「話だけでも聞いちゃあくれねェかなァ、お蛍ちゃん。こっちも手ぶらじゃ帰れないんだよ」
「あらぁ、それならお団子でも包みましょうかぁ? 餡子か、胡麻か、みたらしとか?」
「そういうんで無くてさ、頼むよ本当に」
茶屋一階に降りた早見に、そんな会話が聞こえてくる。
入り口近くを見てみれば、そこにはお蛍と見慣れぬ小男。目は細く、口を尖らせ、鼠を思わせる形相だった。襟字に大きく「娚娚娚」と書かれた青い半纏を着ている。
そんな半纏男が、お蛍に言い寄っているようだった。お蛍はそれを適当に流しているのか、箒で辺りを掃くばかりだ。
階段を下る足音が聞こえたのか、半纏男がこちらを見る。
「おんや――」半纏男の口が卑しく歪んだ。「――二階にお客かい、お蛍ちゃん」
「そりゃあ、勿論。茶屋の二階にお客がいたら、おかしいですかぁ?」
「おかしかァないさ。おかしかァね。ただ……」
言葉尻を濁す半纏男。言いにくい、ではなく、言わずとも、と言った風に、口角を歪めている。
「お蛍ちゃん。あっしら忘八者らが、汗水流して血ィ滲ませて廓を営んでるのは分かるだろう」
「なんですかぁ? 急にそんな事言ってぇ、お団子はおまけしませんよぉ」
「いやそうでなくて。あっしらは、簡単に単純に男に女を抱かせてるのとは違う、って言いたいのさ。女は玉から磨き上げ、日々くすませずに保たせるのも。十手者らにゃ冥加金、玉出し玉引き
半纏男の目が、早見の服に走った。そこへ僅かに残る何かの染みへと惹かれる様に、半纏男が早見へ寄る。
ずい、と近寄る男の顔に、早見は思わず眉を潜めた。だが半纏男はそれに構う様子は無く、鼻をひくつかせる。
「昼間から女の匂いをさせるたァ、旦那も好き者だ」
困るんだよなぁ。にたりと笑う口は、言葉には合わない。
早見を押し退けるか躱すかギリギリのところで隣を抜け、二階へと上がっていく半纏男。
「あっしらが齷齪働く横で、簡単に女で稼がれちゃあ堪ったもんじゃあないって訳だ。そんな事、お蛍ちゃんはしないと信じていたけどなァ」
ああ、残念、残念。心にもない言葉と、ドスドス、と遠慮無い足音が響く。
つまり半纏男は、お蛍――この茶屋で廓の真似事をしてないか、と狙っていたようである。
その見立てはほぼ間違いないだろうと、早見はお蛍を見る。
「あれは、いつも来るのか?」
「まぁ、たまにですねぇ。借金も無ければ証拠も無いから因縁を付けようもないんだろうけど、少ぅしでも怪しいところがあればぁ……」
あの通り、と。茶とみたらし団子を盆に載せると、お蛍は早見を表の長椅子へ促した。早見はそれに礼を言いながらお代を渡す。
「となると、上の布団は面倒の種だったか」
「そうですねぇ。私達が楽しんでる最中にあの人が来てたら、もっと面倒だったかも」
『まぁ、でも』
不思議と重なる声。お互い、いま上にいる者がどういうものか、分かりきっている。
『
その言葉と同時に、二階の窓が開け放たれた。
早見が上を見やると、何かを懸命に探す様子の半纏男が顔を出していた。
「よう、何か見つかったかい」
早見が茶を啜りながら声を掛けるが、返事は無い。
代わりに鋭い――細い目を細めすぎて糸にしか見えない視線を早見に投げ掛け、ドタバタ音を立てながら降りてきた。
「旦那、旦那。隠し事は良くねえですよ。後でバレたら酷いんだ。裏切った事になるんですからねェ」
「おいおい、忘八がそんな事言うなんてちゃんちゃらおかしいだろうがよ。適当こくな」
「忘八だからこそ――ってな事も、あるんですがねェ」
おそらくは凄んでいるのだろう。尖り口から覗かせる歯は、恐れよりもおかしさを掻き立てる。端から見ていたお蛍は、笑うのを堪えているほどだ。
しかし、早見は笑っていられない。ここらの忘八と言えば、上にいるのは決まっている。あまり話を拗らせても良いことは無いだろう。
「あー、その、なんだ。早見って名前に聞き覚えは? 縁螺亭でも良い」
「生憎、ハヤニエにもエイヒレにも知り合いはいねェもんでして」
反応を伺うが、芳しくない。おそらく末端まで白藤は話を通してないのだろう、と早見はあたりをつけた。
それならば、と茶を飲み干し、笑顔を張り付け半纏男の見る。
「そうか、それなら自己紹介といこう俺は早見。お前、名前は?」
「なんですかい、いきなり」
「いいからいいから。お互い呼ぶのに苦労するじゃねえか」
唐突な言葉に面食らいながらも、半纏男は荻部と名乗った。
「よし、荻部。白藤って名前、聞いたことあるか?」
