「おはようございま……あら?」
いつもの朝、いつものように俺を起こしに来たのであろう由貴は、既に準備を終えて食卓を囲んでいた俺を見て目を丸くしていた。
「おはよう、由貴」
「ええ、おはよう、ございます」
「……どうかした?」
何か信じられないものを見る目で俺を見ていた由貴に質問してみると、こんな答えが返ってきた。
「いえ……失礼ながら、貴方がこの時間に起きている事が信じられないのですわ」
「本当に失礼だな」
「そう思うのでしたら、ちゃんと一人で起きなさい」
返す言葉もないほどの正論だった。今日起きていたのだって、よく眠れなかっただけに過ぎない。
生活習慣の改善を内心で誓い、いやそれはもう少し先に、などと心中で下らない議論をしていると、由貴は何かを思い直したかのように言葉を付け足した。
「ま、まあ……どうしても、と言うのでしたら、これからもわたくしが起こして差し上げますが……」
「由貴……」
醸し出される甘い空気に流され、二人だけの世界に突入しかけるのだが――。
「はいはい、イチャイチャするのは二人きりの時にしてもらえるかしら」
同席していた母さんの声で、現実に引き戻された。
「そういえば、今日の練習は午前だけ、で合ってるよな?」
学校へ向かう道すがら、俺は由貴に確認を取る。
「ええ。ここ数日練習が続いているから半休が必要だ、との事でしたけれど。それがどうかしまして?」
「いや、それならいいんだ」
「……?」
由貴は訝しげに顔を顰めるが、ここで素直に答えるわけにもいかない。何故ならそれは最大のサプライズ。ここでバラしては元も子もないのだ。
「まあ、構いませんわ。早く行きますわよ」
「ああ」
頷きを返して、歩調を早めた。
「……」
この後の展開がどうなるか心配で、練習中も気が気ではなかった。それこそ、ミスなく合奏練習を乗り越えられたのが奇跡だと思う程に。
「では、今日の練習はここまでとします」
待ち侘びていた言葉を耳にした瞬間、俺は素早く動いて由貴の下へ駆け寄る。
「由貴。先生を呼びに行くから、ついて来てくれないか?」
「ええ、構いませんわ。今日は確か、職員室にいらっしゃるのですわよね?」
「そうそう」
特に拒絶もなく受け入れて貰えたので、今度は他の部員に向き直って言った。
「じゃ、悪いけど
「はーい!」
ハイテンションな後輩の返事を聞きながら、俺達は音楽室を後にした。
「ん? おー、終わったか、香住」
気だるげな声を響かせながら、和音先生はこちらに振り向いた。
「はい。片付けしてるんで、終わったら先生にも一言貰えればと」
「アタシが? なんでまた」
「いいじゃないですか、たまには顧問らしいことをしても」
ついうっかり口を滑らせた途端、先生の眉がピクリと動いた。
「へぇ……アタシがまともに顧問の仕事をしてないって言いたいのか? なあ、香住?」
恐ろしい笑みを浮かべながら問いかけてくる先生。あまりの気迫に、俺は圧倒されるしかなかった。
「いえいえ、そういう訳じゃないんですけど」
「ならどういう意味だ? 『たまには』、って」
「それはその……口をついて出たというか」
「正直に言えば、損が軽く済んだのになぁ、香住?」
黒いオーラを纏い、笑顔で迫る先生。命の覚悟をしていた俺を救ったのは、隣にいる由貴だった。
「こほん。新開地先生、話が逸れていますわ」
「おっと、そうだった。良かったな香住、雲雀丘のおかげで命拾いしたぞ」
まさしくその通りなので、後でお礼の一つもしておこうと思った。
ともあれ、首尾は上々だ。時計を見ると、いい感じに時間も経っていた。そろそろ準備も終わった頃だろう。
「では、行きましょう」
冷静な面持ちを崩さない由貴と一緒に職員室を出た。その際に、
「この借り、どう返してもらおうかな」
なんて呟きが聞こえてきたが、気のせいだと思うことにした。
「あら……?」
割と遅めに歩いたつもりだが、それでも目的地に着いてしまった。
静まり返った音楽室を前に、由貴は疑問を浮かべている。
「おい香住、もう帰った後なんじゃないだろうな?」
和音先生は面倒そうに言葉を吐き出した。そんな訳はないと思うので、扉をノックしてみる。
