日本の村に眠る淫習を訪ねて、柳沢研究室レポート 今に残る日本の村のエロ風習 ⭐︎各話読み切り 新作はイラスト付き 作:みなぽん
山あいの町に、その酒蔵はあった。
冬になれば白い雪が屋根を覆い、春になれば蔵の裏を流れる小川に桜の花びらが浮かぶ。
百七十年続く老舗酒造――白峰酒造。
その一人娘が、17歳になったばかりの白峰千鶴だった。
千鶴は箱入り娘だった。
幼い頃から蔵の人間たちに大切に育てられ、高校も町から通える女子高を選び、恋愛も知らない。
父は厳格な蔵元であり、母は優しいが過保護だった。
酒蔵の未来を背負う娘。
それが千鶴という人間だった。
そんな彼女の前に、一人の男が現れたのは、秋の終わりのことだった。
「今日から世話になる。杜氏の榊だ」
ぶっきらぼうな声だった。
三十代半ばほどだろうか。
無精ひげ。
日に焼けた顔。
酒蔵の職人らしい節くれ立った手。
愛想というものを母親の腹の中に忘れてきたような男だった。
「よろしくお願いします!」
千鶴が深々と頭を下げる。
男はちらりと彼女を見た。
「……あんたが娘さんか。」
「はい。」
「蔵仕事は?」
「父の手伝いを少しだけ……」
「そうか。」
それだけだった。
会話は終わった。
千鶴は呆然とした。
(なんて感じの悪い人なの……)
これまで出会った大人たちは皆、優しかった。
商工会の人も。
銀行の支店長も。
取引先の社長も。
誰もが白峰酒造の娘である自分を大切に扱った。
だが、この男は違った。
媚びない。
気を遣わない。
笑わない。
まるで冬山の岩みたいな男だった。
榊修司。
渡り杜氏。
一つの蔵に留まらず、日本中の酒蔵を渡り歩いてきた職人だった。
前の蔵を辞めた理由も誰も知らない。
家族がいるのかもわからない。
ただ腕だけは本物だった。
試飲した父が、
「この男なら蔵を任せられる」
と即決したほどに。
冬。
酒造りが始まった。
朝四時。
まだ外が真っ暗な時間に蔵へ灯りがつく。
蒸米の湯気が立ち上る。
麹の甘い香りが漂う。
職人たちの怒号が飛ぶ。
「急げ!」
「温度下がるぞ!」
「布を持ってこい!」
千鶴は驚いた。
酒造りとは、もっと優雅なものだと思っていた。
静かで、美しくて、職人が黙々と酒を仕込むものだと。
現実は戦場だった。
汗。
熱気。
重労働。
失敗が許されない緊張。
その中心に榊がいた。
「温度は?」
「九・八!」
「十度超えたら終わりだ。目を離すな!」
怒鳴る。
走る。
誰より働く。
誰より重いものを持つ。
そして誰より酒を見ていた。
まるで子供を見る親のような目だった。
千鶴は初めて見た。
何かに人生を捧げている人間を。
ある夜。
千鶴が蔵を覗くと、榊が一人でタンクの前に立っていた。
「まだ帰らないんですか?」
「帰る。」
「でも、もう二時間くらいここに……」
「酒の機嫌を見てる。」
「機嫌?」
「生き物みたいなもんだ。」
榊はタンクを見つめる。
「同じ米、同じ水、同じ温度でも毎年違う。」
「酒って難しいんですね。」
「人間と同じだ。」
千鶴は隣に立った。
湯気が漂う。
静かな夜だった。
「榊さんはどうして杜氏になったんですか?」
「親父が杜氏だった。」
「憧れて?」
「いや。」
榊は笑った。
初めて見る笑顔だった。
「他にできることがなかった。」
「そんな理由なんですか?」
「案外そんなもんだ。」
千鶴はその笑顔を、なぜかずっと覚えていた。
それからだった。
気づけば千鶴は蔵へ行く回数が増えた。
「お茶です。」
「置いといてくれ。」
「お昼ご飯です。」
「ありがとう。」
「寒くないですか?」
「慣れてる。」
素っ気ない。
けれど、以前より少しだけ声が柔らかい。
それが嬉しかった。
「千鶴さん。」
「はい?」
「そんな薄着で来るな。」
「え?」
「蔵は冷える。」
ぶっきらぼうに自分の作業着を肩に掛けてくる。