「千寿岡場の白藤様か? そりゃあ知ってるに決まってらぁ」
さすがに廓を営む者の名前くらいは通るか、と内心安堵する早見。
「実はな、俺はその白藤サマから依頼を受けてるんだ」
またも、唐突。疑いの視線が早見に刺さる。
「依頼ってェのは?」
「泣く女――嘆き女の調査」
その回答に、荻部は細い目を精一杯見開かせた。
しかし、それは一瞬。すぐさま目は細まり、三度の疑惑の視線。
「……吹かしてる訳じゃあ……」
「そんな訳あるかい。苦労してるんだろう? 人手がいなくなっちまってるんだから」
忌まれ嫌われる忘八の界隈を、詳しく知っている人間は少ない。
まして、仲間らがいなくなっているなんて話、余所には漏らそうとするわけがない。
それが決め手になったのか、ようやく荻部は依頼を本当と信じるようになった。
「そんじゃあ……」
もごもごと口の中で何かを呟く荻部。
円らな目がせわしなくうろちょろし、やがて尖らせていた口を笑みへと変えた。
「なんだァ、早く言ってくだせェよ。人が悪いですねェ、旦那」
手のひらの返しように早見は苦笑する。元々、忘八同士で話が通っていれば済んでいた事だが、彼らにも事情がある。
「俺が二階にいたのも調査の一環だ。だからあんまりお蛍を――」
「あぁ、へいへい。分かりやした。うちの為に動いてくれてる旦那が言うんだ、間違いない」
嘘か嘘でないかで言えばほぼ嘘だが、早見の良心は痛まない。荻部も、客人に等しい彼を追求するつもりはなかった。
「嘆き女だかなんだか知らねえが、うちの手勢を拐ってるみたいなんで、困ったもんでさ」
「拐ってる、てのは、誰か見たのか?」
「いいや、誰も。けども、あいつを追っていなくなっちまったんだから、そういうもんなんでしょうや」
「嘆き女を直接見た奴は?」
「今はいねェですね。見た奴ァいなくなっちまいやして」
思いがけず聞き込みの用を済ませられたが、情報はよろしくなかった。どうにか目撃証言が欲しい早見だが、こればかりは仕方がない。
駄賃を荻部に握らせ、礼を言う早見。
「なるほど。ありがとうな」
「なんの、なんの。早いとこあの女、ふんじばって連れてきてくだせえよ」
「そいつは俺の仕事じゃねえな。と言うか、連れてってどうにかならねえだろう」
妖娘たちは大体、人間以上の力を持っている。それを振るわれてしまったら、ふんじばるも何も無い。
尤も、殆どの場合、その力は情事の為かそれに類する物事の為に使われるのだが……。
「へっへっへっへっ」
早見の言葉にまともに答えず、荻部は笑う。
何かしら腹つもりはあるようだが、それを言うつもりは無いようだ。
「そいじゃあ、お願いしますよ」
そんな言葉を残し、そそくさと荻部は去っていった。
「……なんなんだか」
「自信があるんじゃないですかぁ?」
早見の背後から声を掛けるお蛍。突然首筋へ掛かる吐息に飛び退く早見。
「敏感なんですねぇ」
クスクスと笑うお蛍。笑い声に併せて、その髪がゆらゆらと揺れる。
「……自信って、何の事だ」
「そりゃあ、『私ら』を捕まえていられること、とか?」
当然、とばかりにお蛍は言う。
「そんなの、出来るものかよ」
「どうでしょうねぇ」
「……なんか知ってるなら話してくれないか」
「一緒にお布団入ってくれるならぁ……」
「依、行くぞ。忘八が見てねえなら足で稼ぐしかねえ」
くねくねと身を捩らせるお蛍を無視する早見だが、すぐさま腕にすがり付かれる。
「ああっ、そんなあっさり振らなくてもぉ。私、姐さんと同じくらいおっぱい大きいですよ? この髪もぉ、これで擦られるとすっごい堪らないって評判なんですからぁ」
「あんまりそういう商売はおおっぴろげにやるなよ。ああいうのが来たら面倒だろう」
「えぇ、でも、私は荻部さん嫌いじゃないですよぉ」
「そういう話に俺を巻き込むな、非常に困る。依ー! 早く来い! その辺いるんだろ!」
再び呼び掛けるが、早見の声に答えは無い。
二度ともなると流石に何かおかしいと気付いたのか、お蛍も不思議そうな顔をする。
「どうしたんでしょうねぇ」
「分からん」
何とはなしに懐を探る早見。
何があるという確信も予感も無かった。財布程度しか入れていない筈の懐。
だがしかし。先まで無かった筈のものに、早見の指先が触れた。
「……あいつめ」
懐に収まっていたのは、黒漆の煙管入れ。中には勿論、二階にいた筈のお依が持っていた煙管が入っている。
早見とお依、二人で愛用するそれは、つい先ほどまで燻らせていたと分かるほど、煙の匂いを纏わせていた。