「要は、色香に惑わされてるって訳だ」
お依が語る。
「女の喘ぎ声を聴けば猛り、残り香であっても想いを馳せる。それがちょおっとばかし強くなっているのが、あの有様さ」
「あれのっ、はぁっ、どこが、ちょっとだっ! ふぅ、ふぅっ」
息も絶え絶えに関朗が、前を走るお依に噛み付く。
先行して未だに聞き取りにくい泣き声をどうにか辿っているお依の方が神経を使っている筈だが、ケロリとしたまま関朗に笑い掛けていた。
「あれくらい、かわいいものだと思うけどねぇ」
「だからどこがっ!」
「少ぅし目が血走ってるくらい、何ともないさ。うちの旦那だってたまに一服盛ってやるとあんな風になるけど、あれくらいガッついてくれる方が抱き心地が良いと言うか」
惚気話してる場合か。旦那に何盛ってるんだ。お前が抱く側か。
等々叫び散らかしたい関朗だが、口を開けば空気の出し入れしか体は望んでいなかった。
「兎に角。あれくらいならまだ大丈夫さ。二、三回抜いてやれば収まる程度だろうし。お前さんの馬並みもそうすりゃ落ち着くだろうねぇ」
「誰が馬だって――ゴホッ、ゴホッ」
関朗が怒声を上げようにも、息が付いていかない。その様子をおかしそうに笑うお依。ほぼほぼ後ろ歩きになっていても、その足取りは軽やかなままだ。
対する関朗は、それに追い付こうと全力で走るあまりに猪か熊と見紛うばかりの猛然さを見せる。別段身体に自信がある訳でもない彼だが、状況がそれを可能にしている。
そして、その状況その1となるものが、彼らの後ろから迫る者達。
「誰も脱落してないねぇ。まったく、元気なもんだ」
一塊となった、忘八半纏の男達。我先にと駆ける彼らは、泣き声を辿るお依らに尚もへばりついている。
男性の性欲というものがどれほど燃費の良い燃料かという、分かりやすい見本となっていた。
「はっ、はぁっ、なっ、なぁ、おい」
「ん?」
何とか言葉を発する余裕を得た関朗が、お依に声を掛ける。
「どうせ、行く先が一緒なら――はぁっ、ふぅっ、先に、行かせてもっ、いいんじゃっ」
「ああ」
確かに、わざわざ聞き耳を立てながら進むよりも、それに囚われて進んでいる亡者のような輩に先導させた方が余程楽だろう。道理だ。
最もだ、とお依も頷く。しかしその顔は、迷いが浮かんでいた。
「確かに、その方がいいんだけど、さ。ちょおっと、不安な事があってねぇ」
「何が、だ? はっ、ふぅっ」
少し躊躇いを見せつつも、お依は口を開く。
「あの人ら、何で走ってるんだっけ?」
「あんたがさっき、はぁっ、言ってただろうっ」
「まぁ、そうなんだけど。要は興奮して、その出所の女を追ってる訳だ」
「興奮してる男っていうのは、さ。見境無いものだろう?」
「は?」
「だから――女であれば、満足しちまうだろうって」
つまり。
「私が追い掛ける側に回ったら、取って返して来るんじゃあないかなって事さ」
いきり立たせた男たち。姿が見えない愛しの人よりも、手近で済ませようというのは、ひどく現実味がある。
その手近というのが美女であるならば、尚の事。とすれば、今追い掛けているのだって、声に惹かれているのではなく、お依自身に惹かれているという事もあり得る。
「いやぁ、モテる女はつらいねぇ」
「言ってる、場合かっ」
食って掛かる関朗も、そんな話をされると意識せざるを得ない。目の前にいるものが、どんなに妖しいものであっても、見目麗しい女であるという事に。
未だ耳に残る涙に濡れた声が欲望を刺激する。気を確かにしなければ、とぐろを巻いた蛇が目を覚ましかねない。
「っ、くそっ、はぁっ、ふぅ、どこまでっ、走ればいいんだっ!」
あらぬ想像を振り払うように、関朗が吐き捨てる。真実、曲がりくねった路地を進んでいるが、一向にこれといった目的地が見えてこない。
お依も周囲を見て見当をつけようとするが、首を振る。