「風邪引くぞ。」
胸がどきりとした。
優しい人だった。
不器用なだけで。
春。
新酒が完成した。
試飲会の日。
町の人々が集まった。
「今年はうまいな。」
「白峰酒造の最高傑作じゃないか?」
「さすが新しい杜氏さんだ。」
笑顔が溢れる。
父も嬉しそうだった。
「榊がもう少し若ければ、家の入り婿を頼むんだけどなぁ」
それは男児がいない場合、古い酒造を維持していくための風習だった。
千鶴の中である決意が固まった。
その夜。
蔵の裏庭で、榊が一人煙草を吸っていた。
「終わったんですね。」
「ああ。」
「お疲れ様でした。」
「ありがとう。」
沈黙。
春の風が吹く。
「榊さん。」
「なんだ?」
「来年も、いてくれますか?」
榊は空を見上げた。
「わからん。」
「どうして?」
「渡り者だからな。」
「そんな……」
「呼ばれた蔵へ行く。」
それが仕事だ、と。
千鶴は俯いた。
胸が苦しかった。
初めてだった。
誰かがいなくなることを、こんなに嫌だと思ったのは。
「私……」
言葉が出ない。
榊は困ったように頭を掻いた。
「嬢ちゃん。」
「……はい。」
「俺みたいなのに惚れるな。」
千鶴の肩が震えた。
「顔に書いてある。」
「……そんなにわかりやすいですか。」
「ああ。」
榊は苦笑する。
「俺はろくな男じゃない。」
「そんなことありません。」
「酒しか知らん。」
「私も酒蔵しか知りません。」
榊が目を丸くする。
千鶴は笑った。
「だから少し似てます。」
春の夜風が吹く。
「私はもっと榊さんを知りたいです。」
榊はしばらく黙っていた。
やがて小さく息を吐く。
「……困ったお嬢様だ。」
「俺の部屋に来るってことがどういうことか、わかってるのか?」
低い声だった。
榊の宿舎の部屋は狭かった。
六畳一間。
古い畳。
最低限の家具。
酒と同じで、余計なものがない男の空間だった。
千鶴は頷いた。
「わかってます」
「本当か?」
「はい」
榊が近づく。
酒の匂いがした。
いつも嗅いでいるお酒の、もっと濃くて熱っぽい香り。
「後悔しても知らんぞ」
「しません」
次の瞬間、背中が畳に押し付けられた。
強い力だった。
酒袋を担ぐ腕。
米を運ぶ手。
迷いのない力で、千鶴は組み伏せられた。
「っ……!」
息を吸う暇もなかった。
唇が重なる。
荒い。
熱い。
優しさのかけらもないキスだった。
これは愛だなんて綺麗なものじゃない。
渇望だ。
男が抱え続けてきた孤独が、千鶴の中に注ぎ込まれるようだった。
唇が割られる。
舌が侵入する。
びくりと体が跳ねたけれど、逃げることはできなかった。
それでも千鶴は榊の背中に手を回した。
ごつごつとした肩。
厚い背中。
震えているのがわかった。
(この人は怖いんだ)
初めて手に入れた温もりを失うことが。
だからこんなに必死に確かめるみたいに唇を貪るのだ。
酸素が足りない。
目の端に涙が滲む。
唇が離れたとき、銀色の糸が引いた。
「……嬢ちゃん」
榊の目が潤んでいた。
いつも鋭い瞳が、今はどうしようもなく揺れている。
「俺は優しくできない」
「知ってます」
「後戻りはできない」
「してません」
千鶴は榊の頬に触れた。
無精ひげの感触。
日に焼けた肌の熱。
「私、蔵の娘です」
「ああ」
「覚悟は誰にも負けません」
榊が目を閉じた。
喉の奥で低く唸るような声が漏れる。
「お嬢ちゃんは俺が仕込んでやる!」
唸るような低い声だった。
それは酒造りの時と同じ、絶対的な命令だった。
千鶴のブラウスのボタンが乱暴に外される。
震える指を押さえ込まれ、肌が外気に晒される。
白く、傷一つない肌。
酒蔵の奥で大切に守られてきた証のような体が、今、男の熱気にさらされていた。
「あ……っ、だめ……!」
千鶴は咄嗟に腕を交差させ、裸身を隠そうと身をよじった。
恥ずかしさで顔が熱く火照む。
見られたくない。
