半兵衛が住むという座敷は井ノ口町から離れた竹林の中にポツンと座していた。
どうやら大の人嫌いという噂は本当のようで、よほどの偏屈者と見れる。でなきゃ、こんな人里離れた辺境の地に家など建てないだろう。
「……緊張してきた」
「俺もだ犬千代。相手は天才軍師の竹中半兵衛だもんな。だけど虎穴に入らずんば虎子を得ず。多少の無茶は必要不可欠ってものさ」
「……義和は犬千代が守るから」
「ありがとな」
頭を撫でれば嬉しそうに目をつむる犬千代はまさしく犬のよう。
戸を叩けば出迎えたのはそこそこ身なりのいい初老の老人が出てきた。腰が低く愛想が良さそうだが、どこか腹に一物ありそうな親父だった。
「おう、お二人が織田家から使者かな?」
「はい。私は織田家家臣、桜場義和。こちらは同じく家臣の前田犬千代です」
「……どうも」
「ほっほっほ。お主らのことは道三様からの書状で知っておる。わっちは安藤伊賀守守就。美濃三人衆の筆頭にして斎藤家の家老……っていうのは昔の話でな。今では家老の座を奪われた爺よ」
安藤守就のことは道三から聞いた。美濃の国主だった頃の片腕で他の家臣からは『毀誉褒貶これあり反覆常無きご仁』と囁かれるなど黒い噂が絶えない男だという。
名を聞いた途端、二人は警戒心を抱いた。
「さて、半兵衛が待っておるぞ。中に入るといい」
守就に案内され、家の敷地にお邪魔にする。
庭園には案外素朴でよく言えばわびさび、悪くいえば殺風景という日本庭園にありがちな池、石灯籠などはなかった。
半兵衛はこういうのが好みなのかと感心していると玄関であることに気づいた。
(草履……? 見るからに高い物だが……)
靴底がひどく汚れている。これは先日まで降っていた雨で道がぬかるんだために付着した泥だろう。内向的な半兵衛が外出することもないだろうから、この靴は第三者の物と推測する。
誰のだろうかと考えていると守就を口を開いてきた。
「……そういや、桜場と言えばかの桶狭間で義元公捕縛の男じゃろうて。主の名はこの美濃まで届いておるぞ」
「私のことをご存知なのですか?」
「逆に知らん方がおかしいぞよ。そんな者が半兵衛に会いたいとは、さぞかし織田家に仕官してもらおうといったところか」
どうやらこちらの考えはお見通しだったようだ。温厚そうに見えるが、やはり食わせ物。道三の右腕というのはあながち間違っていない。
「俺を半兵衛殿に会わせてもいいんですか」
「構わん。斎藤家でのわっちの肩身も狭いんでのう。ここはどこぞの大名に鞍替えするのも一興。じゃが、いざ鞍替えするのならしっかりとした家に仕えたいものよ」
『お主らは半兵衛に見合うかな?』と言わんばかりの笑みを浮かべる守就。
どうやら半兵衛は仕官先を探してる様子。ならば後は背中を押せばいいだけの話だ。この誘致に光が見え肩の荷が降りる。
すると守就はおっとと表情を変える。
「実はもう一人客人が来ておる。その者も半兵衛を召し仕えたいと言うんでな。先に上がってもらっておる」
なるほど。あの草履はそいつのものだったのか。しかし一体どこの家の者なのかと考えていると一番奥の部屋まで来た。
守就が襖を開けると部屋にいたのはよく知っている顔だった。
「浅井長政……!」
「き、貴様は!? 何故ここに!?」
「おや、お二方はお知り合いかな?」
相変わらずキザな顔立ちをした浅井長政はこちらを見るや荒々しく声を上げた。
「てめぇも半兵衛目当てか。たくっ、今日はついてねぇなあ……」
「私を誰だと思っている! 北近江が国主、浅井長政だ! そもそもの話、何故貴様が半兵衛殿の屋敷にいる!?」
「あっ? ここに来ている以上、目的は一緒だろうが。よく考えろよ」
