得体の知れない男に捕まり、身包みを剥がれ。
嫌な予感が現実になる悪寒。それが、関朗の目前に迫っていた筈だった。
「やぁ、やぁ。元気にしていたみたいで何よりだ」
暗転の後に聞こえたのは、聞き覚えの無い女の声。
何時の間にか閉じた目を開けば、照らす灯が関朗の目を眩ませる。
「急に悪い」
男の声。こちらも関朗には覚えが無い。
「ああ、本当に急だ。お陰で茶菓子が用意出来なかった。精々、お湯を沸かしておくくらいしか出来なかったよ。ああ、心配しないで大丈夫。関朗くんの分のカップもあるから」
急に話題を振られ、目を瞬かせる関朗。涙に滲んだ視界に、薄らと像が結ばれていく。
「ミルクやレモンはいるかな? 生憎、レモンはずうっと切らしているけれど、ミルクなら何時でもあるからね。どちらを先に入れようか。こだわりはある? 砂糖は? 一つ? 三つ? ああ、茶葉はどうしよう。ドリュアス? アルルーン? アルルーンならファーストフラッシュがあるんだ。これはスコーンに合うと思うんだけどね、残念だなあ。込み入った話で申し訳無いけど、君は何がいい?」
怒涛の如き問い掛けは全て聞き流され、関朗は声の主をようやく見る。
極彩色の髪。緋の目。大きな頭巾──シルクハットという言葉は、関朗は知らなかった──を被り、手足から身体付きまではっきりと分かる程の舶来服。
穢土の地に東西の文化が綯い交ぜられたとは言え、全てに浸透しているとは言い難い。関朗もまた、彼女の服装が穢土本来ではない程度にしか理解出来なかった。
「ああ、関朗君。何も心配しなくても良い。確かに私は男物の服を着ているし、口調もそれに近いだろう。けれど、私はれっきとした女だ。君の目を疑う必要はどこにもないよ。だから、そう不思議そうな顔をしないでくれたまえよ」
「誰もそんなの疑問に思わないと思うけどな」
的外れな言葉に、関朗の隣に立っていた男が指摘する。墨の様な黒髪に黒い装束。燻らせる煙管も黒ければ、出でる煙も黒い。
この男か? ──関朗は直感的に、先の暗転という異常の原因を見抜いていた。
「そう言わないでくれたまえよ、早見君。私の男装のせいで彼の性癖が捻じ曲がってしまったら、取り返しのつかないことだろう? きちんと説明して、健全な方向でリビドーを持ってもらわないといけない。トラブルを避けるにはトラブルの種を取り除いておかないと」
まるで演劇をするかのように、くるくると動き回る女性。饒舌さは留まるところを知らず、早見も顔を顰める。
関朗は男装という言葉を咀嚼するが、目の前で踊る女性の身体を見て全く同意は出来そうに無かった。主張の激しい胸は衣服で窮屈そうに仕舞われているのは見て取れたし、くびれた腰回りは抱き心地を延々と夢想させる。浅葱色の下履きに包まれた脚は、細身でありながら肉感を表す衣服が余計に欲情を駆り立てた。
「おや?」
ぴたり、と女性の動きが止まる。弾かれた様に顔を上がる関朗は、止まった女性の目と容易く合ってしまう。
徐々に細まる目に危機感を覚え、必死に目を逸らした関朗は、女性の被っていた帽子に留められた紙切れへと目を走らせた。
「
「ああ、この店の名前だよ。ボクはここのしがない職工さ。帽子だったら何でも御座れ、帽子以外は何にも駄目。哀れな帽子屋を以後お見知り置きを、関朗君」
ふわり、と帽子を脱ぎ、大仰に礼をする帽子屋──職工。『10匁9文』と値札に見えない値札を付けた帽子が、関朗の頬を撫でた。
帽子屋という言葉を受け、ようやく関朗は周りに目をやる。壁や棚、天井にまで、至る所に帽子がある。これが帽子屋でなければ何だ、と言わんばかりに。
「帽子屋なら、なんで茶の話を?」
「こいつの趣味だ。気にしない方がいい」
「つれないなあ、早見君は。いくらお依さんでも、お茶会くらいで目くじら立てたりしないさ。そうだろう?」