「千寿から離れてる気がするけど、割と出鱈目に進んでるからそれも怪しい。正直、方角も曖昧だねぇ。落ち着いて見渡したいところだけど……」
未だ、我欲丸出しの後続を見て溜め息を漏らす。あれらが、呑気に立ち止まっているお依を見逃すとは思えない。
そして、先の茶屋での一件のように姿を眩ませるのも難しい。『見られた』という可能性がある以上、安易にぬらりひょんとしての力に頼る事は出来ないのだ。神秘とは知られていないからこそ万全を発揮するのであって、端から居ると分かられていれば、誤魔化しも効きづらいというもの。実際はそれほど単純な事柄ではないものの、知られていないに越したことは無い。
また、屋外というものは、ぬらりひょんとして本領を発揮出来る場所とは言い難い。夜の帳が降りる前ならば尚の事。
立ち止まり精神集中出来る間があればまた別だが、現状では走り続けるのが唯一の策だ。
「そろそろ追い付けそうだけども、さぁて」
泣き声の大きさから、おおよその距離を掴んだお依。しかしそれは関朗にとって、より一層に自身が欲望に灼かれるという事を意味する。
かろうじて聞こえるようにしていた耳をぎゅうと覆い隠し、足に力を込める。長居は無用、長居は無用と念仏を唱える様に呟きながら。
「そうしたいものだねぇ」
その呟きに返すお依。いよいよ次の角を曲がれば見えてくるかどうか、というところまで近付いた。
「鬼娘が出るか蛇娘が出るか」
適当な事を呟きながらも、お依は曲がり角を過ぎる。
出た先は長屋の軒先、薄暗い通り。幸いなことに、追い掛けていた門番の男はすぐに見つける事は出来た。
しかしそれ以上に、目を見張る光景がそこにはあった。
「あれぇ? 今日は女の人が来るなんて、珍しいね」
痩せこけた子供が、そこにはいた。
「男の人も一人だけだったから、もっと珍しいね」
門番の男に跨がる者。すがりつく者。自ら慰める者。
「これじゃあ、みんなで楽しめないね」
たった一人の男を、奪い合う様に――貪る様に――溶かす様に――幼女と呼んで差し支えないような、ぼろ衣を纏った子供達が、群がっていた。
「お姉さんも、一緒にする?」
「――いやぁ、私は遠慮しとくよ」
咄嗟に答えるお依。こうなっているだろうと、多少の心構えが出来ていた故だろう。
しかし、関朗にはそれが出来ていなかった。遅れて見た光景に、足も言葉も息も詰まってしまう。
「あっ、でもほら、もう一人来たみたいだよ♥️」
そんな関朗を見つけた娘が、満面の笑みを浮かべる。それは無邪気でありながらも、情欲に彩られた女の顔だった。
「ほんとだぁ♥️ あんなに大きくしちゃってる♥️」
「ねーえ、早くこっちに来てよう♥️」
「早くっ♥️ 早くぅ♥️」
門番の腕にすがっている娘が、まるでどこまで貫くかを示すようにへこんだ腹を撫でる。
自分の指では物足りなかった娘が、ぬめる指で桃のような筋を見せつける。
状況が飲み込めない関朗は狼狽するばかりだが、その隣でお依は、釈然としない顔をする。
「まさか本当に、鬼が出るなんてねぇ」
己の冗句であっても笑えるものでは無かった。
関朗は説明を求める様にお依を見るが、お依はそれを見ていない。
あくまで探しているのは、泣き声の主。餓鬼達がいるというのは興味深くはあるものの、それが原因ではないと容易に分かる。餓鬼にそんな力は無いのだから。
小鬼のように群れる幼女達の奥に、背の高い人影がある。お依の耳は、そこから泣き声が聴こえていると確信していた。
黒の帽子を被り、そこから伸びるレースが顔を隠しているせいで、表情を伺う事は出来ない。しかし、肩を震わせている様子から、泣いているというのは間違いないらしい。
「手間掛けさせてくれるねぇ、まったく」
溜め息を溢すお依。その背後には、男達の足音が迫ってきていた。