広い病室のベッドの上で、寝転がりながら私はノートPCに延々と文字を打ち込んでいる。
書いては消して、書いては消して。
何度書き直しても納得の行く文章は書き上がらない。
気がつけば日は傾き、窓から見える景色を茜色に染めていた。
一日かけて、手紙の一つも書けなかったとため息を漏らしながらPCを閉じて茜色に染まった街を見下ろしながら考える。
役目の終えたこの生を、残り半年ばかりの命をどう扱おうかと。
病院に着いて早々、私の主治医だという女性の医者の診断を受けた。
そして簡単な診察の後「腹の中の物、全部機械に置き換えるしかないね」と言われたのは流石に驚いた。
私の細胞が私を破壊するのだから、生死に関わる臓器は代わりの人工臓器にした方が色々と楽な上にリスクもほとんど無く、
一年で不具合が出る事はまず無いと説明を受けると選択肢は一つしかなかった。
術後は今までの体の怠さが嘘の様に調子が良くなった。
もう一度、支えをなしに動き回れる事に浮かれて歩き回るっていると、
一年有るかないかで肉体に限界が来るので過度の期待はしないでほしいと水を差されたが、それでも問題はなかった。
反機械主義を掲げる為に生まれた私が機械によって生かされるのは少しだけ妙な事だと思いもしたが、
その機械のおかげで一年掛けて行う予定だったレポート作成は半年で終わってしまった。
残りの半年間。私は慌ただしくなってしまった別れを埋める為に、まず手紙を書こうと思った。
ヒイラギにありったけの言葉を残してあげたいから。
思いとは裏腹に、数日掛けて原稿用紙一枚分も書けていないのだけど。
綴れば綴るだけ言葉が陳腐になっていく気がして、どうにも先に進まなかった。
タイピングをする指は完全に止まり、もう一度考え直そうとベッドに全身を預けて目をつぶる。
まぶたの裏には何時もの様に彼女の姿が浮かぶ。燃えるような愛で私を暖めてくれた彼女。
思い返すだけで涙が浮かぶのはどうしてだろう。溢れて来る涙は、自分勝手な気がしてあまり好きではない。
物思いにふけっていると、ナースセンターから連絡が入る。私にお見舞いが来たらしい。
お見舞いということになっているが、その実態はレポートの取引なのだけど。別に遺伝子の研究が禁止されている訳ではないが、
過去の事を考えると出来るだけひっそりとやった方が良いと思い、直接渡す事にしたのだ。
私の人生にも等しい物を渡すのだから、少しでも話がしたいという願望もあるが。
軽く服装を整え、椅子に座って相手が来るのを待った。
そういえば今日の来客予定はあっただろうか?人を迎える準備を終えてから今日は予定がなかったのを思い出す。
妙だと思っていると、病室の外からはカツンカツンと足早に、力強い足音を響かせて誰かがやってくる。
扉が開くと、そこには制服であるドレスを着たのらきゃっとが立っていた。
その青い瞳で私の姿をとらえると、私を見つめたまま近づいてくる。
私の動きに気づいたイムラの刺客か?僅かばかり死期が早まるのを感じた私は思わず後ずさった。
しかし病床に着いている私が逃げられる訳もなく。簡単に距離を詰められてしまった。
まだ死ぬ訳にはいかないのに。死への忌避感を抱きながら私は目をつぶる。
すると、私の感じていた恐怖とは真逆に柔らかな感触が私を包んだ。
「思ったより、元気そうじゃな。安心したのじゃ」
懐かしい、珍妙な喋り方が耳に届く。恐怖がなくなり、安堵したが今度は疑問が湧いてくる。
慌てて私に抱きついて来たその子を引き離し、まじまじと見つめるがやはり私の見知った顔ではない。
「そうジロジロと見るな。何かおかしな所がある訳ではないじゃろう?」
私の部屋に現れたのらきゃっとは恥ずかしそうに顔を背ける。
この反応、この喋り方。私は確信を持ちながら質問を投げかけた。
「もしかして……ヒイラギさんなんですか?」
「ああ。体は変わってしまったが間違いなく妾はヒイラギじゃ。久しぶりじゃな。青花」
言葉が出なかった。
声は震え、視界は歪み、私はただ目の前の彼女にしがみつくのが精一杯だった。
落ち着いてからまずはお互いの近況を話す事から始めた。
「つまり私は体の機能のほとんどを機械に代わってもらったので意外に元気なんですよ」
私の体の状況を伝えると、ヒイラギは複雑そうな顔をしてから「元気ならそれで良い」と笑顔を作った。
そしてヒイラギは自分の状況を話始めた。
私に会いに行くとクヌギさんに伝えた時は当然、却下されたという。
ヒイラギはそれでも食い下がり要求を伝え続けると、クヌギさんは
「君のその体はしっかりと契約の上で生かされているんだ!その体でいる限り許可無く職務から離れる事は許可できない」
と言い放つとそこで通信を切られてしまったらしい。
「存外、甘いお父様じゃ…」
その後、人格を含むデータの移植方法と起動前ののらきゃっとのある場所の情報が書かれた匿名のメールが届き、
数日間考えに考えてから行動に移したとヒイラギは語ってくれた。
私の気持ちは複雑だった。
喜びと怒りと戸惑い。口を開けばただの奇声が飛び出してきそうな心情を、思い切り深呼吸をして吐き出した。
少しだけ落ち着いてから改めてヒイラギに問う。
「ヒイラギさん。貴方が来てくれたのはとても嬉しいんですよ。でも、私は言いましたよね?