「私に対してその減らず口……いつか後悔することになるぞ……!」
『仲悪いお二人ですなあ……』『……義和が嫌いな性格。仕方ない』と巻き込まれないように部屋の隅に寄る守就と犬千代。
いがみ合いながらも仕方なく座る一同に『ではわっちはこれで』と会釈すると守就は出ていった。
残ったのは見えない火花を散らしている犬猿の仲とも言える義和と長政、そして犬千代だ。
「……なるほど。お前たちも半兵衛殿を誘降するために来たのか。言っておくが、邪魔立てしようものなら問答無用で叩き斬るぞ」
「おうやってみろや。っていうか、信奈に協力したいと言ってたのに先に美濃を横取りしようとしてるだろ? 涼しい顔して汚いこと考えてるなあおい」
「ふん、私は狙った城と娘は必ず落とす主義なのでね。半兵衛殿はうら若い女性と聞く。なればこそ、私の側室にふさわしいということよ」
「お前みたいな会う度に口説いては飽きて捨てるクズ野郎の元には嫁ぎたくないってよ」
「……貴様、本当に斬られたいようだな……」
二人が顔をつきあわせて喧嘩しているそんな最中にだ。
「お初にお目にかかる。俺が竹中半兵衛重虎だ。よくぞ参られた桜場義和殿、犬千代殿。そして浅井長政殿」
一体いつの間に現れたのだうか。平安時代の貴族を連想させる浅葱色の狩衣姿の若い男が横になっているではないか。
爽やかで清涼さを感じさせられるが、狐を擬人化させたような不気味な顔の男。彼が竹中半兵衛か。
「いつの間に……!」
「この私が気配すら感じなかった……だとっ……!?」
「……腰が抜けた」
三者三様の驚きぶりを見てくくくっと含み笑う半兵衛は図太い性格なのか、起きず寝そべったままだ。
「……起きないのか?」
「起きるとくたびれるのでな。それに寝る姿勢は肝の臓に良い」
半兵衛が大儀そうに手を叩くと狼の耳を生やした少女がお盆を手に入室してきた。お盆に乗せられた団子とお茶を三人の前に置くとすぐさま退室していく。
「ケモミミ……?」
「今の娘は我が式神の"後鬼"。俺の身の回りを世話をしている。さぁてお三方、遠路はるばる井ノ口までよくぞお越しなされた。まずはこちらをどうぞ」
「……美味しそう」
犬千代がよだれを垂らすのも無理ない。三河名物八丁みそがたっぷり塗ってあり、お茶も優しげで香ばしい香りを漂わせている。
だが何故か食欲が沸かない。別にみそや団子が苦手なわけではないが、どうしても食べる気になれない。その理由として。
「食わねえほうがいいぞ犬千代、長政。この団子とお茶、毒でも入ってんじゃねぇの?」
「なんだと!? 真か!?」
「そいつの顔が作り笑顔っぽいんでな。こういう顔をしてる奴ってのは大抵何か隠してるもんなんだよ」
さっきから執拗に眺めている半兵衛にどこか怪しさを感じたからだ。ドッキリを仕掛けてターゲットが掛かるのを待つ仕掛人のような、そんな顔なのだ。
一同の視線を向けられた半兵衛は扇子にで口元を隠して小声で笑った。
「くくくっ、ご名答。だが、毒は入れていない。陰陽術でめくらましをしているが、そいつは馬糞を塗った団子。そっちのは馬のゆばり」
「馬ふッ!?」
長政は後退りすると同時に柄に手をかける。抜けばちょうど切っ先が喉を引き裂ける距離。長政からは凄まじい殺気が漏れていた。
「竹中半兵衛……! 貴様まで私を愚弄する気かッ!」
「やれやれ。これだから武家の生まれは困ったものだ。いいかね、浅井殿。これは取引だよ」
「取引だと!? なんの取引だと言うのか!」
「それを完食したならば仕官してやってもいいということだ。まあ、俺の中で答えは決まっているのだがな」
「おのれぇ……!」
