだろうか。
「うーん……」
ぐるぐる。どうしよう。今日はもう
「うーん…………」
「お主、何をしておるんじゃ?」
「うおあっ!?」
急に背後から声をかけられて、驚いてしまった。声のした方を向くと、そこには呆れ顔の咲夜が。
「やれやれ、いつまで経っても落ち着きのない男じゃの」
「うるさいな。仕方ないだろ、初めてなんだから」
「初めて、って……ハルキ、お主は忘れてしまったのか? 妾の初めては、とっくにお主に捧げたではないか。ほら昨日だって――」
「そうじゃねえよ! 二人きりで旅行に行くのが初めてって意味だ!!」
「うむ、分かっておるとも。からかってみただけじゃ」
「……ったく、朝から疲れる…………」
そう。今日から俺達は、泊まり掛けで旅行に行くことになっていた。勿論、二人きりである。
「いやしかし、何度でも言うが驚いたぞ。妾を誘うときのハルキの姿は、忘れることは無いじゃろな」
「忘れろ!! 今すぐ忘れろ!!」
「それは無理な相談じゃな。『あの、さ……旅行、行かないか?』と顔を真っ赤にしながら聞いてきたお主の姿を、忘れられるはずがなかろ?」
「いちいち事細かに言わなくていい!!」
「そう言うな。妾は嬉しかったんじゃから。……そんな事より、のんびりしていて良いのか? 目的地まではそれなりに距離があるんじゃろ?」
話を逸らされた。しかし、こいつの指摘も尤もだ。グダグダと時間を使っていては、肝心の旅行が楽しめない。
「……じゃ、行くか」
「うむ」
話を切り上げると、そそくさと家を出た。
電車内。二人掛けの席に座った俺達は、行きがけに買った駅弁を広げてモソモソとつまんでいた。
「おいハルキ、そこの焼売を一つ貰うぞ」
「あっ、おい」
左隣から箸が伸びる。抗議を挟む間もなく、咲夜は焼売を頬張った。
「うむ。美味いの」
いい笑顔の咲夜。そう来るのなら、俺も何か貰うとしよう。
「じゃあ俺はそっちの――」
「やらん」
ひょい、と躱され、俺の箸は空を切る。得意げな咲夜の顔を見ていると、妙に悔しくなった。なので、何度か箸を伸ばしてみるが、全て空振りに終わる。それどころか、
「ごちそうさま、ハルキ」
「え? ……なっ」
いつの間にか、俺の弁当から焼売が全て消えている。俺が咲夜の弁当に執着している隙に、奪い取られていたというのか。ああ、俺の本命が…………。
「~♪」
一方の咲夜は、どうやらご機嫌らしい。あれは多分、弁当が美味いという顔じゃないな。俺の反応を見て楽しんでいる時の顔だ。
……まっ、機嫌がいい分には問題ないか。そう思うことにして、車窓へと目をやる。視界に映るのは一面の緑。駅弁をつついている間に、随分田舎まで来てしまったものだ。
「だいぶ遠くまで来たものじゃの」
「そうだな。真日羽とはえらい違いだ」
「あそこと比べるものでもないじゃろ」
「それもそうか」
というか、まだ終わりじゃない。これから更に奥へと入っていくんだから。
「おお」
「ここが……」
バスで一時間近く山道に揺られた俺達を出迎えたのは、純和風の整然とした街並み。小京都とも呼ばれているらしい、穂織という街だ。田舎も田舎な山奥にあるのだが、観光地としては有名らしい。バスの中にも、俺達と目的地を同じくする人もそれなりにいた。
「さて、お主の予定では、この後はどうなっておる?」
「行く場所の目星は付けてるけど、順番は決めてないな」
「ふむ。気分に任せるというのもまた、旅の醍醐味か」
「……そういうことだな」
何も考えてなかった、と言うと怒られそうだ。もっとも、咲夜の場合はそれすら見抜いていそうではあるが。
「ふむ。ではとりあえず歩いてみるか。決まりもなくぶらついてみると、意外な発見もあるものじゃし」