貴方には貴方の使命があると。それなのにそれを投げ捨てて、ここにいる。それがどういう事か理解してますよね?」
「ああ。青花の気持ちを裏切った」
「本当……酷い人です………そんなヒイラギには、一つ罰が有ります。
とってもとっても酷い罰です。だけど、内容を聞く前なら断っても私は何も気にしません」
口にするべきではない。そう思いながらも私の中の願望は肥大化していく。
身勝手で望むべきではない黒い願望。理由を彼女に押し付けてその願望を願う私がいる。
「ここから出て行け。それ以外の罰なら妾は喜んで受けるのじゃ」
その願望は私が家を離れた理由の大きな一つ。
口に出すのも汚らわしいと思ったこの願いを抑えるにはヒイラギから離れるしかないと無いと思ったからだ。
だってヒイラギならきっと……ああ、嫌だ。嫌だ。嫌だ。
こんな今際の際で打算的に思考を巡らせようとする自分が嫌いになる。
やっぱり止めよう。唇を噛みしめ、言葉を飲み込む。
「青花よ……辛いのなら口にせずともよい」
「え?」
「二人で行こう。死出の旅路を行くには若輩に過ぎるが……妾の命は青花の物じゃ。共に行こう」
喜びと後悔と拒絶と容認。様々な気持ちが頭に満ちる。
「なんで……分かったんですか?」
「離れる理由を色々と並び立てて置いて行き先を残す矛盾。決定的なのは今の苦虫を噛み殺す勢いのお主の顔じゃよ」
「そんな……そんなに酷い顔をしてました?」
「ああ、鬼のようじゃったぞ」
ヒイラギは歯をむき出しにして恐ろしいと思われる顔を作るが、元の顔が可愛らしいので全然迫力はなく可愛らしい。
思わず綻んだ頬を深呼吸をして仕切り直す。
「ヒイラギ、貴方が望むなら……貴方が望んでくれるなら私に断る理由はありません。
私は本当に醜い人間です。ずっと一人で死ぬと心に決めながら、貴方と出会って私は………」
「もう良いのじゃ。自分を追い詰めるのはやめてくれ。これは青花だけじゃない。妾の願いでもあるのじゃ」
「……………はい」
気づけば空は暗くなり、月が顔を覗かせていた。
いつもより少し冷たくなったヒイラギの手を取り、ずっとその空を二人で眺めていた。
罪悪感が晴れたわけではないけれど、以前よりは気持ちが軽くなったのは間違いない。
ヒイラギと二人で話し合って私達なりに残す者への贈り物を用意した。受け取る者がどうそれを扱うかは委ねるつもりだ。
悪趣味だと捨てられるならそれでも問題はないけれど。
冬の半ばの快晴の日、やるべき事を終えた私達は旅に出る事にした。
見てみたい景色や行ってみたい場所。全ては無理でも一つでも多くを見ておきたかった。
「主治医としては大人しくしていて欲しいんだけどね」
見送りに来た先生が苦々しい顔で呟いた。
「お世話になりました。すいません、少しでも多くの思い出を作りたくなったんです」
旅の為に買った車の運転席で待つヒイラギに視線を送る。
「あなたと彼女がどういう関係かは分からないけど……後ろ向きな理由じゃないんだね?」
「はい!むしろ私は今、とても生き生きしてます!」
「ならこちら側から言う事はないよ。死にかけの人間に言うのも変だけど、元気でな」
「はい!」
私が車に乗り込むと、退屈そうにしているヒイラギが私を見て顔を輝かせる。
「よし!それじゃあ行くのじゃ!」
そう言ってヒイラギはアクセルを蒸した。
少しばかり走り、開発された町を抜けるとただ道が続くだけの大地が広がっていた。
じっと道の先を眺めても何もない景色は、私の家を思い出させる。
「そういえば気になったんじゃが……妾に残した宿題の答えは結局なんだったのじゃ?」
「ああ、そういえば出してましたね」
今となっては意味の無い宿題だ。
「教えてあげませんよ。全部が無駄って訳ではありませんけど、ヒイラギさんが来たせいで色々と無駄になった事はありますから。
今だって結構怒ってる所もあるんですからね」
「ははは、それは悪い事をしたのう」
ヒイラギは笑って誤魔化すと、車の運転をオートパイロットに切り替えて座席に深く座り直す。
しばらくは退屈だな。そう思うと季節外れの快晴が眠気を誘う。
眠気に誘われるまま、私はヒイラギに寄り掛かった。
「ヒイラギさん……やっぱり冷たくなりましたよね」
「そうか?……ああ、体温のことじゃな。以前の体より出力は下がるからのう。寒いのなら暖房でも着けるか?」
「いえ、この冷たさも心地良くて好きですよ」
私はこの旅に心を踊らせながら、緩やかに訪れる眠気に身を任せた。