「はーい。あ、ジュン君」
ひょっこりと顔を覗かせた妙に向けて、俺はすぐさま確認を取った。
「いけるか?」
「うん、大丈夫だよ」
そう言って妙は顔を引っ込めた。やはりというか、準備は完了しているようだ。流石の手際に感心しつつ、俺は由貴の方へ向き直る。
「入っていいって」
「……どういう意味ですの?」
「まあまあ、とにかく入って」
「ちょ、ちょっと! 押さないでくださいな」
由貴の嘆願を無視して、彼女を押し込んだ。
「きゃっ!」
彼女が音楽室に入った途端、祝福の調べが鳴り響いた。思わぬ大音量に身を捩る由貴だが、やがて慣れると辺りを見回し始めた。
「これは…………」
机に並ぶ豪華な料理の数々、黒板を埋め尽くす多種多様な絵、そして部員達の明るい顔を見て、何かを察したのだろう。しかしその表情には、戸惑いが見え隠れしているように思える。
なので、ダメ押しの一言を入れてみた。
「由貴、誕生日おめでとう」
「えっ? あ、ありがとう、ございます……」
未だ動揺しているのか、言葉が途切れ途切れになる由貴。
質問が飛んでくる前に、俺は口を開いた。
「今日は部員の皆で、お祝いをすることにしててさ。だから、少し席を外してもらったんだよ」
「…………午後を休みにしたのも」
「うん、そういう事だ」
「なるほど……」
事情を理解したのであろう由貴は、もう一度周囲を見回す。笑みを浮かべる人、口笛を吹く人、祝いの言葉を投げかける人。一人一人と目が合う度、由貴の表情が華やいでいった。
やがて由貴は、輪の中心へと進んでいく。
「うんうん、よかったよかった」
そんな心からの感想が俺の口から漏れ――
「香住、どういうことだこれは?」
背後から修羅の声が聞こえてきて、一瞬で我に返った。
「えっと……見ての通りですが」
「それは分かってる。どうして、事前にアタシに言わなかったんだ?」
「その、サプライズ的なヤツです」
「雲雀丘にだけ隠しておけばよかっただろう?」
それはそうだ。事後承諾でどうにかしようとしたのは俺の落ち度だろう。
これはお咎めも仕方ないか……と思ったのだが。
「まったく……こうなると分かっていれば、アタシも準備出来たっていうのに」
いつの間にか、和音先生の手には一升瓶が握られていた。
「……怒らないんですか?」
「怒る? まさか。むしろこういう事はジャンジャンやってくれた方が、アタシにとっても都合が良い」
恐らくは「酒が飲めるから」と言う理由だろうが……それを見過ごさない人間がこの部にはいる。
「先生! 校内でお酒を飲まないでくださいっ」
目聡い委員長がやってきて、すぐさま瓶をひったくる。だが先生は涼しい顔で別の瓶を取り出し、業を煮やした委員長が再び没収する……お馴染みの茶番が始まってしまった。
あれは一度始まると止まらないので、俺は対応を委員長に任せて主役の方に歩み寄る。
「この料理は、中ノ島さんが?」
「うん、そうだよ。初めて作るものもあるから、口に合うといいけど……」
「……感謝致しますわ」
「ううん、いいのいいの。今日は、特別な日だから」
由貴にしろ妙にしろ、普段はお互い変に警戒しているような気がしたのだが、目の前の光景を見る限り、それは勘違いだったのだろう。屈託のない笑みを浮かべて話をしている二人には、敵対なんて言葉は相応しくない。
するとそこへ、一人の後輩がおずおずと姿を現した。
「あ、あの……」
「須美?」
パーカッション担当の御影さんだ。もごもごと口を動かしてはあちらこちらを向いている。そんな彼女の言葉を、由貴は待っていた。
「ゆ、由貴先輩。お誕生日、おめでとうございますっ」
「ええ、ありがとうございます」
どうにか言い切った御影さんに、由貴は微笑む。
「もっと堂々となさい。恥じる事などありませんわ」
「ご、ごめんなさい、私……」
「ですから、もっと胸を張って――」
こちらもまた延々続きそうなやり取りが始まったが、こちらは別の声が遮った。
「センパイからは、何かプレゼントとか無いんですかー?」
「そうだそうだ、彼氏らしくいい所見せろー、ひゅーひゅー」
とりあえず健太郎を地獄突きで沈黙させておくが、時すでに遅し。部員達のニヤついた視線が俺の方へと集まっている。