幸い、深くは追及してこないらしいので、黙って従っておこう。触らぬ神に祟りなし、だ。もう、こいつは神じゃないけど。
街を歩いていると、目を引かれるものがあった。それは、服だ。
この街は服飾文化も古風だ、ということは事前に調べて知ってはいたが、実際に見てみると確かにそうだと分かる。街を行く人の大半は和服だ。それも、ただの和服ではなかったりしている。フリルが付いているとか、色遣いが派手だったりとか。和洋折衷、って言うんだろうか。
ともかく、その独特な衣装は、この街によく合っている。そう思っていたのは、俺だけじゃないようで、
「なあハルキよ。妾もあれを着てみたいんじゃが」
「神様だった頃に散々着てなかったか?」
「人になってからは着ておらんじゃろ。久しぶりに和服も着てみたいんじゃ」
「なるほど。……じゃ、服屋を探すか」
十分もしないうちに、呉服屋に着いた。色とりどり、形も様々な和服の数々を、咲夜は楽しそうに物色している。そのうちの一つを取り出すと、俺に見せつけてきた。
「なあなあ、こんなのはどうじゃ?」
「っ!?」
色合いはいい。落ち着いた色で綺麗にまとまっている。だが、問題は露出度だ。胸元は大きく開き、裾はやたら短い。正直、直視を躊躇うレベルだ。
「ほほう、お主の好みはこれか」
「違うわ! 露出度高すぎるからダメだと言いたいんだ!」
「えー、だってー、ハルキはこれくらい見えてる方が好きだと思ったのにー」
どんな誤解してんだよ。
「こんなの着て街を歩く気か?」
「まさか。…………お主と二人きりの時だけに決まっておろ?」
「おまっ、またそういう……!」
そう言われると、ちょっと惹かれてしまうじゃないか。むむう。
「……分かったよ、好きにしろ」
「そうかそうか。そう言うと思っておったわ。ではこれにしよう。さて、次は街歩き用のものを――」
「まだ買う気かよ!!」
結局、もう一着も俺が選ぶ羽目になった。初っ端から大変な目に遭った……。
「ふむ。やはりしっくり来るの」
「そうか」
着替えたばかりの和服をしげしげと見ている咲夜。余程気に入ったらしいな。
「じゃ、次はどこに行く?」
「せっかちじゃの、お主は。少しは褒めてくれても良いんじゃぞ?」
「…………可愛いよ。良く似合ってる」
「ふふ。まだまだじゃな……と言いたい所じゃが、照れるハルキが可愛いので許してやろう」
クスクスと笑う咲夜を見ていると、猛烈に恥ずかしくなってきた。ダメだな、一生かけても咲夜の上手に出られる気がしないぞ。
「さて、次はどこに行くか、じゃったな」
話が戻る。時計を見ると、十二時手前といったところだ。
「……今の時間はどこも混んでるだろうし、先に神社の方へ行ってみるか」
否定は無かったので、そちらへ向かうことにした。
穂織最大の神社である建実神社。その境内には、何やら人だかりが出来ていた。
「なんだ?」
「さあ……」
不思議なことに、それらは皆同じ方向を見ているのだ。俺もそちらへ目を向けると、そこには何かを手に持った巫女と思しき女性が。女性は踊っているのか、淀みなく手足を動かす。所作の一つ一つが綺麗だ。きっと、何度も練習しているのだろうということは、素人目にも分かった。
「……なるほど」
咲夜は何かを察したらしく、小声で呟く。だが、今はそちらに意識を向けられなかった。優雅に舞う巫女に、ただ圧倒されるばかりだった。
「あれは、奉納の儀じゃな」
「奉納だって?」
「うむ。あの舞は、神への捧げ物なんじゃ」
「捧げる……って、あの人、死ぬのか?」
「どあほう。誰が命を捧げると言ったか。古来より、神前で舞や歌を披露することで供物とする風習があったんじゃ。あれもその一つじゃよ」
「へえ」
