およそ四十間ほどの長さの橋を越えた先を眺める、早見とお依。
高い壁に立派な門構えは城か何かと見まごう程だが、あれこそが依頼主の生業の地に他ならない。
「この河の向こうが、千寿の岡場所か」
穢土から
諸々の事情で禁じられている遊女屋の営業を、ここでは認められていた。
「男が女を抱くのに、こんな場所が必要だなんてねぇ。不自由じゃあないかい?」
「どんな男だって抱きに来れるんだ。世話になってる奴は多いと思うぞ」
それに、無軌道な風紀の乱れより、統制された淫乱を選んだお上の判断は、恐らく間違いでは無いだろう。街道に作られた岡場所は、そこにあるだけで利点となり得る。
廓というものは、人が居なければ成立するものではない。しかも、出来れば流れ者が多いほど良い。後腐れなく遊びに行ければこそ、男も割り切って遊べるのだから。
同時に、人の流れに伴い廓は作られる。作られなければならない。
人――男というものは、兎に角『女』を抱く事に執着をする。
何も、妖娘のような性質がある訳じゃあない。精が欲しいだのではなく、単に快楽悦楽の為だ。
当たり前、とは思うだろう。しかし、これが馬鹿にならない場合がある。
たとえば土木の工事を行う人足は、その全てが男だ。食うに困る者や出稼ぎに来る者らが多い訳だが、全ての者らが従順に働き続けられる訳がない。
日照りが続けば渇いていく。それは雨でも女でも同じ事。
作業夫達の仕事の効率を下げないよう、慰安として女が来る事は不思議ではない。簡単な廓の成り立ちだ。
日煌街道の整備、並び、早見らが見ていた橋――千寿橋の建設においても、その起源は変わらない。ただそこにあるだけで人の流れを作り、貢献している。
千寿岡場所が他の廓と異なったのは、女の手入れや汚れ物の処理が容易である川の近くであり、街道整備の以前から元々、物流に恵まれていた事。宿場となって然るべき場所だったのだ。
そこから繋がっていく道も、そこへ繋がる道も、自然と人が多くなり、人々の足で踏み均され、整備されていく。
「発展に一番良いのは人の欲だな。何事にも」
「何か言ったかい、旦那様?」
独り言ちた早見の顔を、お依が覗き込む。
「いや、何から手を付けようかと思ってな」
「そうだねぇ。少し早く着いちまったようだし」
「急いだのはお前だろう、依」
縁螺亭から千寿はそれほど離れてはいない。一刻半程度歩けば着いてしまう。
岡場所は夜こそが本番なのだから、それほど早く着く必要は無い。早見としては、途中途中で情報屋にでも顔を出そうと思っていたのだが――
「仕方ないじゃないか。早見と一緒にいるだけで楽しくて、足取りも軽くなるってものさ」
こんな文句を言いながら、好き勝手に歩いてしまうのだから早見にはどうしようも出来ない。
「昼の張見世もまだ見たいだな。未の刻(午後2時頃)からってのが相場だから当たり前か」
空の様子を見れば、まだ太陽が中天に届かない頃。一刻以上は余裕があるだろう。
「どこかで時間を潰すか、聞き込みでもするか」
「ああ、それなら」
僅かに歪んだ口許に、早見は気付かなかった。
「あそこに行かないかい?」
◆
「茶屋か」
岡場所前の橋から少し離れた路地。
流行ってる様子もない茶屋の前に、二人はいた。
「そうそう。客はいないみたいだし、ゆっくり出来ると思うよ? 団子でも咥えながら、さ」
早見がお依の表情をちらりと見るが、そこには喜色しか見られない。
茶屋という場所自体、休憩にも良いし、店員に尋ねるのも良い。
「そうだな。そうするか」
さほど迷わずに了承する早見。頷きで返すお依。
店内に入ると、すぐに女店員が早見へと駆け寄る。
「いらっしゃあい」
応対した店員に、早見は動揺した。
足元にまで伸びた髪は、早見の無造作な墨のような黒とは違い、薄暗い店内で受けた僅かな光にも輝く絹糸のようだ。間延びした声は優しげで、光を背にして影絵の様になった早見であっても当然に受け入れていた。反面、緩く着崩した衣服から見え隠れする店員の体は、毒々しい程に色香を振り撒く。普通の男であれば目を逸らしてしまうか、思わず顔を赤らめてしまうだろう。
早見もその例に漏れず、自然と視線を店員から外していた。
「何にしますかぁ?」
甘ったるい口調に、早見の口許が緩みそうになる。とりあえず茶を、と言おうとするが、妙に上ずってしまいそうで気恥ずかしい。
「ちょいとごめんよ」
もたつく隙に、お依が間に割って入る。そのまま店員の肩を掴み、すすす、と店の奥まで連れ立ってしまう。
早見としてはみっともない様子を晒さず済んだ――お依にバレているのは承知の上――のだが、今度はお依の意図が気になる。
色目を使う云々に拘る女ではないのは早見がよく知るところ。何を企んでいるのか。動揺が落ち着いてくると、何やら変な予感を感じてくる。
ものの数分で話は落ち着いたらしく、お依が早見の元へと戻る。
「何話してたんだ?」
当然の疑問を投げ掛けると、当然に腕を絡ませながら、お依が笑う。
「ちょおっと、話を着けただけさ。二階を好きに使ってもいいって、ね」
「二階? そんな金、どうするんだ」
「何、客はいないからタダで良いってさ。どうせなら、一等一番の場所が良いじゃないか。仕事前なんだから、のんびりしたってバチは当たらないよ」
