夕暮れ時に差し掛かり、窓の外が段々と暗くなってくる頃。
私はヒナタに頭を拭いて貰っていた。
「猫人族はお湯が苦手な種族ですわ。常識ですの」
「し、知ってたんなら教えて下さいよ!」
やけになってお風呂に飛び込み、溺れている所をヒナタに助けてもらってからおよそ20分が経った。
不快感で身体が上手く動かせず、皮膚を伝う水滴が気持ち悪い。
もうお湯から出て結構経つにも関わらず、未だに背筋がゾワゾワする。
「まさか自分の種族の特性を知らないなんて思わなかったんですの。水風呂に入るのかと思ってましたわ」
「今回はアリアが悪いよ。わたしが助けてあげられたから良かったものを、一人だったら本当に危なかったんだよ?」
呆れるようなミラーカ王女に、子供を叱るような表情のヒナタ。
心の中に申し訳なさが募った。
「はい、万歳して」
ヒナタの声に従い、両手を上げる。
ヒナタの手に握られた、白いバスタオルが私を包んだ。優しく水滴を拭き取られ、不快感が少しずつ消えていく。
「ごめんなさい、わざわざ拭いてもらっちゃって」
「大丈夫だよ。まだあんまり動けないんでしょ? 今は私に甘えて良いよ」
「ありがとうございます」
この年になって誰かに体を拭かれるのはなんだか恥ずかしい。でも自分で拭くこともできないし、仕方ないよね。
ヒナタのタオルが脇を通り、胸元を拭き、お腹を擦る。段々と下に下りてくるにつれて、自分が元気になっていくのが分かった。
「わざわざわたくしの前で拭かなくても⋯⋯」
「ミラーカから目を離すわけにはいかないでしょ。その隙に逃げられるかもしれないし」
私達がいる場所はお風呂場ではない。リビングの、ミラーカ王女が縛られている目の前である。
滴る水が床を濡らし、部屋中に染みが出来てしまっている。
「こんなに部屋を濡らして。後でメイド達が困りますわ」
「なんかすみません」
ミラーカ王女はため息を吐いた。私達と王女の関係は“誘拐犯と被害者”であるはずなのに、そうとは思えないほど彼女は馴染んでいる。縛られてるけど。
「よし、こんなもんかな。大体拭き終わったよ」
達成感のある顔でヒナタは言った。
確かにゾワゾワする感覚はほとんど消えていて、身体も十分に動かせる。
けど⋯⋯。
「待ってください」
気がつくと、私はヒナタを呼び止めていた。私にタオルを返そうとしていた手を止め、不思議そうに首を傾げる。
「まだ⋯⋯まだ、拭き終わってないです」
「あれ、まだ拭いてないとこあったっけ。どこ?」
おかしいな。
自分は何を言おうとしているのだろう。
口の中が乾いてきたのが分かった。恥ずかしさで目が潤む。しかし、私は言葉を続けた。
「し、しっぽ。しっぽがまだムズムズしてて⋯⋯拭いて貰えませんか?」
顔が熱い。
自然と上目遣いになりながらも、私は精一杯ヒナタに“お願い”する。自分の口から出たとは思えないような、とても甘えた声だった。
「そ、そっか。しっぽか。えぇと、でもしっぽって好きな人にしか触らせちゃいけないんじゃ⋯⋯」
ヒナタは声を上擦らせながら返事をした。私と同じく頬が紅潮し、瞳が緊張で揺れている。
手に持ったタオルが空中をさ迷い、何かと葛藤しているかのようだった。
「だめ、ですか?」
自分の唇から紡がれるのは、あざといくらいに媚びた声。
無意識のうちに、私は自分を少しでも可愛らしく見せようとしていた。こてっと首を傾けながらヒナタの手を掴み、自分の胸に押し当てる。
「青春してますわね~」
遠くで面白がるような声が聞こえた。
『邪魔すんな』というメッセージを込めて睨み付けると、ミラーカ王女はムスッとしながら顔を反らした。
「わ、わたしは⋯⋯⋯」
ヒナタは固まっていた。
目線が泳ぎ、口をパクパクと無意味に開閉させている。真っ赤になった顔からは、理性と感情が戦っているのが一目で分かった。
私は待つ。ヒナタの返事を。
緊張と羞恥で視界が歪んでも、視線はヒナタから外さない。期待と不安と、ほんの少しの淫欲が身を焦がす。
「わたしは⋯⋯⋯⋯⋯⋯ち、ちょっとお風呂入って来ようかなっ!!」
「え、あっ、ヒナタ!? 待ってくださいっ!」
ヒナタは誤魔化すように大きな声を上げ、お風呂場に走った。
私の制止の声も振りきり、すごい速さで視界から消えていく。
「うそぉー⋯⋯」
「あの根性なし、逃げましたわね。これだから勇者はダメなんですの。どいつもこいつもヘタレばっか」
唖然とする私と、憤慨する王女。
どうやらヒナタは返事をくれないらしい。緊張が一気に解けて、私はヘナヘナと座り込んでしまった。
「やっぱりヤるなら冒険者に限りますわ! 日本人なんかよりもかに器が大きくて男らしいですもの!」
ミラーカ王女は王族とは思えないようなことを叫んでいる。体をジタバタと暴れさせ、ベッドの上で跳ね回りながら怒りを表現している。
────むぅ。失敗しちゃったか。
煮え切らない態度のヒナタにムカついて、落ちていた枕にパンチする。ボフっという音と共に拳がめり込んだ。
「いつか、絶対触ってもらうんだから」
続けざまに連続ジャブ。
猫パンチを受け枕の形が変わっていく。
「ヒナタ、首を洗って待っていて下さい!」
「そう、その意気ですわ! あの鈍感バカに思い知らせてやりますのよ!」
私は枕から羽毛が漏れ出すまで、ひたすら猫パンチを続けていた。