方や真黒の影法師。真黒の髪に真黒の装束、真黒の煙管を燻らせながら、真黒の煙を纏った傾奇者。
方や古山の巌。刻まれた皺と浮かぶ白髪は年を感じさせるが、老いなど無縁の眼光を宿らせた壮年。
異様な風体の二人が、卓袱台を挟んで向き合っていた。
「改めまして。儂は千寿の
巌の壮年はそう名乗り、恭しくお辞儀をする。
「どうもご丁寧に。
早見もそれに応じる。如何に世間で蛇蝎の如き扱いを受ける忘八者であったとしても、ここ縁螺亭の中であれば、その立場に差はありもしない。
ましてや、化外や外道の類である早見。人の中で八徳を無くした程度の者を軽んじるだの嫌うだのはおかしな話というもの。
「さて、何やら訳あり厄ありのご相談という事でお越ししたという話ですが。早速聞かせていただけませんか」
ズバリ切り出す早見。白藤は応とばかりに頷くが、その口元は芳しくない。
その面に浮かぶ色は、間違いなく悩み疲れたもの。しかし、いざ話そうとしてみれば、どこから語ればいいかに迷う。
それは、道理にそぐう相談事とは異なる故の迷い。早見にとっては、お依頼人となる者の持つ特徴の一つに過ぎない。故にのんびりと茶を啜り、言葉を待つ。
どうにかこうにか取っ掛かりを探る白藤は、少しばかり唸りつつ、ようやく一言捻り出した。
「泣くのです」
◆
千寿の岡場所――要は花街である――の忘八達は、女に悩まされているという。
単なる厄介者とは違う。しつこく言い寄られるでもない。
女はそこに居るだけ。岡場所の入り口前、橋を渡った先の暗がりに茂る柳の下。声を掛けてくるでもなく、ただ、そこに居るだけ。
ただ、泣きながら、そこに居るだけ。
女の涙に苦しむほどの純情な忘八者などいない。むしろ泣かせる事こそ仕事の内。人間を人形に、人形を女にする忘八にとって、涙は涎、糞尿と変わりはしない。
しかし、どうにも忘八達にとって、その女の泣き声は特異なものだった。
耳に入るだけで、亡くしたはずの心に細波が立つ。掻き乱される。堪えようも無いほどに。耐えることが許されない程に――男としての本能を刺激された。
流石の忘八達もこれには参った。何せ、商売女と一番近くにいる男だ。盛って襲うなどとなれば、女を傷付ける事になる。
客はと言うと、最初の内は面白がっている者もいたものの、すぐに不気味さが先に立ち、徐々に遠のいていっていた。
「で、その迷惑な娘っ子が誰か、一体何なのかを調べて欲しいと」
「へぇ、その通りで」
見た目とは裏腹に懇切丁寧な語りを披露した白藤に、まるで最初から座っていたかのように早見の膝に座るお依が要点を纏めた。
白藤は突然現れたお依に驚くことなく、平然としている。それは彼の肝が太いからではない事を知っている早見は、呆れ顔をお依に向ける。
「お前なぁ……」
「何、気にしない、気にしない。ふぅむ、しかし、泣く女ねぇ」
にやにやと笑うお依。しかしその顔は、すぐに思案するものに変わる。
「忘八の仕切りともなれば、どうとでも人を使えると思うがねぇ。どうしてまた、うちに来たのさ」
至極まともな質問に、白藤は少し目を瞑る。
「追わせた男は皆、いなくなっちまいやしてね」
◆
白藤が帰った後。
早見、お依、母浦の三人は、先ほど白藤を通していた居間に揃っていた。
「さて」
早見が切り出す。
「泣き声で情欲を誘う妖娘、という訳だが」
膝に座り、早見へ縋りつくような形でだらけるお依が口を開く。
「覚えがあるよ、そういう娘は。
「はい。確か、死に見初められた者に惹かれるのだとか」
静かに控えていた母浦が応える。
混然とした穢土の地において、妖娘は珍しいものではない。それでも、居る種族居ない種族というものは勿論ある。
その中で、嘆き女――バンシーは、あまり見られるものではない。
死を呼び、死を引き連れ、死に誘い、死と共にある。そういった風評が薄く流れている程度だ。
「と、言うことは、なんだい。あの白藤の旦那はそろそろくたばるっつぅ事なのかねぇ」
「そうとは限らないだろう。他の忘八者か、女の方かも分からない」
しかし。早見には、誰が死にそうなのか、という事よりも、より気に掛かっている事がある。
「それにしても、追手の男衆らが消えてると言うのが、な」
忘八者の中で、足抜けはありえない。皆が膝に傷を持つ者、とまではいかないが、それでも後ろめたい過去を持つ者達。そこでしか生きられない者ばかりなのだ。
十手を携える者から逃れるには、忘八にでもなるしかないと言われる程。廓から離れる時は死ぬ時と同義。
そんな者らが、女を追い掛けるだけで消えると言うのは――
「こいつぁ、私ら好みの案件かねぇ」
気味の悪い依頼を、薄ら笑いであっさりと宣うお依。思わず早見も口をへの字に曲げるが、膝の上の美女はそれすらもにやける種にする。
「とりあえずは、娘の氏素性から調べるか。少し出掛けてくる。母浦、屋敷を頼むよ」
「畏まりました、主様」
了承する母浦。その所作は、屋敷の主が全幅の信頼を寄せるに値する。
さて、と早見が立ち上がり――何時の間にやらお依が膝に居ない事に気付くと同時。
「ん? どうかしたかい?」
当然に絡むお依の右手と、早見の左手。温もりを伝え合う両の手は、まるであるべき形の様だ。
変わらず笑顔のまま、しかしお依の顔は、先より華やいでいる。早見の目にはそう映った。
「……いや、いい。行くとするか」
「勿論、勿論」
連れ立っていく二人。それを礼で見送る母浦。パタパタと歩いていく音。
「よし」
パン、と拍手を一つ。母浦にとっては、ここからが勝負だ。
二人が帰ってくるまで屋敷を任されたのだ。完璧にこなす為に、まずは掃除と、洗濯と――