一触即発の睨み合いが続く。長政は刀を薙ぐだけで半兵衛に致命的な傷を与えることは可能だろう。だが、竹中半兵衛は微動だにしない。それがかえって不気味で何か仕掛けてくるのでは?という猜疑心を作り出してしまい、迂闊に手が出せなかった。
そんな睨み合いが一分くらい続いたのち、とうとう長政が折れた。
「……もう我慢ならん! 私は失礼させていただく!」
長政は乱れた服を直すと踵を返して部屋を後にした。
ここで半兵衛を斬ってしまえば竹中家はもちろん、その主君である斎藤義龍との仲も拗れてしまうだろう。独立したばかりの浅井家にとって敵を増やすような真似は出来なかった。
この家に足を踏み入れた時点で長政の敗北は決まっていたようなものだったのだ。
「おや、せっかく用意したのだが帰ってしまうとは……。やはり侍共は好かん。何かあれば刀を抜いてくる野蛮な連中よ。陰陽道の『お』の字も知らん田舎猿め」
やれやれと肩を竦めながら目線をこちらに向ける。獲物を狙う狐のような細目。二人の額に冷や汗が流れた。
「さて、そち達はどうする? それを食らい、頭を下げて頼み込めば話ぐらいは聞いてもやってもいいぞ。くくくっ」
小馬鹿にする目付き。いくらなんでも人嫌いの度を越えていた。
(交渉する余地すらなさそうだな……)
やはり調略は無理だったかと諦め、立ち上がろうとしたその時。
「っ!!」
誰もいないはずの場所から気配がした。もしや間者を忍ばせていたのかと思い、瞬きすら置き去りにする神速の抜刀術で掛け軸をバサリ。
真っ二つになった掛け軸の裏には武者隠しが備え付けられていたようだ。人一人分が隠れられるスペースから何かが転がってきた。
「きゃっ、い、い、い、いじめないでください……」
犬千代よりもちんまりとしたまるで子リスのような可憐な少女。その姿を見た半兵衛が諦めたように笑った。
「おやおや、バレてしまったか。我が主よ、これ以上の戯れは終いぞ」
「主? おい半兵衛。この子は一体───」
「……義和。腰に指してるのは名刀"虎御前"。多分この子が竹中半兵衛」
「……は?」
開いた口が塞がらないとはこの事を言うのだろう。
この子が天下に名高き竹中半兵衛だとは誰が信じられようか。事実が理解を越えてしまっていた。
「ひ、ひぃ……!」
「……義和、刀を納めて。怖がられている」
「……あ、ああ」
少女の服に刺繍された家紋がチラリと見えたが、九枚笹だった。道三から事前に教えてもらった竹中家の家紋である。それが意味するものはつまり。
「本当に……この子が竹中半兵衛なのか……」
すると立ち聞きしていたであろう守就が慌てふためきながら入室し、勢いよく土下座した。
「いやはや申し訳ないご両人! 半兵衛は大の人見知りでして、初対面の相手に挑発したりして反応を確認する癖があるんじゃ! 普段は式神に客の相手をして物陰でじっと観察してるんじゃが、まさか見破られるとは……」
「ぐすんぐすん……やっぱり貴方もいじめるんでしょうか……?」
「……義和のせい」
「……申し訳ない」
これから交渉しようとする矢先に印象を悪くさせてしまう。
長政と会うわ、馬糞を食べられそうになるわ、踏んだり蹴ったりの一日だなと深く痛感する義和であった。
「ぐすん……前鬼さん、ありがとうございました。あとは私がお話しますので」
前鬼と呼ばれた男はうむと頷くと文字通り煙のように消えてしまった。
半兵衛が陰陽師ということはあの男は式神の類いということか。
前鬼が消えたところに座り直す半兵衛はぺこりを挨拶し始める。
「えっと、改めまして……私が竹中半兵衛です。」
改めて見れば、竹中半兵衛は触れれば壊れてしまいそうなほどに弱々しい少女だった。
