「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」
怖い。
己の意識が覚醒した時に、最初に思ったのはそれだけだった。
目の前にあったのは小柄な老人の姿。その姿は知っていた。その怪しい瞳を知っていた。道具を見る目で己を見る男のことを知っていた。
間桐臓硯、その名が彼の姿と一致して、その事実に発狂しそうになった。創作物としてあった彼の存在、その所業を知っていたからこその恐怖。未だ赤子であった己には逃げる方法などあるはずもなく、来たる未来に怯えて体が眠りについた。
『もう間桐の再興は他の家に頼らぬ限りはないと思っておったのじゃがな。よくやったぞ鶴野。回路こそは少ないが、それでも雁夜よりは目がある』
その時に、最後に聞いたのはその言葉だった。
「降り立つ風には壁を。
四方の門は閉じ、王冠より出で王国に至る三叉路は循環せよ」
次に、己の意識が浮上したのは三歳の時。叔父である間桐雁夜が出奔するより前のこと。
自分に与えられた役割は間桐の家の魔術師となることだったが、なぜかそれに合わせた蟲による調教は行われないまま。その事実が逆に恐ろしいと思った。
間桐桜、間桐雁夜。臓硯の蟲による調教が行われたのはこの二人で、それぞれ間桐の胎盤にするため、一年で間桐の魔術師として聖杯戦争に参加できるようにするため、という理由はあったが臓硯の悪辣さ、そもそも間桐の表向きの当主というのは臓硯の傀儡であることを考えれば己に対して施さない理由がなかった。
「
繰り返す度に五度。ただ満たされる刻を破却する」
妹だ、と言われて連れてこられた少女。それを助けに来た、といった叔父。
どちらも、蟲蔵に放り込まれていたからこそ、自分だけが放り込まれないという現実に、自分だけはまともな魔術教育を受けているという事実に対しての恐怖があった。
心臓に蟲を埋め込まれているということはすでにして告げられていたが、それだけしかされておらず、蟲の扱い方をはじめとした間桐の魔術はまともな授業とともに教えられた。
その事実が、これ以上なく恐ろしかった。
己の人生は、いついかなる時も恐怖に襲われていた。
「告げる───」
一度だけ、その理由を尋ねてみたことがある。
自らの魔術の先生、間桐臓硯という老人を恐ろしいと思う感情は一切消えていなかったが、自分だけが今もまだ綺麗な体のままなのだという事実が、妹となった少女から恨まれているのではないかという気持ちを基にした恐怖は常に膨らみ続けていて、それがどうしても耐えきれなくなったから、聞いてしまっていた。
『ほう? そんなに蟲蔵に放り込まれたかったのか? それならばそうと言ってくれれば良いものを』
答えはそんなもの。全力で首を横に振って、ならばそれでよかろうと笑いながら去っていった老人に、そこでようやく今の自分の状態が彼の望みなのだと理解した。
間桐の魔術師としての大成がなれば、あるいは臓硯に対しての反抗を考えてしまうかもしれない。それを鎮圧する労力すらも彼はもったいないから、”どうせ蟲蔵に放り込まれるなら”と投げやりになったりしないように蟲蔵に放り込まれればどうなるのかを客観的に見せることで教え、反抗しそうになれば蟲蔵に入れると脅す。俺の怯える姿も、あいつにとっては面白いものなのだろう。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
そんな生活に嫌気をしたことは当然ある。いいや、むしろそう思わない時間の方が少ない。でも、それはできなかった。それは妹への情なんてものではなく、己の今の立場と心臓に植えつけられた蟲の存在に起因するもの。
逃げ出そう、と思った度に、即座に逃げ出せない、不可能だと己の中で諦めることになった。
逃げ出そうと思って、いいや無理だと諦めて、何度も何度もそれを繰り返した結果、
一度、逃げ出していた。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者」
逃げ出した先は公園。第四次聖杯戦争の終焉の地。
未だに復興がなされていない場所にいつのまにかたどり着いていて、ベンチに座って曇天の空を見上げていた。
季節は夏。時刻は夜。日本特有の湿度の高い夏ではあったが、間桐邸のそれよりははるかにマシだと言える空間。
聖杯戦争終了から一年、当時十二歳の自分が一人で夜を歩き回るのは、警察官に見咎められそうなものだが、どうしてか自分はそこまでたどり着くことができていた。