こんな姿、誰にも見せたことない。
畳の上を後ずさり、逃げようとする。
だが、節くれ立った大きな手が、逃げ場を塞ぐように彼女の足首を掴んだ。
「逃げるな」
鉄の輪のような力。
酒袋を軽々と運ぶ腕力で、いとも簡単に千鶴の体は引き戻された。
「いやっ……!」
抵抗むなしく、両手首を一つに束ねられ、頭上の畳に押し付けられる。
完全に組み伏せられた。
男の影が落ちる。
「綺麗な肌だ」
榊の目が、昼間のタンクの中身を見つめる時のように真剣だった。
だが、その奥にはどうしようもないほどの渇きがあった。
顔が近づく。
無精ひげが肌を擦る感触に、全身が粟立つ。
そして、薄い桃色の頂に、熱い舌が触れた。
「ひゃうっ……!」
電流が走ったような衝撃。
吸い上げられる。
強く、深く。
赤子に乳をやるような貪るような口づけとは違う。
男の所有を刻み込むような、痛みを伴う刺激だった。
「ああっ、そこ……変っ……!」
頭が真っ白になる。
腰が浮く。
榊は片方を口に含みながら、空いた手で反対の頂を指先で転がした。
粗い指の腹が、敏感な突起を擦り上げるたびに、背筋が弓なりに反った。
「どうだ?」
耳元で低く問われる。
答えられない。
ただ甘い痺れが下腹に集中していく。
榊の手が、震える太腿の内側を撫で上げた。
ぞくりとした冷たさと熱さが同時に走る。
「俺の手を覚えさせろ」
命令と共に、指が秘所に触れた。
すでに濡れてしまっているそこを、容赦なく割り開く。
「いやぁ……!」
声にならない悲鳴。
けれど体は逆らえなかった。
太い指が、蕾を押し広げながら奥へと沈んでいく。
異物感。
痛み。
そして、得体の知れない甘い感覚。
「っ……! あっ、あ……!」
指が動き出す。
内壁を擦り上げるたびに、熱い液が溢れ出し、卑猥な水音が部屋に響く。
恥ずかしい。
こんな音、聞きたくない。
でも、止められない。
榊の指は的確に、千鶴の弱い場所を攻め立てた。
酒の状態を見極める職人の指先は、女の体の変化も見逃さない。
「ああっ、そこ……だめっ……!」
指の腹が内側の膨らみを強く擦り上げた瞬間、千鶴の背中が畳から跳ね上がった。
目の前が白く弾ける。
体の中で熱いものが堰を切って溢れ出した。
ビクビクと痙攣する体。
榊は指を動かすのを止めず、荒い息をつく千鶴の耳元で囁いた。
「これが俺の味だ」
酔いしれるしかなかった。
この強烈な刺激に、ただ翻弄されるしかなかった。
彼に仕込まれるとは、こういうことなのだと、壊れかけた思考の隅で理解していた。
「俺のタネを仕込んでやる!」
榊の喉から絞り出された声は、獣の唸りにも似ていた。
酒造りにおける「仕込み」。
それは米と水と麹が交わり、新たな命を育む神聖な作業。
だが今、彼が唱えるそれは、男としての本能に根差した、野蛮な征服の儀式だった。
太い指で十分に解した後でも、榊の猛りは千鶴の小さな入り口には大きすぎた。
「あ……っ、来る……!」
恐怖に膝を閉じようとするが、男の筋肉質な太腿がそれを許さない。
容赦なく押し開かれ、先端が秘口に押し当てられる。
熱い。
鉄のように硬く、灼熱の鉄塊が触れているようだった。
「力を抜け。噛むな」
榊の低い命令。
だが、初めて触れる異物の圧迫感に、千鶴の体は勝手に強張ってしまう。
「ひっ……!」
榊が腰を進めた。
容赦のない一撃。
処女の薄い膜が引き裂かれ、男の楔が無理やり体内をこじ開けて侵入してくる。
「あぐっ……!!」
悲鳴が喉から漏れた。
裂けるような痛み。
下腹部を刃物で抉られたような鋭い激痛が脳髄を貫く。
千鶴は畳の目を爪が割れんばかりに掻きむしり、必死に痛みに耐えた。
目から涙がとめどなく溢れ出し、視界が滲む。
息ができない。
肺が痙攣したように引きつる。
「いっ……たい……っ、榊さ……!」
「我慢しろ」
榊の声もまた苦しげだった。