「香住ぃ、何でもいいが、さっさと終わらせて飲み食いさせろー」
何故かもう出来上がっている和音先生までもが同調しては、引き下がれない。
「あー、ちょっと待ってくれ。荷物を持って来るから」
そう言って、準備室に置いてあったはずの鞄を取りに行こうとしたのだが、
「ふ、ふふ……心配ご無用……」
床に横たわっていた健太郎が何故か俺の鞄を持っていたので、ありがたくふんだくる。
中から小包を取り出し、由貴に手渡した。
「これ、プレゼント。大したものじゃないけど」
「何を言うのですか。金額ではなく気持ちが重要だという事は何度も言っているでしょう」
「……それもそうだ」
「ええ。ありがたく頂きますわ」
そう言って由貴は小包を手に取ると、皆に向かってよく通る声で告げた。
「今日は、わたくしのためにこのような催しを開いて頂き、ありがとうございます。わたくしは、今日と言う日を忘れませんわ」
「……それじゃ」
「ああ」
部員達は、皆それぞれ紙コップを手に取り、声を揃えて言った。
「「「乾杯!」」」
その言葉をきっかけに、宴は始まった。
「あの、これは……」
御影さんは、スイーツの山を指差す。すると妙が反応した。
「私が作ったんだよ。さ、食べて食べて」
「あっ、それはダメですって!」
「待て待て、早まるなーっ!」
みなせと健太郎の制止も空しく、御影さんはクッキーを一つ手に取り、口に含む。そのまま体を震わせたかと思うと、目を固く瞑ってその場に蹲ってしまった。
「う、うぅ……」
「ふぇ!? あ、あの、大丈夫!?」
大丈夫ではない、とは言えない御影さんは、妙の呼びかけに曖昧な受け答えを返していた。
しかし芦屋はというと、
「妙さんの手作りスイーツ……至上の美味ですっ」
などと宣いながら激辛スイーツを次々平らげていく。その光景を見たみなせと健太郎がドン引きしていたのは、なかなか斬新だと言えるかもしれない。
他方では、
「先生! いい加減にしてくださいっ」
「何を言ってるんだ、まだまだ序の口だぞ? おい香住に雲雀丘、お前らも飲むか?」
「生徒に勧めるのもダメです!」
委員長と和音先生が、不毛な争いを繰り広げていた。パーティーが終わるまでに決着するだろうか……などと益体もないことを考えていると、由貴と目が合った。
「お疲れ様」
「お気になさらず」
わいわいと盛り上がる部員達をどこか優しげな目で見つめながら、由貴は小さく呟いた。
「こんなに賑やかで騒々しい誕生日は、初めてですわね」
「気に入ってもらえた?」
「ええ。こういうお祝いも、良いものですわ」
「……なら、よかった」
やはりと言うべきか、由貴はこういう経験が無かったらしい。いい思い出になってくれればと思ったが、功を奏したようで何よりだ。
そんな風に感傷に浸っていると――
「おっ、なんかいい空気!」
「今だ副部長、キスしろー」
野次馬たちが囃し立ててきた。未だにそういうからかいに慣れない由貴が顔を赤くして否定の言葉を返し、それに反応してまた盛り上がる。ありふれた光景だが、どうしてか今はそれが大切な事のように思えた。
これからも、こんな賑やかな日々が続く。そんな確信と共に、俺は健太郎の口に激辛クッキーを放り込む。
「あがっ、ごほ、うひょおおおおおおお」
「ははは」
部員達の笑い声が、音楽室に響き渡った。
ハッピーバースデー!
祝え! 『ぶらばん!』のメインヒロインにして、最優の指揮者。
その名も雲雀丘由貴。今日はその誕生の日である!
魔王の家臣みたいなことを言ってしまいましたが、今日(8/22)は由貴の誕生日なんですよ。
という訳で、推しを祝わないわけにはいかんだろうと一本書かせていただきました。結果として、二話前の『挙動不審』と似たようなネタになってしまいました。反省ですね。
『ぶらばん!』13周年の時も由貴で書いているので、そろそろ書きすぎな気もしますが、今日は置いておきましょう。
それではこの辺で。お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字・ミスの報告、感想等お待ちしております。