歳の頃は犬千代、五右衛門と同年代。しかしその見た目とは裏腹に織田軍を敗走させたという事実に恐れを抱く義和と犬千代。
そんな二人を前に天才軍師は出され直したお茶を一服する。
「えっと、私の元に来たのはやはり仕官がお望みなのでしょうか?」
「ああ。俺は織田家家臣、桜場義和。で、こっちのが信奈様の小姓の前田犬千代だ」
「……よろしく」
「は、はい! よ、よろしくお願いします!」
「単刀直入に言おう。半兵衛には織田家に仕えてもらいたい。今日はそのために尾張から来たんだ」
その言葉は聞いた半兵衛は心の中で落胆した。
(やっぱりですか……)
先程の浅井長政しかり、半兵衛を召し使えようとして高名な大名家が度々やって来る。
そして半兵衛はその勧誘と同じ数だけ断ってきた。彼女の義父守就は一応斎藤家の家臣。恩人を捨てて他家に行くことなど出来るはずがなかった。
そんな半兵衛はことごとくやって来る使者達に前鬼を通して必ずしている質問がある。
『私への見返りはなんですか?』と。
ある者は地位を与えましょうと約束し、またある者は多額の報酬を約束した。
聡明な彼女だから瞬時に理解してしまった。彼らが求めているのは軍師としての軍略の才、陰陽師としての占術の才のみ。『竹中半兵衛』という人物が欲しいのではなく、『天才軍師にして陰陽師の竹中半兵衛』が欲しいだけあった。
(私には
とりあえず金や地位をやれば簡単に食いつくだろうという見え見えの下心が半兵衛は嫌いだった。どんなに綺麗事を並べても、半兵衛には本音が分かってしまう。そんな他人の心中を読めてしまう自分の頭脳も嫌いだった。
(この人も私を金品や地位で縛るのでしょうか……)
本当の自分を必要としている人はいない。そんな絶念の元、半兵衛は再度質問する。
「一つ聞きますが、私が織田家につくことで私に何の得がありますか?」
半兵衛の問いに義和は悩んだ。腕を組んで答えを捻り出そうと深く考える。
「……あー、そうだな……」
「……ういろう?」
「そんなのでついていくのはお前か信澄ぐらいだ」
実のところ、半兵衛に対して贈られる恩賞はないに等しかった。
理由として急な訪問もそうだが、織田家家臣団は今回の半兵衛調略に対してあまり前向きではない。半兵衛の人間嫌いの噂や義和の実績の少なさから今回の調略は失敗が前提の『やるだけやってみろ』という投げやりな作戦なのだ。
「ここで嘘をつくわけにはいかないしなあ……。もっとしっかり計画立ててくるべきだったな……」
心の中で反省しつつどうしようかと悩んだ末、浮かんだのは一つの案。
「それでは貰ったばかりの俺の所領を半分ってのはどうだろうか? 所領といっても織田家内じゃ、底辺なんだけど」
そんな重要なことをさらっと打ち明けた。犬千代も守就も、半兵衛さえも目を見開いた。
主君と家臣が同じ石高など聞いたことがない。いや、前代未聞と言っても過言ではないはず。
───ドクン
(……な、なんでしょう。この気持ちは……)
心臓が熱い。運動した後の動悸ではなく、心の奥底からナニかが沸き上がるような感触だった。
それが知りたい。そのためにも半兵衛はさらに問い質した。
「な、何故私を選ぶのですか?」
「選ぶ……というのは?」
「わ、私よりも叡知が優れた人はいます。播磨には黒田官兵衛というお方がいますが、その方は南蛮の知識も兼ね備え名軍師として名高いお方です。
私は陰陽師ですが、身体が弱いせいで満足に術も使えない人間です。こんな私より、世の中には逸材になるお方がごまんといるのに、どうして私のところへ来たのでしょうか?」
「……」