神に納めるものだったのか。そりゃ、あれだけ丁寧なのも納得だな。
「じゃ、お参りしたら行くか」
「ん? 御神刀イベントとやらは参加せんのか?」
「あれ、去年で終わりらしいぞ。なんでも、抜けないはずの刀を抜いた人がいるらしい」
咲夜が言っているのは、岩に刺さった刀を抜くチャレンジイベントのことだろう。最近までは、それもこの街の名物だったようだ。だが俺が知る限りでは、このイベントは去年の春祭りで誰かが刀を抜いて以来、開催されていないらしい。家のガイドブックが古かったので、ネットで調べておいて正解だったな。
「御神刀を抜く、か。……まさかな」
「どうしたんだ?」
「いや、なんでもない。参拝を済ませてしまうか」
儀礼通り手と口を浄め、二礼二拍手の後、お祈りをして一礼。こんなのはもう慣れたものだ。というか、ちゃんとやらないと隣の元神様に怒られるし。
「なあ、お前、何をお祈りしたんだ?」
「妾か? 秘密じゃ。そういうお主こそ、何を祈った?」
「……俺だって秘密だよ」
言えるわけがないだろ。これを逃したら、一生咲夜を驚かせられない気がするし。
「なんじゃ、言ってみよ。減るもんじゃなし」
「減るんだよ、色々と。そんなこと言うなら、お前が言ってみろって」
「……そんな恥ずかしいこと、妾の口からは言えない」
小声で言って目を伏せ、顔を赤らめる咲夜。…………え? 何この空気?
「ちょっと待て、何考えてんだ?」
「無理矢理言わせようだなんて……ハルキのエッチ」
「……はあ。もう引っ掛からないぞ」
「ちっ、目聡くなりおって。慌てふためく姿が見たかったんじゃがな」
「お前にとっての俺は、リアクション芸人なのか? ほら、行くぞ」
「まあ待て。神社と言えば、御籤じゃろ。折角来たというのに、引かずに帰るつもりか?」
おみくじ、ねえ。俺が引くと大凶しか出ないんだよな。結果が分かりきってるので、数年以上は引いてなかったが……咲夜が引くというのなら、俺も引いてみるか。
「どれを引くんだ?」
「簡単なヤツでいいじゃろ」
そうして、二人して百円おみくじを引いてみる。
「ほう」
どこか嬉しそうな咲夜の声。見ると、大吉とある。当たり前のように最高の引きをする辺りは、流石というべきか。
「なあハルキ、お主はどうだったんじゃ」
俺のおみくじは…………末吉だ。初めてだな、『吉』なんて文字が書いてあるのは。しかし、それでも大吉とはならないのが俺らしい。
「ふむ。縁起がいいやら悪いやら、と言ったところか」
「凶の一歩手前だろ?」
「そうじゃがな。末広がりと見れば、縁起が良く思えるのではないか?」
「そういうものか?」
「そういうものじゃ。まったく、お主には浪漫というものが――」
饒舌に語っていた咲夜が、いきなり言葉を切る。俺は聞き逃さなかった。直前に、こいつの腹が可愛らしい音を立てていたのを。
「さっき、あんだけ食ったのに」
「う、うるさいわ。仕方ないじゃろ、妾も人なんじゃから」
恥ずかしいのか、そっぽを向いている咲夜。そうだよな、こいつも人なんだよな。そりゃ、腹も減るか。
時計を見れば、針が差しているのは午後一時半過ぎ。飯屋がまだギリギリ混んでそうな、微妙な時間だな。俺の方は、あまり腹が減ってないし……。
「そうだ。ちょっと早いけど、甘いものを食いに行かないか?」
「それもいいの。ハルキにしては面白い提案じゃ」
一言余計だが、決まりだな。
というわけで、評判の良かった甘味処に来た。店の名前は『田心屋』だったかな。
店に入るとすぐ、泣きぼくろの印象的な店員が出迎えた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「はい」