そこで、
『こんばんは。良い夜ね』
その少女は、この夏の夜には相応しくない格好をしていた。
緑青と白のフリルドレス。さらさらと流れるような金色の髪。そして外人の血が混じったのかと思うような透き通る青い瞳。
見た目には十代の少女。これから先美しくなっていくだろうことが約束されたような容姿の、物語のお姫様が現実に出てきましたと言われれば納得してしまいそうな少女。
その少女の正体を、俺は知っていた。
沙条愛歌。根源に接続した、少女の姿をした万能。恋のために世界を滅ぼそうとした存在。
声をかけてきた、ということは何某かの興味を俺に対して抱いていたということ。
その理由は今となってもわからないままだが、その時の恐怖は今も鮮明に思い出せる。
『あなたは私のことを知っているのだから、自己紹介は必要ないわよね』
彼女は俺がこの世界の魂ではないことも、俺が沙条愛歌という存在を知っていることも知っていた。
そこになぜ、や、どうして、など考えるべくもない。彼女が根源接続者だからだ。むしろそんな彼女が知らないことの方がおかしい。
でも、だからこそ俺に対して話しかける理由がない。転生者として持つこの世界に関する知識も、より深くまで知っているであろう存在が
『初めまして、私の
だから、その言葉の意味が理解できなかった。
今も、わからないままだ。
己が彼女に求められている意義が、彼女が俺に対して何を見出したのか。
沙条愛歌という存在は、己の思考が及ぶような存在ではないのだから考えるだけ無駄なのだが、それでも気にならないわけではない。
この世界線に存在する沙条愛歌はきっと『氷室の天地』の世界線の沙条愛歌。つまりは、何某かの要因を持ってして”
ダメ人間と呼ばれるような状態になった沙条愛歌なのだろうが、そんな雰囲気は一切なかった。
彼女は、一体どんな理由であの恐ろしい根源接続者のままでいて。
過去、あるいは未来の俺……間桐慎一という存在の何を見て俺のことをペットと呼んだのだろうか。
「汝、三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よーーー!」
最後の一節を唱えた途端、蟲の死骸から絞り出された体液によって描かれた魔法陣から、間桐の廃れた家柄では決して発生させることが不可能な魔力の奔流による突風、そして目を開けていられないほどに凶暴な光が引きずり出され空間を包んだ。
視覚と聴覚が叩き潰されるような音と光。それらに思わず片手で顔をかばう。その行動は、この空間には何もないとわかっているにもかかわらずとっさに取られた反射的なもの。突風に巻き込まれて飛んできた、この空間には存在しない何かから顔を守ろうとする行動。
それらが収束した頃合いを見計らって、顔をかばっていた手を外す。その視界には先ほどまでとなんら変わらない内装と、そして一つだけ追加された部屋の中央にある存在を視界に収めた。それが存在するのは魔法陣の上。先ほどの詠唱によって実行された魔術で召喚されたサーヴァントなのだと、その身から感じる魔力にそう断じる。
それは、少女の形をしていた。
沙条愛歌というバケモノの存在を知っているからこそ、感覚が麻痺しているのかもしれない。けれど、少女の形をした全能には及ばずとも、それは少女の形をした怪物だった。
薄い色の花冠を頭につけた、杉の花を思い起こす色合いの髪の色。白いワンピースの上から二の腕あたりまでの貫頭衣を着ている、幼い少女。外見年齢には見合わない程度には女性らしさが見えた肉体に宿っている力は、人間をはるかに上回ることが見ただけでわかる。
「サーヴァント、キャスター。召喚された。あなたがわたしのますたー?」
「ああ、俺がお前のマスターだよ」
右手に存在する令呪。それが熱を持ち始めたことを理解する。
まずはスタートライン。自分の意思が介在しないところで参加が決まった戦争であり、同時に自分の生死はこの戦争に勝たない限りは存在しない。すでに間桐の新しい後継者を生み出すための母体が存在する以上は俺の命にこだわる必要がないのだ。
聖杯の獲得が、己の命を繋ぐ唯一の条件。そのことを理解して、己の意識を研ぎ澄ませにかかった。
「さあ、始めようキャスター」
俺たちの聖杯戦争を。
キャスターはオリジナルサーヴァントだけど、Fate知ってる人ならきっと誰でも正体には気がつく。