「よ、義龍様から私を引き抜くことで、斎藤家の力を削ごうという魂胆でしょうか?」
「それはないとは言い切れんな……」
半兵衛の言うことは的を得ていた。交渉の発端はただ頭の中に担任のことを思い出し、それを実行しただけのことだ。
「担任……えっと、ある人が言ってたんだ。竹中半兵衛という人間は天才だと。日本中探しても半兵衛に並ぶ人間はいない、そう評価してた」
「で、でもそれはその人が作った虚像です! 本当の私なんて弱くて、一人じゃなにも出来ない惨めな女です!」
「自分が弱いって自覚している人間は弱くはないよ。ただ強くなる方法を知らないだけさ」
義和の祖父はよく言ってくれた。『武神は誰にでもなれる。誰でも強くはなれる』と。
祖父とて生まれながら武神だったわけではない。あらゆる鍛練で自身を磨いてきたからこそ、武神という称号にありつけたのだ。
「それに……何て言うのか……。俺個人として半兵衛が欲しいんだ」
「ふぇ、ふぇぇぇっ!?」
突然の告白に半兵衛は顔を紅潮させ、てんやわんやと慌てふためる。
二人の世界に入ってる義和に嫉妬した犬千代が軽くパンチしたところで場を一変させた。
「君のことは話で聞いただけの人物だったが、今日初めて会ってわかった。君の力はこれからの織田家に必要だと。そして貴女についてくる恐怖や敵は俺が振り払おう。だから織田家に来ていただきたい!」
清々しいまでの土下座。大の男がするような真似ではない。
だが、その土下座に一切の下心や野心すら感じなかった。自分の力を借りたいという純粋な気持ちが溢れていた。
(そこまでして私を……)
半兵衛は我欲のない人間である。何かをなそうという野心や野望を持ち合わせておらず、ただ何でもない日常が好きな少女だった。
半兵衛は生まれながらにして病弱だった。そのせいで何かをするにしても身体が悲鳴を上げてしまい、何を成すことが難しい。そんな人生を送ってきた結果、半兵衛はいつしか自分が『この世に必要のない存在』と思うようになってしまった。
そんな自分が欲しいと言ってくれた。半兵衛は初めて心から自分を必要としてくれている存在に出会ったのだ。
「義和さんは……私が困ったら助けてくれますか?」
「ええ、もちろん」
分かりきった答えだったが、その一言に半兵衛の冷えきった心は溶けた。そして新たに生まれた感情。今まで味わったことがなく、本の中でしか知るしかなかったこの情念に胸の高鳴りを感じていた。
三つ指をつき、深々と頭を下げる半兵衛に守就はさぞ驚いたことだろう。こんなにはっきりと自分を主張する半兵衛は見たことがなかった。
「……私の負けですね。この竹中半兵衛、不肖の身ながら今より桜場義和さんに仕えさせていただきます」
「ほ、本当か!? よっしゃあ! ありがとう半兵衛! やったぜ犬千代!」
「……わぁいわぁい」
(……ズルい人。そんな笑顔を見せられたら困ります)
二人が歓喜に沸く中、半兵衛が熱っぽい視線を向けていることに義和は気づかなかった。
「───話はまとまったようじゃの」
今まで傍観を決めていた守就がようやく口を開く。
「叔父さま……申し訳ありません」
「構わん半兵衛、謝らなくともよい。むしろわっちが謝るべきじゃ。わっちのこれまで所業が、お前は苦しめてしまった」
『そんなことありません』と半兵衛を声をあらげる。
しかし守就は半兵衛の訴えを否定し、ただただ口上し続けた。
「可愛い娘が立ち上がろうとしているのを止める親がどこにいるという。……桜場殿。どうか、わしも連れていってはくださらぬか」
守就はその白髪だらけの頭を深々と下げた。
その平伏は命乞いや降伏の意味合いではなく、半兵衛の成長を見守りたいという完全な親心だった。