「奥の席へどうぞ」
案内されるまま、席に着く。俺はメニューを手に取ると、広げて咲夜へと向けた。
「意外じゃな。和風な店構えだというのに、パフェやプリンも取り扱っておるとは」
「らしいな」
「……意外と驚かんのじゃな」
「まあ、下調べしたからな」
「そういえば、目星は付けてあると言っておったか。なるほどなるほど……ふふっ」
「なんだよ」
「いやあ、お主も随分本気なんじゃな、と思っただけじゃ。そんなに妾と旅をするのが楽しみじゃったか?」
「…………そりゃ、当たり前だろ。楽しみに決まってる」
「…………急に素直になるでない。妾まで照れ臭くなるではないか」
その言葉通り、満更でも無さそうな顔をしている。こいつ、意外と不意討ちに弱いんだよな。
追撃の一つもかけようかと口を開いてみるが、照れている顔を見ると俺まで何も言えなくなってしまった。咲夜の方から何かを言ってくる気配もない。俺達の間に、如何ともし難い甘い空気が流れ始めたその時――。
「あのー、ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっ、ああ、ちょっと待ってください」
店員に確認を取られて、どうにか俺達は我に返ることが出来た。危なかった……。
「妾は……そうじゃな、抹茶パフェを」
「あー、俺はあんみつで」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「俺はいいかな」
「和紅茶で頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください」
注文を取り終えると、店員はそそくさと引っ込んでいく。当たり前の振る舞いのはずなのに、何か違和感があった。まるで、二人きりにしたがっているかのようだ。有難い気遣いだ、有難過ぎて言葉も出ないね。
「そうじゃハルキよ、この後の予定はどうなっておる?」
「うーん、宿に行って受付だな。」
「……そうか」
それきり、会話が途切れる。あれ? さっきまでどうやってこいつと話してたんだろう。全く分からないぞ。
うんうんと唸りながら考えていると、頼んだものが届いた。気分を変えるために一口食べてみる。
「「美味い」」
俺と咲夜の声が重なる。顔を見合わせて、お互いに笑ってしまった。
「なあ、一口食べさせてくれぬか?」
「お前、さっきは勝手に持っていったくせに……。好きに持ってけよ」
「妾は『食べさせてくれ』と言ったんじゃぞ?」
ああ。なるほど、そういうことか。
「んじゃ、ほら」
一口ぶん掬ったスプーンを差し出す。咲夜はそれを小さく頬張ると、感嘆の声を上げた。
「おお、餡蜜も美味いではないか。……どれ、お礼じゃ。口を開けよ」
そう言って、こちらへクリームの乗ったスプーンを差し出す咲夜。間接キス、という単語が頭を過ぎる。キスなんて何度もしたはずなのに、どういうわけかその言葉に魅力を感じている自分がいた。
「食わぬのか?」
「いや、貰うよ」
意を決して、スプーンを咥える。それがするりと引き抜かれたのを確認してから、改めて味わってみた。
……美味いな。抹茶とパフェという、一見相反するように見える二つの要素が、自然に絡み合って調和を取っている。
「なあ、もう一口やるから、お前のパフェも一口くれよ」
「構わんぞ。では……あーん」
またやるのかよ。まっ、構わないけど。……周りの人達の視線が痛いことを除けば。
「いい店じゃったな」
「だな」
店を出る頃には、咲夜も俺も元の調子に戻っていた。会話で詰まることもない。
「さて、どうするかな」
「日がだいぶ傾いておるし……お主の言う通り、宿に向かうか?」