「当然。私の奢りにするくらいの余裕は見せるとも」
気配を感じさせずにいたお依が、早見に背後から凭れ掛かる。顎を肩に載せながら抱き着く仕草は、どこか童の様でもあった。
「素晴らしい。これこそが夫婦だ。羨ましい。いつか本当にお茶会へ来てもらいたいところだ。あっと、忘れるところだった。関朗君。先の込み合った話の続きは良いかな? 茶菓子なんだけども、すぐ近くの店で美味しいクッキーを焼いてるところがあったのを思い出した。スコーンの代わりにはならないかもしれないけど、なかなかいけると思うんだ。それと、君に用意したカップは三種類ほどあってね。どれも君に相応しく格好いいものだけど、やっぱり本人に選んで貰いたい。金の縁取りがしてあるのとかは落ち着かないかな? 湯呑もあることにはあるんだけど、私はどうにもそういうものの目利きが難しくてね。それで──」
言葉の濁流は数分間止まる事は無く、関朗はただ溺れ、早見とお依は互いの手を握りながら天井の染みを数えていた。
◆
帽子屋曰く込み合った話を解決した後。
四人は暮稚児の奥で机を囲み、紅茶を楽しむ事となった。
「皆で味わった方が、より美味しいだろう?」
そう語る帽子屋。言われたところで茶の味など分からない関朗だが、その香りは嫌いなものではなかった。
茶菓子の代わりに、先の出来事の顛末を、早見から説明する事となった。
「つまり?」
「うちの旦那が助けてくれたって訳」
ありがとうね、と言いながら、早見の頬へ唇を当てるお依。しかし、早見は口をへの字に曲げたままだ。
「好き勝手にするなら限度を考えろよ」
「悪かったってば、もう」
お依はすっかり甘えた風に早見へじゃれつく。これ以上は言っても無駄と判断したのか、溜め息を吐いてされるがままになる。
「どうせ行く当ては岡場所しかないって分かってたからな。少しばかり聞き込みしてから向かってみれば、妙な泣き声がする。とりあえずそれを辿ってみれば、という訳だ」
「……よくあの状況で助けられたな」
「別に大した事はしてない」
謙遜のまるでない、本音の言葉だった。事実、早見は単に目暗ましを用いたに過ぎなかった。
「妻のピンチに颯爽登場、というのは、大金星モノだとは思うよ? そこは胸を張り給え」
「本当なら危険に陥る前に引き留めるべきだったんだがな」
「そこはほら、山あり谷ありじゃないと面白くないだろう? 平坦な展開なんて、誰も楽しめはしないよ」
「そんな理由で無理に作られる山や谷を越える奴の気持ちを考えて欲しいところだ」
心底疲れる、と言う早見に、お依と帽子屋はくつくつと笑う。
「何故帽子屋に連れて来たんだ」
笑い声を無視して、関朗が早見に問い掛ける。
「近場で、ちょっとばかし用件があったからな」
「良いとも。何でも言ってくれたまえよ」
ずい、と早見へ顔を近づける帽子屋。それを面倒くさそうに、関朗の方へと押しやる。
「それなら──あの嘆き女の情報をくれ」
「おや。私がそんなものを持っていると?」
「この穢土で、お前以上の帽子屋が居るものかよ。あんな上等な帽子を持っている奴とお前に繋がりが無いとは思えない」
早見の言葉に、関朗は嘆き女の姿を再度思い起こす。黒い帽子に、レースで隠れた顔。遠目にも上玉と分かる体の線に、色艶めく泣き声。
「嬉しい事を言ってくれるね。そういう文句が奥さんを口説けたのかな?」
「茶化すな」
「いやそれが口説いたなんてものじゃなくて縋り付くように」
「ちょっと静かにしてて」
馴れ初め話を語ろうとする口を早見が塞ぐ。その様子を心底おかしそうに眺める帽子屋。
埒が明かない様に、たまらず関朗も口を挟む。
「知っている事があるなら教えてくれ。出来る事ならする」
「──そうだなぁ」
くい、とカップを傾ける帽子屋。
隠された口元が緩んでいた事に、関朗は気付かなかった。
「少し、味見をさせてもらえたら、良いよ」