「叔父さま……」
「今になって道三様が何故信奈殿についていったかがわかった。道三様は信奈殿に未来を感じ、美濃を託したのだろう。ならば半兵衛よ。桜場殿についていけばお主は夢を見れよう。わっちはそれを見届けたい」
「……構いません。家族がついて来てくれるなら半兵衛としても心強いでしょう」
断る理由なんてなかった。
半兵衛が他家に仕えなかったのは育て親が斎藤家に属しているため。その守就までもが仕官を望むとなれば半兵衛も後ろ髪を引かれることなく、織田家についてくれるだろう。
義和の答えに安堵した守就はすくっと立ち上がり、襖に手をかけた。
「では、わっちは一度家に帰って準備してきます。半兵衛よ、お前の決断は間違っておらぬ。自分を信じるのじゃ」
そして帰ってこないまま半日が過ぎてしまった。
すでに日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。にも関わらず守就は戻ってこない。
「叔父様……一体どうしたのでしょう? なにかあったのでしょうか?」
「俺の忍びに調べさせてもらってる。もうそろそろ戻ってくる時間か……」
その直後、草むらが揺れ五右衛門の顔だけがポンっと現れたせいで隣の半兵衛が『ひぇっ』と悲鳴を上げる。
五右衛門は焦り気味の顔で守就の所在を報告した。
「……一大事に御座る。どうやら安藤殿は主君である斎藤義龍にうりゃぎりをかんぱゃされ、ちとじちにしゃれもうした」
「……なんだって?」
「守就殿は義龍に拉致されたで御座る!」
「そ、そんなっ!?」
斎藤義龍は六尺五寸の背丈に似合わず、頭は切れる男だった。
それこそ悪いところだけ似た男と道三が評した通り、他人の心情を読み抜いたりと頭の回転が速く、道三にも引けを取らないぐらいだ。
「……元々叔父様は道三様びいきでしたので義龍様との折り合いはよろしくありませんでした。それに……私のせいで義龍様に疑心を抱かせてしまったのが原因です……」
無益な殺生を嫌う半兵衛では戦でも不殺を誓い、極力兵を傷つけない戦術を敷いていた。しかし義龍は『軍師が敵を滅ぼさぬとは何事か!』と激情し、さらには『敵を滅ぼさないのは敵と内通しているからでは?』という謀反の疑いまでもかけていた。
「半兵衛は悪くねぇよ。どうやったって人が死ぬのが戦国時代だ。その中で不殺を誓うなんてこと、簡単に出来ることじゃねぇ」
気落ちする半兵衛を励ますが、叔父が捕縛されたショックから抜け出すには至らない。
「それで安藤殿は?」
「行方知らずに御座る。川並衆が手分けして捜索中にごじゃるが……」
「……うむ」
「……これからどうする?」
重々しい空気が流れる。守就が捕らえられたとなると次は半兵衛にもその矛先が向けられることは必定だ。ぐずぐずしていると義龍軍がこの座敷にも来るだろう。
そんな中で守就を助けられることが出来るだろうか。無理である。いくら各々が秀でた猛者であろうと多勢に無勢。火を見るより明らかだった。
だからこそ、半兵衛が聞きたくないであろう言葉を告げるしかなかった。
「……守就のことは川並衆に探させることにする。少なくとも、捕まったということは殺す気は今のところないということだ。ここは一度尾張に戻り、日を改めて奪還しよう」
「……はい」
一同は馬を歩かせる。夜が明けるうちになんとか美濃の国境を越え、尾張まで帰りたい。すでに国境には義龍の軍勢が配備されているかもしれない。そう考えると、一刻も早く尾張へ帰還しなければならないのだ。
誰にも見られないように人目のつかない道筋を進む。
竹中半兵衛の再出発の門出は何とも静かで、寂しげなものだった。