きつすぎる。
千鶴の未成熟な膣壁が、異物を拒絶するように彼を締め上げる。
だが、男は止まらなかった。
半ばまで飲み込んだところで一度停止し、千鶴が荒い息を吐くのを待ってから、さらに奥へと沈み込んでいく。
逃げ場はない。
酒蔵の頑丈な樽のように、千鶴の体は男に封じ込められていた。
「ううっ……くっ……」
千鶴は唇を噛み締め、喉の奥から上がる泣き声を殺した。
弱音を吐けない。
この人が求めてくれるなら、この痛みも受け入れなければならない。
そんな健気な思いとは裏腹に、体は痛みに震え、冷や汗が背中を伝う。
ようやく、榊の腰が千鶴の最奥に密着した。
根元まで埋め込まれた充填感。
内臓が押し上げられるような圧迫感に、千鶴は目を固く閉じた。
「……全部入ったぞ」
榊の荒い吐息が耳にかかる。
彼もまた、極限の興奮と快感の中にいるようだった。
汗ばんだ掌が、千鶴の涙で濡れた頬を包み込む。
「いい器だ……」
酒の状態を見極める職人の目が、今は快楽に潤んで千鶴を見下ろしていた。
「これから俺のタネで、お前の中をいっぱいにしてやる」
それは残酷な宣告であり、同時にどうしようもなく甘い愛の囁きでもあった。
千鶴は痛みに震えながらも、薄く目を開け、自分を貫く男を見上げた。
「動くぞ」
それは千鶴への気遣いではなく、己の渇きに耐えかねた獣の宣言だった。
ゆっくりと榊の腰が引かれ、内壁を擦り上げる異物感に千鶴は息を詰める。
そして再び、最奥を突き上げるような深い一撃。
「あうっ……!」
痛みはまだ消えない。
けれど、その奥で得体の知れない熱が蠢き始めていた。
(なに、これ……)
榊の律動は次第に早まる。
酒を醸す櫂を回すような、一定の、しかし力強いリズムで、千鶴の胎内を掻き回す。
じゅぶ……じゅぶ……と、結合部から聞こえる水音が卑猥に部屋に響く。
先ほどまであんなに痛かったのに、今は違う。
粘膜を擦られるたびに、腰の奥が甘く痺れる。
「あっ……あっ……ん…」
自分の口から漏れる声の色が、苦痛から別のものへ変わっていくのを自覚する。
それを聞き取ったかのように、榊が再び身をかがめた。
「感じてきたか」
胸の飾りに、熱く湿った舌が這う。
「ひぁ……!」
乳首を軽く歯で噛まれ、吸い上げられる。
優しく、それでいて執拗に。
酒の仕込み中、わずかな温度変化も見逃さない無骨な指が、敏感に尖ったもう片方の頂を摘み、転がす。
「そこ……やぁ……!」
二つの性感帯を同時に責められ、千鶴の思考は沸騰した。
痛みはすでに遠い。
それを上書きする快楽の津波が、全身を翻弄する。
引き裂かれたばかりの膣内が、勝手に男の形を覚え、締め付ける。
きつく。
深く。
「くっ……! いい締まりだ」
榊が低く唸る。
その声もまた、崩れかけていた。
男の動きが激しさを増す。
ただの摩擦ではない。
胎の奥を小突くような、容赦のない角度で打ち込まれる。
「ああっ! あっ! あっ……!」
もはや言葉にならない。
千鶴はただ、榊の背中に回した腕に力を込め、畳の上で波のように揺れる体を任せるしかなかった。
やがて榊の呼吸が極限まで荒くなり、動きが乱暴な突進に変わる。
「嬢ちゃん……!」
男の限界が近い。
子種を注ぎ込むための、最後の猛りだった。
「中に出すぞ……! 俺のタネだ……!」
「あ……っ、榊さ……!」
拒絶する暇も与えない。
千鶴の最奥に、灼熱の楔が最後まで深々と打ち込まれた瞬間、どくんっ!と男の咆哮と共に腹の底で何かが脈打った。
「あああっ……!!」
子宮の奥に直接叩きつけられる熱量。
びゅくびゅくと注ぎ込まれる濃厚な白濁。
千鶴は目を見開き、背中をのけぞらせて絶頂した。
腹が熱い。
男の体液が注がれるたびに、子宮が痙攣し、甘い電流が脳髄まで駆け抜ける。
ビクビクと体が跳ねる感覚の中で、榊の汗ばんだ重い体が覆いかぶさってくるのを心地よく感じていた。