早見の肩へ頬を当てながら言うお依。普通に会話をしている、筈だと言うのに、早見の耳にはそう届いていない。
お依の発する一音、一文字に、頭がくすぐられる。まるで、呼気さえ感じるほど近くで囁かれているかの様だ。先ほど沸いた疑念が鎌首をもたげる暇もない。
「……そう、だな」
なんとか、応とだけ返事をする。そんな早見の様子を見て、満足げに頷くお依と店員。早見は誘われるままに、店の奥へと進んでいくしかない。
暗く急な階段を昇ると、直ぐ前に障子の閉じた部屋が現れる。勝手知ったる、とばかりに、お依は障子を開き、早見を押し込んだ。
「依、お前」
一組の大きな布団に、二つの枕が置かれた部屋。問い質そうとする早見の声は、自身の耳には既に届かない。
届くべき両の穴は既に、女達のあたたかな真赤の舌に犯されていた。
突然の強襲に、まさしく蹂躙される早見の耳。外聞も無く口から漏れる叫び声は、二人の動きに勢いをつけていく。
お依が吸い付く右耳。店員が味わう左耳。水音に溺れていく。溺れさせられる。絶え間なく踊り、のたうち、貪ろうとする。くぐもる音。喜ぶような女達の吐息。
堪らず早見の膝は砕け、布団へと倒れ込もうとする。それを見計らっていた二人は、体を支えつつ、ゆっくりと――そして犯しながら、逃さない様に、共々布団へと横たわる。
蕩けさせるような音への沈溺は、叫ぶばかりの早見の口が辛うじての意思を振り絞り、止めてくれと言わせるまで続いた。
到底聞き入れられるとは思えない言葉。だが意外にも、お依と店員の舌はぴたりと止まった。
ゆっくりと抜かれる、ぬらぬらと照る赤い肉。
ぐぽり、と立てた音にすら、早見はびくりと体を震わせる。
その様子に、店員は
たった数分でありながら、否、数分にも渡る強姦に、息も絶え絶えとなっていた早見。辛うじて睨む程度の根性は残っていたが、それも何時まで保つかあやしい。
何故なら、彼本人は叱責をしようとしていたその表情も、お依にとっては嗜虐心を強く刺激するものに過ぎなかったからだ。
「本当に、止めていいのかい♥️ 早見も期待してたんだろう♥️ こぉんな風にぃ、してもらえるのを……さぁ♥️」
再び右耳に舌が触れる。今度は唐突な乱暴さではなく、外耳の輪郭をゆっくりとなぞっていく。
くすぐりよりはしっとりと、愛撫よりも軽やかに。弱い刺激にも呻きを抑えられず、布団へ口を押し当てる早見。
そんな涙ぐましい努力に、お依は夫への愛しさを昂らせる。可愛らしい姿をもっと見せて欲しい。もっと、もっと。遅々としていた舌の動きを唐突に早め、不意打ち気味に穴の奥へと潜り込ませた。布にも隠しきれない悲鳴に、胸を高鳴らせる。
「ん♥️ んぁ、れぇ♥️ ……ほぅら♥️ ちょっと耳奥まで這わせたらこれだ♥️ 本当に耳、弱いねえ♥️」
「お前の、舌に、耐えられる、もんか」
辛うじて紡がれた言葉は、文句のつもりか。ともすると惚気にも聞こえるが、今の早見にまともな考えを巡らせる余裕はないだろう。
「あらぁ、それじゃーあ……♥️」
今の言葉に、もう一人がどういう行動を取るかと予想も付かなかったのだから。
もっとも、どんな言葉を吐いたところで、そうなる事を先延ばしなど出来なかっただろうが。
「私の舌には耐えられるかどうか、試してみましょうかぁ?」
甘い言葉を反芻する暇もなく、早見の左耳が塞がれる。
太く、しかし柔らかい肉が、耳穴を完全に埋める。
漏れ聞こえる嬌声、それに呼応する様に蠢く舌。耳奥ごと揺さぶられる感覚に体が跳ねるが、その舌が抜けることは決して無い。むしろ動くほどに奥へ、より奥へと馴染んでいくようだ。
「気持ち良さそうだねぇ♥️ 気持ち良いもんねぇ♥️ お耳を犯して貰うのが大好きだから、仕方ないよねぇ♥️」
顔を布団へうずめたままの早見に、お依が嘲笑うかのような言葉を掛ける。文言とは裏腹に、その声色は子を諭す親の様に優しい。
「ほぅら、頑張って耐えなくちゃあ駄目だからねぇ♥️ また、情けない声が出ちゃうからねぇ♥️ あんなに可愛い声を聞かされたら、もっといじめたくなっちゃうからさぁ♥️」
それとも。
囁きと吐息が、右耳を撫でた。一際大きく、早見の体が痙攣する。
「もぉっといじめて欲しいなら、別だけどねぇ♥️」
左耳を塞いでいた舌が、動き始める。ゆっくり、ゆっくり、引き抜くように。
それに伴い、早見の耳穴も蠢いた。まるで舌へ吸い付くように張り付き、狭まっていく。
舌に空気すら押し出され、みっちりと詰められていた耳穴は、離れがたいとばかりに舌へ着いていく。
耳奥全てが舌と一体となり、頭中が裏返るかのような錯覚を覚える。耳壁の一部がようやく舌から離れても、抉るような快感を残していく。耐えられるものではない。
最愛の夫が上げた悲鳴に、その妻は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「まったく、早見は素直じゃあないもんねぇ♥️ こうでもしないと、本音が聞けないんだから♥️」
しょうがないねぇ、と。耳元で囁かれたのが先か、両耳が再び最奥まで塞がれたのが先か。
津波のように押し寄せる唾液の濁流が、早見の意識を融かしていった。