ネタバレあります。
重苦しい沈黙が、リビングに満ちる。テーブルを囲む四人が四人とも、言葉を発することなくある一点を見つめる。視線の先にあるのは――いなり寿司だった。
この場の誰もが微動だにしない。ある者は神妙な面持ちで、ある者は険しい顔つきで、いなり寿司とにらめっこする。さて、俺はというと。
(……いつまで続けるんだこれ)
というのが、正直な感想だった。この状態に入ってから既に十五分が経つ。一人を除いて全員が完食しているというのに、俺以外の誰も席を外そうという気配さえ見せない。俺一人でも席を外そうと試みるのだが、その度に佐奈が制止するのだ。例えばこのように。
「なあ、もう部屋に戻っていいか?」
「ダメです。兄さんも、ちゃんと見てあげてください」
こんな調子なので、最後の一人が完食するのを待つしかないのだが……。
「……どうしても食べなきゃダメなのか?」
「そうです。ちゃんと好き嫌いせず食べないとダメなの」
「うー…………」
残りの一人というのが、ルリなのだ。眼前にあるいなり寿司が大の苦手であったはずで、そりゃこれだけ時間がかかるのも分からなくはない。というかこれではいつまで経っても終わらないし、助け船を出してやらねば。
「もうその辺にしてやれよ。無理矢理食べさせて好きになるもんでもないぞ」
「はるき…………」
心なしか、ルリの表情が明るくなった気がする。しかし佐奈の表情は険しいままだ。
「兄さんはルリちゃんを甘やかしすぎです。このまま好きなものしか食べない子になったらどうするんですか」
「もうなってるだろ」
「おい、はるき。ルリを偏食みたいに言うな」
途端に怖い表情を作るルリ。ちょっと言い過ぎた節はあるが……それでも、あながち間違いではないと思う。
「春樹の言うことも尤もだが、佐奈が言うことにも一理あるのではないかな」
それまで口を閉ざしていた祖父さんが、唐突に語り始めた。これまた武勇伝でも話すのか、と思っていたが、そうではなかった。
「社会に出れば、好むと好まざるとに関わらず避けられない事態が必ずやってくる。その時にイヤイヤと駄々を捏ねても、取り合ってくれる者など居ないのだ」
「…………それと飯の好き嫌いに何の関係があるんだ?」
「分かっておらんな、春樹よ。こういう機会こそ、さっき言ったような事態に直面した際の対応を学べるのだぞ。いくらでも失敗のできる状況下で練習するのとしないのとでは、実践した結果に天と地ほどの差が出るだろう」
「なるほど。分かったような、分からないような……」
でも、間違ってはいない気がする。一見すると無関係の事柄から意外な教訓を得る、というのは有り得る事だろうし、いつか来る困難の為に経験を積ませておくのは悪い事じゃないだろう。
「そういう事だ。頑張れ、ルリ」
「……はるきはルリを見捨てるのか? ルリは、一人ぼっちなのか?」
悲しそうに俯くルリを見て、飯如きで大袈裟だと言うことは出来なかった。俺は、こいつが無敵の存在じゃないと知っているから。何より、ずっとルリと一緒に居ようという自分の気持ちに嘘がつけない。
だから、手を貸すことにした。
「違うぞ。俺も一緒にいるから、お前は一人じゃない」
「……そうか」
ルリの顔が何だか嬉しそうに見えるのは、多分気のせいじゃなかった……と思う。
「それで、だ。何か策は思いつかないか?」
「策ならあるぞ。まず、ここから逃げ出す。全力で走れば、ルリには誰も追いつけないからな」
「ダメだ。目の前のいなりと向き合え」
「うー……それじゃ、ルリでも食べられる油揚げが出るまで、製品の改良を待つ」
「何年かかるんだよそれ」
「なら、姫姉様にいなりを消してもらう……のは…………」
「……そうだな。それは、無理な話だ」
あいつは――卯ノ花は、既に試練を終えて土地神の座へと戻っている。もう、この家にはいないんだ。
一抹の寂しさが胸に去来する。それは俺だけではないようで、ルリも佐奈も悲しげな表情を浮かべていた。祖父さんは厳とした表情を崩さなかったが、内心では俺と同じことを考えているだろう。
だが、あいつがいないことを嘆いたところで、目の前のいなりが消えるわけじゃない。今は問題の解決が優先だ。
「……他にはないのか?」
「もうないぞ。後思いつくとしたら、いなりを素粒子にまで分解してしまうことくらいだ」
「んな物騒な事するんじゃない! そんなことしたら佐奈が――」
「ルリちゃん。家の中で危ないことはしちゃいけませんよ?」
有無を言わさぬ迫力と共に静かに告げられては、逆らうことなどできない。代わりにルリは俺を睨みつけ、いつものようにこう言った。
「卑怯だぞ、はるき!」
「だから何で俺なんだよ」
「そもそも、はるきはさっきからルリの意見を否定してばっかりだ。はるきも何か考えろ」
「俺? そうだな――」
考えならば、ある。ずっと前から思いついていて、後は実行に移すだけなのだ。そして、今がその時だろう。
そういう訳で、俺はテーブルの上にあるいなりに向けて手を伸ばした。そのままひょいと掴んで、口の中へと放り込む。予想外の動きに、ルリと佐奈の二人が目を見開いていた。
口が空になったタイミングで、俺は再び声を上げた。
「俺が食えばいいだろ。別に今すぐ好きになる必要なんかないんだし」
「に、兄さん! それじゃ、ルリちゃんのために――」
「なるよ。困ったら誰かの力を借りる。それも、取れる対策の一つだろ。それを分かればいいんだ」
祖父さんはさっき、「対策を学ぶ」と言った。間違っても、「一人で乗り越えろ」とは言っていない。なら、俺が手を貸すのも何ら問題ないはずだ。
不服そうではあるが、佐奈はそれ以上言い返すことは無かった。代わりに口を開いたのはルリだ。
「……いいのか?」
「何でそんなこと聞くんだよ」
「だって、これはルリの問題なんだぞ」
さては、俺に迷惑をかけたくなかったのだろうか。嬉しいとは思うが、しかし納得は出来ない。
「いいんだよ。……たまには俺を頼ったっていいだろ。佐奈も、祖父さんも、渉さんも、葵も、木賊も、庵や虎太郎だって、お前が困ってたらきっと手を貸してくれる。だから、困ったら周りを頼れ。お前は、一人じゃないんだ」
「……そうか。なら、たまには頼ることにする」
表情を緩めるルリを傍目に見ながら、俺は残りのいなりを胃袋へと詰め込んでいく。皿の上にも口の中にも何もなくなったところで、いなりを持つのとは反対の手でルリの頭を撫でた。
「まだまだ先は長いから。俺と……みんなと一緒に頑張ろう」
返事は無い。だが俺は、隠しているはずの尻尾がパタパタと揺れる幻覚をはっきりと認識していた。
シュークリーム食ってるルリ可愛すぎじゃね?
というわけでルリで書きましたけど、書きにくすぎて死ぬかと思いました。初めて書くしこれはルリなのかと暗中模索することになるしで疲れました。ギャグのつもりで書いたのにシリアスになっているのはご愛嬌。
今日はこの辺で。お読みいただきありがとうございました。
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