部屋の中を包むのは、張り詰めたような空気。誰も何も喋らず、緊張を含んだ静けさが立ち込めていた。
窓の外から見えるのは、闇に染まった城下と月明かりのみ。もしシャンデリアの明かりを消せば、この部屋も一切の光が無くなるだろう。
時刻は夜の11時40分。脱出決行の時間まで、あと20分だ。
「作戦を確認するよ」
ヒナタの声が沈黙を破った。
真剣な声音に振り向くと、緊張した彼女の顔があった。
「まず、12時ぴったりにアリアの秘密兵器が作動して、衛兵の注目が中庭に集まる」
「はい。中庭は正門からそう遠くないので、正門の衛兵もそちらに気をとられると思います」
私はヒナタの言葉に頷きながら補足する。自分の声に不安の色が混ざっているのを感じた。
「そして王城が混乱に包まれてから暫くした後、騒動に乗じて正門から逃げる」
「その通りです。城下町に出てさえしまえば、後は簡単だと思います」
城下町の端にはスラムが広がっていて、そこに行けば騎士団の目も届かない。だからスラムにたどり着きさえすればもう大丈夫。
そう思っていたのだが────
「甘いですわね」
ミラーカ王女が私達の作戦に異議を唱えた。
脱出の時、彼女は縛り付けて部屋に放置することになっている。人質として担いで逃げるか迷ったけれど、少しでも目立たないためにはここに残した方が良いと判断したためだ。
「どういうことですか?」
「城下町に出てもまだ安心は出来ませんわよ。最近は町の警備が強化されてますの。魔物の発生で他国からの難民が増えたせいですわ」
私が訊ねると、ミラーカ王女は厳しい目付きで答えた。
「城を出たらすぐ、西の街道からルチアという港町に向かいなさい。そしてそこから船に乗ってシーボルト首長国に行くといいですの。シーボルト首長国は勇者を欲していたので、歓迎してくれると思いますわ」
ミラーカ王女はスラスラと答える。まるで、縛られてる間に私達がどうしたら逃げ切れるかを考えてくれていたかのように。
「ミラーカ⋯⋯ありがとう」
ヒナタも私と同じ事を思ったのか、作戦を補強してくれたミラーカ王女にお礼を言った。
「ふん、礼には及びませんわ。その変わり、絶対に逃げ切るんですのよ」
王女様は普段通りの高圧的な表情だ。人を見下すような、鼻につく顔。でも今はなんとなく優しい雰囲気を纏っているように見える。
「最後に、ちょっとした餞別をあげますわ。ありがたく受け取りなさい。“ミラージュ”!」
顔色を変えず、流れるようにミラーカ王女は魔法の詠唱をした。私とヒナタが驚く中、ミラーカ王女からヒナタに向かって光が放たれる。
「ま、魔法!?」
まずい、油断していた。
まさかこの瞬間にヒナタに攻撃してくるとは。
傍らに置いてあったナイフを王女に向けつつ、私はヒナタに駆け寄る。光はヒナタの頭部を包み込み、怪しげに点滅している。
「一体ヒナタに何をしたんですか!」
私はミラーカ王女に怒鳴った。しかし彼女は平然とした態度を崩さない。ヒナタの頭部は未だ光を帯びていて、何かしらの魔法の影響を受けていることは明らかだ。
「アリア、わたしは大丈夫。痛くも何ともないし、ミラーカは攻撃してきたわけじゃなさそうだよ」
「な、何を呑気なことを」
頭を光らせながらヒナタは言った。
ミラーカ王女のことを完全に信用しきったような声だった。
しかしヒナタがそう言うなら仕方ない。警戒は続けながらも、私はナイフを下ろす。
それから一分ほどが経った後、ついに光が収まった。
そこには────
「おお~、髪の色が変わってる!」
「幻惑魔法ですのよ。黒髪なんて目立つ色じゃ、逃げ切るなんて到底無理な話ですもの。少なくとも、これで身バレの確率は減ったと思いますわ」
ミルクティーを溶かしたような亜麻色の髪をした、嬉しそうな様子のヒナタ。自分の髪を手に、ニコニコとミラーカ王女と会話している。
「げ、幻惑魔法なんてそんな簡単に出来るものじゃ⋯⋯」
「わたくしは魔法が得意なんですの。魔勇者様ほどではないですが、このくらいなら造作もないですわ」
マジか、ミラーカ王女すごいな。
確か幻惑魔法はちょっとやそっと練習したくらいじゃ使えない筈だ。
それにしても⋯⋯。
「⋯⋯どうしてここまでしてくれるんですか?」
私は思わず尋ねていた。
正直、あまりにも私達に協力的で逆に怪しい。何か他に狙いがあるのかと疑いたくなる。
そもそも、この人はヒナタを傷つけていたはずだ。ヒナタからは、ミラーカ王女がいじめの主犯格だったと聞いている。
「私には貴方が分かりません。ヒナタを苛めていたかと思えば、私達を助けるような行動をとる。一体何が目的なんですか?」
自然と口調が強くなっていく。
端から見たら、まるで私がミラーカ王女を尋問しているかのように見えるだろう。
しかしミラーカ王女は動じない。何も答えず、私に目も合わせない。
本当、何を考えているかよく分からない人だ。
「多分、ミラーカは初めからわたしを助けてくれようとしてたんだと思う」
ヒナタの声が横から聞こえた。
ミラーカへの感謝が滲んだ、柔らかい声だった。
「もしもミラーカがわたしを苛めなかったら、わたしは死んでいた。違う?」
ここでミラーカの表情が初めて動いた。目を見開き、驚きに満ちた顔でヒナタの方を見る。
「“邪淫の悪魔”。昔、この王国を陥れようとした魔族に、そんな名前で呼ばれてるヤツがいるんでしょ?」
ミラーカ王女の視線を受けながらもヒナタは続けた。力強く、確信を秘めた口調だった。
「わたしはその“邪淫の悪魔”と同じ身体をしていた。だから、本当ならその魔族の仲間だってことで処刑されてたんじゃない?」
⋯⋯ヒナタと同じ身体?