熱い吐息が交わる静寂。
酒の仕込みと同じだ。
米と水と麹が混ざり合い、新たな命が宿る瞬間。
男と女が交わり、種が注がれる瞬間。
千鶴は荒い息を整えながら、自分の中で脈打つ男の余韻を噛み締めた。
これが「仕込み」なのだと。
痛みと快楽の果てに辿り着いたこの熱だけが、本物なのだと。
エピローグ
蔵の朝は早い。
だが、その朝はいつもと違う空気が流れていた。
千鶴が宿舎から出てきた榊と共に、父の前に立ったときのことだ。
「お父さん」
千鶴の声は震えていた。
けれど、逃げなかった。
「私、榊さんと一緒になります」
父の手から湯呑みが滑り落ちた。
陶器が割れる乾いた音が響く。
「……なんだと?」
父の顔が強張る。
百年以上続く白峰酒造。
その一人娘が、たった一冬で渡り杜氏に落ちたなどと。
「この男の……子供を宿しました」
千鶴は己の腹に手を当てた。
嘘ではない。
確信があった。
昨夜の熱が、今も体の奥に宿っている。
父の顔が蒼白になり、次に真っ赤に染まった。
激怒。
当然だ。
「貴様……! うちの娘を……!」
父が榊に掴みかかろうとする。
だが、榊は微動だにしなかった。
ただ静かに頭を下げたのだ。
「申し訳ありません」
低い声だった。
酒造りのときのような威厳はなく、ただ一人の男としての謝罪だった。
「……ですが」
榊は顔を上げた。
「この子は俺が守ります。白峰の娘としても、俺の女としても」
静かな決意があった。
父は言葉を失った。
その目には怒りと、呆れと、そしてどこか安堵のような複雑な色が浮かんでいた。
男児のいない白峰家。
いつかは誰かに蔵を継がせねばならない。
だが、この頑固な渡り杜氏なら、蔵を守り抜いてくれるかもしれない。
父は大きく息を吐いた。
「……まったく」
そして榊を睨み据えた。
「覚悟はできてるんだろうな」
「はい」
「二度とこの蔵から逃げるなよ」
「……逃げません」
その時だった。
千鶴が父の袖を引いた。
「お父さん、一つだけお願いがあるの」
「なんだ」
「今年の新酒の銘柄を決めさせて」
父は目を丸くした。
だがすぐに苦笑した。
「……好きにしろ」
こうして、白峰酒造に新たな歴史が刻まれた。
***
それから数ヶ月後。
春。
全国新酒鑑評会の結果が届いた。
金賞受賞。
白峰酒造の名が、日本中に轟いた。
「見事な酒だ」
鑑評会の審査員が絶賛した。
「酸味と甘みのバランスが完璧だ。まるで初々しい娘のような味わいだ」
その言葉を聞いたとき、榊は珍しく照れたように顔を背けた。
無精ひげの顔が微かに赤らむ。
「……お嬢さんにしてやられたなぁ」
小さく呟いた。
私のために。
この酒を仕込んでくれたのだ。
自分のすべてを懸けて。
千鶴の横で榊が言った。
「嬢ちゃん」
「はい」
「……ありがとな」
ぶっきらぼうな言葉。
けれど、その目は優しかった。
「来年も、その後も。ずっと仕込み続けるから」
それは酒造りの誓いであり、愛の誓いだった。
千鶴は微笑んだ。
「はい。私もずっと、榊さんの横にいます」
陽だまりの中で。
二人は手を繋いだ。
ごつごつとした節くれだった手と、白く小さな手。
まるで酒米と水のように。
違いながらも、一つの味わいを生み出す二人。
その年の春。
白峰酒造から、一つの銘柄が世に送り出された。
その名は――
『初娘』
ラベルには、小さな桜の花びらが描かれていた。
冬の寒さを乗り越え、春に咲く花のように。
厳しい寒造りを経て生まれた、初々しい味わいのように。
それは二人の愛の結晶でもあった。
山あいの町に、その酒蔵はある。
冬になれば白い雪が屋根を覆い、春になれば蔵の裏を流れる小川に桜の花びらが浮かぶ。
百七十年続く老舗酒造――白峰酒造。
そこには今も、不器用な杜氏と、覚悟を決めた蔵の娘がいる。
二人で醸す酒は、いつまでも甘く、熱く、そして格別だ。