街並みはオレンジの日光に当てられている。あと数時間もしないうちに、辺りは暗くなるだろう。さっきの甘味処でゆっくりし過ぎたかもな。
「そうするか。今日はここまでにして、ゆっくりしよう」
今晩の宿、『志那都荘』に着いた。手早く受付を済ますと、俺達が泊まる部屋へと案内される。
一見すると普通の旅館の一部屋って感じだが、何か特別感があるな。それは多分、こいつと一緒だからかもしれない。
……………………俺らしくもないことを考えてしまった。思い出すだけでも羞恥心が込み上げてくる。うう、頬が熱い。
そんな俺の内心など知る由もない咲夜は、怪訝な表情を浮かべるばかりだ。
「おい、どうした。顔が赤いぞ、熱でもあるのか?」
「いや、熱は無いけど」
「……?」
まずいな。これ以上勘繰られる前に話を逸らした方がいいかもしれない。
「あっ、晩飯まで俺は寝るから。おやすみ」
「…………何か隠しておるな」
追及の声は、聞こえなかったことにした。寝よう、寝れば全て忘れているはずだ。
「ハルキ。夕食じゃぞ」
「ん、んん……」
「お主が食わぬのなら、妾が全て食べてしまうぞ?」
「……太るぞ」
パァン!! と、小気味良い音が部屋に響いた。額に走る痛みで、一瞬にして目が冴える。
「いってえな!!」
「お主が失敬な事を言うからじゃろが」
本当のことだろ――いや、これ以上はやめておこう。また痛い目を見ることになりそうだ。
「悪かったよ」
「分かればよい」
話を切り上げると、咲夜は料理の前へ。俺も体を起こして机の上を見てみる。そこに並んでいたのは、彩り豊かな山菜料理の数々。山の幸を片っ端から集めましたと言わんばかりの品ぞろえだ。
「これ、食い切れるのか?」
「二人で食べるんじゃから、大丈夫じゃろ。では、早速頂くとしようか」
言い終わるや否や、さっさと箸で料理をつまんでいく咲夜。
「ほれ、良いのか? さっさと食べんと、お主の好物が無くなってしまうが」
今度は競争かよ。楽しいけど、忙しないな。
「まっ、いいや。いただきます」
……結局、俺の食べたいものを読んでいた咲夜に好物を殆ど持って行かれたが、それ以外も美味かったのでよしとしよう。
食事も終えれば、待つのは当然入浴だ。穂織と言えば温泉だし、これを逃す手は無いだろうということで、二人して露天風呂へ向かった。身体を洗うのもそこそこに、湯に身を浸す。
「ふぅー…………」
湯加減は申し分ない。全身から疲れが抜けていくような虚脱感と、心地よい気怠さが身を包む。見上げた先には、山奥特有とも言える満天の星空。ただ気持ちいいだけではなく、景色も楽しめるようになってる訳か。これは人気なのも頷ける。
家族風呂を予約する勇気はなかったので別々の温泉に入ってはいるが、今頃はあいつも同じ気分に浸っているんじゃなかろうか。……そう思うと、昂るものがある。温泉に入る咲夜を想像したのが良くなかった。そんな情景を脳裏に描いてしまえば、否が応でもモノが反応してしまう。
ダメだ、落ち着け。素数を数えて落ち着くんだ。1、1、2、3、5、8、13、21……って、これは違う。
そうだ、きっとのぼせているに違いない。そう信じて、そそくさと風呂を上がることにした。
俺に遅れること十分ちょっと。咲夜も風呂場から出てきた。
「おお、先に上がっておったか。……待たせたか?」
「待ったうちに入らないぞ」
正直、悶々とあれこれ考えていたせいで、待つどころじゃなかった。気付けば、それだけの時間が経ってた。
「ハルキなら、『待ってた』か『今来たところだ』のどっちか、と思っておったのじゃが……」
「なんだ、そりゃ」
「まあ良いか。ハルキも成長しておるということかの」