どういうことだろう。
私にはヒナタの話がよく分からなかった。
なんでここでその魔族が出てくるのか。
なんでヒナタがその魔族の仲間に間違われて、処刑されなきゃいけなかったのか。
「そこでミラーカは『わたしが無力な落ちこぼれだ』っていう噂を流した。少しでもわたしが危険じゃないって広めるために」
私を置いてけぼりにしたまま、ヒナタは続ける。おそらくヒナタが苛められていた“本当の理由”に関係した話なのだろう。私には決して話そうとしなかった秘密についての。
「わたしを攻撃したのも、わたしに対する城の人達の恐怖を少しでも和らげるため。『この勇者は苛めても反抗できない、弱い存在だ』って示したかったんでしょ」
⋯⋯よく分からない。
よく分からないけど、ミラーカ王女のいじめには何かしらの理由が合ったということは理解できた。
そんな風に私が頭を捻らせていると、ずっと黙って聞いていたミラーカ王女の声が聞こえた。
「随分わたくしを美化して下さるようですが、流石にそこまで深く考えていたわけではないですわ。わたくしが貴方のことを嫌っていたことは事実ですもの」
「あ、嫌われてたんだ」
「はい、嫌いでしたわ。というより今も嫌いですの」
ずけずけと物を言う王女に、傷ついたような顔をしたヒナタ。
ちょっとだけ涙目になっている。
かわいい。
「でも、だからと言って処刑されていいわけでは無いって思ったんですの。たったそれだけですわ」
そう言って、ミラーカ王女は笑った。
普段の彼女からは考えられないような、優しい微笑みだった。
「⋯⋯ありがとね、ミラーカ」
「お礼は態度で示しなさい。絶対に生きて、アリアと幸せになるんですの」
思わず口があんぐり開いた。
初めて王女から名前で呼ばれたからだ。
しかし王女は依然としてヒナタを見ている。
「アリアと二人で逃げなさい。離れては駄目ですの。それが、貴方達が生き延びる唯一の道ですわ」
まるでヒナタの母親みたいだ。
どことなく凛々しさを感じさせる王女の横顔を見て、私はそう思った。
ヒナタを諭し、導くような言葉。
そんな母性のあるミラーカ王女の声を聞いて。
私は────
「ホァタァァ!」
思いっ切り王女の頭を叩いた。
「いたッ! ちょ、いきなり何しますの!?」
「貴方にそんなこと言われなくても、私はヒナタから離れませんから! ぜったい、ぜ~ったい、離れませんから!!」
渾身の力を視線に込めて、私は叫ぶ。
「例え、ヒナタが私から離れようとしてもっ! 意地でも離しません!! 命懸けでしがみつきます!」
持てる全ての覇気を纏って。
全身全霊、私は言外に伝えた。
『ヒナタが私から離れようしていることを、私が気づいていないとでも?』
貴方が母なら私は嫁だ。
夫を支え、一番近くで見続ける嫁なのだ。
ヒナタの考えることなんて、私にはお見通しだ。
「貴方は遠くで見てれば良いんです。私がヒナタを幸せにしますから、指を咥えて眺めてて下さい」
ヒナタは私が離さない。
逃げたとしても、地の果てまで追っていく。
そして地の果てでマイホーム立てて子供を3人つくって幸せになってやる。
「
私は吐き捨てるようにそう言った。
嫁姑戦争は一旦休戦。
またいつか、再開するときにまで決着は取っておく。
「ヒナタ、行きますよ。そろそろ時間です」
私は王女に背を向けて、扉へと歩きだす。
その瞬間────爆音。
見計らったかのように、私の仕掛けた“時限爆弾”が作動したようだ。
耳をつんざくような大きな音に、腹の奥が震える。
「さあ、脱出を始めましょう」
嫁姑戦争に縮こまっていたヘタレ勇者が、私の言葉にコクコクと頷いた。