「ねえ、座長さん……?」
目も開けぬまま囁くような声は蜉蝣の翅よりも薄く、脆く。
マシュは「もう一度ラヴィニアを捜してみる」と諦めることを知らず、結果部屋にはアビゲイル・ウィリアムズと藤丸立香だけの空間で、病人のみならずその看護までもが動けずにいた。
「熱いわ……。体がとても熱いの」
何故ならば。
「でもわかるの。これは熱病なんかじゃないって」
人類最後のマスターは、これを知っている。男に抱かれて生きてきた女を、それを武器として扱う様を目の当たりにしてきたから。
「火照っているって、言うのよね……? お腹の奥が熱を持つの」
輪郭も曖昧な瞳を蕩かして、ああ、この少女は『誘って』いる。
「ねえ、座長さん」
1度目と変わらない蜉蝣の声。けれど、それは、たましいを震わすような律動を持って、
「熱に触れてはくれませんか……?」
「私に、傷を付けてはくれませんか……?」
──藤丸立香を縛り付ける。
「汗を、拭くよ」
*
「ふ、ぅん」
手の甲、二の腕、肩、首筋。
順に口づけをする度にアビゲイル・ウィリアムズは小さく震えた。服を脱いだことによる寒さではない。わかりきった『予感』がアビゲイルの晒された肌を粟立たせていた。
首筋に跡を付け終わった藤丸立香が頭を上げると、この部屋に二人残されてから初めてと言って良いだろう、二人の視線がかち合った。視線はしかしすぐに少しだけ下へ、唇に留まる。「この唇が今、私に」ごく短期の追思に気取られた隙に彼女は腰を抱き寄せられて、唇と唇が触れていた。最初は本当に触れるだけの、息継ぎを一度挟んでからは互いに舌を求め合う性愛のキスを。
そこから次の段階へ進むのに言葉は無かった。いやむしろ、其処へは一足飛びに到達したのだ。少女の肉体への侵入は、本来行われるべき前戯の類を一切経ずに果たされた。少女が求めていたのは、快楽ではなく痛みだったから。
まず最初に来たのは明確な異物感。次いで肉が裂ける感覚。それらの後、一瞬だけ覚悟のためのような時間を置いて、灼熱感が濁流の様に流れ込んできた。
「────い、いぃぃっ!!」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
転んで膝を擦りむいたときよりも、悪戯を叱られて打擲されたときよりも、これまでの人生で得たどの痛みよりも鮮烈な痛みがアビゲイルを苛んでいる。脳の全ては痛覚で塗りつぶされて、舌は痛い、の三音すら形作れずに、けだものの唸り声のような音だけが口から漏れる。
しかも、
「うう、ぐぅぅぅぅあぁぁぁあっ!!」
終わらない。痛みのピークが瞬間瞬間で更新されてゆく。当然のことだ。今まさに開かれたその傷口を、ずっと抉られ続けているのだから。
「ごめんよ、アビー」
ごつり、ごつりと少年は傷口を、臓腑を抉りながら、泣いていた。未成熟な肢体を犯して得られるものなぞ異常者のための悦楽でしかない。異常者ではない少年にはこれが愛などではなく、薄汚れた暴力のかたちを為ていることが分かりきっていた。ただ罪悪感が針のむしろの様に少年の全身を刺すように苛んでいた。
けれど、少女は、笑った。少なくとも少年にはそのように見えた。それに見惚れて、一瞬だけ少年の情けない注挿運動が止まった。少年の泣き顔に手を伸ばし、涙を拭って、少女は言うのだ。「悪い子の私は罰を受けても当然なの」と。
こんな物が罰であってたまるか、と我が身を棚に上げて荒げた声は、その応えを知っていたかのような「いいえ」の三文字で遮られた。
「私は、いいえ、私たちは皆罪人なのよ。偉大なる神の御子が原罪を全て背負って行かれたというのに、誰もがこんなにも罪深い」
「だから、」
不意を突かれたように、少年の視界がグルリと半回転した。
いや、違う。回ったのは世界ではなく彼自身の位置だ。
少女自身の身体を軸として90°、少年に軸を移してまた90°の合計半回転。繋がったまま行われたそれは二人の今の精神的な関係を如実に示していた。
すなわち、少女が上、少年が下。
ダラリと髪を下げて少年の顔に影を落とし、アビゲイル・ウィリアムズは言う。
「だからこの『罰』を受け入れましょう?」
笑っている。
「ちょっと敬虔ではないかも知れないけど、それでも貴方は善良だから」
見間違いようのない、ニタニタとゆがんだ悪意の笑みだ。
「私みたいな幼い子を犯すのが、とてもとても辛いのでしょう?」
顔に触れてくる彼女の手に脳内で危険信号が鳴り響くのを少年は聞いて、それでもなお動けずにいた。
「大丈夫、良くしてあげるわ。忘れられないほどに」
「私は悪い子だから」
瞬間、ゾクリと皮膚が裏返るような感覚が腰から 脳天にまで突き抜けた。恐怖ではない、性感だ。少女も少年も微動だにしていないのに、少女の裡だけが、縦横無尽に擦り上げ、吸い上げてくる。
半ば反射的に逃れようと上体を起こしたが、両腕が上がらない。しかし何故、と確かめる間もなく少女の口が、また少年の口を塞いでいた。
少女の舌が入り込んでくるのを阻む余裕は無かった。やすやすと侵入したそれの粘膜に触れたところからも今、腰の下から走るあの感覚が走る。
限界だった。ドク、ドク、と自らが脈動しているのがわかる。なんて、罪深い。自らの心にひびが入る音を、少年は聞いた。
けれど、そこで終わりではなかった。
余りにも近い位置にあるその瞳は依然悪意の笑みを崩しておらず、精が放たれている今も尚、少女の蠕動は止まらない。
口腔を一通り蹂躙し終わったその舌は、持ち主の元へは帰らず、むしろより先へ、喉の奥へと進んだ。他人の舌という異物の侵入に少年は反射的にえづくが抵抗は意味をなさなかった。
舌に喉奥を犯されている。食べ物ではないものを腹に入れるのがこれほど苦しいとは、しかし、自分には相応しい苦痛だと思った。舌は少年が彼女にしたように、彼の臓腑への注挿運動が行われた。挿入る度に喉が拡張され、そのための器官に変えられていくようだった。引き抜かれるときは内蔵も全て一緒に持って行かれる様な喪失感があった。しかしそれも次の挿入で乱暴に満たされた。喪失と充足が交互に脳髄を埋め尽くす。純粋な暴力に耐えれるようにと脳が快楽物質を垂れ流しているのを自覚できた。嗚呼けれど、ヒトの舌とはこんなにも太く、飲み込みにくいものなのか?
疑問が、視線を少女以外へと向けさせた。例えば、何故か動かなかった両腕。見てしまえば何のことはない。ただ単に縛られて動けなかっただけだ。腕に巻き付いているのが灰色の、恐らくは頭足類の持つ指を持たない手、触手と呼ばれるものでなければ、だが。