成長ねえ。お前は俺の母親かよ。いや、元は神様だし、『見守る側』の感覚が抜けてないだけかもしれないけど。
「どうする? 卓球でもやるか?」
「いや、今回はいいかな。戻ろうぜ」
出会ったばかりの頃の仮入部ラッシュの頃を思い出す。こいつと卓球なんてしたら、何をされるか分からない。
「なんじゃ、つまらん。新しく習得した必殺技を見せてやろうと思ったのに」
「だから嫌だって言ってんだ!」
そんなやり取りをしながら廊下を歩いていると、妙齢の仲居と出くわした。
「こんばんは」
「ああ、さっきの」
咲夜は一度会っているらしい。となると、部屋に食事を運んでくれたのはこの人か。
「温泉はいかがだったでしょうか?」
「実に心地良かったぞ。次は二人一緒に入りたいものじゃ、なあハルキ?」
「何で俺に振るんだよ」
そりゃ、入りたいけどさ。……しかし、次か。あるといいな。
「それは何よりです。……それと、食器は下げさせていただきました。お布団も敷いておきましたので、どうぞごゆっくり」
「そうか。感謝するぞ」
咲夜は頭を下げる。俺も同じように頭を下げた。
「とんでもありません。では、私はこれで」
仲居はゆるりと一礼し、静かに別の場所へと向かった。去り際に見せた意味深な笑顔が引っ掛かったが……何だったんだろう。
その答えは、すぐに明らかになる。
部屋に戻った俺の視界に、衝撃的な光景が飛び込んできた。
「ほう。これはまた、粋な計らいじゃな」
「……」
愉快そうにくつくつと笑う咲夜と、二の句が継げない俺。そりゃそうだ、目の前には布団が一つしかない。しかもご丁寧に、枕だけは二つある。きっとさっきの仲居が気を利かせてくれたのだろうが、どう反応すればいいのか分からない。今夜はこんなつもりではなかったというのに。
その上、二人のテンションの違いが生み出す微妙な空気のせいで、風情も何もあったものではない。この状況で、どうやって
困った。実に困った…………が、ここを逃すともうタイミングがないような気がする。そもそも、ここまでズルズルと引きずってしまったのは俺の失態だ。これ以上は重ねられない。覚悟を、決める時だ。
腹を括った俺は、持ってきた荷物の中から、小箱を取り出す。背中で隠すようにしながらこっそり中身を確認すると、渡すべき物はちゃんとあった。俺の元々の運の無さゆえに落としでもしていたらどうするかと思ったが、杞憂に終わってくれて何よりだ。
「なあ。何をしておるんじゃ、お主」
咲夜の訝しげな声。これ以上は引き延ばせない。やるしかない。
「……お前に、渡したいものがあるんだ」
そう言って俺は、咲夜へと向き直る。そして小箱を差し出し、開いて見せた。彼女を真っ直ぐに見据えて、畳みかける様に告げた。。
「俺と、結婚してくれ」
そう。渡すものとは指輪だったのだ。朝からずっと悩んでいたが、ようやくここまで来た。
「な…………」
今度は、咲夜が絶句する番だった。呆気にとられた表情を見るに、驚いてはくれたらしい。そう思ったのだが、第一声は俺の予想を大きく外れた内容だった。
「何故このタイミングで?」
「そこかよ。……悪かったな、丁度いい機会が無かったんだよ」
出発前というのもおかしいし、人前で渡すのは憚られる。かと言って飯の前に渡すのはなんか違う気がしたし、風呂の前に渡してもすぐ外すだろう。となると風呂上がりが一番な気がした。それだけだ。
「……もしかして、何か不満があるのか?」
「まさか。そんなもの、あるはずも無いに決まっておろ」
「そうか。なら良かったよ」
嫌です、なんて言われた日には立ち直れなかっただろうからな。本当良かった。
俺が益体もない考えを巡らせている間に、咲夜は指輪を左手の薬指へとはめ込んでいく。微妙にサイズが合ってない気がする。こればかりは予想できていたことだ。完全に秘密だったし、指周りの長さを測ったことだってないんだから。
「ふふっ。肝心なところで締まらんの、お主は」
「悪かったって。式を挙げる時までには、ちゃんとお前の指に合わせたやつを作るから」
「妾はこのままでも良いんじゃがな。ハルキの気持ちが込められた指輪なんじゃし」
「そうかよ」
とはいえ、男にも見栄を張りたい時があるのだ。そっちもちゃんと用意するつもりなのは変わらない。
「しかし、ハルキがプロポーズとは。正直、予想外じゃったな」
「そうか。ようやく、俺一人の力でお前を出し抜けたんだな」
「…………なるほど、そういうことか。うむ、まんまとしてやられたわ。まさか、『俺と、結婚してくれ』などと言われるとはな?」
「いちいち言い直さなくていい!!」
また弱みを握られた。うう、一生からかわれそうだぞ。
「さて、渡すものとはこれだけか?」
「え? ああ、そうだけど」
「おい。これではまるで尻切れトンボではないか。肝心なものを忘れるでないわ」
一度頬を膨らませると、徐に俺に近づいてきた。そのまま俺の顔を掴み、そこへ唇を近づける――。
「んっ、ちゅっ……んちゅっ、ぷはっ」
そうか。キスをしてないじゃん。咲夜の言う通り、肝心なことを失念していた。何やってんだ、俺。
「……誓いのキス、と言うんじゃったか?」
「それはまだ早いだろ」
「そうか」
まあ、それをやる日も遠くはないと思うが。――遠くないといいなあ…………。
「というわけで、じゃ。……こちらからもお願いしよう。妾と、結婚してくれ」
「ああ」
もう一度、唇が触れ合う。二人とも、至上の幸せを貪るように楽しんでいた。
次の日の朝。俺は、ご立腹な咲夜をどうにか宥めて出発の支度を整えていた。というのも、昨日こいつは初夜をやると言って聞かなかったのだ。それは旅館の迷惑になるからやめよう、とどうにか説得したのだが、お気に召してはいない様子。まあ、気持ちは分かるけどさ。
「ほら、行くぞ」
「ふん」
……家に着いた後が大変だな、これは。
土日休みを利用してここに来ているので、明日からはいつも通りの日常に戻る。ということで、二日目は早めに帰ってゆっくり休もうということになっていた。
「……楽しかったか?」
電車に揺られながら、質問してみた。
「うむ、楽しかったぞ」
予期していた通りの答え。だが、嬉しい。この言葉が聞けただけでも、今回の旅行は成功だったと言えるだろう。
「次は、混浴じゃな」
「分かってるって」
次来るときには、俺達は名実ともに家族になっているはずだ。だから家族風呂もいけるはずだ、きっと。
「……」
それきり俺達は無言になる。だが、その沈黙がどこか心地良い。今この瞬間は、俺達に言葉は不要だった。
「~♪」
車窓の外を眺める咲夜の楽しげな笑顔を見ていると、なんだか帰るのが惜しい気もするが、明日は休みじゃない。
それは、またのお楽しみとしよう。『次』は、またやってくるはずだから。
『天神乱漫』発売10周年、おめでとうございます。筆者が知っているのは10年のうち1年にも満たないくらいですが、それでもお祝いをさせていただきます。
とはいえ、登場人物が春樹と咲夜だけだったり、舞台は千恋*万花だったり、『10周年とは?』と言いたくなる内容になってます。ごめんなさい。
あと、全年齢版未プレイなので出来事が被ったりしているかもしれませんが、それは来年までの課題とさせてください。
それではこの辺で。お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告、感想等お待ちしております。
10000文字は長すぎたな、という反省